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Phantasmagoria-狭間の標詩-【学生編】  作者: 菱魚
予科一年生・春〜初夏
23/42

022 山登り

「……そうだった。アーシェには話してなかったな。いや、忘れていたわけじゃないぞ」


 夕刻、空が橙と澄んだみ空(・・)の薄衣を纏い始めた頃合いだった。本日の学校での授業を終え昼にシャイラたちから聞いた話をアーシェがするなり、ミレイは悪びれることも構える様子もなく平然と言ってのけた。


「本当、ですか」

「当たり前だろう。というか、学校の行事だぞ。言ってなかったら私の首が飛ぶ」


 副担任っていうのはそこまで甘い仕事じゃないんだよ……と哀愁を漂わせつつ、ミレイがそっとアーシェから目を逸らした。アーシェがベルナデットの元で入院している間のミレイは、ベルナデットから貰った情報をドレッドノートの上層部や自身の教え子と関わり合いになるであろう教師たちに伝え、駆けずり回っては忙しそうにしていた。そのことが身に染みたのだろう。

 因みに、この情報の出どころは確かだ。何せ入院から寮へ帰る道中の馬車で、アーシェが本人から即聞いた話である。だからもう大丈夫だよ、と疲労を濃くした──しかしながらやり切ったという誇らしさに満ちた顔で微笑まれ、ミレイへの信頼をアーシェ自身が一層強くしたのも記憶に新しい。


「じゃあどうして」

「許可が下りなかったからだよ。良かったな、下りて。参加できるぞ」


 椅子に前後反対に座り背もたれに体を預けていたミレイは言い終えるとすぐに自身の机の引き出しから一通の手紙を取り出した。寝台に腰掛け話していたアーシェの元にやって来た封筒は、柄も何も入ってない簡素な白さで封蝋が押されている。

 ──その封蝋の紋章はベルナデットの診療所に掲げられている、彼女の女紋だった。


「一応、魔女様に相談したんだ。お前を学校の行事に参加させてもいいですかってな。病み上がりだし、山登りだしな。またあの方のところに厄介になったら、今度こそどやされるだけじゃ済まないだろう?」


 賢明な判断である。

 アーシェはベッドから降りて筆立てに差してあったペーパーナイフを手に取った。そうして封蝋を削ぐように外す。

 中には便箋が一枚、折り畳まれて入れられていた。


 医者(ベルナデット)の許可証である。


「参加……できるんですか」

「流石に全部の行程とはいかないけどな。あっちも全部は参加させるなとご用命だった。だからお前は、中腹まで行ったら山小屋で休んでみんなを待ってること。それが条件だ」

「……そう、ですか」


 学校に入学して漸く初めての学生の行事を経験できるというのに、条件を提示されてアーシェの心は萎んだ。少なからず嬉しさで浮き足立っていたのに、期待させて落とすというのはあまりにも殺生な仕打ちだった。


「そう落ち込むな。本当は魔女様は参加させるのも嫌がってたんだ。『危険すぎる』ってな。参加できることがすごいことなんだよ、アーシェ」

「分かります。分かります……けど」


 アーシェの駄々を捏ねるような気持ちを察して、ミレイは椅子から降りた。そうしてベッドに座って俯いてしまったアーシェに、そっと目線を合わせるように屈む。


「危険なのは分かるが、お前を行事に参加させるのも必要だと、私は思ったんだ。お前は入学も遅れてオリエンテーションも何もなかっただろう? 級友と仲良くなったり、別の学級の奴らとの交流も満足にできてない」


 ミレイの言う通りだった。アーシェは未だに隣の学級にどんな名前の生徒がいるか知らない。

 できないことを責められているようで、何より周囲よりも遅れているのを改めて突きつけられたことが悔しくて、アーシェは下唇を噛んだ。

 その感情の荒波を、ミレイは彼女の手を取って握ってやることで余儀ないことだったと宥める。

 どうしようもできなかったのは彼女のせいではないと、言い聞かせるように。


「仲間を作る──まではいかなくても、これから始まる演習のために味方に顔を知ってもらうのは大切なことだよ。遅れたものは仕方ないさ。その上で大事なのは、その遅れをこれからどう取り戻すか。遅れを取り戻せる時間や機会があるかどうかだ。今回のハイキングだって、参加できないよりは途中まで参加できる方がお前もいいだろう?」


 ミレイの言葉にアーシェは渋々頷いた。その反応に、彼女がちゃんと聞き分けていることを理解して、ミレイの頬が緩む。


「お前の身体だって本調子じゃないんだ。魔力を暴発させて、学舎の二階相当から落っこちた。『今生きてるのが不思議なくらいだ』って『打ち所が悪かったら死んでてもおかしくない』って、魔女様も──ベルナデット様も言ってただろう?」

「でも、入院しました」

「入院したからって、すぐに体調が万全になるわけじゃないんだよ」


 軍医も経験してきた医者の見解に口を挟むつもりはないが、普通は死んでるはずだとミレイも思っているのだ。どれだけの怪我がどこの部位に及べば、人が死んでしまうか。ミレイはよく知っている。

『大したことない』と言われた怪我が体の見えないところに影響を及ぼして、散っていった仲間は一人や二人ではない。


「魔法薬を飲んだって、すぐに症状が良くなるわけじゃない。それと同じだ。今回は無理せず様子を見て、次の行事から本格的に参加できることを目指そう。急がなくなって、機会はまだあるんだから。な」

「……分かりました」


 不承不承といった様子だがアーシェが引き下がった。

 悪い子ではないのだ。寧ろ、聞き分けは同年代の教え子たちに比べて良すぎるくらいである。それがどこか寂しく感じるのは、ミレイ自身が幼い時分は『自由奔放』『勝手気まま』と評されていたからだろう。

 同時に、アロイトの教育方針に少しだけけちを付けたくなったのも事実だが、それは家の問題である。それに副担任である自分には手出しができないと、ミレイは脇に放った。


 褒めるように撫でた焦茶のおかっぱ頭はさらさらで指通りが良い。


「それに、山小屋でも休んでるわけじゃないぞ。別の学級の先生と一緒にいてもらって、みんなとは違う課題を貰ってやってもらう予定だから、そのつもりでな」


***


 そうして迎えた黒の日は青空が眩しく感じるほどに晴れた日だった。

 戦技科の一年生全員が、学校のキャンパスの丁度裏手にある森に集まる。そうすると結構な人数だった。アーシェを含めても二十人はいる。そこに担任や副担任の教職員が数人である。


「こんなにいたんだ……」


 いつの間にか唖然として漏れていた呟きに傍らに控えていたミレイが笑って、背を叩いてきた。


「アーシェはこうして見るのは初めてだもんな。だが、他の科──平民科や貴族科を見たら驚くぞ。あいつらはもっと多い。一学年につき三学級だ。学級一つあたりの人数も倍近くいる」

「どうして戦技科は学生が少ないんですか」

「それは──」

「それは戦技科は元々士官学校の名残として残された科だからな!」


 いきなり割り込んできた男の声にアーシェもミレイも振り向く。

 年の頃は三十もいかないか。筋骨隆々で、他の教職員も生徒も制服やフォーマルに近い格好の中、つなぎにポロシャツといういかにも気合の入った格好で、男はアーシェたちににかりと笑った。人の好い笑みである。


「ブラッド先生……」

「お、今回はアーシェも参加するのか。いいぞいいぞ! 魔法を使うのにも体を動かすのにも全てに体力は必要だ。今回のハイキングはそんなにきつくない。君でも大丈夫だ! きっと完走できるぞ!!」

「……歓迎ありがたいが、アーシェはドクターストップがかかってる。途中で行事を下りるぞ」


 暑苦しいブラッドの解説に狼狽えるアーシェを、ミレイは助け舟を出すが如くべりっと引き剥がす。

 ブラッドは隣の学級の担任である。「体育会系の脳筋だ。何でも筋肉と体力で解決しようとする。頭が悪いわけではないんだがな……」と言葉を渋らせたミレイの様子は記憶に新しい。

 ミレイの警戒を仄めかせた説明にブラッドは目を瞬かせた。そして心配の色を滲ませてアーシェをじっと見る。


「それは……大丈夫なのか?」

「大丈夫だろう」

「おれが言っているのはドクターストップがかかってる状態で登らせるということなんだが」

「登ってもいいが途中までというお達しだ。大丈夫、山小屋でジョルジュ先生と共に待機してもらうことで話はついてる。私も基本的には傍にいるから平気だ」

「そうか……」

「ということで、司会進行全て頼んだよ。ブラッド」

「ああ分かっ、なぁ……!?」


 いきなり役目を振られたことにブラッドは絶句したらしい。

 二の句を継げなくなった彼の姿は、その体躯よりも遥かに小さく感じられた。


「ほら、早く行け。そろそろ出発の時刻だぞ」

「ああ、分かった……なあ、ミレイ」

「私は副担任だからな、ジョルジュ先生も。カタリナがいない以上、お前が担任として纏めろ」


 面白がるように笑ってミレイが手でブラッドを前に追いやるように払った。渋々と前に出たブラッドは少々意気消沈した様子を見せながらも説明を始める。


「今回の課外活動の課題は『見つけた魔性植物や瘴魔の把握』だ。特徴をメモして、学校に帰ったらレポートに纏めて提出してもらう。この二つなら何でもいいぞ! あと注意事項として、この時期はイノシシが出る可能性がある。あいつらは下手な瘴魔より厄介だ。絶対に一人では行動しないこと、見つけても手を出さないこと、見つけたら先生たちに言うように!! 分かったか!?」

『はい!!』

「じゃあ行こう! ついて来い!」


 ブラッドが先導する後ろを、生徒たちが二列で後を追うように付いていく。


「私たちも行こう」


殿(しんがり)になったミレイとアーシェは、その影を追いつつゆっくりと歩き始めたのだった。



***


 麦雨というのは恵みの雨のことである。梅雨時の雨のことであり、初夏に降る雨のことだ。六月の名称として、アーシェたちの世界で使われている語でもある。五月は新緑の月、六月は麦雨の月。冬が長く春と夏が短いヴォルセナという国において、緑が繁茂し始めるのはこの二ヶ月である。


 だから、ドレッドノートの裏手に広がるこの森も例に漏れず、青々とした息吹をそこらかしこで咲かせている。自分の瞳と同じかそれよりも濃い緑である。ドレッドノートに初めて来たときに見た木々よりもなお青く、緑が鮮烈だ。

 視界が初めて経験する色合いにアーシェの意識は、感覚は、引っ張りだこになる。


 それが功を奏してか、中途にある山小屋に着く頃になってもアーシェの体は疲労による悲鳴を上げなかった。となると、やはり鎌首をもたげるのは『みんなと同じように行事を完遂したい』という欲求である。


「駄目だ」


 言う間もなく、気配を察されてミレイの素気無く却下されたが。


「言っただろう、ドクターストップだ。ジョルジュ先生と大人しく待ってろ」

「でも……」

「もう決まってることなんだ。それに、ジョルジュ先生は魔道師でもあるんだ。魔道について、待ってる間にたくさん教えて貰え。いいな」


 それがお前の今回の課題だ。言い残して、ミレイは足早に小屋を去ってしまった。道中の、ゆっくりとした足取りが自身に合わせてのものだったとアーシェが気付いたのは、ミレイの人影が森の奥に消えた後だった。


「大丈夫じゃよ、お嬢ちゃん。事情は全てミレイから聞いておる。わしと一緒に大人しく待って居れば、そのうち帰ってくるじゃろて」

「はい……よろしく、お願いします」


 ジョルジュはブラッドの学級の副担任だと聞いていたが、アーシェは初めて会う教師だった。白く長い顎髭を生やした老爺で年は軽く見積もっても七十は超えていそうだった。

 腰は曲がっているが、それでもアーシェより頭一つ分は高い。


 ジョルジュは杖をつきながら、アーシェがぺこりと頭を下げるのをじっと見ていた。


「うむうむ、素直で結構じゃよ。わしも魔道師としてお前さんが起こしたことは知っておったからの。入学早々、魔力の暴走が起こるなんて災難以外の何物でもないわい」

「先生は……魔道師、なんですよね」

「ふむ。そうじゃよ」

「聞きたいことがあるんですが、いいですか」

「よいよ」


 ずっとアーシェは気になっていたのだ。

 カタリナはあの一件以来、自分の魔道の指導の担当から外されている。自分を指導する後任は誰なのかという事実は、未だに誰からも知らされていない。

 ミレイにも訊いたが困ったような顔をされてしまった。まだ決まっていないということなのだろう。


 アーシェは教頭かミレイが良いと伝えたが、ミレイ自身からはどちらもあり得ないと告げられている。曰く、教頭は仕事が忙しく指導する余裕がそもそもない、ミレイ自身では魔法の技量と魔力量がアーシェと釣り合わないため指導の参考にもならないと。

 そうなれば答えは一つだ。

 もしや、ジョルジュが魔道の指導を担当してくれるのではないか。


「あの……」


 期待を込めて口を開こうとした。

 同時に、こんこんと小屋にノックの音が響く。聞き間違いではない。


 音は断続的に、それでも続けて止まない。二度三度、四度目に差し掛かったところでジョルジュは黙殺していたのを止め、視線を扉へと移した。


「なんじゃ、誰か来おったのか?」


 扉の奥へと老爺の姿が消えた。

 一人でぽつんといると、小屋は寒々しくどこまでも暗かった。匂いはカビ臭さと青々しく苦い香りが鼻腔を通り抜けて、先ほどまでのジョルジュといた小屋の気配とは打って変わったものになっていた。


 孤独感が一気に込み上げてくる。

 一人でいることがこんなにも恐ろしいだなんて、初めて思えた気がした。


 だから扉が開いた軋む音が、その扉を開ける気配が、誰のものかだなんて今のアーシェには気にも留めなかったし、分かるわけもなかったのだ。


「カタリナ先生……」


 自分に害なす、担任の気配であっても。

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