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Tyrann  作者: 風嵐むげん
第二章
10/33

悲劇の再会


 サヤはテュランを見捨てた。それは紛れもない事実であり、否定する気も誤魔化すつもりも無かった。


 十年程前のこと。人外と人間の境界は、今よりも曖昧だった。当時、超能力を持つサヤは人間ではなく、人外という括りの中に居た。

 アルジェントの一般的な家庭に、サヤは生まれた。しかし、幼い頃にテレポートという超能力を持つことがわかると、両親は彼女を研究所に預けた。預けた、と言えば聞こえは良いが、結局は捨てられたのだ。

 そして、彼と出会った。


「……サヤ、だっけ? やっぱり、生き延びてたのか」

「と……ト、ラちゃん」

「アハッ、その呼び方も懐かしいな」


 懐かしいと、テュランが嗤った。子供の頃は、テュランという名前の発音が難しくて、ワータイガーということもあって『トラちゃん』と呼んでいた。

 背筋に冷たいものが流れるよう。


「あれから何年経った? アンタ、すっげぇ美人になったな。わかんなかったぜ」


 全てを見透かすような、金色の双眸がサヤを見る。思わず、視線を逸らしてしまう。彼の腕から逃れることも出来ず、正気を保つだけで精一杯だった。

 サヤは、あの施設から逃げ出したかった。僅かに残っていた家族との記憶が恋しくて、実験という名の仕打ちに耐えられなくて。

 そして、コンクリート色の世界しか知らない子猫に、外の景色を教えてあげたくて。


「ご……ごめ、んなさい」


 息を詰まらせながら、それだけを何とか口にした。あの日からずっと、心の中だけで星の数程繰り返した言葉だった。


「……それは、何に対しての謝罪?」


 サヤの腕を掴むテュランの手に、僅かに力が籠る。まさか、彼の声が頭上から落ちてくる日が来るとは思わなかった。

 もう、二度と会えないと思っていたのに。


「ここまで痛めつけてくれたコト? それとも、あの日のコト?」


 心臓が跳ねる。視線は徐々に足元へと下がり、ボロボロになった石畳を見つめるしかなくて。


「別に、アンタに謝って貰うコトなんて、何にも無いと思うんだケド。自分さえ助かればいい、足手纏あしでまといは切り捨てる。人間なら、そう考えるのが普通だと思うぜ?」


 テュランが言う。口調も声色も穏やかで、サヤを責める様子は無い。しかし、それこそが彼女の心を追い詰めるのだ。

 最初に逃げようと言ったのは、サヤの方だった。当時、テレポートを自在に使いこなすことすら出来ないくせに、幼稚な自尊心で逃げ切れると馬鹿みたいに思いこんで。テュランと共に、あの施設から脱出することが出来ると信じていた。

 結果は、悲惨だった。二人を閉じ込めていた部屋から脱出するまでは良かった。だが、その後に待ち受けていた道のりは想像以上に入り組んでおり。二人の脱走に気がついた大人達が警報を鳴らして、防犯シャッターを次々と下ろしていった。

 そして、最後のシャッターが閉まりかけた時。転んで、立ち上がれなくなったテュランを見捨てて、サヤは一人で逃げ切ったのだ。


「私、は……」


 テュランを忘れた日など、一日も無かった。何て愚かなことをしたのかと、自己嫌悪を繰り返した。出来ることならあの日に戻って、馬鹿なことを考えた自分を斬り捨ててしまいたい。

 否、それよりも――


「私は……きみと共に、罪を償いたい」


 勇気を奮い立たせて、サヤはテュランの目を見上げた。罪? と、テュランが問い返す。


「きみは、沢山の人間を殺し、多くのものを破壊した。それがきみの犯した罪。でも、きみをこんな風に歪めてしまったのは私だもの」


 記憶の中の彼は、今とは正反対だった。臆病で、非力で。それでも優しくて、思いやりのある子だった。

 こんなことを平気でするような子ではなかった。

 全ては、自分が悪いのだ。


「もう、きみを見捨てたりしない」


 掴まれた腕を、振り払おうとは思わない。サヤはそのまま、刀から手を離した。静かな空気の中に、刃が石畳に打ち付けられる音が派手に響く。

 びくりと肩を跳ねさせたテュランに、昔の面影を重ねる。


「きみの罪を、私も共に背負う。きみだけに押し付けたりしないから、だから……トラちゃん。私と一緒に来て欲しい」


 彼の死刑は、きっと免れない。ならば、自分も彼の隣で同じ罰を受けるから。助けられなくても、護れなくても。それが彼に出来るサヤの償いだった。

 自分勝手であることはわかっている。


「……本当に」


 それでも、彼なら絶対に理解してくれる。


「本当に……俺の罪を、一緒に背負ってくれるのか?」


 サヤが力強く頷く。テュランの声が震えている。そういえば、幼い頃の彼の声はいつも震えていた。涙で潤み、真っ赤に腫れた目蓋を撫でてやったことを覚えている。

 今の彼も、同じように泣くのだろうか。改めてサヤが、テュランの顔を見上げる。


 そして、自分の考えが甘かったことに、今更になって気がついた。


「くだらねぇな」

「え……ッ――!!」


 腹に叩き込まれる、強烈な一撃。受け身も取れないまま、サヤは無様に地面へと倒れ込んだ。

 痛みに咳き込みながら、胎児のように身体を丸める。鉄錆臭い唾を吐きながら、サヤは何とか上体を起こそうとした。漸く思い知ったのだ。

 此処に居るのは、気弱な子猫などではなかった。


「一体誰がそんなコトを頼んだ? 俺が許されたがっているだなんて、いつ言った?」


 ぞくりと、底冷えするような声はもう震えてなんかいない。頭上から降ってくるそれに顔を上げることも出来ず、再び襲いかかる蹴りに耐えるしかなかった。


「う、げ……げほっ、と、らちゃ……」

「俺が昔みたいなビビリだと思ってたのか? 手を差し伸べれば、素直に縋すがるとでも? 人間って本当にご都合主義というか、お気楽っていうか……反吐が出るんだよ!!」


 ブーツの硬い爪先が鳩尾に食い込んだ。息が詰まって、口の中に鉄錆の味が広がる。声を出そうにも、咳き込むばかりで上手く喋ることが出来ない。


「許されようだなんて微塵も願わない。これを正義だと主張するつもりはない。これは俺の、俺という存在の為だけの復讐なんだ。そうだ、おねえちゃん。俺が今までに人間にされたコト、全部教えてやろうか?」


 サヤの長い髪を、テュランが鷲掴んだ。剣を離した手が、不自然に甘ったるく頬を撫でる。


「う、うぅ……」

「痛いよな、こうやって髪掴まれるのって。皮が剥げそうで……何処見てんだ、おねえちゃん。ちゃんと俺のコトを見ろよ。アンタが見捨てた、よわっちい子猫の姿をさあ!!」


 頬を殴られる。幸いだったのは、拳では無く平手打ちだったことくらいだが。それでも口の中は切れて、口角からは血が零れた。


「最初は何だったか。麻酔無しで腹掻っ捌かっさばかれて、中身弄り回されたコトかな。アンタには経験ある? びちゃびちゃ中身掻き回されたの、人間の手が好き勝手に掻き混ぜるんだよな。次は……電気ショックとかだったかな。それと、よくわかんねぇ薬の実験台だろ? 餓死寸前まで放っとかれたこともあるし……そうそう、アンタが居なくなってからは更に凄かったぜ」

「やめ……て、もう」

「あれはもう実験とか研究じゃなくて、ただの拷問だったな。血管の中にキモイ虫入れられたり、何十日もの間ずっと額に水滴落とされたり……極めつけは、あはは! 無理矢理電気警棒をねじ込まれたのはもう笑うしかなかったな! ねえ、おねえちゃん? 何処に突っ込まれたかわかる? 想像出来る?」

「もう止めて!!」


 情けない悲鳴を上げるしかなかった。そんな無様な格好に少しは満足したのか、テュランがサヤの髪を離した。

 沈痛な話を続ける気もないらしく、続きを話すことはしなかった。それでも、サヤを絶望させるには十分だった。

 サヤが知っている少年は、自分の浅はかな言動のせいでここまで歪んでしまったのだ。


「あ、そう。じゃあ、もう良いや」


 再び足元の剣を拾い上げて、テュランがそう吐き捨てた。何とか腕を支えに上体を起こすも、それまでだった。

 彼からの暴行で身体中が激痛に悲鳴を上げている。戦うどころか、逃げることすら出来そうにない。テレポートは凄まじい集中力を要する力だ。超能力無しでは、今のテュランには勝てそうにない。

 いや、それ以前に。サヤにはもう、立ち上がる気力が無かった。暴力を振るわれた痛みよりも、見せつけられた現実の方が堪えた。

 何よりも大切だった筈のテュランが、此処まで残忍な人外になってしまったことが、サヤから抵抗するだけの気力を削ぎ落としてしまった。


「アンタはどうやって殺そうかな……その綺麗な顔面の凹凸が無くなるまで殴ってみる? それとも、ガソリンかけて火炙りか?」


 サヤの攻撃で、かなり体力を消耗したにも関わらずテュランは軽々と大剣を振り上げた。ワータイガーとしての素質なのか、それとも苛烈な復讐心が彼を突き動かしているのか。

 右肩を蹴られ、再び地面に押し倒される。そのまま腕を固定するように踏みつけられれば、冷たい切っ先が右の手首をつうっと撫でた。


「よーし、決めた。最初は手首、次は足首、肘、膝、肩、大腿、最後に首を叩き斬ってバラバラにして、腐らない内に下水道に捨てよーっと。……それがテメェにぴったりの末路だ!!」


 凶悪な刃が煌めく。それを受けることが、自身に用意された罰であるのなら。サヤは目を閉じて、すぐに訪れるであろう痛みに覚悟した。

 だが、痛みはいつまで経っても来なかった。辺りに銃声が響くのと同時に、テュランの顔が痛みに歪む。


「ッ、痛……!?」

「サヤ!! 無事か!?」


 聞き慣れた声に、はっとして身体を起こす。テュランが剣を取り落として、右の手首を押さえている。出血は大したことはなく、掠めただけのようだ。

 助けが来たことよりも、彼の無事に安堵を覚える自分が酷く滑稽だった。


「……アーサー?」

「サヤから離れろ、テュラン!!」


 再び、銃声。テュランが舌打ちして、地面を蹴って下がる。アーサーがサヤの壁となるように躍り出て、銃を構える。


「ちっ、良いトコだったのに……カレシのご登場かよ」

「無事か、サヤ?」


 再び問われれば、頷くしかなく。アーサーはサヤとは別行動していた筈。途中で誰かと交戦したのか、服の所々が破れ、顔には擦り傷が出来ている。加えて、左腕がだらんと力無く下がったままだ。

 それを気に掛けることもせずに、銃を投げ捨ててアーサーが叫ぶ。


「先程ヴァニラと交戦した時に、左腕を損傷した。右脚も怪しい。すまないが、今回は撤退するぞ!」


 言い終わるや否や、アーサーの右腕がサヤの腰に回されて軽々と抱えられる。彼は身体の殆どが機械で構成されたサイボーグだ。腕力は常人を上回ることに加え、サヤは細身の女性。

 そして、撤退すると決めたアーサーにはどう足掻いても説得など出来ない。


「あれー? よく聞いたら、その声……電話で喚いてたお兄さんじゃねーの? なる程、サイボーグか。それならアンタも俺達と同じ、人間のオモチャだったのか」

「……黙れクソガキ、貴様等と一緒にするな」

「アハッ、こわーい。まあ、何でも良いや。テメェのこともぶっ殺したいって思ってたし? おねえちゃん諸共ぶっ殺してやるよ」


 いつの間にか、テュランが拳銃を構えて嗤っていた。先程、アーサーが放った拳銃だ。しまった、これで自分達に反撃する為の武器は無くなってしまった。アーサーが顔を顰めて、テュランを睨み付ける。

 でも、それも束の間だった。


「……出来るものなら、やってみろ」

「は? この状況でついにイカレたか……え、なっ――」


 テュランは引き金を絞るも、弾は発射されなかった。恐らく想像出来なかったことなのだろう。呆ける彼の隙を逃さず、アーサーが一気に距離を詰める。

 いつもよりずっと鈍い動きだったが、意表を突いた行動はテュランの鳩尾に一撃喰らわせるだけの時間を十分に稼いだ。


「げほっ、うぐ……いってぇ! くっそ、大統領のパシリのくせに安弾なんか使ってんじゃねーよ!!」

「それに関してだけは同意だ。今後は二度と、弾詰まりなどという失態を演じないように心掛けよう」


 そう吐き捨てて、アーサーはテュランに背を向ける。強く地面を蹴って、サヤを抱えたまま全速力で駆け出した。

 右脚を負傷しているとは言ったが、彼は凡人とは異なるサイボーグ。大柄な身体に不似合いな駿足を持って、テュランとの距離を一気に稼ぐ。テュランが体勢を立て直した時には、何もかもが遅かった。


「……って、おい!! 逃げてんじゃねーよ、弱虫! バカ! 裏切り者―!!」


 喚き立てる様子は、まるで幼子のよう。しかし、それが更にサヤを追い詰めた。アーサーの拘束を振り解こうともがくも、彼の鋼鉄の腕から逃れることはついに出来なかった。

 否、逃れる気など無かったのかもしれない。テュランを説得出来なかった。それどころか、突き放されて深い傷を心に受けた自分が情けなくて。そんな自分を助けてくれたアーサーに、甘えようとしているのかもしれない。

 自分の気持ちすら、もうサヤにはわからなかった。


「サヤ」


 アーサーの声が、サヤを呼ぶ。彼にはテュランのことを話せていない。


「その……テュランとは、知り合い……だったのか?」

「……ごめんなさい」


 きっと、幻滅したに違いないのに。この相棒は、気の毒になるくらいに人が良いのだ。

 だから、サヤは謝ることくらいしか出来なかった。


「ごめん……ごめん、なさい」

「良いから、後で……話を訊かせてくれ」

「うん、ごめんね……」


 何度も何度も繰り返す。だが、どれだけ贖おうとも、きっとサヤの罪は許されない。許されてはいけないのだ。

 あの日、あの瞬間。テュランを振り払った手が、じくじくと痛むようだった。



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