フィーリア・レーギス⑯
そして――翌日。
いよいよ魔物討伐が開始された。
冒険者は四つの組に分けられて、俺たちは一番大きな魔物を相手にする組だ。
主が王女様だってことは皆に伝わっていたけど、シードルさんが変わらない対応をしてくれたことで大きな混乱は起きなかった。
大人の余裕なんだろうか。
渋い声で指示を飛ばし幅広の両手剣を携えるその姿。
――格好いいよな。
「いざとなったら俺がいるからな! お嬢さんもドンと構えてくれていいぞ」
「ありがとう。できるだけ戦うけれど邪魔しないようにするわね」
「僕は前線にお邪魔します」
シードルさんに応える主に続けてマルティさんがにこにこしながら言う。
俺は自分の短剣を握って深呼吸を挟んだ。
――やっぱり緊張するよな、戦うのはまだ恐いし。
それでもこんなにたくさん冒険者がいてくれるのは心強い。
「キール、終わったらとびきりのカクテル頼むぞ」
笑って顎鬚を擦るシードルさんに俺はぎこちない笑みをなんとか生み出して頷いた。
「は、はい。強烈なのを」
「はは。安心しろ、絶対に上手くいく……そら、始まるぞ!」
瞬間、咆哮が空気を震わせた。
『グルルゥォオオォォ――ッ』
ビリビリと鼓膜を震わせるその声。
腹の底に力を入れて耐える俺の視界を次々に冒険者が駆け抜けていく。
彼らの向こう、痩せた細い枝を伸ばしているグレプのあいだを疾走する黒い塊がちらりと過ぎった。
『ファンブール』だ。
生臭い吐息、撒き散らされる濁った涎。薄く開いた口の中にずらりと並んだ黄色い牙。
黒い毛並みのあいだからこちらを見据えるのは爛々と光る獰猛な赤眼。
太い四肢の先には鋭い鉤爪があり、手の甲のあたりは硬そうな鱗にびっしりと覆われている――魔物。
「こいつを仕留めてほかの組に合図を出す! いくぞ!」
『おぉ……ッ』
シードルさんの声に冒険者たちが思い思いに応え、それに交ざって主もマルティさんも走り出す。
俺は歯を食い縛って地面を蹴った。
『ファンブール』は細いグレプの隙間を思いのほか俊敏な動きで駆け抜け……冒険者たちを撹乱する。
――最初に一撃を喰らったのは冒険者のほうだった。
ぶおん、と。
振り抜かれた太い腕に長剣を持っていた男が弾き飛ばされる。
メキメキッと鈍い音を立ててグレプの枝がへし折れ、段になった畑の端で腐葉土に転がった男はすぐさま立ち上がった――けれど。
『ファンブール』はそこに向けて突進を開始していた。
『グルルオォッ!』
「……はぁぁッ!」
迷いなく割って入ったのは三人。
気合を吐き出すシードルさんとマルティさん――そして主だ。
『ファンブール』は後ろ足を突っ張って勢いを殺し、突き出されたシードルさんの剣を鋭い爪で弾く。
そこを駆け抜けたマルティさんの突きが『ファンブール』の腕を掠め、紅色のドレスが鮮やかに踊った。
「覚悟なさい――ッ!」
身を屈めた主の突きはファンブールの左肩に突き刺さる。
『グル……ッグルルゥ……』
喉のあたりから威嚇音を発し踏鞴を踏んだ魔物の双眸が憤怒に赤く燃え上がる。
さっと身を引く主の後ろ、シードルさんと冒険者たちが再び攻撃を仕掛けた。
――でも。
俺はそのとき……ゾッとしたんだ。
だって……眼が。
双眸が――ある。
俺が突き刺したはずの右眼も爛々と光っている。
違う……。
こいつ……俺たちが戦った奴じゃない……ッ!
どくどくと心臓が跳ね、肺が掴まれたような苦しさが込み上げる。
俺は『ファンブール』に掛かりきりの冒険者たちから視線を外した。
一番大きな『ファンブール』が狩りをしてるとシードルさんは言っていたけど――それが本当は一体じゃなかったら……?
瞬間――。
黒い塊が……一段下の畑を過ぎるのを俺は確かに捉えた。
「……ッ」
無意識なのか意識したのか自分でもわからない。
剣を握り締め駆け出した俺は黒い塊が向かう先――戦闘している主に向かってありったけの声で叫んだ。
「主――ッ、カシスッ! 下だ――来るッ!」
あの巨躯なら一段なんて軽々登れるはずだ。
俺は無我夢中で腐葉土を踏み締め、勢いそのままに下へと身を踊らせる。
「このおおぉ――ッ!」
助けなきゃ。守らなきゃ。主を……皆を!
ただその気持ちが俺を突き動かす。
まさに段を登ろうとしていた『ファンブール』の背に剣を突き立て、俺は硬い毛に取り付いた。
「キールッ!」
「キール君ッ」
悲鳴のような雷鳴のような……主とマルティさんとシードルさんの声がした――気がする。
生臭いような獣臭いような……どこかグレプ酒の香りも混ざっていた――気がする。
あらゆる情報が認識される前に全身を駆け抜けて……身を捻り俺を振り落とそうとする『ファンブール』の爪が革鎧を打った……そう思った、瞬間。
世界が回った。
「……がッ」
掴まれて引き剥がされたんだと気付いたときにはグレプの木に叩きつけられていて……背中が軋む。
ただ……グレプが痩せ細っていたのが幸いした。
衝撃はたわんだ枝にいなされ、意識が飛ぶこともない。
大丈夫、動ける――まだ!
迫る真っ黒な巨躯……片目しかない赤眼が俺を見下ろし、太い腕が振り被られる。
恐怖を感じる暇はなかった。
俺は放していなかった短剣をその腕に突き立て……けれど今度こそ思いっ切り吹っ飛ばされた。
確かに穿たれた短剣は手から離れ、衝撃で息が詰まる。
――その先。
ドッ、と。
地面に転げて跳ねた俺は……俺を受け止めて一緒に弾かれた彼女に戦慄した。
「……っは、あ……主ッ!」
なんで下に……⁉ まさか俺のために下りてきたのか⁉
「――大丈夫よキール、そのための鎧なんだから――あとは任せて!」
「え……ちょっ……」
彼女は跳ね起きると手放していた剣を握り直し、土まみれの髪も服も気にせずに駆け出す。
俺は軋む体を起こし、咄嗟にあとを追った。
いまさらになって恐いし、痛いし、なんなら泣きそうだけど。
だけど……!
「はぁ――ッ」
気合を吐き出す主が、マルティさんが、冒険者が戦っているのに――見ているなんてできなかったんだ!
――ところが、である。
そんな俺の決意の前……金色の髪を踊らせた彼女は……。
「やってくれたわね! これで――とどめよッ!」
これでもかというくらいに眩しくて……凛としたまま颯爽と。
刃を閃かせ、その喉元を穿ち――『ファンブール』を屠ってみせたんだ。
「…………いや、格好よすぎるだろ……」
呟いた言葉が聞こえていたかは知らない。
でも……倒れ伏したファンブールの前で俺を振り返った主は……一段上にいたファンブールも討伐されたことを確認すると、思いっ切り破顔したんだ。
太陽みたいだな、と場違いなことを思った。
「キール、あなたすごかったわ!」
――でももう駄目だ。くらくらする。
ここまでかなり張り詰めていたんだから……仕方ないよな。
痛いし、息が詰まるし、本当に恐かったし。
――ごめん、主。
すべての緊張の糸がぷっつり切れて……俺の世界は太陽の光も届かない場所へと暗転したのだった。
戦闘回です!
よろしくお願いしますー!




