『命令』
アーサーとサヤが犯した、たった一つの勘違い。それこそがテュランの策略の骨幹であり、それが成功した時点で彼の勝ちだった。
「ジェズアルド、だと……それなら、第一上級学校に居たあの吸血鬼は」
「彼はヴェルマーくんと言いまして、階級で表すなら上級貴族の方でした。まだお若い方だったのですが、カインの血筋を色濃く残していた為にそれなりに実力はあったみたいです。まあ、きみがとっておきの切り札を持っていたことと、戦い慣れていなかったことが原因で無様に死んでしまったようですが」
クスクスと、ジェズアルドが嘲笑する。そう、アーサーが殺した吸血鬼は偽物だった。ジェズアルドは目立つ見た目の割に、人間側には大した情報が渡っていないことは予め探ってあった。だから、替え玉を使って『ジェズアルドが死んだ』という状況を作った。
テュラン自身が捕らわれるというのも、計算の内だ。そうすれば、人間の意識は残った人外とヴァニラに向けられることになり、ジェズアルド自身は自由に動けるようにしたのだ。
「計算外だったのは、テュランくんがパニックを起こしてしまったことと、ヴァニラさんが終末作戦をすぐには実行しなかったこと、ですかね」
「アンタが軍服を着て来やがったことも、計算してなかったケドな」
「あれ、そうなんですか。どうです、結構似合うでしょう?」
ジェズアルドがテュランを見て、わざとらしく首を傾げる。助けに来いとは言ったが、やり方などは彼に一任していた。
だから彼が軍人に紛れ込んだことも、ふらついた自分を支える振りをしてコートの下にリボルバーを隠し持たせたこともジェズアルドの独断である。
「まあ、良いです。そういうことなので、テュランくんは落ち着いて、深呼吸でもしていてください。あとは僕が何とかしますので」
「き、吸血鬼が一匹増えたくらいで何が変わるというんだ!? 撃てっ、撃てぇ!!」
ローランが顔面を青くしながら、餓鬼のように喚き立てる。だが、どの人間も引き金を引こうとしなかった。
いや、引けないのだ。
「お前達……!! 私の言うことが聞けないのか!?」
「聞けませんよねぇ? だって、僕が『命令』しているんですもの」
そう言って、ジェズアルドが自分とテュランに銃を向ける人間達をゆっくりと見渡す。視界に並ぶ顔は皆、困惑と驚愕、そして恐怖に歪んでいた。
無理もない。テュランも最初にジェズアルドと出会った時、同じように痛い目に遭ったのだから。
「僕は荒事が苦手なんですよ。なので、大人しくしていてください。何なら、銃も足元に捨てちゃってください」
ジェズアルドが指示した瞬間、向けられていた銃が次々と床へ放られる。誰も彼に逆らおうとしない。
「ど、どうして」
「言葉、とは不思議な能力だと思いませんか?」
困惑するアーサーに、ジェズアルドがにっこりと微笑する。わざわざ説明してやる必要があるのか疑問だが、テュランには口を挟むことはしなかった。
「よく、映画などであるでしょう? 妙な呪文を口にしながら、魔法と呼ばれる不思議な能力を使うような演出。あれ、あながちデタラメではないんですよ。言葉には力があり、それこそが本当に魔法と呼ばれる超常現象なんです」
例えば。すっ、とジェズアルドが優雅に腕を上げて一人の軍人を指差した。運悪く、指名された中年の男がびくりと身体を震わせる。
「な、何を……」
「貴方、ナイフを持っていますよね? 命令です。それで、今すぐ自殺しなさい。ああ、方法は……そうですね、自分のお腹を十字に切り裂く、というのは如何でしょう?」
「……は、え……え?」
ジェズアルドが言い終わるや否や、男が腰元から大振りの軍用ナイフを取り出して、自らの腹に突き立てて見せた。
「うわああ!?」
「な、何をやっている! 止めろ、止めるんだ!!」
男の両脇に居た軍人が驚愕に目を見開き、凶行を止めようとその腕を掴む。しかし、男の腕は頑なにナイフを離そうとせずに、己の腹を捌さばくことに全ての力を注いでいた。
それでいて、口からは救いを求め続けるのだから。見ているだけでも、気が狂いそうな光景にテュランも吐き気を覚えた。
「うう……嫌だ、嫌だいやだイヤだ死にたくない死にたくない助けてたすけてタスケテ……」
やがて男は大量の血液と、生臭い臓物を零しながらその場に倒れ込んだ。目の前で行われた惨劇に、軍人達は完全に正気を失い、辺りは瞬く間に混乱へ陥った。
漸く、人間達は思い知ったのだ。ジェズアルドの能力、言葉で『支配』する魔法を。それがどれほど絶対的で、抗いようのない恐怖であるかを。
「うわ、エグい……」
「おや、こういうのがお望みなのかと思いましたが」
意外だと言わんばかりに、ジェズアルド。ふと、テュランは足元で蹲るサヤを見下ろす。ただ、その姿勢を維持することだけで精一杯なようで、此方を見上げる様子はない。
更に視線を上げて、ローランとアーサーを睨む。ローランは既に放心状態で、その場にへたり込んでいる。アーサーだけは何とか正気を保てているようだが、機械仕掛けの脚が損壊したようで動くこともままならないようだ。
「さて、テュランくん。そろそろ行きましょうか。本当の『終末作戦』が始まってしまう前に」
「……ああ、そうだな。流石に、ちょっと疲れた」
大剣を担いで、テュランが頷く。正直なところ、剣の重さでもふらついてしまいそうなのだが。精一杯に強がってみるも、どうせジェズアルドにはバレてしまうのだろう。
ならば、せめて人間達には弱さを見せたくない。
「本当の、終末作戦……だと?」
「ええ、すぐにわかりますよ。君たちが必死に止めようとしているものが、一体何なのか。本当の『地獄』がどういうものかをね」
わざと含みのある言い方をして、ジェズアルドが猫のように目を細める。
「僕は、貴方達を絶対に許しません。テュランくんやヴァニラさん、そして……僕の大切なあの子達を傷付けた、その罪を身をもって償いなさい」
最早、軍人達には言葉さえも必要無いらしい。ジェズアルドが目配せすれば、軍人達は怯えた表情で道を開けた。ローランは何も言わない。目は開けているが、瞬きをしていない。気を失っているのだろうか。
殺してやりたかったが、まあ良い。これから、死んだ方がマシだと思うような『地獄』を見せつけてやる。
「ま、って……とら、ちゃ……」
不意に、か細い声が鼓膜に届いた。見れば、サヤが真っ赤に濡れた手をテュランの方に伸ばしていた。
「……お、ねえちゃん」
「行か、ないで……私……やくそ、く……まもらなきゃ………」
双眸は虚ろで、テュランが見えているのかどうかも怪しいが。それでも、傷口が開いてしまうのも構わずにサヤが手を伸ばしていた。
ただ、テュランとの約束を果たすために。
「……約束か。ねえ、おねえちゃん。俺達、子供の頃にもう一つ約束したの覚えてる?」
それは、約束と呼べるものかどうかも怪しい代物だったが。彼女なら、きっと覚えている。忘れてしまっているとしても、思い出してくれる筈。
「その約束……明日ちゃんと果たしてくれよ。待ってるからさ?」
「と、らちゃ……」
「ジェズ、頼む」
それだけを彼女に言い残すと、テュランはジェズアルドを見た。ジェズアルドはやれやれと肩を落として、サヤの方を向く。
「サヤさん、でしたっけ? それ以上喋っては、出血多量で死んでしまいますよ? 命令します、今はゆっくり眠ってください」
「うっ、うう……」
ジェズアルドの一言で、サヤが目を瞑りそのまま倒れ込んでしまう。ただ、肩が規則的に上下している。
眠ってしまっただけだ。すぐに死ぬことはないだろう。
「……ああ、そうだ。忘れていました」
そのまま立ち去ろうと思ったが、今度はジェズアルドが立ち止まった。そうして、どこから持ち出してきたのか。腰元のホルダーに収まっていた一振りのナイフを抜くと、おもむろに床へと放った。
柔らかく、弧を描くように投げられた赤黒い刀身のナイフが一度跳ね、困惑の表情を浮かべるアーサーの前に落ちる。
「あ、ああー! 何ということでしょう、僕としたことが落し物をしてしまいました。大失敗ですー!」
「何だ、その下手な芝居」
「まあ、気にしないでください。さ、僕の用は全て終わりましたが……テュランくんは大丈夫ですか?」
ジェズアルドの問いかけに、テュランは無意識に足元へ視線を落とす。ヴァニラ、まさか恋人であるテュランに殺されるとは考えもしなかっただろう。
「……ああ、大丈夫だ」
愛する人との別れ。だが、感傷に浸る余裕も無ければ、権利も持っていない。だから、何も言わないし考えることもしなかった。
「じゃあな、人間サマ達。精々、俺が与えた地獄の中で無様に苦しんで、そして死んでくれ」
発砲されることも、取り押さえられることもなく。テュランはジェズアルドと共に、堂々と大統領府から脱出した。
そして、アルジェント全域に異常事態が起こったのは、それから約五時間後のことであった。




