第80話 専属コック
左手で食べるのは、結構難しい。
そもそも箸で摘まむことすら難しい。
だからといって、スプーンで食べていたら、慣れることもできない。
食べる量を少なくするのだから、ちょうどいいだろう。
「ん、結構美味いな」
苦労してご飯やおかずを食べてみると、想像していたより美味しい。
というのは、失礼か。
「ホント、スープも野菜の甘みが出てて、美味しいよ」
時子も美味しいと感じているようだ。
「うん、殆どエイルさんが作ったんだよ。手際もいいし。ボクがすることなんて殆ど無かったくらいなんだ」
「へー、意外だな」
中々箸に力が入らない。
折角摘まんでも、口に運んでいる最中に落としてしまう。
しかしそれを、タイムがお皿でキャッチしてくれる。
地面に落としたりしたら、2人に悪いからな。
とても助かる。
「意外で悪かったのよ」
「いやいや、コレなら嫁の貰い手もあるってもんだろ」
「ぐっ……」
エイルは食べる手を止め、俺をジッと見つめてきた。
「な、なんだよ」
「バカモナカ」
「なんでだよっ」
「あれ、エイルさん。もしかして照れ痛っ。なにするんですかっ」
「アニカは黙るのよ」
「ああ、僕は幸せ者だ。女性の手料理が食べられるなんて。エイル君、僕の専属コックにならないか」
「ならないのよ」
「うう、僕は悲しいよ」
そこまで落ち込むほどのことだろうか。
確かにあの出張所のご飯と比べたら、2人の手料理は美味しい。
しかし専属コックにしたいと思うほどか?
「ははっ。エイル、即答していいのか? レイモンドさんの専属になれば、結界外に行き放題だぞ」
「ぐっ……」
エイルは食べる手を止め、俺をジッと睨んできた。
「な、なんだよ」
「バカモナカ」
「なんでだよっ」
「はっはっは、僕は我慢するよ。エイル君は誰の専属コックになるか、決まっているようだ」
「そうなのか?」
もしかして、その為に料理を勉強していたのか。
うん、ちゃんと実を結んで居るぞ。
「決まってないのよっ! 勝手なことを言うんじゃないのよ!」
「そうなのかい? 僕はいいけど、モナカ君は誰を専属コックにしたいのかな。やっぱりトキコ君かい?」
「むぐっ、げほっ」
「大丈夫?」
「だ、大丈夫だから。もーぅ」
確かに時子の手料理も悪くない。
でも時子を専属コックで終わらせるつもりはない。
というか、専属コックにしたくない。
「いえ、時子を専属コックになんかしません」
「はへ?!」
俺の言葉が意外だったのか、時子が驚きの声を上げた。
「なに驚いているの?」
「お……驚いてなんかないよっ。時子だって、モナカ君の専属コックなんて、願い下げだよっ。ふんっだ」
「だよな」
「……ぷぅ」
あれ?
なんか、不機嫌……になってる?
そんなに料理の腕に自信があったのかな。
もしかして、自尊心を傷つけちゃった?
でもしょうがないじゃん。
「やっぱり、トレイシーさんですね」
「ぶはっ!」
エイルが飲んでいたスープを盛大に吹き出した。
なんだろう。
つい最近、似たような光景を見たような気がする。
「うわ、エイル汚いぞ」
「あんたがおかしなことを言うからなのよ!」
「いやいや、ちっともおかしくないだろ」
トレイシーさんの料理の腕は、俺が知っている中では一番だ。
ならばその人を専属コックにしたいと思うのは、おかしなことではないはずだ。
「時子、今度トレイシーさんに料理を教えてもらおうよ」
「なんで時子が教えてもらわなきゃならないの? お姉ちゃんが自分で覚えなよ」
「だって、タイムは……」
「モナカくん、ボクは今トレイシーさんに色々教えてもらってるんだ。だから少し待っててよ」
「はあ?」
「ほら、アニカさんに先を越されちゃうよ」
「構いませんっ。先輩は時子の手料理、美味しいって言ってくれてるもの。変える必要なんてないよっ」
お、これはさっき傷つけてしまった自尊心を、回復させてあげるチャンスだ。
「そうだな。時子の手料理は、トレイシーさんの次に美味しいな」
これはお世辞でもなんでもない。
ただの事実だ。
調理道具がまともに使えないのに、あれだけのものが作れる。
もしまともに使えるのなら、もっと美味しいものが作れるはずだ。
「醤油があれば、肉じゃがとか作ってもらいたいくらいだ」
「ふええっ?!」
「やったね時子! もっといっぱい食べさせて、胃袋掴んじゃおうよ」
「ひ、必要ないよっ。モナカくんも、変なこと言わないでっ」
「変なことじゃないさ。時子の手料理なら、毎日食べたいよ。毎朝お味噌汁の匂いで起こされるのも、悪くない」
「な、なに言ってるの?! さっきはしないって言った癖に、今度は毎日食べたいとか。わ、訳わかんないっ」
「そうかな。でもお嫁さんの手料理は、毎日食べたいよ。コックなんて要らないよね」
「……うきゅ?」
あれ?
さっきまで機嫌が悪かったはずだよな。
でも今度は時子の頭に〝?〟が幾つも浮かんでいるように見えるぞ。
「あーそういうことなのよ」
〝そういうこと〟ってどういうこと?
「っはは、モナカ君らしいや」
〝俺らしい〟ってなに?
「なるほど、僕もモナカ君の意見に賛成だよ。そういうことなら、トキコ君は専属コックに相応しくない」
よかった。
レイモンドさんは俺の言っていることに理解を示してくれている。
そうだよな。
時子は専属コックに相応しくないよな。
「トキコ君には、お嫁さんこそ相応しい」
うんうん、その通り。
お嫁さんこそ……ん?
お嫁さん?
「あ、いや。それはあくまで例えであって……その」
「なに言ってるのよ。母さんに聞いたのよ。モナカは時子に求婚したのよ」
「ええっ。モナカ君、そうなのかい?」
トレイシーさん、なんで全部喋っちゃうんですかっ。
「したよ……なにか、問題でも?」
「時子はなんて答えたのよ?」
「時子には先輩が居ますっ。モナカくんは要りませんっ」
「そうなのよ?」
「そうなんですっ」
「エイル、急ぐ必要なんてない」
先輩はここに居ないんだから。
これを言うと、時子が怒るから言わないけど。
そっぽを向きながら食べる時子。
その視線の先には、先輩が居るのだろうか。
「タイムちゃんはどうするのよ?」
「タイムは……」
前のマスターに引き渡すのが、いいと思う。
これも言うと、タイムが怒るから言わないけど。
なんでタイムは前のマスターのことを話してくれないんだろう。
その話題に触れることも、嫌らしい。
もうこの世に居ない、ということなのか?
「タイムがしたいようにしてくれればいい。俺はそれを受け入れる」
俺の元を離れるも、このままずっと居続けるも、タイムの自由だ。
「タイムちゃんはどうしたいのよ?」
「タイムは、マスターが幸せならそれでいいの。それにタイムはマスターのサポートだから、ずっと一緒に居られればいいなって」
「モナカと時子がイチャついてるのよ、間近で見ることになるのよ」
「イチャつきませんっ」
時子はそっぽを向いたまま、エイルの言葉を否定する。
いつもより食べ方が乱暴だ。
それでも、俺の右手を握ったままでいてくれている。
「それでもいいの。それがタイムの……マスターの幸せなら」
「……話にならないのよ」
エイルはそれ以上なにも語らず、黙々とご飯を食べた。
味噌汁はさすがに古くさいか?
今だと……なんだろう
次回は寝床をどうするか……です




