019 裏事情1
ベルナデット・スーべ・オークスは医者である。
ヴォルセナ──彼女たちが住まう国において、数少ない女性の医者である。
より詳細に言うならば、魔道医の甲種免許を持った『魔力症を始めとした魔道師の病を、魔力に関わる諸々の外傷や症状を処置することが認められている』医者である。
そんな彼女が開いている診療所というのはヴォルセナの王都の外れにあるごくささやかなものだった。彼女の来歴を知る者は口を揃えて彼女に問い訊ねる。『どうして王城や軍の魔道医の職を捨ててこんなところにいるのか』と。
彼女にとっては面白味もない──怒りと憤りに割く労力も勿体無いと思うほどに──聞き飽きた質問である。だから彼女は予め決めたことしか答えない。
「別に、ただの道楽さ」
本当にただの道楽である。気まぐれ混じりの老後の余興と言い換えてもいい。そんな彼女の道楽は思いの外忙しいものである。
彼女の腕に信頼を置いている者は彼女が軍属を、国という所属を捨てても、なおやって来るのだ。うざったさを覚える覚えないは別として、そうしてやって来た患者をベルナデットは拒まない
彼女が開いた診療所というのはそのためのものだからだ。
そんな彼女には、健診と称して定期的に魔力症の具合を『診てやっている』子供たちがいる。
名前をグレンとアーシェという。魔力症の子供というだけでも珍しいのに、そんな二人をどうして診続けているのか。
そう問われれば、彼女はきっとこう答えるのだろう。
「別にただの気まぐれだよ」
と、鼻を鳴らして呆れたように笑いながら。それでいてどこか、感慨深く何かを噛み締めるように。
閑話休題。
病室の扉をベルナデットは音を立てないようにゆっくりと締めた。動きに呼応するように、錆びた蝶番が悲鳴にも似た叫び声を上げる。顔を顰めて、すぐに彼女は『グレンのいる間に点検』と脳内に書き留めた。
診療所自体の規模は小さいが、自分一人では細かいところまで手が回らない。猫の手も借りたいほどだ。
リーシャがいるときならば別だがそんな日だって多いわけではない。
『あの日』から、『魔女だなんだかんだと騒ぎが起こったあの日』から、リーシャにはなるべく寄り付かないように言ってあるのだ。
つまり、今回のアーシェの入院のことを知らせたとしても、養母である彼女は来られないわけで。
ああもうと、引きずり出されて考えた内容にベルナデットは舌打ちした。
苛立ち混じりのまま白衣の胸ポケットに突っ込んでいた鉛筆を摘んで、勢いで左手で器用に束ねた髪の毛をくるりと纏め上げる。元から半端に波打っている肩ほどの銀灰色の髪は、鬱陶しさが嘘だったかのようにそのまま頭頂に収まった。頭皮が引っ張られて頭がクリアになっていく。
耳にかかっている銀縁のつるの位置を直して、落ち着かせるようにベルナデットは息を吐いた。
「──グレン!!」
呼んだ名前は、先程アーシェと話をするまで一緒にいた「腐れ縁の友人の息子」のものだった。診療所を統べる彼女の声は元来の性格もあり、張られておらずとも迫力がある。
少し間を置いて、こちらへ小走りになっている音が聞こえた。続いて、扉の枠から飛び出して来たのは、砂色とも枯草ともつかない髪色の少年だった。
改めて見ると、数ヶ月前に見たときより背が伸びている。こりゃいずれ父親と並ぶかねえと、この少年よりも遥かに背丈の高い偉丈夫のことをベルナデットは思い出した。
「はいっ、どうかしましたか。ベルナデット様」
「あんたはアーシェの側にいておやり。今、ちょっと危ういからね」
そう言ってベルナデットは白衣の衣嚢から瓶型の魔道具を取り出した。ベルナデットの手のひらに収まる大きさである。子供が──子供といってもグレンはそこらの子供よりも発育がいいのだが──扱いにくい大きさではない。
ベルナデットはそんなそれをそっとグレンの手に握らせた。
「使い方は分かるね」
「えっと……魔力を吸い取る魔道具ですよね。これ……なんとなくなら」
「なんとなくかい」
「だって、魔力を持ってない俺に魔道具が預けられることなんて普通はありませんし」
拗ねたグレンの言い訳という理由説明に「それもそうだったね」とベルナデットは納得すると、『蓋をあけて口を首元に当ててやるんだよ』と簡潔すぎる説明と身振り手振りを寄越した。
「魔法薬を飲ませたから落ち着いてるはずだけどね……取り敢えず、側にいてやりな。いいね、あたしはあんた達の保護者と話してからすぐそっちに行くから」
「分かりました。何か準備しておきますか?」
「いらないよ。いいからとっとと行って来な」
追い払うように「行った行った」とベルナデットが手を振った。彼女が業を煮やすと恐ろしいことを身を以って知っているグレンは、ぱたぱたと足音を響かせて診療所の奥の部屋へと消えていった。
成長したとはいえ、まだまだ餓鬼だね。とは、彼女の心中のみの言葉だろうか。それとも呟きとして漏れ出ていた言葉だろうか。
「グレンに……魔道具を……? あの、大丈夫なのですか?」
「大丈夫もどうしたもないだろ。あたしは魔道医だよ」
あたしが許可を出したんだ、大丈夫に決まってるだろ。
戸惑う小娘にベルナデットが鼻で笑う。グレンとアーシェをここに連れて来た小娘は見目は二十も半ばほどに見えるが、それでも五十を超えているベルナデットからしてみれば小娘であることには変わりない。
「あんたたちとは比較にならないくらい、あの子たちのことを知ってるんだよ。まあ、グレンのことは知らなくても仕方ないけどねえ」
ベルナデットの目が細められる。警戒と憤りを露わにした表情に、ミレイは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして──すぐに自らの力不足を悔やむように、口元を引き結んでじっとベルナデットを見つめ直した。
想像よりも根気のある彼女の態度に、ベルナデットの眉が動いたのは一瞬のことだった。
「アーシェは別だよ。あんた達の所に入学させんのに、あたしが一度あの子の魔力症を全部診てやったんだ。学校に現在の体調の状況を提出しなきゃならないからってね。接する上での注意事項としてデータがあるってのに、あんた達は何をやってるんだい」
「……仰る通りです。ですが──」
「ですがも、何もないよ」
苦し紛れの言葉がミレイによって続けられる前に、ベルナデットが無情に言葉を切った。
「あんた達は他人様の餓鬼んちょを預かってんだよ。親元から離してまでね。つまり学校にいる間、子供達の命を預かんのはあんたたちなのさ。その子供達の扱い、随分とぞんざいなんじゃないかい? しかも、あんたは寮でアーシェと同室なんだろう」
渡された情報があるなら、理解しとかなきゃいけないだろ。
あの子達に近しい教師として何をやっているんだと、怒りを滲ませたベルナデットの言葉はミレイの心を抉る。
彼女の言っていることは、正しい。校内史上、前例のないほど魔力症の重い子供を受け入れるのに、ミレイには──ミレイ達教師陣には──情報の把握と知識が足りてなかった。
「あんたは担任かい」
「いえ、副担任です。担任は別に」
「そいつはどうなんだい。あの子の魔力症のことをちゃんと分かってるのかい」
「分かっている、というか……」
「はっきりしないね。言いな、早く。とっとと」
「アーシェの魔道具の腕輪にある残滓は『ソレ』のものです」
魔道具の腕輪は診療所に来てベルナデットに見せた途端に、すぐさま取り上げられたのだ。なんてことしてくれたんだい! と、一発怒鳴られながら。
予想外の真実にベルナデットが一瞬固まった。まあこうなるだろうな、とミレイはベルナデットが現在思っているであろうことに深く共感を覚えた。
「こんなにもしちめんどくさい魔道具を扱えるってことは」
「魔道師です」
「…………無能はあの子の教師にいらないよって、一筆書いてやろうか」
「是非ともお願い致します」
流石にミレイもそこまでは考えてなかった。せいぜい使えない魔道師だと嘲笑される程度だと思っていたのだ。
予想の斜め上だった。もはや、苦笑を覚えるほかない。
そんなミレイの考えなど微塵も気付かず、溜息と共にベルナデットが衣嚢を探って、革ベルトを取り出す。頭が痛いとこめかみを抑える姿は、苦労人のそれそのものだった。
もしかしたら、と思う。
『瘴治の魔女』というのは噂に聞く以上に偏屈だが、味方にすれば心強いのではないかと。
「ベルナデット様が仰りたいことは分かります。私たちにも至らない点はありますし、先生からご助言を頂けるならありがたいと思っています。ですが、私たちにはあの子達について情報が足りないのです」
「だから、言ったろ。あんた達の学校に提出したはずだって。アロイトに言われたんだ。分かるだろ、アーシェの養父だよ」
「……アロイト先輩に?」
「──先輩?」
双方が見つめ合う。何となく気まずい沈黙が落ちて、ミレイは仕切り直すように一つ咳払いした。
「副担任ということで私には情報を閲覧する権限がないのかもしれません。しかし、魔力症の子供を預かるということはこちらにも慎重な対応が求められているということでしょう。校長や教頭が、担任や私に情報を渡さないというのは考えにくいのです」
特に、ミレイは四六時中アーシェと共にいることになると言っても過言ではない。校内で魔力症の発作が起きたときに一番近くにいる可能性の高い大人である。魔力症の発作も、それによって引き起こされる魔法の暴発も、下手をすれば死傷者を出しかねない危険な現象なのだ。
士官学校や軍に進む者が多い学校で、その点の報連相ができていないというのは考え難い。し、考えたくないと彼女は思っている。影響が大きくなれば学校の名誉だけでなく存続に関わることだからだ。
「つまり……どっかで情報が止められてるか、どっかに流れてったか。どっちかの線をあんたは考えてるってことかい」
「……恐らくは」
「ふーん、きな臭いねえ。まあそうなると、一番怪しいのは健診を頼んできたアロイトだけどね」
あいつ、一体何を考えてんだい。
訝しげに、忌々しげにベルナデットが呟いた。ミレイも頷き肯定の意を返す。
ミレイにとってアロイトは先輩であり、軍属でいた頃に世話になった人物なのだ。疑いたくはないが、一番怪しい人物でもある。黒だと疑って、ミレイもベルナデットに話をしたのだ。
簡単にできることではない。
「話を戻しても宜しいでしょうか。私は魔道師ではありません。魔力症の知識も、人並みに知っている程度です」
ベルナデットがちらりとこちらを窺ってきた。口を挟まないということは、続けろということだろう。無言の圧にミレイは口を開いて続ける。
「私に、あの子達の魔力症が一体どういうものか、いざとなったときにどう対応すればいいのか。教えて下さい。それら全てを、私は上に報告致します。お約束、しますから」
久しぶりなせいか全然身が入らない文になってしまった。申し訳なく。




