003 紹介
話が進むごとに字数増えるのをどうにかしたいです(願望)。
やりとりが楽しいからしょうがないね。
それは、叫びにも似た声だった。
ひときわ大きな声が教室いっぱいに木霊する。見知らぬ転入生に浮ついていた空気は、まるで引き波の如く一瞬で霧散してしまった。
言いたいことを言い終えて肩で息をしているグレンが、次の瞬間に自分へ向けられた視線へ気付いたのにはそうはかからなかった。
アーシェを除いた級友の全員が虚を突かれて彼を呆然と見つめているか、常ならばあり得ないほどの大声でグレンが叫んだことに信じられないという面持ちでいる。
しんと静まり返って、誰も彼も口を開こうとしないのがその思いを如実に表していた。
気配一つすら動かず、頭のてっぺんからつま先まで静寂と緊張に支配され、その場のまるきり変わった空気に飲み込まれてしまう。
既に、アーシェという新たな存在への浮つきは、グレンという少年の箍が外れたことで起こった突然の事件に、上書きされてしまっていた。
「……あ」
ひとしきり周囲を見回したグレンが、言葉を零す。本当に小さな呟きにも似た音だった。しかし、自分が行ったことがどれほどのものだったのか、彼に自覚させるにはそれは充分な威力であった。
水を打ったかのような教室にめいめいが耳鳴りを覚え始める頃、漸くアーシェはグレンを見つめることに注力していた瞳を瞬かせた。
否──寧ろ、それしかできなかった。
「あー……ちょっと、いいか?」
静まって救いを求めるような空気が滲み始めたのを見計らったかのように、ミレイが口を開いた。当然そこにあった二十の瞳は一気に全てが教壇に立つミレイへ注がれる。その多さにはさすがのミレイもぎょっとして、溜め息を零した。
咳払いが一つ続いたのは自分を鼓舞させたかったのかもしれない。
「まず、この学級に入ることになる新たな仲間を紹介したい」
ハスキーで張りのある女性の声が、教室中に高らかに響く。
「アーシェ・ファロアだ。訳あってひと月半も遅れてこの学校に入学した。歳はこの中で一番若い」
目の前の視線は、いつの間にかアーシェに注がれるようになっていた。さほど気にも留める様子が彼女にないのは、アーシェの衝撃が先ほどの出来事に上書きされたからだろうか。もしくは『ネフェリス』という、養女として貰われていったことを示すミドルネームを、ミレイが省いてくれたことに気づいてそっちに気を取られているからだろうか。
「私もなるべく一緒に行動してやるつもりだが、生活に不慣れなところがあると思う。だから……出来るだけ気にかけてやってほしい」
『気にかけてやってほしい』が心なしか強調されたように聞こえるのは気のせいだろうか。ミレイの堂々とした、その雄弁さを惜しげもなく振るっている横顔をアーシェはじっと見つめていた。
頭の中が一杯で、ぐるぐるする。全てを飲み込もうとして、飲み込めない。そんな不快感が、頭の先から胃の腑までを行き来して支配しているのに、頭の中は氷が詰め込まれたかのように冷え切っていてそれが殊更気持ち悪い。
ミレイを見ることに集中しなければ、倒れてしまいそうだった。
「アーシェの紹介は以上だ。何か質問のある奴は?」
「はい、はいっ、はいっ!」
間髪を入れずに質問が飛んできた。手を真っ直ぐに天井へ伸ばして、興奮しながら食い気味に問うてきたのは、薄い水色の──晴れた空の色合いよりも幾分か薄い──髪をおかっぱ頭にした、小柄な少年だった。
アーシェの認識では少年だが、もしかしたら少女かもしれない。そう思っても仕方がないほどに華奢な少年だった。着られている制服が男物でなければ、絶対に区別はつかないだろう。
「マキナか。どうした?」
「その子の身長はいくつですか!?」
またもや食い気味になって、今度は身を乗り出してされた質問に、周囲の級友たちが吹き出すのは時間もかからなかった。
「……なんで!? 重要なことなんだよ!」
「いや、そりゃそうだけどお前さ……内容ちったぁ考えろよ」
「どうせシィには分からないよ!」
白い歯を見せて、しかも腹を抱えて笑うシィと呼ばれる少年に、マキナが噛み付く。マキナ、と呼ばれたその少年の名前が、先ほど自分が小さいと言われたときに引き合いに出された名前だとアーシェが気付くのに時間はかからなかった。
「お前らなぁ……」
シニヨンに纏められた自身の毛先を、ミレイが弄る。呆れた、とその表情にはでかでかと書いてあった
「アーシェ、百二十九ヘンテはあるか?」
「はい。確か……」
「そうか。──マキナ、お前よりは小さいぞー!」
自分の身長なんてそんな些事にも等しいことなど、アーシェが覚えているはずもなく。脳内の片隅にあった記憶の小棚をひっくり返して、小首を傾げながら言葉を返す。言った後に考えることになってしまったが、恐らく当たっているはずだ。数ヶ月前に馴染みの女医が身長を測ってくれたときには、百二十九は超えていたはずである。
「だけどお前が男子の連中で一番小さいことは変わらんなぁ!」
「ひどいっ!」
「ひどいもんか。身長を伸ばしたきゃ、その生活習慣を改めろ!」
「なんで先生がボクの生活を知ってるのさ!?」
「……毎日談話室で夜遅くまで魔道具製作に勤しんでいる奴に言われたくないんだが」
頬を膨らませて睨みつけるマキナに、ミレイが半目になって乾いた笑みを浮かべる。さざなみのように子供の笑い声が響き合うのが慣れない光景に、アーシェはぐらりと揺れそうになる体を足で踏ん張ることで耐え忍ぶことしかできない。
(ああ、これが)
なるほどこれがそうかと思い至る。漠然と頭の中で思い出すのは、この学校へ入学したいと、アロイトに相談したときに浮かべられた沈痛な表情だった。漸く腑に落ちた。
今まで感じたことのない感覚である。生まれてこのかた、アーシェは集団行動というものとは殆ど無縁と言ってよい境遇だった。
今まで感じていた安心感が奪い去られ、感じなくなっていた憂慮が熨斗を付けて送り返された気さえする。
「……アーシェ?」
「せんせい」
「大丈夫か?」
密やかに、ミレイがこちらを伺っている。ここで和かに笑ってくぐり抜けるという養父のような処世術は、アーシェは学んでいない。取り敢えず、頭を縦に振って肯定の意を示した。
「そうか……ならよかった」
安堵したように向けられる笑みは優しい。豪胆で男勝りな女性がアーシェの身の回りにいないわけではなかった──それこそ、件の女医もミレイと同じ性格である──が、ミレイが初めて出会う者であることに変わりはない。
知り合いがグレンしかいない状況で、心を許せそうな存在は重要だった。
「じゃあ、アーシェからもひと言貰おうか。いいか? アーシェ」
「はい」
もう一度顔を上げて、右から左へ視線を移動させて、中心で留める。
「よろしく、おねがいします」
ペコリと頭を下げて、一歩下がった。発せられた音がたったの十数個であることに、感受性豊かな級友たちは目を丸くしている。その中でミレイだけが、ふっと柔らかく笑った。
「ああそうだな。よろしく」
彼女の手がアーシェの頭を撫でようと伸ばされる。しかし、ここが教え子たちの視線があるところだと気付き、既のところで彼女の手は、腰元に収まったのだった。
「さて、自己紹介も終わったんだ。席を決めなきゃいけないな。……アーシェは様子がよく見えるように、前に座ることが決まってる。この前転入生が来たら……って話はしたよな?」
「あーそれなんだけどさあ、せんせー」
気怠そうに、少年が手を挙げた。先ほどマキナに絡んでシィと呼ばれていた、黒髪の少年だった。
「席、グレの隣じゃ駄目か? ちょうど通り道挟むことになっけど席は空いてるし、一番前だし」
「一番端だぞ。一目で様子が分かるのがいいんだ。却下」
「えー……あったまかってえの。駄目かあ、面白くなりそうなのに」
「シィ」
勝手に巻き込まれた当事者──グレと呼ばれたグレン──が冷たい一瞥をシィに寄越した。しかし、シィはからりと笑って、痛くもかゆくもないと言わんばかりに手を振る。
グレンが顔をしかめるのなどお構いなしと言いたげな様子である。
「だってさっきから見てて面白ぇんだもん、お前さ。あの子見て青くなったり赤くなったり、なんか言いかけようとして止まったり、ほっとしたり。……どんな関係?」
「そ、れは……」
グレンが言い淀む。この生真面目な少年がこうしてシィに気圧されるのは珍しいことではない。
だからミレイも、収拾がつかなくなる前に助け船を出すことにした。彼女自身もいつものように、頭痛の種がこれ以上増えるのは御免こうむりたかった。
「こらシィ、そもそも端だっていうのが問題なんだ。却下って言ったのを聞いてないのかお前は」
「じゃあ端じゃなければいいのでは?」
ふわふわの金髪が、年齢不相応に品よく微笑するのに合わせて揺れる。口を開いたのはグレンの隣にいる美少女と見紛うような少年だった。『かっこいい』という形容より『可愛らしい』という形容が似合いそうな美少年だ。
「すみません先生。意見があるので発言してもいいですか」
「許す。シィのやつよりよっぽどお前のが聞く価値はある」
「……先生ちょっとひどくなぁい?」
「自業自得だ」
苦笑して許可を求める少年に、とっとと場を収めろと言わんばかりにミレイが顎をしゃくって続きを促す。
「アーシェが真ん中の左端の席に座って、グレンと僕の今の席を交換すればいいと思うんですが」
「ルイ、だけどそれは」
「でも良い案だと思うんです」
渋るグレンを窘めるようにルイは続ける。
「何も、僕が左端に座ることになるんじゃありません。グレンが今いる真ん中の席に変わるだけです」
「それもそうか。それならいい。続けろ」
「真ん中の一番前の席にはフォスもいますし」
「ちょっと勝手に巻き込まないでくれる?」
「ごめん。……でも、本当にいい考えだと思うんです。先生は見やすいですし、アーシェも知り合いがいるほうが気は楽でしょうから」
「気にかけたほうがいいんですよね」という副音声と、顔を綻ばせながら凄みを見せるという両者が一致していない『何か』が、ルイの無邪気なひよこを思わせる顔から見えた気がするのはさておき。
「どうでしょう。悪くない案だと思うんですが」
「そうだな……」
「後はグレンと先生から了承を頂ければ、僕はそれで構いません」
アーシェを見つめてルイが手を振った。グレンの友人ということはどこかで出会ったことがあるのだろうか。しかしアーシェの記憶の中には目の前の少年に該当する人物はいない。
取り合えず、感謝の代わりに頭を軽く下げた。
「私もいい考えだと思う。グレン、どうだ」
「俺、は」
グレンの瞳が揺らいだのが分かった。アーシェを見て、次に眼前の席二つを見つめている。あの頃はまっすぐに自分を見てくれていたのに、今は所在なさげに視線を漂わせている。それが、アーシェにはまるで別人を見ているように映った。
「……分かりました。席を移ります」
「そうか。ありがとな、グレン」
安堵したようにミレイが笑う。
照れくささと若干の不貞腐れが混ざったグレンの顔が赤いのは、恐らく見間違いではなかった。
やっと、アーシェが知っているグレンだと思った。記憶の中の彼の見せる表情と同じだと思った。
懐かしさと安心感を覚えて、ずっとこのままの時間が続いてほしいと願ってしまうくらい、心底ほっとした。今までの彼は別人だと、自分に言い聞かせたかった。
「——そう、それで」
嫣然と笑う甲高い声が聞こえるまでは。
「もう終わったのかしら。——ミレイ先生?」
度量衡は考えてませんでした!
追々辻褄合わせをしていきます。




