愚か者たち
アルジェントの中枢を担う大統領府は、第八区に堂々と鎮座している。軍事帝国らしく煌びやかさは無いものの、厳粛たるそこは国民の中でも然るべき者のみが立ち入りを許されている。
そんな大統領府の敷地内に踏み込まんばかりの勢いで、マスコミや国民が押し寄せていた。警護兵が拡声器を片手に必死に叫んでいるものの、両者の顔面は同じように蒼白。早急にリーダーの言葉が必要なのだということは明白であった。
そんな喧騒の、中心で。アーサーは自分の主人が、拳で机を殴りつける姿を静かに見守る。
「くそっ! どうして人外ごときにこんな……軍は一体今まで何をしていたんだ?」
完全に八つ当たりであるが、無理もなかった。人間が紡いできた歴史の中で、国の四分の一の領地を僅か数日で奪われるなんてことがあっただろうか。
しかも、この軍事帝国が。よりにもよって、低能な人外なんかに。
「落ち着いてください、閣下」
アーサーが宥なだめた。亜麻色の髪を持つ彼は背が高く、肩幅も広く黒いスーツの上からでも逞しい体躯が伺える。しかし決して粗野ではなく、幼少期から洗練された気品がある。
空色の瞳は憂いを帯びるも、真っ直ぐに男を見つめる。
「ヴァルツァー大統領、今は一刻でも早く解決策を見つけ出し、人外達から全ての人質を救出すること。そして、人外達を早急に殲滅することです。貴方が揺らげば、国民もまた揺らいでしまうのです」
「ぐっ……そう、そうだな」
宥められ、苦渋の表情のまま椅子に座る男。ローラン・ヴァルツァーは十年もの間、アルジェントの大統領として国の為に尽力してきた。
少々古臭い思想ではありながら、国を引っ張り続けた彼は国民から厚い信頼を受けている。最も、彼が大統領の椅子に腰を下ろしてから十年間、現状のような危機が訪れなかっただけなのだが。
「すまなかった、アーサー」
「いえ。では、早速ですが閣下。昨日から命じられていた調査について報告させて頂きます。最も、未だ不確定の情報が多く、信憑性に欠けるものであることをご容赦ください」
「構わん、始めてくれ」
「はい。それでは、サヤ」
「閣下、こちらをご覧ください」
感情を捨て去ったような声で引き継いだのはアーサーではなく、彼の隣に居たサヤという若い女だ。
机の上に手にしていた三つの書類を横に並べて置く。彼女の動作に合わせて、癖のない黒髪がさらりと揺れた。凛とした佇まい中に、研ぎ澄まされた刃のような厳しさがある。
彼女もまた、アーサーと同じデザインの黒いパンツスーツ姿である。
「今回の襲撃はこれまでの無秩序なものとは違い、人外達は統率され、計画的に動いています。個人の身体能力では、人間が人外に劣っていることは事実。それが束となり、協力体制をなしている以上、人外達を打ち崩すことは容易なことではありません」
「しかし、捕獲した人外を尋問したところ、奴らは三体の共通の名前を口にしました。よって、この三体の人外が中心となっていると考えて、間違いはないと思われます」
書類を手に取る様子を見やりながら、サヤとアーサーが言う。無駄の無い報告は、まるで機械のようだとアーサーは思う。
機械のようだ、などと他者に言える立場でも無いのだが。
「一体目は、ワーウルフのヴァニラ。年齢は十六歳、元は野良でしたが他国にて捕獲後、本国へ輸送途中に脱走。戦闘能力が高く人間への反抗心も強い。現在、他国へ詳細資料の提供を要請しております」
「ふん、まだ小娘ではないか」
右側にある少女の写真を見つめながら、ローラン。次いで、左側の書類を手に取る。
たった一枚、しかもそれは新聞の記事を見やすいように抜粋し改めて打ち直したものでしかない。
サヤが淀みなく、言葉を紡ぐ。
「二体目は、吸血鬼のジェズアルド。種族、性別以外は詳細不明。国外での目撃情報も多数あり、活動範囲は広くかなり強大な力を持っていると思われます」
「吸血鬼は長生きする程に力をつけていくらしいからな。この者の調査を優先的に続けてくれ」
「はい、かしこまりました」
淀みのない受け答え。そして、ローランは真ん中に置かれた最後の書類をぱらぱらと捲る。その一体の資料が一番分厚く、身長や体重だけではなく血液型やアレルギー情報まで細かく記載されていた。
「そして、三体目が……」
今まで何の感情も見せなかったサヤ。しかし今、僅かに口元が震えて声が掠れた。アーサーが思わず、隣を向く。それなりに長い付き合いだが、こんな彼女は初めてみる。
幸いにも、ローランは気がついていないらしい。それよりも、手元の書類に目を通しながら、驚愕の声を上げた。
「……ほ、本当にコイツなのか?」
「はい。軍からの報告によると、かなり派手に動いているようですし無線の通信記録にも残っています。それに……捕えた人外からも、この個体の名前がよく出ており……」
まただ。不自然に言い淀むサヤに、アーサーは眉をひそめる。だが、彼女は自分のパートナーであり今は重要な報告の最中である。
パートナーをサポートするべく、アーサーが引き継ぐ。
「ワータイガーのテュラン。年齢は十七、アルジェント国立生物研究所にて生まれ、以降実験体として収容されておりました。大人しく臆病な性格ではありますが、学習能力・戦闘能力は平均より高い成績を修めています。幼少期に一度、研究所から脱走しようとするも失敗。同時期からファントムペインと思われる幻覚が度々観察され、自傷行為、薬物の過剰摂取等の問題行為から精神疾患を疑われ、日常的に身体拘束を施されていたようです」
「研究所が火事を起こした際に、死亡した筈だが……」
ローランの記憶は正しい。半年前、アルジェント国立生物研究所は火災事故により全焼した。当初はただの事故として処理されていたが、原因が公に明かされていないことから何者かによる事件なのではないかとメディアは騒いでいた。
事実、政府としても極秘で調査を続けていた。
「まあ、良い。たとえテュランが生きていたとしても、他の二体の方が脅威だろう。特に、ジェズアルドの情報は片っ端から搔き集めろ」
「民間のメディアにも情報提供するよう要請しましょうか?」
「いや、それはまだ様子見だな。あまり派手に動くと――」
不意に、机の端に設置された電話機が鳴った。先程からけたたましく喚いていた内線とは違う、これは外線の知らせだ。
ローランが言葉を切り、受話器を取り耳に当てる。
「……ヴァルツァーだが」
うんざりと、いつもの決まり文句。メディアからのしつこい問い合わせだったら、すぐに受話器を投げつけるように置くだろう。事実、今日だけで同じ行動を既に数えきれない程に繰り返している。
しかし、今度は違った。ローランの目が、皿のように大きく見開いた。
「サヤ、テレビを点けてくれ!」
「え……テレビ、ですか?」
「ああ、国営放送だ!」
意図を理解したのか、サヤが部屋に置かれたテレビの電源を点ける。
「フェデーレくんから電話だ」
「ダンジェロ先生から!?」
「ああ、やはりハルス病院に居た。連絡が取れないと思っていたら……」
送話口を塞ぐこともせずに、ローラン。フェデーレ・ダンジェロは彼の学生時代からの友人である。
世間には知られていないことだが、ローランは幼い頃から糖尿病を患っている。内服薬と食事、運動療法で日常生活に支障を来たすことはほとんどない。それでも、職務が忙しくなると体調を崩すことがある。
よって、主治医であるフェデーレとはいつでも連絡を取り合うことが出来るようになっている。しかし、人外の襲撃事件があってからは一度も連絡を取れずにいた。最悪の想定はしていた。
人外が占領した第三区には、ハルス大学病院がある。フェデーレは、大学病院の医師なのだ。
「しかし、それと国営放送に何の関係が……!」
アーサーが息を飲む。国営テレビ局もまた、第三区に存在する。病院の屋上から、シンボルである巨大な電波塔が見えるくらいの距離だ。
「フェデーレくん……おい、フェデーレ! おい、どうした! 聞こえているのか!」
『はーい、はいはいはい。そんなに大声出さなくても、聞こえてますよぉ? アンタ達の数十倍は耳が良いからねぇ』
返事は、受話口からではなくテレビのスピーカーから聞こえた。しかも、その声は鈴を転がしたかのように可愛らしい。明らかに若い女の声だった。
「なっ、だ……誰だ、貴様は!? フェデーレをどうした!」
『どうもしてないよー。今は生まれたての子犬みたいにぶるぶる震えてる。いい歳して恥ずかしいよね。あ、アタシはヴァニラ。美少女ワーウルフだよ。ちゃんとテレビ見てるかな、もしもーし?』
三人の目が、一様にテレビの画面へと注がれる。そこには、ローランの机にある資料の顔写真と同じ少女が居た。右手で受話器を持ちながら、にこにこと楽しそうに左手を振っている。
そんな彼女の隣、というよりは足元に蹲うずくまるようにして、痩せ細った壮年の男が肩を抱いて震えていた。分厚い眼鏡に、染みの目立つ顔。白衣に皺しわが目立つが、幸いにもどこかを怪我した風には見えない。
怯えているだけだろう。
『ヴァニラさん。その電話、スピーカーモードに切り替えないと』
『あ、はいはーい。えーっと……』
男の声が聴こえると、ヴァニラが慣れない手付きで電話機を操作する。しばらくして、ヴァニラの視線が再度こちらに向けられる。
同時に、ショートパンツのポケットからトランプのカードを一枚取り出した。こちらに見せるように持つそれは、スペードのキングだ。
『よし、出来たかな。さてと、大統領さん。今日の日付とお天気と、今の時間と……アタシが手に持っているカードが何か答えてください。ちゃんと答えられなかったら……このオッサンの汚い顔面、蹴り潰しちゃうよ?』
ヴァニラのつま先が、フェデーレの脇を撫でる。ひっ、と小さな悲鳴が聞こえた。
『……聞いてる? ねえ、返事しなよ。じゃないと――』
「ま、待て! 聞こえている、絶対に切ったりしない! 今日は九月の二日、天気は曇り、今は午後二時十一分で、カードはスペードのキングだ」
慌てて返答するローラン。数秒遅れて、画面の中からも同じ返答が聞こえてきた。
いくつもの機械を通したローランの声は、全く別物のようだった。
「……間違いなく、これは生放送のようだな」
アーサーがサヤの隣に歩み寄る。長い時間を共にすることでいつの間にか生まれた癖だ。彼女と言葉を交わしたい時、アーサーはいつも彼女の隣に寄り声量を抑えて話し掛ける。
これは録画などではない。ならば、人質達の状況を聞き出すことが出来る筈。ローランに相談出来ない以上、サヤに声を掛けるのは自然なことであった。
サヤもまた、少し低い位置から見上げてくる。無言ではあるが、元から彼女は饒舌な方ではない。何も言わないということは、続きを促しているのだろう。
「問題は、閣下の声が人外達だけではなく、この放送を見ている視聴者にまで聞こえてしまうということだ。下手なことを言えば、閣下の信頼は瞬く間に失墜する」
彼の言葉に、サヤが頷く。ここで少しでもローランが弱みを見せたら、国民達の不安が更に膨れ上がってしまうだろう。
『はい、確認作業終わり! ……これだけで良いんだよね?』
『ああ、上出来だ』
先程とは別の、若い男の声。サヤの肩が、ぴくりと震えた。アーサーとローランは、ただテレビを緊張した面持ちで見つめるだけ。
そして、カメラが乱暴に横へ向かされる。
「ッ、テュラン!?」
「……ッ!!」
アーサーが声を荒げる。同時に、サヤが息を飲んだ気配も伝わってきた。
画面に映るのは、ワータイガーの青年。間違いなくテュランである。
『初めまして大統領。それから、視聴者の人間サマ達。俺はテュラン。一応、今回の襲撃事件の首謀者だ。ヨロシクー』
仮面のような薄っぺらい笑顔を顔面に貼り付けて、テュランが言った。猫の瞳と同じ、細長い瞳孔がこちらを向く。
『せっかくテレビ局を手に入れたからな、今日はこういう形で大統領とお話しようと思ったわけだ。でも、ただ話をするだけではお互い退屈だろ? だから、ちょっとした余興を考えた。大統領、見えるか?』
すっ、と一歩引いて、そのまま横に避ける。舞台俳優のような大袈裟な動きで、視聴者の注意をそちらへ促す。
「……子供?」
サヤが言う。そこに居るのは、人間の子供だった。十歳くらいの少年が、車椅子に乗せられている。
水色のチェック柄のパジャマ姿で、右腕には点滴が繋がれている。頭には白色のニット帽を被り、真新しいルームシューズを履いている。
透明な涙がぽろぽろと頬を伝っているが、それを拭おうとする素振りは見せない。見る限りでは、手と足に拘束具らしきものはない。
『ちゃんと見ているか、大統領? ……さて、クソガキ。名前は?』
テュランが優しく頭を撫でてやりながら、問い掛ける。あからさまなまでに作り物の甘ったるさに、薄ら寒いものさえ感じる。
『……』
少年は答えないまま、濡れた目でテュランを睨み上げる。そこにあるのは恐怖と、嫌悪だ。
『……この後に及んで、まだその態度かよ。まあ、良いケド。その方がアルジェントで生まれ育ったガキらしいし。でもさあ?』
少年から離れた手が、自身の背中へと向かう。まさか、あの巨大な剣を抜く気か。アーサーの拳に力が籠る。だが、違った。同じ位に恐ろしい代物であった。
拳銃。それも、画面越しでもわかる程の大型のリボルバーだ。
『――ひッ!?』
『時にはくだらないプライドなんか捨てて、何が何でも生きることに縋すがった方が良い時もあると思うんだケド? 俺達にはまだ、テメェみたいな馬鹿な人質は腐る程居るんだ。国中に恥ずかしい死に様を晒したくないなら、素直に質問に答えた方が良いぜ?』
恐らく、ズボンのベルトにでも引っ掛けてあったのだろう。テュランは笑顔のまま銃を構えると、そのまま少年のこめかみに銃口を突き付けた。
身動きの出来ない子供へ向けるには、凶悪過ぎる代物だ。
「あんな怪物じみた銃を、あの細腕で撃てるとは思えないが……」
彼が持つ銃は威力が高い分、反動も大きい。銃は使い慣れているし、身体も鍛えているアーサーならば片手でも撃てるだろう。しかしテュランは決して体格が良い方ではなく、むしろワータイガーとしてはかなり細い方だ。
とてもではないが、堪えられるようには見えない。
「問題ないわ、彼なら。筋力は人より上だし、銃には慣れている筈。それに……撃つかどうかなんて今は関係ない。あの銃を選んだ理由は、人間を脅すならあれくらいの方がわかりやすいからよ」
そんなアーサーを、サヤがはっきりと否定した。拳銃というのは、文明が発達した今の世界で最もわかりやすい暴力の象徴である。その中でも視聴者にも見やすいようにと選んだ代物があの銃なのだとしたら、アーサーも納得出来る。
しかし、不自然だ。サヤは今、どうして人外であるテュランを『彼』と呼んだのだろう。
『今の俺、結構ゴキゲンだからさぁ? もう一度だけ聞いてやる。お名前、は?』
『あ……け、ケイシー・エイミス』
涙目で、テュランの姿を見上げている。震える声で名前を紡ぐ、痛々しいその姿に堪えられなかったのだろう、ローランが受話器に叫ぶ。
「そ、その子をどうするつもりだ!」
『それはあんた次第だよ、大統領? 見えるか、テレビの前の人間サマ達? さて、早速だが本題に入ろうか』
柔らかそうな金髪を掻き上げて、テュラン。
『我々が占領したこのハルス大学病院には、現時点で約七百人の患者が入院している。外来患者は約九百人、その他に医者やら看護師、あとは大学生とか結構な数の人間が院内で人質として閉じ込められている状況なのは知っているだろ? でも、入院患者と外来患者を合計した千六百人、条件付きではあるが……解放してやるつもりだ』
「本当か!?」
ローランが声を上げた。条件付きだ、とテュランは繰り返す。アーサーとサヤも驚愕と戸惑いの表情で、顔を見合わせる。
人外達の襲撃は今までにも数えきれないくらいにあったが、そのどれもが人間を無差別に殺害するものだった。少なくとも、まだ二十二年しか生きていないアーサーの記憶ではそうだ。
人質を解放するなどという交渉が、彼等から持ち掛けられることなど初めてのことである。
『俺が出す条件を全てクリア出来れば、患者を解放すると約束しよう。条件は二つ。まずは大統領、あんたに』
「……なんだ?」
『アルジェントが保有する全ての軍事兵器の内、四分の一を俺に寄越せ。銃とか爆弾とか、あとは地雷とか戦車とか色々万遍なく』
「ば、馬鹿なことを!」
「四分の一……この条件を飲めば、人外は更に力を得ることになる。だが、拒めば人質を失うばかりか国民の顰蹙ひんしゅくまで買うことになるか」
アーサーが苦々しく呟く。軍事に詳しくない一般人からすれば、「それで人質が助かるならくれてやれ」と思うことだろう。まだ人間には四分の三が手元にあるのだから、人質を奪還した後で制圧すれば良いだけの話だと。
そんな単純な話ではないことに気がつく為には、相当の時間がかかる筈だ。
「閣下、テュランは条件が二つあると言っています。もう一つの条件を聞きだしてください」
アーサーの言葉に、ローランが頷く。一度深呼吸をして、落ち着いた声で受話器に向かって話す。
「……二つ目の条件を聞かせろ。条件を飲むかどうかは、その後で判断する」
『断る。あんたに出す条件はこれだけだからな』
テュランは拒絶した。だが、ローランも譲らない。
「私に出す? ならば、二つ目の条件は誰に対してのものなんだ?」
『まずは、一つ目の条件を飲むかどうかを答えろ』
「いや、それは出来ない。お前達が望む全ての条件を先に言うんだ! それらを考慮した上で、最終的な判断を――」
『グダグダと……うるさいな』
テュランの顔から、笑みが消えた。底冷えする程に冷たい声に、細長い瞳孔は鋭さを帯びる。
そして、引き金にかかる人差し指を躊躇ちゅうちょなく引いた。
「ま、待て――!!」
アーサーが思わず叫ぶ。当然、テュランに届く筈が無かった。凶悪な爆音に、掻き消されてしまったのだから。
喉を破らんばかりの悲鳴が、スピーカーから響く。