約束
「あー!! ほんっと、ほんっとにムカつくー!」
ぼすんぼすんと、クッションを殴りながらヴァニラが喚く。ソファにうつぶせで寝転がり、頬には大きな絆創膏が貼られ、剥き出しの腕には擦り傷や青痣がちらほら見える。
その中でも一際目立つのが、右足首に嵌められた分厚いギプスだ。傍らには松葉杖もあって、彼女を更に痛々しく見せてしまっている。
「わかった、わかったから落ち着けって。あんまり暴れると、骨がいつまでもくっつかねーぞ」
「むう、テュランはムカつかないの!? あの人間たち! 超合金ロボかよー!」
向かいに座るテュランをじろりと睨んで、ヴァニラが唸る。二日程前に二人組の人間の襲撃があってからずっとこんな調子なのだ。
『おねえちゃん』ことサヤと、その相棒――恋人かもしれないが――アーサー。テュランと遭遇する前にヴァニラと一戦交えていたらしい。
拳と蹴りという格闘を主とするヴァニラにとって、両腕と両脚が機械であるサイボーグは相性が悪すぎた。片足の骨折だけで済んだのは、幸運だった。むしろ、それだけの悪条件にも関わらず、アーサーに撤退を余儀なくさせる程に消耗させたのは間違いなく彼女の実力だ。
「確かに腹立たしいケド……ヴァニラが子犬みてぇにキャンキャン吼えてるの見ると、冷静にならざるを得ないっていうか」
テュラン自身、腸が煮えくり返りそうな位に苛立ってはいるのだが。ヴァニラが二人分以上に怒り狂っているものだから、逆に冷静に状況を考察することが出来ている。
彼女が好ましいと思える要因の一つだ。直接言ってやるつもりは、今のところないが。
「そうだな……とりあえず、あの二人をどうやって殺してやるか、だな。恐らく、あの二人が大統領の隠し持つ伝家の宝刀ってやつだろうな。つまり、アイツらを仕留めれば俺達にもう敵は居ない」
「マジで?」
「あんな飼い犬、俺達の敵じゃねーだろ。くくっ、次に会った時は精々惨たらしく殺してやろうぜ? あのサイボーグの方はヴァニラにやるよ。好きなように殺せ」
でも、とテュランが続ける。
「もう一人の女はお前にもあげない。誰にも渡さねぇ……アイツは俺の獲物だ」
柔らかなソファの背もたれに踏ん反り返って。明確な殺意に拳を握り締めれば、指先がびりりと痺れた。
「さあて、どうやって殺してやろうかなー。そろそろ博物館の奥で埃被ってた『玩具』も使いてーよなぁ? 派手なのが良いから、頭蓋骨粉砕機か。いや、すぐに殺すのも勿体ねぇから、スケフィントンの娘でまずは遊んでからかなぁ」
歴史博物館の倉庫に眠る、魅力的な遊具の数々。早くあれで遊びたいと、まるで新しい玩具を貰った幼子のような高揚感に胸が踊る。遊び方も、その相手もちゃんと考えてある。
あとは、役者が揃えば良いだけなのだが。
「ところで……ジェズは一体どこで道草食ってやがるんだ?」
昨晩、散歩に行ってくると出て行ってから早何時間か。朝になって、昼前に差し掛かっても彼が帰ってくる気配が無い。
まあ、彼の場合は気配なんて元から無いようなものだが。
「まさか……ジェズさんに何かあったのかな?」
ヴァニラも彼の行方が気になっているらしい。いつの間にか気落ちした様子で、殴られ続けて随分くたびれたクッションを抱きしめる。
殊勝な様子に、テュランがやれやれと肩を竦める。
「んなワケねーだろ。吸血鬼だぞ、簡単には死なねーっての」
強大な力を持つ吸血鬼は、例え頭が吹き飛ぼうが身体が消し炭になろうが死なない。彼等がどうやって、どのようにすれば死ぬのかテュランはよく知らない。
特に、あのジェズアルドを殺害することなど恐らく不可能である。
「下級の貴族辺りならともかく、アイツは斬ったり殴ったりした程度じゃ死なねぇよ。実体験だから、間違いねぇよ」
「てかさ、ジェズさんって実際は純血だよね? 純血の吸血鬼ってかなり珍しいんでしょ?」
「純血っていうか……もしかしたら、『真祖』かもしれねーぞ」
「『真祖』って……何?」
「おいおい、知らねーのかよ?」
小首を傾げるヴァニラ。しかし考えてみれば、今時『真祖』などという古めかしい存在を信じている方が希少なのかもしれない。
「真祖っていうのは多くの吸血鬼の親であり、一番最初の殺人を犯した者。それが吸血鬼の真祖、名前はカイン。またの名を、弟殺しのカイン」
それは数千年前。まだ神様が地上に居て、人間は数える程しか居なかった頃。ある日のこと、二人の兄弟が神様の元へ捧げものを持ってきた。
兄のカインは、自分の畑で採れた一番出来の良い作物を。弟のアベルは、育てている家畜の中で生まれたばかりの子羊を神様へ捧げた。神様はアベルの子羊の方にだけ目を留め、カインの作物には見向きもしなかった。
その後、嫉妬に駆られたカインは、野原で弟を殺してしまった。それが世界で初めて犯された殺人であり、作物を育てることしかしらなかったカインは、アベルを殺す際にその血を全て飲み尽くしたのだそう。
アベルの悲惨な死に様に悲しんだ神様は、カインを厳しく罰した。永遠の命を与え、癒えることのない渇きに苦しむよう呪いをかけた。それが、吸血鬼の始まりである。
最も、カインとは全く関係ない吸血鬼も居る。その辺りは複雑だから、考えるだけ時間の無駄だ。
「ま、こんなおとぎ話、とてもじゃねぇが信じられねーケド。大体、ジェズってどっちかと言うと、草とか花とか育てるよりも枯らす方が得意そうだし」
「あっはは! 確かに、ジェズさんってそんな感じだよねー? 水とかあげ過ぎて根っこが腐っちゃうみたいな?」
「くくっ、そーそー。肥料とかやっても絶対ダメなんだよな。ウケる、超見てーな。今度、花の種でもくれてやろうかな」
「……本人の居ないところで悪口を言いまくるのは、流石にどうかと思いますよ」
ヴァニラと同時に、声のした方を振り向く。案の定、ドアの前には話題の吸血鬼、ジェズアルドが居た。吸血鬼は霧になれるとも言うが、実はジェズアルドもそうなのかもしれない。事実、ドアを開け閉めした音が全くしなかった。
ぎゃっ、とヴァニラが悲鳴を上げる。テュランは何とか堪えたが、彼は普通に入ってくるということはしないのだろうかと常々思う。
「もー! びっくりした、ちゃんとドアから入ってきてよー、ジェズさん!」
「入ってきましたよ! お二人がお話に夢中で気がつかなかっただけです。あと、濡れ衣も止めてください。僕は決して真祖なんかではありませんので。金輪際、カイン呼ばわりするのは止めてくださいね!!」
ジェズアルドが端麗な顔を神経質に顰しかめながら、テュランの隣にどっかと腰を下ろした。大抵は行儀の良い彼にしては珍しい。
まあ、この場にはテュランとヴァニラしか居ない上、どう考えてもジェズアルドが一番に年上なので年功序列の観念から見れば、特に気に留めることはないのだが。
「アハッ、アンタがそんなにムキになるのも珍しいな。なに、そんなに嫌なの?」
「当たり前です。今までに何千回同じやりとりを繰り返したと思っているんですかっ」
「でもさでもさ、ジェズさんってかなり長生きだよね? ねーねー、ジェズさんは真祖に会ったこととかあるの? 吸血鬼って皆美形だから、そのカインって人もきっと超絶イケメンに決まってるよねー!」
「おーい、ヴァニラ。カレシの前で他のイケメンの話すんなよ」
「テュランくん、もっとしっかり怒った方が良いですよ」
ひとしきりジェズアルドをからかって、団欒だんらんの時を過ごす。次第に少しはヴァニラの苛立ちも紛れたのだろうか、話題の焦点は自然に先へと進んだ。
「よし、じゃあこの恨みを晴らしに行くとするか」
「やった! なになに、次はどうするの? どこ狙う? 遊園地?」
「それはまた今度な。次に狙うのは、アルジェント国立第一上級学園だ」
「学校……ですか? 国立第一上級学園と言うと確か、国内で一番のエリート校ですよね」
「えー!? 何で学校なのぉ! つまんないよー! もっと遊べるところにしようよー?」
案の定、ヴァニラが嫌だと騒ぐ。ヴァニラの要望はそれ程重要性も無いので却下して良いが、一見するとテュランが提示した学校も似たり寄ったりではある。
「確かに……学校なんて占拠しても大した利は無さそうですね。テュランくん、どうして学校なんですか?」
珍しく、ジェズアルドまでもがテュランの考えに疑問の声を上げた。未だに嫌だ嫌だと喚くヴァニラを無視して、話を続ける。
「第一上級学校は、そこに入学するだけで上流階級に上がる未来が殆ど約束されているんだってよ。だから極端な話、アルジェントの中心を担うであろう輝かしい未来を約束された人材が集中している場所なんだ」
「なる程、輝かしい未来が芽吹く前に種を掘り起こして、捨ててしまおうって魂胆ですか」
「それに、そのくらい優秀な学生が集まってるんだ。今の上役のご子息ご令嬢が沢山居るだろうし、そいつらを嬲り殺せば精神的なダメージは半端ねーだろ? しかも、軍は主要施設のお守りに割かれてるからな。コッチは少数でもイケる筈だ」
既に敵方の動きは偵察済みだ。人間達は強力な武器を手に入れた人外達が、大統領府などの重要な施設を狙ってくるのではと危惧している。だが、テュランにとってそんなお偉方が居座ってる巣になど興味ない。
そいつらには生きて、目一杯に苦しませてやらなければ。
「適当な施設を狙う素振りをしつつ、希望の塊である学生達を惨殺する。学校の方には俺とジェズアルドで行く。ヴァニラは一回休みな。流石に松葉杖じゃ格好つかねーだろ?」
「く、車イスじゃ……ダメ?」
「ヴァニラさん、テュランくんは貴女のことを心配しているんですよ。此処は甘えた方が、彼氏としては嬉しいものです」
「そ、そうなのテュラン?」
「ん? んー、まあ……そうかもな」
真っ直ぐ見つめてくる瞳が照れ臭くて、思わず目を逸らす。それをどう受け取ったのかは知らないが、ヴァニラが満面の笑顔を向けてくる。
「わかったよう。次は大人しく待ってる」
「ああ、早くその脚治せ。てか、そろそろ診察の時間じゃね?」
「そうだった! ちょっと行ってくる」
「大丈夫ですか、肩貸しましょうか?」
「ううん、平気! 二人は作戦会議でもしてて? やるからにはとことんまで人間達を痛めつけなきゃダメなんだからねっ」
身体を起こし、松葉杖を支えにして立ち上がるヴァニラ。こういう時に手を貸そうとしても、彼女は平気だと言って聞かない。変なところで意地っ張りだ。
ジェズアルドも知っているのか、部屋のドアを開けてやるだけに留める。ヴァニラは笑顔で礼を言うと、出て行く前にテュランを振り返った。
「テュラン! すぐにはムリでも、絶対に一緒に遊園地行こうね! 約束だからねっ」
「あー、わかったわかった。約束な」
テュランの言葉に、ヴァニラが嬉しそうに破顔させて。えっちらおっちら飛び跳ねるような歩みで、今度こそ部屋を出て行った。
「……それで、テュランくん。きみの本当の目的は何ですか?」
ドアを静かに閉めて、ジェズアルドがテュランに向き直る。その瞳には、全てを見透かしたような狡猾な光。どこまでも食えない男だ。
「ヴァニラさんを除け者にした理由は、彼女の怪我が理由ではないですよね?」
「……どうして、そう思うんだ?」
「うーん、年長者の勘ですかね」
「あっはは! ほんと、アンタに隠し事って出来ないな。つまんねー、ちょっとは驚くかなって思ってたのに」
くつくつと、テュランが喉奥で嗤う。多くを語らずとも察してくれることが助かることもあるが、こういう時は少々不満だ。
「ま、ヴァニラの怪我が心配なのは本心だぜ? 早く治して欲しいのもあるけど、骨がくっつくのは時間がかかるからな。大人しくして貰うのが一番だ。でも、本当のコトを話したら無理矢理付いてきそうだし」
テュランの本音に苦笑しながら、ジェズアルドが肩を落とす。
「はあ、彼女思いなのかそうではないのか」
「何、アンタ。帰ってきてから随分突っかかるじゃん。何かあったの?」
「……別に、何もありませんよ。ただ、きみが生き急いでいるようで些いささか心配なんですよ」
「お気に入りの餌を失うのが嫌だからか?」
「そういうわけでは……」
ジェズアルドは答えなかった。無言は肯定と判断して良いというのが持論だが、今回もきっとそうだろう。
「そうそう、前からアンタに聞いておきたかったんだケド……吸血鬼の血を飲むと吸血鬼になれるっていうのはマジな話?」
「はい。ですが、そのように吸血鬼になった者は大体が隷属……吸血鬼でも下位の存在になります。それに、吸血鬼の血に拒絶反応を示し、不死身どころか寿命を縮める場合が大半です。あまりお勧め出来るものではありませんよ」
要するに、ジェズアルドの血を飲んだところでテュランは吸血鬼にはなれないということだ。期待はしていなかったが、少々残念だ。
撃たれようが斬られようが、簡単に死なない身体というのは魅力的であったのだが。
「ふーん、まあ良いや。代わりにアンタを馬車馬のようにこき使ってやるから」
「時間外労働は出来れば拒否したいのですが」
「何言ってんだ、吸った血の分くらいは働けよ。俺がピンチになったら助けてくれるんだろ?」
実のところ、テレビ放送をした日の吸血を少々恨んでいた。あれさえなければ、サヤ達を逃がすことも無かったのに。
「ふむ……もしかして、ピンチになる予定があるんですか?」
長い脚をゆるりと組んで、ジェズアルドが薄笑いを浮かべる。その唇からは、厭らしい犬歯が覗いている。
「さあ? でも、せっかくおねえちゃんと再会出来たんだから、目一杯に痛めつけてやりたいっていうか」
サヤのことを恨んだ日は無かった。だが、それはあくまで思い出の中に居るおねえちゃんに対してだ。彼女は再びテュランの前に現れるや否や敵側の人間として立ちはだかり、更には助けたいとまで言い出したのだ。
期待外れというか、踏みにじられたというか。とにかく、屈辱以外の何物でもでもない。
「とにかく、今から本当の意味での作戦会議するから。俺とアンタだけの秘密な? バラしたら二度と血はやらないし、アンタが真祖カインだってところ構わず喚きまくるから」
「それは物凄く困りますね、そもそも真祖ではないですし。まあ、テュランくんとの約束を反故ほごにする理由が今のところないので、全力で力を貸しますよ」
クスクスと、ジェズアルドが微笑する。テュランが今、思い描いている計画はヴァニラには絶対に話せない。彼女のことは一番に信用しているが、だからこそ話せないこともある。
だが、ジェズアルドとは互いに対価を払っている関係だ。彼はテュランがくれてやった血の分の仕事は必ずやり遂げる。ヴァニラとはまた違った意味で信頼出来るのだ。
「頼りにしてるぜ、ジェズアルド」
「はい、テュランくん。僕にお任せを」
紅い吸血鬼が、酷薄に微笑した。




