016 説明
「少し避けてちょうだい。失礼させてもらいますよ」
教頭は扉の前に佇む子供たちにそう言って、呆れた様子で──しかし、凡その事態は把握している様子で──教室へと足を踏み入れた。突然の校内の上位権力者の訪問に、グレンとアーシェはおろか、教室の子供たちも、言い争っていた教職員の二人すら呆然か目を丸くするかして、視線を教頭に注いでいる。
「騒ぎがあると聞きつけてやって来ました。……これは一体何事ですか、ミレイ──」
「教頭先生! お待ちしておりました。事の次第はわたくしがお話し致しますわ」
「口を慎みなさい、カタリナ」
猫撫で声で教頭の発言に割り込むカタリナに、教頭は一瞥をくれた。冷たい一瞥である。それが持つ意味を察せない筈がない。カタリナは少し顔を青くさせたかと思うと、みるみるうちに押し黙ってしまった。
「私が発言を許可したのはミレイユに、です。貴女にではありませんよ。貴族として相応の教育を受けている貴女が、子供でも分かるような道理を知らないと言うのなら、初等教育からやり直すことを求めます。良いですね」
「……はい」
「私が許可を出すまで貴女の発言は許しません、カタリナ。ではミレイユ、どのようにしてこのような状況になったか、私は説明を求めます」
「はい」
カタリナとミレイ。どちらにも共通する『はい』という肯定の言葉。しかしその裏にある雰囲気は真逆と言っていいほど異なっている。片や辛酸を舐めたかのように苦々しく、片や後ろ暗いことなどまるでないと言わんばかりに堂々としている。
先程からのやり取りを知らない者が傍から見たら、どちらが正義か疑いたくなるほどだ。
「簡潔に申し上げますと、カタリナが魔道の指導によってアーシェに怪我を負わせました」
「そんなことっ」
「実際あったことはそちらにいるアーシェを見ればお分かりになるかと思います」
教壇を降りながらミレイが事情を説明する。教頭に嘘偽りなく述べることを誓うために、彼女は壇を下りて恭順の意を示したのだった。教頭の言葉があってなお吠えるカタリナを黙殺して、ミレイは淡々と事実を述べ続ける。
「それは一時間目の授業のうちに行ったのですか。このような短時間で」
「いいえ。私とアーシェは始業前にカタリナの研究室まで呼び出されました。そこでカタリナに担任の仕事を任され、アーシェを連れていかれました」
「そんなことしていませんっ。いいえ、確かにしたかもしれませんけど……」
「カタリナ、私は口を開くことを許してはいませんよ。……つまり随分と朝早くから魔道の指導を行ったわけですか。基本は放課後だと、校長から言われている筈なのに」
アーシェとカタリナ、双方に向けられる教頭の視線は『どうしてこうなったのか』と言わんばかりである。無言の疑問提起だ。しかし煤汚れ、ところどころが破かれ襤褸になった制服とローブを見れば思いたくもなる。
「そのときに、何らかがあったのでしょう。カタリナとアーシェの様子はご覧の通りです。同時に、アーシェの魔道具の腕輪がカタリナによって盗られました。なあ、グレン」
「あっはい」
まさか自分が指されると思っていなかったグレンが、驚きで気の抜けた返事をした。
「あれは魔道具の腕輪なんだろう? 確かなのか」
「はい。父が……生前そう言っていました。『こくしょく』? と言ってたので多分……」
自分の知識がうろ覚えであることに不安を抱き始めたのだろう。「そう、ですよね」と震えた声でグレンが教頭を窺った。魔道の教師である自分を見詰める、そんなグレンに対して、教頭は「ええ。よくできています」と頷く。
「刻色が施された魔道具は大切なものであることが殆どです。価値があるという意味でも、持ち主にとっても。持ち主自身の魔力を魔道具に登録するのですから」
そんなの初耳である。記憶にあるウェインとアロイトの記憶を掘り起こしながら、アーシェは衝撃を覚えた。
二人ともアーシェには『肌身離さず身につけるように』としか言っていなかったのに。
「刻色によって魔力が登録された魔道具は持ち主の魔力を帯びるのです。魔道具を動かすために、魔力を込めるとき以外でも常に。魔道師である貴女が、その二つのことに──刻色が施されていることに、刻色が施されていれば第三者が扱えないことに──気づけなかったとは言わせません。ミス・イスカリオット」
最後に教頭の言った名前がカタリナのものであることは誰に説明されずとも分かった。
「こちらもアーシェ殿について情報を精査して、より伝えるべきでした。魔力症のことも、より詳しくファロア殿に訊いておくべきだったと今では思います」
新入生の状態に対して、情報を集めることをこちらも怠りました。そう目を伏せながら、教頭は溜息を吐いた。
「それを加味しても、この事態は目に余ります。カタリナ、校長のご判断を仰ぐまでもありません。今この時を以って、貴女の新入生指導の任を解きます」
「お待ちください! 教頭先生!?」
「お黙りなさい。私の言葉を忘れたとは言わせませんよ」
ヒステリックなカタリナへの厭い具合は、教頭の睨みの鋭さからも察せられよう。物覚えの悪いどうしようもない存在だと、教頭の瞳は雄弁に語っている。
「担任の任も解かれたいのですか。貴女は今しばらく、自分の本来の役職に専念なさい」
「ですが」
「貴女に拒否権はありません。専念するように」
「わたくしの言い分も聞かないのは公平ではありません!!」
自分がしてきたことも棚に上げ、カタリナはなおも喚いた。もはや自尊心など捨て去って弁明というのも烏滸がましい言い分を並べ立てたいと希望する。
幾度目の溜息だろうか。頭が痛いと教頭はこめかみを押さえた。そのままの体勢でカタリナを見遣る。その姿勢は期待も何もしていない、ただ『カタリナの言い分も聞いた』という事実を作ろうとしているだけのように思えるものだった。
「では聞きましょう。口を開きなさい。何があったのか全てを、詳らかに」
「はい。わたくしは確かにミレイとそこの新入生を研究棟の方へ呼び出しました。確かに朝に呼び出したのは常識知らずだったかもしれません」
自分のターンを存分に活かすように、カタリナの説明が徐々に熱を帯びていく。
「しかし、それは魔道の指導を早くしなければと思ったからです。ひと月半も遅れて入学したのですし、魔力症ならば、魔道の勉強は急務でしょう?」
「ええ、そうですね」
「魔道具の腕輪もそのときに外したのです。ただでさえ慣れていない魔法の練習のときに、魔力の働きを左右する魔道具があっては邪魔でしょう? だからわたくしが預からせてもらったのです。そう説明したはずなのですが……」
「……違う」
分かって頂けなかったようですわ、と伏し目がちにカタリナが続けている言葉などアーシェには聞こえなかった。
気づけばそんな言葉が漏れ出ていた。その音が意味を持って聞こえた者は──グレンと教頭とカタリナは──皆一様にアーシェのことを見つめている。
グレンは絶対に味方だと言うように、教頭は公正さを欠かぬ瞳で、カタリナは余計な口を挟むなと憎悪にも似た視線で。
「わ、わたしは」
「良いのです、アーシェ殿。ゆっくり言いなさい」
「教頭、彼女が話を遮るのは許すのですか!?」
「当たり前です。このような事態になった、真実を知る者なのですから」
優しい瞳だった。教頭の灰色の瞳は、カタリナやミレイに向けている厳しい光を、このときばかりは微塵も湛えていない。
その穏やかさは信用に足るものだった。だからアーシェは口を開くことにした。
「……腕輪は、装飾品だと、外せと言われました」
「そう」
「だから、外しました」
「そうでしたか」
言葉を間違えないように、脳内で一つ一つ慎重に選びながらアーシェは紡いだ。言葉が見えない形を持って伝わるたびに、教頭の瞳は曇っていく。
「アーシェ殿、貴女は魔道具の腕輪だと知っていましたか? それがどのような力を持っているのかも」
「いいえ、でもアロイトおじさまは……ウェイン様も『常に身につけろ』と」
自分が就寝時に腕輪をよく外していることはひっそりと隠して、保護者から注意されていたことを説明する。
それが決定打だった。
歯を食いしばって殺気を出して、今にでも地団駄を踏みそうなカタリナと目が合って、アーシェはじっとその目を見据えた。
その程度の殺気など訳ない。今朝の陰惨な夢があっての今の状況なのだから。二年以上前までは、これよりも濃い殺気を常に感じていた筈なのだから。
「互いの言い分は分かりました。もう十分です」
「教頭、まだわたくしは……」
「十分だと言っているでしょう、カタリナ。これ以上恥を晒してでも言い募るつもりですか」
「わたくしは構いませんが、時間がありません。諦めなさい」と、懇願するカタリナを教頭は突っぱねた。
「まずは手当を先にしなければなりませんね。カタリナもアーシェ殿も。ミレイユも私もついて行きます。その後、校長室へ参りましょう」
今度こそ、カタリナにとっては死刑宣告に等しかった。顔は青褪めているのを通り越した土気色で、不健康というより死人だった。
「さあ、来なさい。グレン・ベルナルド・エーデュ、貴方は教室へ。──あら、その頬の傷は何事ですか。手当をしなくては……」
「大丈夫です。教頭先生、アーシェたちを優先してください。おれ……私は自分でも手当てできますから」
「分かりました……お言葉に甘えます。さあ、行きましょう」
教頭がアーシェの背に自身の手を回した。突然のことに驚いてアーシェは言葉が出ずに、グレンやミレイに助けを求めようと背後を仰ぐ。
「安心なさい、保健室へ行くだけです。何もしませんから」
そのまま校舎の廊下を歩いて通り抜けようとすれば、他の学級の生徒たちがこぞって好奇心と奇異混じりの視線をぞろぞろと向けてくる。休み時間に差し掛かったのもあるだろう。これらの類には比較的耐性のあるアーシェもさすがに辟易した。
昇降口からキャンパスの外に出れば日差しの気持ち良い小春である。
ふと、教頭が立ち止まって本を開いた。本というより、手のひら程度の大きさの手帳のようなものだった。
アーシェも教頭に合わせるように立ち止まる。後ろを見れば、カタリナもミレイも動かずに教頭の近くで立ち止まっていた。
『我、風の精霊に祈る者。汝の速足を以って、我ら三人を校内の保健室へ。次に目を開ければ室内が見えるほど速く』
長い文を早口で教頭が言い終われば、手帳からは薄い緑の光が零れて辺りを包んだ。しかしそれは一瞬のことで、すぐに光は霧散して跡形も無くなる。
すぐに異変に気づいたのはミレイだった。
「教頭……? どうかしましたか?」
「何が……」
眉根を寄せてミレイが教頭を見遣る。教頭の声は先ほどまでの冷静さを失した震えたものだった。
ただならぬ雰囲気にアーシェはじっと信頼の置ける大人二人を見つめた。
同時にふわりとアーシェの体が浮く。
「え」
だから自分の違和感に気づくのが遅れたのも、きっと無理のない話であった。気づいたときには彼女の体は、自分の膝丈と同じ程の高さの空の上に浮いていた。




