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Phantasmagoria-狭間の標詩-【学生編】  作者: 菱魚
予科一年生・春〜初夏
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004 事繁

 最近、還暦近い我が家のパパ上殿が小説家になろうの小説を読むのに御執心なので、執筆を勘付かれないかヒヤヒヤしながら書いてます。

「あんまり遅いものだから待ちくたびれちゃったわ。子供一人迎えに行くのにどれだけかかっているの?」


 耳鳴りがするような声とは、まさしくこの女のような声だと思う。痩せっぽちで背ばかりがいやに高い女だ。そばかすのある顔でせせら笑うものだから、初めて会うというのに嫌悪感しか抱けない。赤毛をきっちりとひっつめ、眼鏡をかけているというのも第一印象がよろしくないことに拍車をかけていた。

 何というか、『キツさ』があらゆる意味で滲み出ている人物だ。


「カタリナ……」

「あら、呼び捨ては困るわ。公私は分けて貰わないと。ねえ、ミレイユ先生」


 化粧っ気に乏しい唇が釣り上がる。不健康で血色の悪い、紅とは無縁の三日月だ。

 なのに何故、背筋が粟立つような感覚を覚えるのだろう。 


「それが大人というものでしょう」

「そうだな。カタリナ先生」


 糾弾する物言いに嫌味な笑顔が様になっている。教室の雰囲気が先ほどのグレンのときの比ではないくらい悪化していることを察したのか、ミレイがカタリナの元へと進み出る。


 アーシェを、自身の背に隠すように。

 その意図が何となく分かって、アーシェもミレイの影に息を潜める。

 先ほどの感覚の正体が分かって、警戒心がアーシェの心を掻き乱す。


「少し紹介が白熱してしまってな。おかげで座席も決まったよ。……本当は担任の仕事の筈なんだが」

「……こちらも暇じゃなくてよ?」

「ああ、知ってる」


 不穏で剣呑な雰囲気が二人の間に漂っている。ミレイのことは出会ったときから信頼できると思っていた。だから、これからの学校での生活も──当然不安はあるが──大丈夫だと思っていた。

 しかし、今は何を根拠に大船に乗った気持ちでいればいいかが分からない。


「すぐに動く。先に行っててくれ」

「まあ、ではわたくしの研究室へ。今すぐに」

「優先順位に気をつけろ。行くのは学校長のところだ」


 表情など見なくてもミレイが今どんな顔をしているか分かる。密かに、しかし確実に彼女は怒っていた。

 目の前の、無責任な、教育者を名乗るのも烏滸がましい女に対して。


「先に行ってろ。すぐ行く。担任としてここに残ってくれた方が遥かに助かるが」

「担任として、学校長直々に指示を仰ぐのも必要なことだわ。一緒に行きましょう。学級の業務は副担任でもできるのだから」

「新入生の保護者に会ったのは私だ。私が行く」

「まあ頑固だこと」

「ほざけ。お互い様だ。もう一度言う。先に行っててくれ」


 睨みつけているミレイに臆面もなく、自分は正当だとでも言うようにカタリナは薄ら笑う。余裕そうなその笑みは毒々しく、派手さとは無縁の女を男を堕とす毒婦のように見せるのだから不思議だ。


「ええ、ええ。待ってるわ」


 その言葉を置いて、カタリナは教室から去っていってしまった。細い背中が見えなくなったのを見計らって、アーシェはミレイのコートの裾を掴んで寄りかかった。

 どっと疲れた気がした。

 正直、ドレッドノートに着くよりも遥かに緊張した。


「ああいう奴なんだ。アーシェは気にしなくていい」


 言葉だけ聞いたら冷たいとも取れる内容である。しかし言葉に反して、ミレイは眉根を寄せて、ただカタリナの消えた方を見ていた。

 彼女が惨めだと語る光を、その榛色の瞳に湛えながら。


「……注意しなきゃならないことがある。時間がないから歩きながら教えよう」


 アーシェに、次に教室にいる教え子たちに。向き直ったミレイは外に漏れない程度に声を張った。


「カタリナ先生か私が帰ってくるまで自習とする。各自の席に着いて課題を決めて進めること。私語並びに勝手に席を立つことは許さない」


 気を引き締めた級友たちが、素早く自分の席に無言で戻って行く。内心驚いてまじまじとその様子を見ているアーシェを尻目に、ミレイはまだ続けた。


「もしもさっきと同じようなことがあったら、今学期はこれから先一回も自習学習はないと思え」


 割と自由人な気質を持つものが多いこの学級の者にとって、その言葉は死刑宣告にも等しかった。



***


「さっきは嫌なものを見せたな」

「えっ、と」


 唐突なミレイの言葉に対する反応が分からず、アーシェは口籠もってしまった。戸惑ってただミレイの顔を見上げる。


「別にカタリナが嫌いなわけじゃないんだ。いや、仕事だからな。好き嫌いという問題じゃないし、そこはどうでもいいんだが」


 ミレイの視線が揺らぐ。言葉を紡ぐのに、必死で頭を回転させている者の動きだった。


「担任としての仕事をほっぽり出して、こちらに押し付けてるんだ。それで大きな顔をされたらこっちだって思うところを一つや二つ言いたくもなる」

「その……たん()ん?」

「担任だ、担任。……そうか、アーシェには言ってなかったな」


 ばつが悪いといった表情でミレイが振り返った。


「私は副担任なんだ。担任を補佐して学級業務を行なっている。あと、幾つか教科担任として講義も受け持ってるかな。でも、あの学級の本当の担任はカタリナなんだ」


 進む足が追い立てられるように早くなった気がするのは何故だろうか。


「あいつは担任の癖に学級の業務を滞らせるし、興味も殆どないから私が一人で回しているようなものだけどな」


 自嘲気味にミレイが笑った。疲労の色が濃い。惨めだと、先ほどの瞳に湛えていた光と同じ匂いがした。


「あいつが関心を払っているのは自分の研究にだけだ。きっと辞めたいんだろう。教師の仕事は大変だし、研究する時間もないから」


 着いた昇降口の扉をくぐる。大空の青と、太陽の光が眩しい。

 季節は春である。青々とした葉の匂いが爽やかな、生命芽吹く春の終わりである。


「校長室は図書室にある。中央校舎の二階だ。そう、あれだあれ」


 ミレイが指で目的の建物を示す。噴水のある広場の半分を取り囲むように建っている大きな赤煉瓦造りの建物は、窓の個数から見てもそんなに高さはない筈なのに、先程の校舎よりもはるかに高く重厚な雰囲気を携えて聳え立っていた。


「わあ」


 思わず声が出た。今日だけでも一生分驚いた気がする。見たことのない立派な建物に、アーシェはそれ以上の言葉が出なかった。図書室というより図書館という形容が似合うほど、重厚で年季の入った建物である。


うち(ドレッドノート)で一番の歴史を誇る館だ。分校化が決定してキャンパスが移動になったときも、この建物だけは前から残されることが決定してた」

「詳しいんですね」


 豪奢な金属の彫刻が施された扉のノブに、深い飴色の木造りの扉。図書室の内部は質が良いであろう赤絨毯が敷かれていて、足音を消してくれる。


「通ってたからな。実際」


 書棚を眺めていたミレイが懐かしそうに目を細める。しかしそれも束の間。何かを思い出したかのように、難しい顔になって屈むと、アーシェと視線を合わせた。


「アーシェ。これだけは覚えていてくれ。今までの話は正直全部忘れて良いがこれだけ。アロイト……殿との約束に付け足してくれ」

「分かりました。何ですか」


 いやに真剣味を帯びた榛色から目を逸らすことができない。それだけ、守らなければいけない約束だということくらい、念を押されなくてもアーシェには理解できる。


「『カタリナと二人きりになるな』。これは絶対だ」


 別人のような形相で言って聞かせるミレイの約束に、アーシェはただ頷くことしかできなかった。



***


「で、一体どうしちゃったんですか。あれ」


 既に新入生が来ることを前提に席を変えたルイが、隣から話しかけてきた。左側に人がいるのは慣れないなと思いながら黙殺を決め込む。隣に座る腐れ縁そのものは、これしきのことで目くじらを立てるほど狭量な人物ではない。


「グレン、グーレーン。聞いてますか」

「聞いてはいるが耳には入ってない」

「ちゃんと聞いてください。……何があったんですか」


 問い訊ねられても答える気は毛頭ない。かといってそのまま聞き流すわけにもいかず、そうして耳だけは会話に集中して気を取られた結果、出来上がった課題の作文は見事蚯蚓(みみず)ののたくったような字で錬成された。


「……ルイ」

「愚痴も非難も後で聞いてあげますからまず説明して下さい。あの子が『手紙』の?」


 相変わらず自分はルイが真っ直ぐ見つめてくるのに弱いらしい。根性の張り合いはとうとうグレンの白旗に終わり、彼は蚯蚓の這った藁半紙を綺麗に四つ折りに畳むとポケットにしまった。

 次いで、溜め息を一つ。どこから話せば良いのか掴みあぐねて、後ろ頭を掻いた。


「ああ。俺の……『妹』」

「だからあんなに赤くなったり青くなったり」

「なってない」

「……なってましたよ。残念ながら」


 どうもグレンの過保護さは、この腐れ縁の友人にも筒抜けだったらしい。それもそうか。何せ、アーシェ以外でグレンの過保護さを知っているのは、他ならぬルイなのだから。

 ぎりぎりと痛んだのは、身長が伸びて食い込むようになったサスペンダーに圧迫された肌だけではない気がする。


「貴方の反応は理解できなくもないですけどあんなに言う必要あります?」

「あるさ。遅かったけどな」

「ただの拒絶にしか聞こえませんでしたよ」

「それでも良いさ」

「グレン」


 そっと嗜める声が厳しさを孕んでいて、グレンは反射的に背筋を伸ばした。


「入学したのはあの子の意志ですよ」

「それでも入学してほしくなかった」

「グレン」

「ここは『ドレッドノートの名を冠する学校』で『戦技科』なんだぞ」


 悔しそうにグレンが奥歯を噛み締める。遣る瀬無い気持ちが、あの頃の愚かで小さくて無力な自分をまざまざと思い出させて仕方がない。


「学級もこんな状態だし、本当は来てほしくなんかなかった。しかもアーシェは俺と三つも離れてるのに」

「……寧ろ、それしか離れてなかったんですか。幼く見えましたけど」

「あれでも大きくなったほうだよ」


 教壇の前に立っていた『妹』を記憶の中の『妹』と比べてみる。こうして姿を見たのは去年の夏以来だ。

 一年近くぶりに見た少女の姿。焦茶の髪は少し伸びて、薔薇色の頬とは言わないまでも肉がついて年齢相応には見えるようになっていた。この分だと、身長も恐らくずっと伸びているだろう。

 どれほど、伸びているだろうか。遠目にしか見ていないからはっきりとは分からなかったのが悔やまれる。我が家に来たばかりの頃はグレンでも抱き上げられるほどの小ささだったが、今はそれも難しいほど伸びているだろうか。

 それはそれで嬉しいが、なんとなく寂寥感が漂う気もする。


 そう思ってしまうのは己が、未だに囚われているからだろうか。


「……仕方ない、んだよな」

「? どうしました?」

「いや、なんでもない」


 呟きは存外大きかったらしい。

 仕方ないと言い聞かせても、心は未だ諦めきれないように、理解したくないと言いたげに叫び続けている。

 大切な『妹』は既にグレンの元から去ってしまった。


 それなのに、思い出が胸を過って離れない。

 甘やかで大切な思い出の筈なのに──否、だからこそ──ずっとグレンを苦しめ、傷つけ、その心から離れず居座り続けるのだ。

 言わなきゃ、知る由もない思い。

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