007 違う対
更新遅れて申し訳ありません。それもこれも全部レポートのせいです。おかげさまで全部提出し終えました。なるべく更新頻度を戻す予定なのでよしなに。
お詫びも込めて今回ちょっと長めです。
うららかに、視線の先にある窓から陽が差し込んでいる。背の低い本棚が光を伸ばして、部屋全体を照らしているように感じられる。そんな、基本的にブラウンとベージュで構成されている世界が、目の前には広がっていた。
机は二つ。手前のものの方が奥にあるものより大きいのを察するに、手前はミレイが使っているのだろう。よく見れば、生活感が感じられる程度に小物が置かれている。
衣装だんすもこじんまりとしたものが二つ並び、その向かいにはミレイが先ほど話していた二段ベッドであろう木造りの箱枠があった。
因みに部屋はそこまで広くない。二人で生活するにはやや狭い気がするほどである。
「部屋に上がるときは靴を脱げよ。部屋までは下働きのおばさんたちも掃除に来てくれないからな」
そう言ってミレイが段差の外に、靴を脱いで並べた。キャメルのさほどヒールの高くないショートブーツだ。倣うように、アーシェも隣に自身の真新しい濡羽のローファーを並べる。そうして、辺りを見回した。
見れば見るほど、ぴかぴかしてきらきらしい部屋だった。派手な装飾が施されているわけではない。しかし、どこか輝いて見える。
これから生きる小さな世界への「期待」とでも言っていいだろうか。それは小さく、しかし確かにアーシェの心にしっかりと落ち着いたのだった。
「おっ、あったあった……アーシェ」
「はい」
「お前の荷物だ。片せ。それが今日のお前の仕事だ」
「きちんと終わらせろよ」という声と共に、短い白毛のラグの上にボストン鞄とトランクケースが放られる。かなりの重さがあったはずなのに何故そんなに軽々と……と頭の中で湧き上がった疑問は、そのまま飲み込むことにした。
そんなことより、やらなければいけないのは荷物の整理と片付けである。
取り敢えずといった具合に、アーシェはボストン鞄の金具を開けて中を探った。目当てのものは今日の朝、すぐに取れるように一番上の手を取りやすいところに入れておいたのだ。
案の定、それはすぐに硬質な感覚と共に見つかった。
「なんだ、それ?」
「木箱です」
「そんなこと、見れば分かる」
気が抜けたと言わんばかりにミレイが視線を寄越したのは、何の変哲もない木箱だった。蝶番が貼られた、アーシェの掌に収まるほどの大きさの、胡桃色の正方形の箱だった。何かが彫られているわけでも、宝石などの華美な装飾が施されているわけでもない。ニスを塗られて光を受けて輝く木製の正方形である。
「入れるんです。もう身に付けないので」
言うが早いか、アーシェは耳ほどに結んでいた細身のリボンに指をかけた。真っ直ぐな髪質もあって、リボンは結ばれていた事実を感じさせないくらいの軽やかさで、するりと顎ほどの長さの髪の毛に沿うように解けていく。
もう一方の髪に結ばれていたリボンも解き、両方の端と端を摘んで合わせて、畳む。そのまま軽く柔らかい結び目ができる程度に結わえて、できた束をアーシェは木箱の中に放ってしまった。
「結ばないのか? 似合ってたぞ」
「必要、ないんです。見つけてくれたから」
ぱたり、と乾いた鳴き声が木箱から漏れる。自分がこれから寝るとされた寝台の枕元に、アーシェは宝物を置くようにそっと木箱を置いた。
「グレンが、見つけてくれたから」
「気づいてくれたら良いわね」と、張り切って髪に結んでくれたリーシャの顔をアーシェは思い出した。アロイトの妻で、アーシェの養母で、グレンも世話になっている女性だ。
グレンのことを赤子の頃から知ってるから、夫によく似た穏やかな笑みを浮かべて、不安げなアーシェのことを見つめてくれた。リーシャにとっては『リボンに気づいてくれたら良いわね』程度にかけた言葉だった。しかし、アーシェは『グレンがアーシェちゃんを見つけてくれたら良いわね』と、受け取っていた。
些細な言葉のすれ違いは、アーシェの心にひびを作った。
今日のグレンのあの物言い、あの表情。そして自分に向けた──記憶の中の彼と違う雰囲気。
見つけてくれた、気付いてくれただけ、良かったのかもしれない。
否、全てを思えば寧ろ……気づいてくれない方が良かったのか。
「グレンか……グレンなぁ」
いつのまにか自分の机に腰掛けていたミレイが、考えあぐねたように呟いた。
「いつもはあんな奴じゃないんだ。真面目だし物分かりも良い。かと言って、学級の中で浮いてるわけじゃない。皆からも頼りにされてる。本当に好い奴なんだ。なのに、なんで」
「──知ってます」
食い気味に割って入ったアーシェにミレイが目を瞬かせている。
アーシェにとってミレイが並べたことなど、知っているの言葉だけでは終わらないほどなのだ。
グレンが誰よりも優しくて、温かくて、真面目な人だなんて、アーシェが一番良く知っている。
「じゃあ、どうして」
ミレイが眉根を寄せて訝んだ。
行き場のない閉塞感と縋る場所のない孤独を感じて、アーシェは己の左手を見つめる。
それはかつて、恩人であった男を傷付けた手だった。
「私が……グレンから、ウェイン様を奪ったから」
しんと、空気が静まって重くなる。
壁にかけられた魔道具の時計のこちこちという針音が、いやに耳に張り付いてうるさい。ミレイが視線を自身から動かさないのを気にするそぶりもなく、彼女は続けた。
まるで淡々と、事実を述べる罪人のように。
「私のせいで、ウェイン様を──死なせたから」
抑揚のない呟きのはずなのに、ミレイにはその声は震えているように聞こえた。
***
ドレッドノートの寮には科に関わらず──もちろん性別、学年にもよらず──談話室という部屋がある。大抵は一つの科につき一部屋、そして学年ごとに一部屋がある。異性間の往来が原則禁止されているドレッドノートの寮内において、男女の別なく過ごすことができる部屋だ。
勿論、その部屋が用意されているのはアーシェたちの学級も例外ではない。戦技科の同学年の学級と共用で使用している談話室がある。
丁度、男子寮と女子寮を結ぶ廊下に並ぶ一室がそれである。
夜——寮内の食堂で提供される夕食の時間も終わり、予科生たちが明日のために就寝の準備を始める頃だった。
ミレイは、件の部屋に向かっていた。
昼は同室の先輩としてアーシェと共に部屋の片づけをしていた彼女だったが、八割方終わり順調にはかが行っていたはずの仕事は夕刻近くになって急に暗雲立ち込めるものとなった。
アーシェが熱を出したのだ。ふらついた小さな体に、照れとは違う色合いで赤くなった顔。
事前に手紙で知っていたとはいえ、あまりの貧弱さに頭を抱えそうになった。本人と手紙曰く微熱らしいが、熱を出したことに変わりはない。
おかげで寮を案内する前に寝込まれてしまった。
(先輩ももっと教えてくれていいものを……)
ミレイの脳裏にちらりと、朝に会った男の姿が浮かぶ。久しぶりに再会したその男はミレイが王国軍で世話になっていた頃よりもさらに、穏やかな人柄が強くなった。
そして、狡猾さとまではいかないが時折滲み出ていた腹黒さが濃くなった。少なくともミレイはそう感じた。
風の噂で伝え聞くところによれば、六大貴族の公爵殿の元で順調に出世しているらしいのできっとその所為だろうが。
(しかしなぁ)
まさか子連れになっているとは思わなかった。冬にアロイトの元を訪ねたときにも思ったが、改めてそう思う。中々子供ができないため、子を持つのは諦めたと以前は話していたのに。
(ああそうか。だからアーシェなのか)
元の家族のところでも、きっと魔力症で持て余されたのだろう。だから、養女として自分たちのところへ迎え入れたのか。アロイトの妻は衛生兵でもあった。瘴治の魔女とも知り合いだったはずだ。魔力症の知識は多分にある。
漸く、今までバラバラで繋ぎ止めることの出来なかったピースが繋げられた。
導き出した答えに、ミレイは胸の奥に溜まった息を吐き出した。まったくもって頭が痛い。
しかしながら、ひとしきり納得の行くまで考えて、解消された疑問を取り敢えずミレイはアーシェについての話と共に横に置いておくことにした。
そして、目の前の扉の部屋番号が自分達の科の学年の談話室を示すものと同じものだと確認すると、躊躇いもなくノブを回したのだった。
***
談話室にはそれなりに上等な設備が揃っている。
授業の予習復習に使うための辞書や図鑑が揃った本棚に、級友と語らうことができるソファと広々とした木造りのテーブル、それとは別に六人掛けができる程度のテーブルや椅子もある。
そんな中、充実した備品設備の中でも一際群を抜いて目を引くのが、小さな台所のスペースだ。コンロは四口もあり、食料品を片付けておけるパントリーもオーブンも備えつけられている。作業台の部分が対面式にもなっているため、料理を作りながらくつろいでいる友人たちの様子を眺めることもできる。
ミレイが学生の頃──とは言っても、分校化する前のドレッドノート士官学校の学生だった──には想像もつかないような豪勢な設備である。
あの頃の自分に言ったら、きっと恨めしさ半分、羨ましさ半分の目で見つめられるに違いない。
閑話休題。
つまり談話室には台所があって、時間と規則さえ守れば台所が使えるのである。だからミレイは別段、部屋に漂っている甘い匂いに違和感を感じることはなかった。
まあ、これからのことを思えば呑気なものだと呆れはするが。
「グレン」
現在の台所の主の名を呼ばう。
がたり、と物音が一つ。ややあって出てきた少年は、制服である濃灰色の上下ではなく、Yシャツにスラックス、エプロンといった出で立ちとなっていた。
その手はご丁寧に紅茶の香りを燻らせる茶器と、今しがた温められたばかりであろう焼き菓子を携えている。
ミレイの頭痛が、またひどくなった。
「茶会を開くわけじゃないんだぞ」
「すみません。あ、でもこれ今日のおやつに作ったのが余ったので、それで……違うんです。わざわざ作ったとかそういうのじゃ」
「いいよ、分かった。分かってる。……馳走になろうじゃないか」
しどろもどろに答えを探しているグレンは、やはり朝の『あの光景』とは結びつきにくい人物そのものだった。
だからこそ、なぜあんな反応をしたのか確かめたい。理由はどうであれ、遅れて入学した新入生に対してして良い態度ではない。
それに、きっと何か理由がある。
ミレイの勘が、そう告げていた。
「新しい席はどうだ。馴れそうか?」
「馴れますよ、じきに。変わったとはいえ同じ学級ですし。ルイの奴が『端に座りたい』とか、無茶なことを言ってこないのが幸いでした」
「……あれで無茶じゃないのか。お前がそう思ってるならいいが。いつも振り回されてるだろう。心休まる暇がないんじゃないかと思って」
「それこそ『慣れて』ますよ。あいつと何年の付き合いだと思ってるんですか」
グレンが苦く笑った。感化されて同じような顔になりつつ、淹れられた紅茶を飲んで喉を潤す。
その美味さに、多才だなとミレイは内心舌を巻いた。本当にこいつ十一歳か。
「でも、本当に話したいことはこんなことじゃないんですよね。きっと」
自分の分の紅茶も淹れ終えたグレンが、向かい合わせになるように腰掛ける。いつも通りの真面目な表情に、心底ミレイは訳が分からなくなった。
どうして、あんなに動揺していたのか。どうして、あんなにアーシェに対して驚いていたのか。
「アーシェのことだ。どうしたお前。らしくない態度をとって」
供された焼き菓子にありがたく手を伸ばす。一口大にちぎって口に運べば、わざわざ温められたしっとりとする生地に、優しい砂糖の甘さとバターの香りがふわりと鼻に抜けていった。アクセントに入っているレモンピールの酸味が、甘さを引き締めていて口内は心地よい。
しかし美味い。今の子供たちはこんな上等な菓子を食べているのか。しかも確か、グレンは作ったと言っていた気がする。心底羨ましい。
重大な話の切り口も兼ねていたため、言葉は選んだつもりだった。
心地よい甘みに舌鼓を打ちながら、ちらりとグレンの様子を窺う。
その顔は、青くなっていた。
普段の健康優良児の肌色とは似ても似つかないほど青ざめ、顔は強張っている。年齢不相応に大人びて落ち着きを見せているはずの瞳が、泳いで、不安げに揺れた。
よく見れば、唇を噛んで奥歯を食いしばっているのが分かる。
触れられたくない話題だというのが、一瞬で理解できる様子だった。
「……グレン」
「申し訳ないと思っています。朝のは、あれは」
「それだけじゃなさそうだが」
先程まで背筋を伸ばして、こちらを真っ直ぐに見据えていたのが嘘のように、グレンは縮こまって俯き気味になっている。
時折、唇が動いてなにかを紡ごうと──あるいは既に呟きとして紡いでいるのか──しているのが見えるが、それだけだ。こちらに伝えようとする気配はない。
「『兄』なら」
「……ん?」
「弟や、妹の心配はしますよね」
はずだった。
意図の見えない質問だった。もしかしたら独り言のように呟いただけなのかもしれない。
「……そうだな」
「心配なんです。アーシェが。あんなに小さいのに、この学校に……しかも戦技科に入学するなんて」
打たれた相槌に呼応するようにグレンが続ける。
確かにグレンの言い分にはミレイも一理あった。
「先生が一番、今の学級の状態をご存知でしょう?」
「……まあな」
「カタリナ先生が担任なんて……俺、不安なんです。……厳しい人ですから」
今度こそ目に見えて分かるようにグレンが奥歯を食いしばった。言葉は濁しているが、カタリナが苛烈な性格を有しているのは、学級の中でグレンが一番よく知っている。
グレンの致し方ない点を、悪し様にカタリナは罵って侮辱するのだ。
そこまで聞いて、ミレイもグレンに同情した。確かにアーシェが保護者の手を離れて預けられる場所にしては、恵まれた環境とは言えない。
「傷ついてほしくないんです。もう二度と」
「もう二度と……? 待てよ」
これまでの情報がミレイの脳内に錯綜して、めくるめく気分になる。五月蝿く主張してちらつく情報に、ミレイの頭の中で『何か』が付合した。
偶然の一致にしては出来すぎた付合だった。
「グレンの父君も名前はウェインだったな」
「はい。そうですが」
「アーシェがお前から『ウェイン様を奪った』というのは……?」
「そんな……っ!? 違う!!」
ただ、もしやと思って訊ねただけなのに、噛み付くように叫ばれた。いきりたってグレンが立ち上がったせいで、テーブル上の茶器がずれて陶器特有の甲高い悲鳴を上げる。
「違う! アーシェは……! あいつは!」
泣きそうな顔で、涙を堪えるように、奥歯を噛み締めて。
ただならぬ雰囲気に、ミレイは声をかけるのも忘れてただグレンを見つめることしかできない。
「……違うんです。本当に、誤解なんです」
「グレン……?」
興奮から醒めたように萎れて、グレンが椅子に座った。座ったというより、腰掛けるように落ちた。
俯いて気落ちした顔は、この二人のパンドラの箱を開けてしまったのだとミレイに後悔を覚えさせるのに充分だった。
「……なんでもありません。もう、何も。話せることは何も、何も」
「グレン」
気遣うように声をかける。ゆるゆると頭を振られて、その様に普段真面目で頼り甲斐のある快活な少年の面影はない。
額を支えるように支えられた手は、いつのまにか拳のように組まれて震えていた。
「なんでも、ありません。すみません、先生」
話の続きを拒絶するように、寂しげに発された、その声と共に。
伏線の張り方が分からん。




