第37話 最悪のタイミング
「おまちどおさま」
「あ、トレイシーさん。ありがとうございます」
「いえいえ」
出来上がった料理が台所から飛んできて、食卓に並べられていく。
さすがに配膳は時子さんにはできないから、手伝うことができない。
手で運べばできるといえばできる。
しかしそんな非効率的なことをする家庭はない。
せいぜいフロアスタッフが運んでくるくらいだ。
それだって食器をトレーに乗せて運んでくるなんて事は無い。
フヨフヨ浮いている食器に付き添っている程度。
つまり時子さんの出番はない。
だから時子さんにできることは、お櫃からご飯を茶碗によそうことぐらいだろう。
「時子さんも、ありがとう」
「どういたしまして」
「「「いただきます」」」
こっちの世界に〝いただきます〟を言う習慣はない。
俺が言っていたら、みんなも言うようになっただけだ。
だから他の家庭で言っているところは無いはずだ。
もし言っている家庭があるならば、先輩が居る可能性が高いと言えるだろう。
それを確認する手段は無いけれど。
食卓に所狭しと並べられたおかずたち。
普段ならタイムが取ってきてくれて食べやすいのだが、今日は自分で手を伸ばしておかずを取らなければならない。
だからついつい近くにあるものから先に平らげることになる。
タイムはバランス良く持ってきてくれるから、飽きが来ないで食べられる。
勿論トレイシーさんの作ってくれたご飯は美味しいから、飽きるなんていうのはただの比喩だ。
飽きる前に皿が空になる。
そして空になった皿をトレイシーさんが下げ、空いた場所に別の皿が寄せられてくる。
これも普段ならタイムが自然とやってくれていることだ。
こうやってタイムが居ない時間を過ごすと、如何にタイムが俺に尽くしてくれていたかが分かる。
居なくなって初めて分かる有り難さ、というものなのだろう。
感謝しても仕切れない。
なのに俺は……
いつもいつも軽くあしらって、タイムの気持ちを真面目に受け止めてこなかった。
何故かって?
それは単に恥ずかしかったからだ。
だから照れ隠しをしていた。
いや違う。
自分の気持ちを誤魔化していただけだ。
もう少し素直になっていれば、違ったのかな。
……今更遅いか。
もう、タイムは……
「モナカくん、どうかしたの?」
「え?」
「モナカさん、お口に合いませんでしたか?」
「なにを言って……」
「だってモナカくん、泣いてるよ?」
「は? 泣いてなんか……」
あれ、頬を伝う温かいものがある。
スープの汁でも飛んだのかな。
手で拭ってみたが、拭ったそばから流れてくる。
おかしいな、泣いてなんかないのに。
拭っても拭っても頬が濡れてしまう。
「おかしいな、なんで、こんなに……ううっ」
タイムが居ない。
ただそれだけのはずなのに、どうしてこんなにも寂しいのだろう。
今までだって拗ねて携帯に籠もることはあった。
話しかけても返事はないし、顔すら出してくれない。
それでも、タイムは俺のことを見てくれていた。
でも今は……
ふと、誰かが俺の頭を抱え込んだ。
そして優しく頭を撫でてくれている。
ただ無言で俺を包み込んでくれている。
懐かしいような、安心する匂いだ。
そんな匂いに包まれ、人の温もりを感じ、心が安らいでいく。
そして俺は、自分が泣いていることを、漸く受け入れることができた。
茶の間には、啜り泣く声だけが響いていた。
「お見苦しいところをお目にかけて済みませんでした」
ひとしきり嫌な感情を涙と共に出してスッキリすると、時子さんが抱き抱えてくれていることに気づいた。
そしてスッキリしたことで冷静さを少しだけ取り戻し、その現状が恥ずかしくなってしまった。
それとなくそっと離れ、そして頭を下げる。
「あはは、見苦しくなんかないよ。そういうときもあるって」
〝そういうとき〟を、タイム以外に見られたことが恥ずかしいんだよ。
だから顔を上げることができなかった。
「モナカさん、好きな子の前で流す涙は、見苦しくありませんよ」
トレイシーさんが訳の分からないことを言い出した。
好きな子……ってなに?
「は?! いやいやいや、時子さんのことは別に好きじゃ――」
「え?! 時子のこと嫌いだったの??」
なんで好きじゃないと嫌いになるんだよ。
ついさっき〝好き〟の反対は〝無関心〟とか言っていなかったっけ。
ん? てことは俺は時子さんのことに無関心??
待て待て待て、どうしてそうなった。
と・に・か・く!
どうして女の子って、〝好き〟か〝嫌い〟かの両極端なんだろう。
中間が無いんだよ。
友情エンドはないのか?
「そういう〝好き〟とか〝嫌い〟とかじゃないよ!」
「じゃあ、モナカくんは時子のこと好きなの?」
「う、それは……」
「やっぱり嫌いなんだっ!」
だ・か・ら、もうっ!
「好き! 好きだよ大好きっ!」
これでいいんだろっ。
「! やっぱりマスターは時子さんのことが好きだったんだ」
「ちょっ、タイム?! なんでここに居るの??」
ここに居るはずのないタイムが、最悪のタイミングで携帯から飛び出してきた。
どうしてこのタイミングで?
次回はちょっと時間が戻って場所も変わります




