第70話 最後の実験
アニカに連れられ、時子はタイムとエイルの居る部屋に移動した。
アニカが扉を開け、時子だけが中に入る。
「ご主人様、ありがとう」
「気にしないで。それじゃ、おやすみ」
「おやすみ」
アニカは再び身分証をパネルにタッチする。
部屋に入らず開け閉めするだけなら、ちゃんと閉めないと保安部のお世話になる。
「時子、もう寝るのよ?」
「うん、先に寝るね。お姉ちゃんも、根を詰め込みすぎないように。モナカくん、待ってるから」
「あ、うん。そうだね、キリがよくなったら、行くよ」
「おやすみ。時子、上で寝るね」
「時子はモナカと結婚するのよ?」
時子はエイルの言葉に動揺し、梯子を踏み外す。
向こう臑を、思いっきりぶつけてしまった。
「……っっ」
声にならない悲鳴が、部屋に響く。
弁慶ですら耐えられないのだ。
時子に耐えられるはずがない。
「なにをやってるのよ」
「っっっ、エ……が、変…………言……らで……」
「聞こえないのよ」
タイムが時子の側に寄って聞き耳を立てる
「ふむふむ……〝エイルさんが変なこと言うからでしょ〟だって」
「母さんに聞いたのよ。そうなのよ?」
「そうだよ」
「お姉……変…………言わ………くぅぅぅ」
「〝お姉ちゃんの言うとおりだよ〟って言ってる」
「言っ…………いっっっ、うう」
「大丈夫なのよ? 折れたのよ?」
「折れてないから、大丈夫だよ」
「そうのよ? タイムちゃん、ちょっと1人でやってて欲しいのよ」
「うん、分かった」
「時子、シャワーに行くのよ」
「痛っ……え、いいの? ありが、つぅー」
「うちもさっぱりしたかったのよ」
「うう、あとお姉ちゃん、でたらめ、言わないでよねっ、うく……」
「あはは」
脱衣所なんて無いから、ベッド脇で服を脱ぐ。
洗濯は共同の洗濯機があるから、そこで洗うことになる。
シャワー室で洗うのは、禁止事項だ。
シャワーはトイレと併設されていて、2つはカーテンで仕切られているだけだ。
「時子はモナカと――」
「しませんっ」
いつものように、エイルが時子の身体を洗う。
洗いながら、先ほどの続きを話そうとした。
エイルがシャワーを言い出したのは、半ば話をする為でもあった。
ところが、いきなり話の腰を折られてしまった。
「……まだなにも言ってないのよ」
「どうせ結婚の話でしょ。時子は先輩と結婚するんです。モナカくんとはしませんっ」
「モナカが先輩なのよ」
「違いますっ」
「モナカが先輩じゃないのよ、なんでタイムちゃんがモナカを手放すのよ?」
「お姉ちゃんがそう言ったの?」
「見てれば分かるのよ」
前のタイムは、モナカを時子に取られまいと行動していた。
ところが最近のタイムは、逆にモナカと時子をくっつけようとしているように見える。
それ故の判断だ。
「お姉ちゃんは、時子を自分の代わりにしたいだけですよ」
タイムと時子は双子だからDNAが同じだ。
と、時子はタイムに教えられた。
だから子供を産めないタイムに代わって、時子に産ませようとしている。
モナカを手放すというより、時子に代理母をさせようとしている、と時子は感じていた。
「代わりなのよ? ならタイムちゃんは目的を果たしたのよ」
「そうなんですか?」
「時子はモナカに女にしてもらったのよ」
「なんの話ですかっ! って、何処触ってるんですかっ」
「確……洗ってるだけなのよ」
「今〝確認〟って言おうとしてましたよねっ」
「……母さんがそう言ってたのよ」
「まだしてもらってませんっ」
エイルは、時子の言葉に違和感を覚えた。
だから、その違和感を確認することにした。
「〝まだ〟なのよ?」
「そうですっ」
〝まだ〟ということは、〝いずれあるかもしれない〟という意味が含まれている。
そのことに時子は気づいていない。
普段ならば、〝あり得ません〟くらい言っていてもおかしくはない。
エイルは、そんな違和感を時子から感じた。
「なんですか? 時子の顔、そんなにジロジロ見て」
そんな時子の変化を感じ、先輩をモナカで上書きできる可能性を見いだした。
「モナカのよ、芽がありそうなのよ」
「ないですよ、そんなの。そんなことより、エイルさんこそ、どうなんです?」
「うち? 子供は甥っ子で十分なのよ」
「エイルさんだって、子供ですっ」
自分の子供は甥っ子で十分。
だから時子と違い、モナカと子作りする必要は無い。
そう言ったつもりが、何故かエイル自身が子供という話にすり替わっている。
モナカと子作りをする話が、何故そういう話になるのか。
エイルには理解しがたいことだ。
が、いちいちそれを説明したところで、意味が無い。
時子はエイルもモナカも子供だから問題が無い、と言いたいのだろうとエイルは解釈した。
仕方が無いので、時子に話を合わせる。
「うちは爺専なのよ」
つまり、モナカでは若すぎる……ということにした。
しかしエイルにとって、これは嘘という訳でもない。
「えっ?!」
「モナカはただの検体なのよ」
これもただの事実なので、嘘は吐いていない。
「もう十分調べたんじゃないんですか?」
「まだ1つ、調べてないのよ」
「なにをですか?」
「魔素人と元素人の間のよ、子供が作れるのよ?」
魔素人はエイルやアニカのような、魔素世界の人間のことである。
元素人はモナカや時子のような、元素世界の人間のことである。
この両者の間で子供が作れるのか。
魔素と元素の狭間で、どのような子供が生まれるのか。
キメラ実験のようで、倫理的な問題が起きそうな事案でもある。
エイルにはそういった思いもあり、自らその領域に踏み込むことは、全く考えていなかった。
しかし時子にそんなことは、全く関係の無い話だった。
「つまり魔素人と元素人の子供ですか?」
「え?」
時子を洗うエイルの手が止まる。
エイルとモナカの子供。
倫理を全く考えていない時子の言葉に、エイルは理解が追いつかず、思考停止してしまった。
「そういうことですよね」
「アニカとモナカに決まってるのよ。うちを巻き込まないのよ」
実験なら倫理的に問題がある。
しかしそうでないのならば、問題は無い。
エイルはそう考えていた。
だから自分がそこに加わっては、倫理的に問題が発生してしまう。
「え、でも研究者なら、自分の身体で試すのがお約束なんじゃないですか?」
寄生虫の研究者が、海外の寄生虫を持ち帰ろうとしても、検疫で引っかかってしまう。
それならばと、その寄生虫を自分に寄生させて持ち帰った、という話を時子は先輩から聞いていた。
だからエイルも自分の身体で試すのが、研究者として正しい姿なのだ。
時子は、そう誤解していた。
「うちのよ」
時子の言うとおり、自ら試すのが一番変化が分かり易い。
その欲求が無いかというと、それは嘘だ。
それでも、エイルは自分の倫理観を大切にして、押さえ込んでいる。
「アニカが望んでるのよ。丁度いいのよ」
これで自分の倫理観は保たれる。
そう思うことで、心を落ち着かせていた。
「逃げるんですか?」
「逃げてるのは時子なのよ」
そう、これは逃げではない。
倫理観に反しない為だ。
エイルは、倫理観を盾に、自分を正当化した。
それに対し、時子は同じ元素人。
倫理的な問題は、一切無い。
だから自分とは違う。
「逃げてませんっ」
「モナカと向き合ってるのよ?」
自分はモナカを検体として向き合っている。
「向き合う必要、ありませんから」
「向き合わないのよ、流されるのよ」
検体として向き合わなければ、流されてしまうかも知れない。
時子に言うというより、自分に言い聞かせている感じだ。
「時子は先輩一筋ですっ。気の迷いなんて、無いんだからっ」
「だといいのよ」
「そうなんですっ」
シャワー室を出て、身体の水分をバスタオルで拭き取る。
エイルは頭をバスタオルでガシガシと拭きながら、タイムが操作している画面を見る。
「エイルさん、服ぐらい着ようよ」
拭き取りが不十分なので、頭からも身体からも水滴が落ちている。
「んー、そこは演算させた方がいいのよ」
「でも速度と精度が足りないよ」
「その分のメモリのよ、こっちに――」
結局エイルは服を着ることなく、頭にタオルを乗せたまま、タイムと議論を始めてしまった。
時子は身体を拭き終えると、寝間着に着替えて髪を乾かそうとした。
しかし携帯は今預けていて、手元に無い。
普段ならMmodeを使って、髪を乾かしている。
今はそれができない。
バスタオルだけで髪を乾かすしかない。
くるぶしまで伸びた髪を乾かすのは、骨が折れる。
髪をタオルで挟み、軽く叩きながら根気よく水分を取っていく。
ポンポンポンポンと、髪を傷めないよう、丁寧に繰り返す。
見かねたエイルが、手伝い始めた。
「ありがとう」
「構わないのよ」
自分の髪は乱暴に拭いていたが、時子の髪は櫛を使いながらタオルで丁寧に水分を吸い取っている。
エイルの助けもあり、普段より時間が掛かったものの、乾かし終えることができた。
「エイルさんは寝ないの?」
「うちはもう少し詰めてから寝るのよ」
「うん、分かった。風邪引かないように気をつけてね。服は着た方がいいよ。2人とも、おやすみ」
「分かってるのよ。おやすみなのよ」
「おやすみー」
倫理的にアウト? それともセーフ?
次回はアニカがメインのお話です




