安楽死ホテル
「須藤様はどのような死に方をご所望ですか?」
そう俺に問いかけ、目の前の〝安楽死コンシェルジュ〟はにっこりと笑いかけて来る。
俺は曖昧に笑った。久しぶりに女性に笑いかけられただけで気後れしてしまう。社会から無視され続けた俺は、死に際にならないと丁寧な接客など受けることを許されない人生らしい。
最近の出来事だ。ついに日本政府は国民の安楽死権を認めた。
政府がこんな決定を出さなければならなくなったのは、俺たち氷河期世代のせいだった。六十代に突入し始めた氷河期世代が、派遣やバイトを強制退職させられ退職金も家族もろくな社会保障もなく、その辺に打ち捨てられる事態となってしまったのである。
悲しいかな、自然に死ぬまでかなりの時間があるのだ。その期間、俺たちは世間から後ろ指をさされ、後は貧困と病苦にのたうち回って孤独に死んで行く未来しかない。そういうわけで、道路上で死んだり電車に飛び込んだり、他人を巻き添えに死のうとする連中が続出し、社会問題化した。そこで政府は重い腰を上げ、こんなことを宣言するに至った。
〝人は苦痛なく死ぬ権利がある〟
そんなことを言われて、嬉しがる世代が現れてしまった。それが俺たちだ。
「えーっと……どんなプランがあります?」
俺が尋ねると、笑顔を絶やさぬコンシェルジュは目の前に沢山のチラシを並べて見せた。
「須藤様のご予算ですと、この〝北極でオーロラを見ながらゆっくり死ぬ〟プランはいかがですか?」
「……これ、寒いの?」
「いえ。麻酔で感覚を麻痺させますので寒さは感じませんよ」
「日本から離れるのはな……」
「国内での安楽死をお求めですか?それでしたら、こちらの──」
目の前のチラシは半分に減った。
「〝温泉に浸かったままあったかく死ぬ〟プランなどがお勧めです!全国各地にございますよ」
「ふーん。じゃあこれだと、ホテル内で死ぬってこと?」
「有体に言えばそうなります。現在、政府公認の〝安楽死ホテル〟は増え続けておりますから、理想に近いホテルをお選びいただけると思いますよ」
コンシェルジュの差し出したチラシを眺めながら、俺はあるひとつのホテルに目を奪われた。
「さんさんパークホテル……」
俺の呟きにピンときたらしく、彼女は身を乗り出すようにしてこう勧めた。
「そちらは〝遊園地でひと遊びしてからホテルで疲れたように眠って死ぬ〟プランです。他にも全国に似たようなプランがございます」
「懐かしいな……さんさんパーク」
「思い出の土地、ですか?そういった場所で死にたがる方も非常に多いですよ!」
俺はチラシの中の写真を食い入るように眺めた。あの頃とほとんど変わっていないゆるいアトラクションの数々が、俺を幼いあの日に引き戻して行く。
俺は頷いた。
「この……さんさんパークホテルで死にます」
「ありがとうございます。では須藤様、ご予約はいつになさいますか?」
「今すぐにでも死にたいんだけど……直近だといつ空き部屋がある?」
「お待ちくださいませ。こちらの安楽死部屋は毒ガス室と静脈注射室がございますが、どちらになさいますか?」
「体に針を入れるのはちょっとなー。毒ガスの方で」
「それでしたら今月22日が空いております」
「じゃあ、それで」
コンシェルジュは手元のタブレットでホテルを予約している。俺はこのクソみたいな人生がようやく終わる日が決まってほっとした。
コンシェルジュは言う。
「お墓、または共同墓地を用意されてたりはしますか?そういったものが特になく、散骨したいなどのご希望があれば、弊社の葬儀部門と連携しまして執り行うことも可能でございます」
「散骨いいね。墓地も買う金ないし親戚もいないから、燃やして灰になったら海にでも撒いといて」
「はい。では海への散骨を希望……っと」
コンシェルジュは丁寧に俺の死にざまをプラン・ノートに書きつけて行く。さながらデス・ノートだな。
「ご成約ありがとうございます。それでは須藤様、これにて今生のお別れとなります。よき最期の日が迎えられるよう、従業員一同お祈り申し上げます」
「あ、どうも……」
色んな会社から「ご活躍をお祈り」されて就職面接を打ち切られて来た俺だけど、今回のお祈りは本当に死者に捧げられる「祈り」って感じで心に刺さった。
死に行く俺に祈ってくれる人は、きっとこの人ぐらいなんだろう。
22日、俺はさんさんパークの門の前に立っていた。
さんさんパークは遊園地とホテル、ショッピングモールが一体化した複合施設だ。かつての栄華はなく廃れているが、地元民たちの〝思い出補正〟のおかげで未だ根強い人気を誇っている。
最近は昭和レトロな外観を売りにして、若い女性を呼び込んでいるようだ。インスタ映えするんだってさ。まあ、令和は服にしろ建物にしろ外観においてもモノトーンで景気が悪すぎるので、カラフルな昭和カラーに惹かれる彼らの気持ちはよく分かる。
俺は先にホテルにチェックインを済ませ、毒ガスの予約を入れる。従業員は慣れたもんで、顔色一つ変えない。
俺はホテルから遊園地に出た。
日曜の遊園地内はごった返している。
そうそう、この感じ。この感じが、死ぬのにいいんだよ。
俺は回転木馬の前に立ち、ポケットに手を突っ込んだまま天蓋部分を見上げた。
懐かしい。昔、親父に連れられてここに来たことがあった。
最初で最後の、遊園地の記憶がここにある。
俺は父と二人暮らしの父子家庭だった。
貧乏で食事もろくに与えてくれない毒親だったけど、何の気紛れか、一度だけこのさんさんパークに連れて行ってくれたことがあったのだ。
子どもというのは、どんなクズ親であっても希望を見出そうとする。あの時の俺は、このダメ親父が急に真人間になったみたいで嬉しかった。
色んなアトラクションに乗せて貰えて嬉しかった。
でもまさかあの後親父が自殺するなんて、幼い俺は思いもしなかったんだよな。
遊園地に連れて行ってくれたのはきっと、死を覚悟した親父なりの、遺して逝く俺への贖罪だったのだろう。あー、本当に最低な父親だった。
でも、今の俺が死ぬ場所をここに決めたのは、きっとあの遊園地の記憶が俺にとって結構な宝物だったことの証左なんだ。よく考えたら俺なんて、誰も幸せにしたことがない人間なんだからな。どうせ今日死ぬし、まあ許してやるよ親父。
俺は回転木馬に乗ることにした。馬ではなく、馬車の椅子の部分だ。年甲斐もなく馬になんか乗れないよ。
回転木馬が動き出した、その時だった。
「あのっ」
馬車の手すりにつかまりながら、中学生くらいの女の子が話しかけて来た。
「おじさんこれ、落としましたよ」
俺の目の前に差し出されたのは、財布だった。俺は驚いて尻ポケットを探る。危ない危ない。財布を落とすところだった。
「……ありがとう」
財布を受け取りながら、俺はふと気づく。もう安楽死代は払い込んであるし、これから金を使うこともないのだ。本人確認に使えるマイナンバーカードさえあればいい。
俺は財布から、全財産の十万円を少女に突き出した。
「これは財布を拾ってくれたお礼だ、受け取ってくれ」
少女はその紙束を見るなり目を丸くして、慌てて首を横に振った。
「……いりません!」
「おじさんにはね、もうこのお金は必要ないんだよ。俺は明日にはこの世から消えている。だから最後に親切にしてくれた君に、ぜひこの金を役立てて欲しいんだ」
少女は回転木馬のきらびやかな明かりに照らされ、逡巡した表情で金を眺めている。
回転木馬が止まった時、ようやく彼女は小さな声でこう答えた。
「……ありがとうございます」
そして、十万円を受け取った。
そう、それでいい。
この子はとてもまともな子だ。俺が同じくらいの歳頃だったら、イエーイ!って言いながらぶんどっちゃうね。
俺は回転木馬を降りた。そうしたら、急に何もかもが馬鹿らしくなって来てしまった。
俺はさんさんパークホテルへ歩き出す。
安楽死への道を。
その頃──
少女は十万円を握りしめ、飲食コーナーにまっすぐ歩いていた。
そしてベンチに座ってぼんやりしている中年の男の目の前に、その十万円を無造作に置く。
「!?」
「お父さん、これだけあれば二人で田舎の叔母さんちに行けるでしょ?」
男は恐る恐る少女の顔を覗き込んだ。
「瑞希、こんな金をどこで……」
「さっき、知らないおじさんの財布を拾って届けたら、お礼にくれたの」
「馬鹿な。返しに行かないと……」
「そんなこと言ってる場合なの?私、検索履歴で見て知ってるよ。お父さんが安楽死施設を探してるってこと」
「……!」
「もう、仕事もないし体も精神も壊してるじゃない。前に叔母さんが言ってくれた通り、田舎に帰って放棄された農地を継ごうよ。そうしたら私たち、きっともう少し生きられる」
「でも転校なんて、お前に負担が……」
「いくらでも転校するよ。お父さんが死ぬ方が負担だよ」
「瑞希……」
男は逡巡しながらも、目の前の金を掴んだ。
すると、みるみる男の目に光が戻って来る。
「そうか……暮らす場所を変えれば、あるいは」
「田舎の、空き家になったおばあちゃんちに住むなら家賃かからないって叔母さんも言ってたじゃん」
男はゆっくり立ち上がった。
「ありがとう、瑞希」
「お礼なら、財布拾ったおじさんに言って」
「……物言いが死んだ母さんに似て来たな」
「動ける内に動こう。お父さんの気が変わらない内に……」
親子は日が傾きかけた園内を足早に歩いて行く。
彼らがゲートを出たその時──さんさんホテルの一室で、ひとりの男の安楽死が実行されていた。
無臭の毒ガスが充満する。
「最後に俺、いいことしたよな?」
遠のく意識の中、俺はもう顔すら覚えていない中学生のことを思った。
「あの金で、あの子、めっちゃ遊んでるんだろうな……」
そうひとりごち、ふと俺は、中学時代もただひたすら死にたかったことを思い出していた。
「満願叶う、ってか──」
全てが無になる。
次の日。
安楽死コンシェルジュのパソコンの中に、軽々と数字が打ち込まれた。
死亡数:+1
契約数:-1