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Phantasmagoria-狭間の標詩-【学生編】  作者: 菱魚
予科一年生・春〜初夏
35/42

幕間 ルイの一般教養講義(後編)

 息抜きのおやつとして供されたスコーンは、それはもうさくさくで口に含めばほろりとする絶妙な仕上がりだった。小麦の香ばしさと素朴な甘さに、春苺の酸っぱさの勝るジャムを合わせれば何個でも平らげることができてしまう気さえする。手のひらと同じくらいの大きさの狐色の固まりには、そんな焼き菓子特有の包容力があった。

 尤も冷えた分、多少みっしりとした食感に仕上がっているそれは、大きさのボリュームもあって二、三個食べれば充分な勉強への活力となるのだが。


 そんなグレンお手製の食べ慣れた味にルイが合わせた紅茶はダージリンだった。本来スコーンと共に出されるべきクロテッドクリームがない、紅茶に慣れていないアーシェが飲めるもの、という条件に応えた食べ合わせ(ペアリング)である。ルイ自身がミルクティーを飲めず、好まないという事情も後押ししたのも当然ある。


 褐色の液体の満ちる茶器にそっと口づける。今日も今日とて、自分が淹れた紅茶が期待を裏切らないことにルイは満足げに微笑んだ。

 心の中に、少しだけ得意げな優越感を秘めながら。


「そろそろ、勉強に戻ってもいいんじゃないか」

「……あ。忘れてた」

「忘れてた、ってお前……」


 完全にまったりモードになった空気を切ったのは呆れてジト目を向けてくるグレンだった。食べるのが人より遅く小食なアーシェが食べ終わりそうな頃を見計らい、心が充足感で埋められた将来の主予定の手綱をとる。

 苦労人の素質がどことなく見え隠れするのは気のせいではないだろう。まあそれは置いておいて。


「お茶しちゃうとのんびりしたくなりますもんね。仕方ありませんよ」

「しっかりしてくれ、一応勉強会なんだぞ。頼んだ俺に言わせないでくれ」

「……仕方ないね! グレンの焼いたスコーンも美味しかったし!」

「機嫌を取ろうとしたって無駄だぞ」

「本当のことなのに……ちょっと寂しいですよ。グレンをそんな、人からの好意を雑に扱うように育てた覚えはないんですけど」

「大丈夫だ。お前に育てられた覚えはない」

「乗ってきてくださいよ~!」


 もうと膨れっ面になったルイがちらりとアーシェを窺う。彼女はといえばスコーンの最後のひと欠片を咀嚼しているようだった。紅茶も湖面のようになみなみと注がれているわけではなく、水たまりくらいには減っている。

 勉強を始めれば茶器に手を伸ばす余裕もなくなるのだ。本当に、丁度いいだろう。


「それじゃあ、ゆっくり始めましょうか。——まずは魔力症についてかな。これについては二人のほうが僕より詳しい気がするから、話さなくてもいいんじゃないって思わないこともないんだけど」

「ルイ」

「グレンが怖いから話しますねっ」

「ルイ」


 己を呼ばうグレンの二度目の声が若干冷たく感じるのをルイは素通りした。


「魔力症っていうのは『魔力が増えることで肉体の成長が遅れがちになったり、体調を崩しやすくなったりする症状全般』を指すと言われています。こういう風に言われてますけど、グレンの体質も一応魔力症扱いなんだっけ」

「そうだ。症状は真逆と言っていいけどな」

「まぎゃく。……魔力が殆どないから」

「ですね」


 先刻教えたことをアーシェはちゃんと覚えているようだ。本当に、物覚えは悪くないのだろう。今まで知識に触れる機会に恵まれていなかっただけで。


「僕たちは魔法を発動させたり、魔法薬を使ったり——色んなところで魔力を使うでしょう? そうすると魔力が減った、って体が気付いて魔力を回復させようとするんです。失った分を補給するように」


 先程の講義で使ったのとは別の藁半紙に、ルイが線を引く。できあがった図は計測器(ゲージ)のように細長い、メモリの刻まれた長方形だった。

 その長方形全体を覆うように、斜め線が書かれていく。


「でも、体は失った分より多く魔力を作り出してしまう。次にまた同じように「魔力が減った」なんてことにならないようにね。でも魔力が増えてしまうと、今度はそっちの維持に体力が取られちゃうんです。そうやって自分の体に合わないくらい魔力が増えて、様々な症状を引き起こすのが『魔力症』だよ」


 ゲージの図の右上の頂点から、飛び出たように雫のイラストを数点描く。この雫が魔力症の原因だよと、ルイは筆記具で指してグレンとアーシェに見せた。


「増えすぎた魔力は体の中で悪さをする。体の成長を遅くしたり、病気に罹りやすくしたり……」

「知ってる。ベルナデット様も……言ってた」


 気落ちした声だった。確かにアーシェは成長が良いとはお世辞にも言えないだろう。魔力症に蝕まれていない同級生と比べれば、目に見えて痩せて小柄であるのが分かる。ルイやグレンのクラスには他に明確に魔力症を患っていると分かる級友がもう一人いるが、彼と比べたってアーシェの発育状況は芳しくない。

 多くを知らない彼らにだって、そのくらい手に取るように分かる。


「私は、大きくなれないの」

「そんなことないさ。たくさん——食べられなくても、ちゃんと食べて、寝て、動いて。健康に過ごせばいい。大丈夫だよ」


 そう言ってアーシェの頭を撫でるグレンの姿は本当の『兄』のようにルイの目に映った。血の繋がりがないとか、昔は義兄妹同士だったとか、そういうことを抜きにしても。


「魔力症は一度なってしまうと基本的に治りませんけど、寛解って言って魔力症になっていないのと同じような状態になることもあるんです。それを目指すしかありませんね」

「……ばんばる」

「「それを言うなら『頑張る』」」


 希望の光を瞳に湛えたアーシェに、男子二人の突っ込みが刺さった。


*** 


「魔法については……試験範囲は三要素だったかな。魔法の行使に必要な要素を三要素って言うんです。魔力・心像(イメージ)、詠唱のことですね。魔力はさっき言った通り。心像は『どんな魔法の効果が発動してほしいか、そのために脳内で思い描く魔法の姿』のことを言うんです」

「魔法の姿」

「ええ。だから例えば、敵に雷が落ちる姿を想像すれば、その想像そのものが心像になります。詠唱は、その心像を元に神々に効果の発動を願うための「お願いごと」と言えばいいんでしょうか」


 説明がうまくいかないのか、ルイが首を傾げる。まあ大丈夫でしょう、とのほほんとした言葉が返ってきたのは割とすぐだった。


「アーシェは個人で魔道の指導を受けるでしょうし、試験ならこの内容を覚えていれば大丈夫なはずなので。疑問は先生にお願いします。……さて次は、歴史? グレン、どこから話せばいいと思います?」

「……まずは六大貴族のことを話したほうがいいんじゃないか」


 疑問の中に暗い影が落ちた。故か、グレンが出した結論も暗さを帯びた硬いものになる。雰囲気が少し前までとは変わったことに今度はアーシェが首を傾げた。


「どうしたの」


 返答はない。何と言ったらいいのか、二人とも掴みあぐねているような。そんな感じだった。

 しかしそんな二人の気配を察せるほどアーシェは機微に聡いわけではない。


「何も、言わないの」


 無視されたと感じて拗ねても、それは致し方のないことだった。


「……すみません。どう言えばいいんでしょうね」

「最初から最後まで、全部」

「それができたら苦労しないんですけど」


 目の据わったアーシェの物言いにルイが苦笑する。


「六大貴族っていうのは、この国の——ヴォルセナ王国の建国に寄与した『七英雄』の子孫の公爵家のことなんです。『貴族の中の貴族』そう呼ばれているから、特別な存在として『六大貴族』と呼ばれています」

「でも、六って」

「王家が抜けてる。王家と六大貴族——六大公爵家と呼ばれることもあるが——その七家の祖先が七英雄だ」

「ナイスな補足ありがとうグレン。基本的にこの国で公爵の位を戴くのは六大貴族だけですね。例外は、王族公爵。王族の血を引いていたけれど、臣籍に降下して公爵の爵位を戴いた家も公爵になります」

「……じゃあルイも公爵」


 ふと放たれたアーシェの言葉に、空気が一瞬凍り付いた。どうしてと呟いたルイの顔はやや青くなってすらいる。


 自分たちが悩み抜いて口にしなかったことを、この少女はなんでこんなにも簡単に飛び越えてしまうのだろう。


「だって『ガスティオン』なんでしょ。それぐらい、分かるわ」

「……そうですね。公爵家に(ゆかり)がある者というだけですけど。『ルイス・ネッフェ・ノーヴィリス・スープレ・ガスティオン』それが今の僕の名前ですから。じゃあ他に知ってる名前はありますか? 六大貴族の家の」

「アージェンタム……」


 級友であるフォスの姓名がするりとアーシェの口から出てきた。


「発音が似てるから。私の名前に」

「そうですね」

「……そう思って付けたわけじゃないんだけどな」

「分かってる」


 グレンのささやかな言い訳という名の抵抗に、少女は薄く笑った。


「私はわたし。アーシェだもの」

「ああ。そうだ」


 甘い空気になってるところ悪いんですけど二人とも続けていいですかという言葉は、空気の読めるルイによってあっさりと喉奥に引っ込められたのだった。

 とは言っても、ずっとこのままでいいわけがない。ルイは一つ、わざとらしく響くように咳払いした。


「ガスティオン、アージェンタム。他にはシャルトルーズ、サジタリウス、カルダモン、そして──レシャストーヌが、六大貴族を構成する公爵家ですね」

「ルイ」


『レシャストーヌ』と、家名を出したときにすんと息が詰まったルイを、グレンが見逃すはずがなかった。気遣うような、心配そうな面持ちの友人に、ルイは大丈夫ですよと安心させるように笑いかける。

 普段と変わらない、柔らかい笑みだった。取り繕った気配もない。


「今の国王陛下の妻である王妃殿下はレシャストーヌの出身なんです。そして、この六家の中で唯一──後継者がいなくて断絶している家がシャルトルーズ。これだけは、今日覚えて帰ってください。絶対に」


 そう言うルイの顔は鹿爪らしさを煮詰めたものだった。


 そして、まさか一般教養とはいえ試験のために勉強したこの二つの内容を一生忘れないような事件が起きるとは、このときの三人には想像もつかないことで。


 当たり前のことに、新しく覚えた知識に、ルイの反応も相俟ってグレンとアーシェはただ頷くことしかできなかったのだった。


 ルイは満足したのだろう。いつものように柔和な笑顔に戻って、二人を交互に見遣った。

 話を続けるタイミングを探すように。


「さっき、王族公爵の話もしたでしょう? 数年前のドージュの内乱は王族公爵が中心になって起こったことなんです」

「双子王子の争いがな」

「……双子王子って」

「何代か前の王位継承者が双子だったんですよ。今の王族に連なるのは弟王子の方で、ドージュを継いだのは兄王子で。継承争いに負けた兄王子の子孫が引き起こしたのが、ドージュの」

「内乱の前にも小競り合いはあったんだ。現王家に反発するように、な。でも王族の血を引く公爵家だから、ドージュに表立って反省を促す家は殆どない」

「親王派の派閥でなければね。結果、調子に乗ってクーデターにまで発展したところを、数年前に鎮圧されたんです。国賊として、ね」

「しんおうは、はばつ……」


 双子王子の争いまでは理解できた。しかしそれ以外の、馴染みのない『親王派』や『派閥』といった単語がアーシェの頭の中に去来して、勝手知ったると言わんばかりに暴れ回る。


「双子の王子が」

「うん」

「戦って、負けた方が起こしたのが内乱。そういうことね」

「ざっと纏めればそうですね」


 かといって、自分にとっても浅からぬ因縁のある事件を覚えないという理由は彼女には当然なく。

 何とかアーシェは一連の流れを覚え、試験に臨んだ。


 結果、赤点を取ることは免れ、次の試験まで今の学級に在籍し続けられることが決まったのは言うまでもない。

 設定をキャラクターに喋らせるんじゃなかった(戒め)

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