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Tyrann  作者: 風嵐むげん
第五章
25/33

彼らは思い知った


「……なんかさー、この服……デカくない? 色もなんか地味だし」

「文句を言うな。服なんて手配する時間なんか無かったんだ……それに、これは殆ど着てないから新品同然なんだ」

「あ、これアンタのお古だったっけ? うわー、センスねぇなー。顔はカッコイイのに、もったいねー!」

「……殴られたくなかったら黙って着ろ」


 部屋の中から聞こえてくるやり取りに、思わず笑ってしまう。アーサーには無理を言って、テュランに着せる服を用意して貰っていた。とは言っても、ローランのスケジュールが立て込んでおり中々話が出来ず、許可が降りたのがつい先程だったのだ。

 そして、この緊急事態において服を用意するのが意外と難儀で、結局アーサーの私服から何着か譲って貰ったのだ。テュランとアーサーとでは多少の体格差があるが、着られない程では無いらしい。

 流石に男性の着替えに手を出すことは憚られた為、サヤは部屋の外で大人しく待っていることにしたのだが。


「つかさ、アンタの身体……大部分が機械じゃん。何でそんなに筋肉質装ってんだよ、腕も肩幅もぶかぶかじゃん」

「……悔しかったらお前も鍛えたらどうだ? 何なら、泣くまでみっちりしごいてやろうか」

「アッハハ、こえー。でも、それ楽しそうかもな」


 会話の内容が友人か、兄弟のようだ。こんなことを言えば、きっと二人から怒られてしまうのだろうが。

 こんな風に穏やかな時間が、ずっと続けば良いのに。それを終わらせる足音が、ついにサヤの元に訪れてしまった。


「失礼します。サヤ様、アーサー様。もうすぐお時間です」


 やって来たのは、背が高い細身の男だった。アルジェント国軍の軍服に、軍帽をきっちりと被っている。今日のように大統領の演説がある日は、軍に属する者は須すべからく正装を義務付けられている。

 最も、サヤとアーサーは軍人ではあるものの所属が特殊な為に、今日も普段通りのスーツ姿である。


「アーサー様は、速やかに閣下の護衛任務に移行してください。彼はサヤ様と自分で移送します」

「ああ、わかった」


 そう頷いて、アーサーが部屋から出る。前もって打ち合わせしていたことに、何も変更は無いらしい。


「では、俺は先に行くから。サヤ、後のことは任せたぞ」

「ええ、了解」


 足早に、次の任務へ向かうアーサーを見送るサヤ。着替えは既に済んだのだろう。部屋を覗いてみれば、少々サイズの大きいカーキ色のモッズコートに不満そうにしているテュランが居た。


「ねー、お姉ちゃん。ヒーローの私服、どうにかした方が良いんじゃないの?」

「うーん、そもそも私達……殆ど私服を着る機会がないから」


 それにテュランが不貞腐れる程、彼の着こなしは悪くはないと思うのだが。フードについた埃を取ってやっていると、軍服の男がコツコツと靴音を響かせて部屋に入ってきた。

 その手が握るのは、冷たく光る銀色の手錠。


「サヤ様、時間が無いので……失礼します」

「えっ、あ……」


 男がテュランの手を取り、手錠を嵌める。特殊な合金で作られたそれは、たとえ人外であろうとも力ずくで壊すことは難しい代物だ。更には腰にも鎖を付けられてしまえば、テュランが顔を顰しかめた。


「……なんか、無理矢理ハーネスを付けられた犬の気持ちがわかるな」

「腰の鎖は会場に着き次第外しますが、手錠はこの部屋に戻るまで嵌めたままでと事前に伺っております。サヤ様、間違いはないでしょうか?」

「ええ……それで良いわ」


 淡々と己の仕事を進める男を前に、サヤは自分の心が浮ついていたことを思い知らされてしまう。

 テュランは、アルジェント国の存亡を揺るがした最大の殺戮者なのだ。


「……少し早いですが、そろそろ参りましょう。私が後ろに付きますので、サヤ様は前を」


 言って、男が鎖の先をサヤに差し出す。少々長めに調整されているそれを手首に巻いて、軽く引っ張ってみる。

 じゃらり、と。耳障りな音が鼓膜を擦る。


「わかったわ。では、行きましょうか」


 放送は、大統領の会見を含めたとしても一時間程。その時間を乗り切れば、テュランをゆっくり休ませてあげることが出来る。


「……ねえ、お姉ちゃん。顔、怖いよ?」


 振り返った途端、テュランが呆れ顔で笑った。つられて、サヤもふっと笑みを零してしまう。


「ん……なんか、私の方が緊張してるみたい」

「あはは、何でだよ? 普通、逆だろ」

「ふふっ、そうよね」


 大丈夫。何も心配することはない。私は、テュランを信じると決めたのだから。


「それでは、行きましょうか」


 テュランが頷くのを見て、サヤは部屋を出る。時刻は丁度、放送が始まった頃だろうか。遅れないようにしなければ。そんな焦りが、鎖を引く手に伝わってしまったのだろうか。


「あ、待ってお姉ちゃ……う、く」

「っ、トラちゃん?」


不意に、テュランの身体がふらりと傾く。慌ててサヤが振り返るよりも先に、後ろで控えていた男が彼を抱き抱えるように支えた。


「大丈夫ですか?」

「あ……すみません」

「大丈夫、トラちゃん?」

「ああ、ちょっと眩暈がしただけ……もう大丈夫」

「そう……気持ち悪くなったら、すぐに言ってね」


 見れば、テュランの顔色が悪い。否、数分前より明らかに表情が固い。彼も、緊張しているのだろうか。

 思わず、空いている手を彼の手に伸ばす。


「おねえちゃん……?」

「大丈夫……大丈夫、だから」


 彼に、そして自分自身に言い聞かせるように何度も大丈夫と繰り返すサヤ。そうして、冷えた指先を握り込むように手を繋ぐ。果たして、少しでも気を紛らわせてやることが出来たのかはわからないが。

 テュランの方から握り返してくることは、最後まで無かった。



「我が国は、人外達のテロ行為により多くの被害を被こうむってしまった。偉人達が残してくれた遺産や、建造物。何よりも、我々が愛する者達。罰するべきは人外だが、このアルジェントを護るべき私の無力さを先ずは詫びたい。本当に、申し訳なかった」


 国内中へ向かって、拡声器で声を飛ばすローラン。その表情は、ここ数日間で何年も歳を重ねたようにも見える。

 自分の無力を嘆き、深々と頭を下げる大統領の姿を国民達はどんな思いで見ているのか。


「……おねえちゃん、手……離した方が良いと思う」


 隣でテュランが、サヤにだけ聞こえるように声を潜める。見れば、周囲の軍人達が自分達に鋭い視線を向けていた。

 多くが自動小銃を携えている。大統領の命があるものの、誰もがテュランに向かって引き金を絞ってもおかしくない。怖気立つような殺意に、隣に立つサヤの背筋まで凍てつくようだ。


「……大丈夫だから」

「うん、わかった……あれ?」


 言われた通りに、テュランの手を離すサヤ。ふと、彼の背後に付いていた筈の男が居なくなっていることに気がついた。

 周りに居る、軍人達の中にも見当たらない。別の持ち場に移ったのだろうか。

 しかし、サヤへ何も言わずに?


「……サヤ」


 男を目で探していると、アーサーが小声で名前を呼ぶ。サヤは小さく頷くと、テュランに向き直り腰の鎖を解いた。


「トラちゃん……」

「………」


 掛ける言葉が、何も見つからない。何か、彼に言葉をかけてあげたいのに。何も言えないでいると、サヤに背を向けて、テュランが自ら前に出た。


「だが、こんな悲劇は今日で終わらせて見せよう。聞け、下等な人外共よ。貴様等を率いていたテュランは既に我々が捕らえた。そして、ヤツは人間の前に膝を付いた。その証拠を今から見せてやろう」


 ローランが意気揚々と勝利を宣言する。辺りの軍人達もまたローランの言葉を誇りに思い、汚物でも見るかのようにテュランを睨み付けている。その中にやはり、男の姿はない。

 そもそも、あの男には見覚えが無い。大統領府にはかなりの数の人間が所属しているから、全ての軍人の顔を知っているわけではないが。


「……アーサー」


 放送画面に映り込まないよう、壁際に控えているアーサーに歩み寄る。アーサーはローランから目を離さないまま、意識だけをサヤに向けてくれた。


「どうした?」

「あの……さっきの人、姿が見えないのだけれど……何処に行ったか、貴方は見ていなかった?」


 この部屋の出入り口は一か所だけ。誰かが出入りすれば嫌でも気になってしまう。それに、テュランが共に居たのだ。どうしても目立つ筈。

 先に来ていたアーサーも当然、サヤ達が入室したところを見ているに違いない。だが、訝しんだのはアーサーの方だった。


「……さっきの、人?」

「貴方を呼びに来た、背の高い軍人よ。その人と二人でトラちゃんをここまで連れて来たのだけれど、いつの間にか居なくなっていて」

「何を言っているんだ、サヤ? それはきみが……」


 此方を向いたアーサーの表情が、困惑したものに変わる。どうして、そんな顔をするのか。


「さて、テュラン。汚らわしき野良猫よ、何か言いたいことがあるそうだが。丁度良い、この場を貸してやる。思う存分、己の愚行を恥じ国民に向かって懺悔をすると良い」

「…………」


 ローランの声に、テュランは何も言わない。ただ、静かに目蓋を閉じる。そして、促されるままにカメラの前に立ち、ゆっくりと目を開く。それを見て、アーサーが口を噤つぐもうとするが、サヤは続きを急かした。

 不気味なまでに嫌な悪寒が、背筋をつうっと這う。


「私が、何? 何なの?」

「……俺は、サヤがテュランを一人で移送するよう予定を変更したと聞いたが。今は落ち着いているが、知らない人間が居ればテュランはまた錯乱してしまうかもしれないから、と。だから、この部屋へテュランを連れて来たのは」


 サヤ一人だけだった。そうアーサーが言い切った。彼はこんな場所で、つまらない冗談を言うような男ではない。

 ならば、その男は一体何だったというのか。


「懺悔、か……」


 テュランがぽつりと呟き、カメラを真っ直ぐに見据える。アーサーの言葉を疑う余裕も無かった。思考が完全に混乱していた。

 それでも、テュランを信じたい。冷たい檻の中で、唯一暖かな毛布をかけてくれた大切な人を、疑いたくなんてなかった。


「……確かに、俺は大勢の人を殺した。その中にはまだ生まれたばかりの赤ん坊も、身体の弱い病人や老い先短い年寄りも居たことだろう。この国に住まう全ての人達を悲しませ、危険に晒してしまった。それは、俺の命だけでは償いきれない程の大罪だ」


 嘘だと言って欲しい、夢であるなら今すぐ目覚めたかった。それはただの甘えだと、頭ではわかっている。

 テュランの言葉が、聞き間違えなんかではないと、頭の中で誰かが叫んでいるのに。遅すぎた。愚かなことに、サヤは裏切られていたことを漸く思い知ったのだ。


「でも……だから、何? そんなくだらない罪を償う気なんて、俺にはこれっぽっちも存在しないんですケド?」


 見開かれた金色の双眸は、狂気を孕んで嗤っている。マイクを掴み、カメラのレンズ越しにアルジェントを、人間達を睨み付ける。


「おい、ヴァニラ。それから、この放送を聞いている全ての人外達。俺からの最後の命令だ、今すぐ終末作戦を実行しろ。以降、誰であろうと作戦を中止させることは許さない。近くに居る人間を全て惨たらしく殺せ! あらゆる物を粉々に破壊し尽くせ!! その命が燃え尽きるまで、俺達が生きてきた地獄がどういう代物だったか、おめでたいバカな人間達に思い知らせてやれ!!」

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