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Phantasmagoria-狭間の標詩-【学生編】  作者: 菱魚
予科一年生・春〜初夏
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012 魔力

012 魔力


「大丈夫よ、そんなに畏まって緊張しなくたって。さあ、適当にかけてちょうだい」


 埃っぽく空気が澱んでいる部屋に、折り重なって積まれている本の山。濁った灰色の試験管やビーカーなどの実験道具は机を埋め尽くし、本来なら机の主人となっているはずの書類は床の隅に置かれている始末である。

 何処をどう見ても座るスペースなどない。


 かといって座らないわけにもいかず、アーシェは適当なところに腰掛けることにした。乾涸びた食い差しや乾いた汁のついた皿が置かれているのはそっと黙殺し、小さいが確かにあるローテーブルのスペースに座る。


 アロイトやリーシャが見たらどう思うだろうか。アーシェが心中で思い浮かんだのは、養父母二人のことだった。きっと眉を寄せて怒った顔で注意をしてくるに違いない。ただでさえ、アーシェが食べ物を残すとあの二人は「ちゃんと食べなさい」と叱ってくるのだ。

 そんなアーシェの思考のズレを正せる者は残念ながらここにはいなかった。


「──ああもうっ、一体何処いったのよ!」


 苛立たし気に荒れた声の主は部屋に氾濫する私物を退かしながら目当ての物を探っている。

 その声は、確かに昨日出会った人物と同じ者の声だった。

 先ほどの、部屋にアーシェを招いたときの、弾んでいて優しい声色の面影など欠片もない。尤もカタリナの精一杯も作られた猫撫で声の節はあったが、生憎ミレイとの約束を破ることになったことに加えて警戒心が上向きに変化を見せ始めているアーシェには、そんな些細な悪意による変わり様は感じることができないのに等しかった。


 テーブルに腰掛けたまま、アーシェが膝の上できつく拳を握る。がしゃがしゃと騒がしい物音より、カタリナのヒステリックな声の方が五月蝿いのには心底アーシェも驚いた。

 少女が表情に出やすいタイプであれば、カタリナをより一層刺激して面倒臭いことになっていたかも知れない。


「あった! あったわ!」


 カタリナが歓声を上げたのはそれからややあってのことだった。

 刺繍が施された重厚な革製の手袋を嵌めた右手には、ピンポン玉ほどの大きさの球体が三個握られている。

 否、球体という形容はこの三個には分不相応かもしれない。茶色と灰色が入り混じった、枯草や枯木を思わせるような、がたぼこの石のようなものだ。

 ところどころに、今にも崩れ落ちてしまいそうな枯れた蔦が巻き付いている。


 そんな物体を、カタリナがアーシェの目の前にずいと差し出した。

 先程アーシェの腕に食い込んでいた細く長い指が歪んでいるのが、ものを持っているからではなく彼女を惑わしているからのように感じられた。


「お話の前にね、この素材に貴女の魔力を込めて欲しいのよ」

「魔力を、込める……」

「ええ、そう。そうなのよ……!」


 熱を帯びた瞳だった。カタリナのその様子は、興奮というより陶酔に近しかった。


「貴女の学生情報を見させてもらったわ。魔力の量も他の子と比べて随分あるのねぇ。それに加えて、その属性の適性」


 ときめきを覚えたかのように、カタリナの頬が赤く色づいている。宛ら、恋する乙女のようだ。うっとりと伏せられた目には期待の光が満ちているのが丸分かりだ。


「主属性に『光』があって保有刻に『闇』を持つ子なんて……私、初めてお会いしたわ」


 主属性に保有刻。この世界で生きる者ならば必ず知っている単語だった。無論、アーシェもその一人である。どちらも、親から引き継がれ自らを成す性質のことを指していた。『光』や『闇』というのは、具体的な十二種類に分類されているその性質の内のひとつひとつだ。

 ここまでは、ドレッドノートに入学するためにアーシェが覚えた必須知識の範疇である。


 しかし『魔力を込める』というのは、知らない。少なくとも、アーシェは学んでいない。

 だからカタリナの言っている意味が理解できず、アーシェは首を捻った。


「どう、すれば」

「貴女の魔力は素晴らしいものなのよ。稀有な二つの属性も有していて、白と黒の表刻ということは他に四つも属性の適性があるということでしょう?」


 途方に暮れたアーシェの呟きなど聞こえるわけもない。カタリナは自身の生徒の様子に気づかず熱弁を振るうばかりだ。


「そんな魔力を素材に込めたらどうなるか、貴女だって気になるでしょう?」


 全く以ってそんなことはない。アーシェが気になるには知識が不足していることなど、この女教師はちっとも気付いていない。


「それに、魔力量と魔力症は因果関係があるの。大抵は魔力量が多ければ魔力症も重くなるわ。貴女のためにもなると思うのよ。……私が貴女の魔力症の程度を把握するために、丁度良いでしょう?」


 甘美で優しいそれは『脅し』にも等しかった。魔力症の子供の担任であるということを利用した建前だった。有無を言わせない雰囲気にアーシェは逃げることもせず、目の前で暗い影を落としてくる女に対して頷くしか出来なかった。


「魔力を込めるとは……」

「ただこの魔晶石を掌に乗せれば良いわ。そうして石に対して力を込めていく。貴女でもできるわ。簡単でしょう?」


 ようやく聞き入れられた疑問の答えは、何も知らないアーシェを小馬鹿にしたような雰囲気と共に発された。

 ともあれ、アーシェはこの部屋に長居する気はなかった。ミレイがカタリナに対して警戒している様子は、昨日と今日でアーシェの瞳の奥に嫌というほど焼き付いている。


 だから早々に終わらせるのが吉だと、アーシェはカタリナの持っている石を右手で取った。無骨に丸く削られた石には枯れ草のような蔦が巻かれている。

 近くで見れば見るほど、植物なのか石なのか分からない。


 その瞬間だった。

 石が、弾け飛んだ。軽い破裂音がして、欠片が四方八方へ飛び散る。


「……はあ!?」


 自由になった石は無惨な醜態を晒す前に、その身を消した。

 突然のことに目を丸くするアーシェとは裏腹に、カタリナがいきりたって叫んだ。


「何してんのよ!? せっかくの素材なのに、こんなこんな……っ」


 戦慄いているカタリナがきっとアーシェを睨む。

 凄みに押されてアーシェの肩が跳ねた。それを逃亡の気配だと思ったのだろうか。カタリナが先ほどにも増して強い力で少女の右腕を掴んだのはすぐだった。


失敗(これ)もミレイの差し金かしら?……良いこと、あんまり巫山戯てわたくしのことを怒らせない方がよくてよ」


 ぎりぎりと鋭い爪が腕の柔肉に食い込む。血走った目がアーシェを捕らえて離さない。


「一個目は見逃してあげるわ。さあ、その魔力を残りに込めなさい。……今すぐに!」


 パッと手が離れてすぐにアーシェは左腕を以って石に触れた。

 疾くこの部屋から離れたい一心だった。右腕を動かさなかったのは、握られた腕が明らかな痛みを訴えたからだった。


 恐る恐る、壊さないようにとゆっくりカタリナの手の内の石に触れる。

 アーシェの願いにきちんと応えた石は今度こそ大人しく、そのまま少女の掌に大人しく収まった。


「そうよ。そのまま石に集中して魔力を流し込んでちょうだい」


 冷たいカタリナの声に内心の緊張感が高まっていく。アーシェは掌に握った石をより強く握りしめた。もう何が何だか分からない。どうすれば『魔力を込める』ことになるのか分からない。どういう感覚が起これば『魔力を込める』のかが分からない。それでも行わなければ、この目の前の女教師は帰してくれやしないのだ。


 早く終わって欲しいと心中でアーシェは何度も願い続けた。

 グレンの笑顔が、真っ直ぐ自分を見つめる瞳が脳裏に浮かぶ。一年と少し前まで共に暮らしていた少年が、自分のせいで家族を失った少年が、思い出されるのは何故なのか。混乱しているアーシェには最早分からなかった。


 そのまま何度も何度も力一杯握るのを繰り返す。

 突然、閉じた右手の中で白っぽい鈍い光が穏やかに放たれた。それが『終わり』を告げる光だというのは、何も知らないアーシェでも察することができた。


「遅かったわね。……まあ良いわ」


 どっと疲れが体に押し寄せて、アーシェはそっと背後に積まれた本の山に凭れた。カタリナはというと、革手袋を嵌めた方の手でピンポン玉のタンブルウィードを矯めつ眇めつ検分している。


「何しているのよ。残りもさっさとやってちょうだい。時間の無駄よ」


 冷たい一瞥をカタリナから向けられてアーシェは仕方なくのろのろと体を起こした。今現在、カタリナの革手袋が嵌められた手には魔力を込めることに成功したであろう植物とも石ともつかない『何か』がある。

 つまり、残りの魔晶石は何処にあるのだろうという話になる。


 それすら考えることも億劫だった。本来ならば。

 何はともあれ、終わらせなければカタリナがミレイの元へ帰してくれないのも事実だ。


 ゆっくりとごたついた室内を見回して、目当てのものを探る。


「……あった」


 伸ばした左腕から覗く腕輪が、きらりと光ったのは気のせいではなかった。

 長らくお待たせしました。

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