夏の雫と恋の檻
「もう…ついてないなあ。傘持ってない日に限って降るんだから」
一人での帰り道。部活だ生徒会だと忙しい友人達とは違い、何も無い暇人帰宅部こと私は早々に帰路についていた。
そこでまあ、この時期特有の夕立というやつにやられたというわけだ。傘は邪魔なので置いてきてしまった。失敗。雨に濡れたカバンをベンチに置き、自身も腰を下ろす。
「暫くすればやむでしょ」
昔から、雨に好かれているのか嫌われているのか。傘を持ってない時にばかり雨が降る。おかげで、友達から『雨宿りソムリエ』なんて呼ばれるようになってしまった。
ちなみにここは星三つ。
屋根のある綺麗なベンチに、後ろでは優しい老婆が駄菓子や飲み物を売っている。車も人も滅多に通らず、非常に過ごしやすい空間となっております。
まあ、雨が嫌いなわけじゃない。むしろこの切ないような寂しいような時間は、日頃何かと気を使うJKにとっては大切な癒しの時間だ。
そうして目を閉じて雨に浸っていると、ぱたぱたと足音が隣に舞い込んできた。たぶん同じ犠牲者だろう。傘を閉じる音も無く、息を整えている様子が伺える。
全く、私の時間を邪魔するなんて。その面を拝んで睨みの一つでもくれてやろうと顔を上げると。
濡れて透けた白いシャツ。
少し焼けた二の腕に、水の伝う頬。
僅かに開いた口元と、荒い呼吸。
大きく丸い瞳。長く綺麗なまつ毛。
そして、雨に濡れた艶やかな黒髪。
(綺麗…)
息が止まり、目が離せなくなる。さっきまで邪魔者だなんて思っていた心はとうに消え失せていた。身体が縛られたかのように動きが取れない。
一秒か、はたまた一分か。永遠のような一瞬は、彼によって破られる。私の存在に気づき、こちらを振り向く。だが、目が合うことは無かった。
「あっ…」
(…?…?)
何故か『目を合わせてはいけない』と思った私は、咄嗟に顔を背けた。そもそも、今の感情を整理しきれていない。
JK水野玲奈にとって、一目惚れは初めての事だったのである。初恋×一目惚れとあっては、当然頭の中はエラーだらけだ。為す術もなく、脳内に焼き付いた姿を思い出すことしか出来なかった。結果、無視という最悪の第一印象を与えたことにも気づけていない。
そのまま気まずい時間は流れ、道に晴れ間が射し込んだ。一言も喋る事無く、正面から顔を見ることもなく、隣の青年は腰を上げた。
彼が帰った後も、暫く私が立ち上がることは叶わなかった。
「でさ、その時髭がさ~」
見事なまでの快晴に、やる気というやる気が削がれてしまった。休み時間は、眠い眠い教師への愚痴に費やしている。昨日のことは一晩過ぎると夢か何かだったような気がしてならない。実感がないという感じだ。
「レーナ?クーの話聞いてる?」
「どしたん、今日ぼーっとしてない?」
「ん?いやいや、暑いだけだし」
「あーそれはわかる、確かに暑すぎ」
暑い、眠いで上手く頭が働かない。窓を見ながらため息をつく。まだあと二時間もある、そう考えると憂鬱さに拍車がかかる。
「次数学だよね。レーナ宿題見せて~?」
「え、ルナやってないの?」
「昨日MyTube見過ぎてやってないです」
「あのハゲ厳しいのに何で忘れたの?全く…」
「そういいつつも見せてくれるレーナ好き~♪」
「抱きつくなバカ!」
ルナやクーといると少しは心も晴れそうだ。
「じゃーねー」
校舎の二人に手を振り、校門を出る。手がしんどかったので荷物は全部下駄箱に置いてきた。置き勉考えた人ほんと偉い。
「ありがとうございましたー」
やっぱ暑い中のアイスはいいな。買い食いはほんの少しの罪悪感がいい味出してる。
「この味ミスったな…。あんまり美味しくない」
流行りに乗って買ったチョコミントアイスはなんかこう、歯磨きしてた。アイスはアイスだから冷たくて良いけど。空はもう暗くなり始めていた。
「…え?」
時計は十七時。日が沈むには少し早い。
ということは。
「やっぱ。今日のプリントポケットだ」
大自然の一歩先をいったと走り出したが、残念ながらお空の友達は優しくなかったようだ。ぽつぽつとコンクリートの色を変え、次第にそれは全身を叩くようになっていた。
「はあ…はあ…。もう慣れたけど嫌なものは嫌だなあ。雨はいいけど濡れるのはちょっと」
結局いつもの雨宿り。傘もってたら降らなかったかもなのに。アイスは途中で落としたのか、棒だけになっていた。落としたままというのも癪だから、後ろの駄菓子屋で適当なアイスを買う。ベンチに座り、よく冷えたそれを頂く。
(うん、安っぽくて美味い。私はやっぱ駄菓子屋抹茶アイスだな)
と、二口目で気付く。
(あ…昨日と同じ…)
まさか二日連続ということはないよね。期待と不安を胸に少し顔を出す。周りには雨粒しかいない。
(まあ当然か)
少し残念な気持ちを抱え、再びアイスを頬張る。やはりあれは夢だったのだろう。食べ終わったアイスの棒が地面に落ちた。
背中と隣に違和感を感じて目を開ける。
(あ、私あのまま…)
どうやら風邪を引かないように誰かが布をかけてくれたらしい。それが隣の人物だろうか。ルナかクーか。ルナと見た。
「あ、起きましたか?こんなところで寝ていると風邪を引きますよ」
…まじか。それは昨日の。油断していたのもあって思考も動きも固まってしまう。どうしよう。何て返せばいいのかな。というか昨日の無視を謝らなきゃ。でもやっぱりなんて言えば。
フリーズしていると、彼の方から声をかけてくれた。
「あっ、僕のことは流石に知らないですよね。三原良樹といいます。昨日も会ったのと同じですね、水野先輩」
えっ。後輩だったのか。いやいやそこじゃない。なんで。
「…なんで私の名前知ってるの?別に生徒会役員とかじゃないのに」
「そ、それは…先輩は一部の一年生の間で有名なんですよ。それよりほら、身体は大丈夫ですか?雨に濡れたまま寝てたので風邪引いてないかなと」
…まあいっか。別に追求するようなことでもなし。むしろ、名前を知ってくれているのことが嬉しい。少し緩みそうになった顔を隠すように、反対側を向く。大丈夫、もう話せる。
「君はよくこの場所使うの?雨宿りにはもってこいだよね。あんまり人もいないし」
「そうですね。いいところだと思います。雨そのものはそこまで好きじゃなかったんですけどね」
そういって苦笑いする。ああ、ダメだ。会話がちゃんと頭に入ってこない。なんだよこれ、ほわほわする。ずるいぞ。そういうとこだぞ。これがときめくってやつか畜生。
「先輩?…先輩はよくここ使うんですよね、その感じだと。だったらまた会いそうですね。明日は晴れそうですが」
「なら明日会えるかもね」
「え?」
私のこの体質が役に立つかもしれない。別に嫌われてないみたいだし、明日雨にしてもいいよね。ちょうど雨も止んだようだ。ありがとう夕立。服を返し、夕焼けの赤の映える道に躍り出る。
「またね、後輩君?」
「さて…と」
今日の午前は長かった。早く終わらないかとずっと思っている時って、全く終わってくれないんだよね。下駄箱には、一昨日から放置している傘と昨日置いていった鞄がある。今日も晴れ。でも、私が傘を持っていかないと、雨が降る。今回は故意に置いていく。いいな、お天道様よ。私の気持ちを汲んでくれよ。
…降らない。なんでこういう時に。降ってよ!昨日あんな事言ったのにカッコ悪すぎじゃん!雨宿りポイントについたが、未だ雨は降らず。お前なんて大嫌いだ。
「おや。あんたかい。晴れてるのに珍しいねえ」
「そんな日もあるんだよ」
駄菓子屋のおばちゃんにまで言われてしまった。その通りだと思うよ。またベンチでアイスを食べる。抹茶最高。
「あれ」
上から降る声に顔を上げると、後輩君がいた。なんで、今日晴れてんじゃん。
「水野先輩、こんにちは。また会いましたね。今日は晴れ宿りですか?」
悪戯な笑みを浮かべ隣に座る。なんだそれは可愛いなくそう。
「後輩君はなんでここに?それこそ晴れだけど」
「それは…まあ。…会えると思ったので」
「え?」
いや、それって。いやいや。またしても動揺が走る。やめてよそういうの。
「…先輩をからかうんじゃない。ほら、用がないなら帰った帰った」
あああなんでそうなる私素直になれよ!1回言ったからもう取り消せない。恥ずかしいのと後悔で死にそうです。
「いえ、先輩。僕はやっぱり雨宿りです。ほら」
いわれ、外を見ると。今更降ってきた。涼しさと、特有の匂いが漂う。何この状況。テンパってどうしようもない。とにかく何か喋らないと。
「全く…早く止んでくれないかな」
「ーー僕は、暫く止んでほしくないです」
そんな。急に言われたら心臓が。頭から音を立てて湯気が出ていそうだ。なんでそんなすらすらと言えるかな。雨が降ってなかったら走って逃げていそうだ。もう隠すのは無理だな、なんて考えながら、それでも朱色の頬を隠して斜め上の耳を見て。ふっと笑う。
なんだ、君もじゃん。
雨の日限定、私の時間。
不器用な二人を閉じ込める、夕暮れ時の魔法の檻。