18:「叶える奇跡の内容は」
『たすけて……!』
声が、聞こえた気がしたんだ。
あのとき、誰かの助けを呼ぶ声が。
あのとき、僕は日の当たらない『モグラ』だった。
人助けなんかするガラじゃない。
だったらあのとき、なんで声が聞こえたとき思わず走ってしまったんだ?
どうして僕は『モグラ』になったんだ?
どうして、僕は――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
小学5年生、チャビの一件があったあとの数日間、僕は病院に泊まった。
念のためということらしかったが、生憎、身体のほうはなんともなかった。
むしろ心配されていたのは、精神状態の方だ。
だけど僕は後悔なんかしていない。判断が間違っていたとも思っていない。
誇らしい気持ちのほうが勝っていた。
だって香澄を、好きな人を守れたのだから。
ただ数日経ったあとの学校は、僕の想像していたものとはかけ離れていた。
「井土くん、子犬を池に落として殺したんだって……」
「そんな人だと思わなかったね、綾瀬さん、かわいそう……あんなに落ち込んで」
……僕が、チャビを池に落とした?
「綾瀬さん、元気だしてね」
「うん、わたし、もう大丈夫だよ、これからは頑張るんだ。あの子の、分も」
香澄もなんだか少し前と変わっていた。そういえば言っていた。頑張ると。
ただそのことが、当時の僕には遠い存在に見えて。
「おまえ、よく学校にこれたなぁ? あんなひどいことしておいてよ」
「おまえの居場所はもうここにはねーよ、がっくりきたか?」
最初に話しかけてきたのはあのいじめっこの2人だった。
ひそひそ声がクラス中から聞こえてくる。
「……ひどい……かわいそうよ……」
「子犬……綾瀬さんが飼っていたんだって、かわいそう……」
「でも綾瀬さん偉いよね。そんなことにも負けないで、頑張るって」
――そういう、ことか。
僕が、チャビを殺したことになっているのか。
あの2人のせいで……。
事実を知っているのは当事者の僕と、香澄と、あの2人だけ。
香澄は『頑張る』と言って自分のことで精一杯らしく、どうやらこの噂には係わっていないみたいだ。
いや、あの2人が意図的に係わらせていないのだろう。噂の真実に、触れられないように。
つまり、先に広まった噂を……弁解する人がいない。
――そのときから、いじめの標的は『僕』に変わった。
本当の意味では、いじめではなかったのかもしれない、ただ、クラスの中に僕の味方がいなくなっただけ。
香澄は、僕のそんな状況を何も知らずに接してくる。
そして言うのだ。
「いつまで落ち込んでいるの?」「そんなのたっちゃんらしくない」
僕は、否定できなかった。噂を、子犬を殺したという、あの2人の流言を。
僕はチャビを助けられなかった。僕は、チャビを見殺しにしたのだ。
――無意識に、香澄の方を選んだのだから。
後悔はしていない。
あのときの判断を。香澄を優先させたその事実を。
ただそのことが、噂を完全に否定することを僕に出来なくさせてしまった。
この状況を変えることを、出来なくなってしまった。
もう僕は、何も信じられなくなった。頑張ったらその分だけ報われるという幻想を。
信じたらきっと夢は叶うという、そんな奇跡みたいな願い事を。
紅葉や舞にも話せなかった。話す気すらおきなかった。誰にも、話せなかった。
そして彼女は、そんな僕を見て言うのだ。
「弱虫! 臆病者! いつまでも引きずって、たっちゃんはドラゴンじゃない! 『土』竜――日の当たらない『モグラ』だわ! ずっとそうやって落ち込んでいればいいんだっ」
彼女の泣いていた顔が印象的だった。
あの顔を、僕は一生忘れることなんてないだろう。
ただ、僕にはもう無理だった。
結果がこれだ、学校での生活は地獄に変わった。
努力なんて、なんの意味もない――
その日、僕はそっと一言だけ呟いた。
「たすけて……誰か、僕を助けてよ……」
もちろん、こんな状況の僕を助けてくれるような、そんなヒーローは現れてくれなかった。
その日から、僕は日の当たらない『モグラ』になった。
――頑張るということが、出来なくなった。
香澄に僕は名づけられた。土竜、『モグラ』と。
あのとき僕は呪われたのだ。その名前に。そのイメージから来る失礼で勝手な生き方に。
すごく苦しくて、なんとかその名前を変えたかった。
変わるきっかけを、探していた。
でも今考えてみると、香澄に、がっかりして欲しくなかっただけなのかもしれない。
好きな女の子に名づけられたから、こんなにも僕の心に根強く、残ったのかもしれない。
苦しくて、こんな風に考える自分が大嫌いで、今にも死にたいと思っていた。
ただ、香澄が、好きな女の子が名づけてくれた。そう考えると――
少しだけ、少しだけだけれど、この名前が好きになれるかもしれない。
――でも、今は。
あのとき、声が、聞こえたんだ。
あのときの僕と同じような。心から漏れた、悲痛な叫び。
あの旅行のときミコトの――『たすけて』
あいつは自分で言っていた。もう死にたい。もう生き飽きたと。
せっかく死ぬチャンスだったんだ。なぜ助けを求めた?
あのときの僕はなぜその助けに応じたのか。なぜ声が聞こえた瞬間、走りだしたのか。
今、僕はまた選択肢を突きつけられている。
『モグラ(よわむし)』か、『ドラゴン(ヒーロー)』か――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
夜の学校。夜の教室。
暗がりの中3人は僕を見つめている。
「僕の願いが決まったよ……。ありがとう、考える時間をくれて」
僕は自分の机に架かっている鞄から、割れて壊れてしまった手鏡を取り出した。
「分かった。んじゃ、行こうぜ」
4人は屋上へと向かう。竜也の顔に、もう迷いはない。
『遅かったのぅ、もう時間は少ないぞ。さて、願いは決まったかの?』
ミコトは穏やかな顔で4人に告げる。これで、さよならだと。
最後にどうしても確認しておかなきゃいけない、この神さまの意思を。
「ミコト、お前が言ってた神の社会の罰則って、消えるってことなのか?」
『ちと違う、どちらかと言うとわしは幸運なほうじゃろう。本体が壊れても猶予が与えられたんじゃからのぅ。これも、わしの普段の行いが良いおかげじゃな。かかか』
よく、言うよ。
ずっと、動けなかったって、ずっと苦しかったって、言ってたじゃないか。
「お前は神力がどうとか言ってたな。もしかして……僕たちの、ために……?」
『気づきおったか、ほんに、聡い子じゃのぅ。そうじゃ、わしは400年蓄えた力を全てあの試練に注ぎ込んだ。そして奇跡を使う力があとは残されるだけじゃ。だから早う奇跡を叶えさせておくれ。そして、わしの生に意味を与えておくれ?』
僕たちの、ために。
自分に残された時間を削ったのかこいつは……!
「もう……この世に未練はないのか? やっと動けるようになったんじゃないか。これから、これからじゃないか! お前の人生は!!」
『手鏡が割れた時点で覚悟は決まっておった。わしは消える。じゃから最後におぬしたちの役に立ちたかったんじゃよ。わかっておくれ、タツヤ』
なんだよ。なんなんだよ……その大人ぶった顔は……!!
ミコトの、くせに……っ。
「……叶えられる奇跡に何か制限は?」
『ふむ、死んだものを生き返らせるのは無理じゃな。後は……まぁ特には思いつかん』
よし、“まだ”生きているなら……大丈夫なんだな。
『さて、みなの奇跡を叶えるとするかのぅ。わしの、玉依ノ(の)命の、一世一代の大仕事じゃ』
ミコトの顔は語っている。もう、これでお別れだと。
「んじゃ、先に俺から言わせて貰うぜ」
紅葉が一歩前に出た。
「俺の叶える奇跡は――『ミコトの手鏡を直す』だ。もともと、俺のせいで割れたようなもんだ。これですっきりしたぜ」
ははっ、紅葉やるなぁお前。
一回しかない、奇跡なのに。
『なっ、モミジ、おぬしなにを――』
「私の奇跡も決まったわ。私の叶える奇跡は――『ミコトが手鏡から自由に出入りできるようになる』よ。せっかく手鏡が直るんだもの。自由がないのはかわいそうでしょ?」
あははっ、香澄。
……お前もか。
『カスミ、おぬしまでなんじゃ!』
「舞の奇跡も決まったよ。舞の奇跡は――『これからもミコトちゃんはすっと舞たちと一緒に遊ぶ』! えへへ、約束は守らないとダメだよ? ミコトちゃん☆」
舞まで……。
『マイ……』
ホント……、みんなバカばっかりだな。
一回きりしか奇跡は使えないのに。自分のために使わないなんて。
――こんなの、流れに乗るしかないよな?
「僕の奇跡も決まったよ。ミコト、お前宛だ――『二度と自分の命を粗末にするな』。お前はこれから自分のために、生きるんだ」
僕も、やっぱりバカだ。
『……なぜじゃ! なぜわしを助ける!? わしはもう死にたいんじゃ、勝手なことをするな! おぬしらは自分のために奇跡を使えばいいんじゃ! タツヤ、おぬしは『モグラ』を、自分を変えたいんじゃろう。今のは聞かなかったことにしてやるから、さっさと――』
「バカにするな!!」
『……っ』
本当に……、こいつは世話がやける神さまだ。
「奇跡になんか頼らなくたって僕は自分を変えてみせる! 僕は『モグラ』を治してみせるさっ」
『な、なにを……』
「さんざん人に偉そうなこと言っておいて自分だけ消えるなんて――許さないぞ」
『なんで……』
「……友達を、見捨てるわけないだろ!! これからじゃないか! お前が喜んだり、怒ったり、悲しんだり、笑ったりするのは、これからじゃないか……!!」
すごいむかつくし。すごい偉そうで、時々殴りたくもなるけど。
出会ってしまった。もうこいつのことを友達だと、思ってしまった。
チャビは――助けられなかったけど。
今度は絶対見捨てない。見殺しになんか、するわけない。
僕たちのために死ぬなんてこと、許すわけがない。
こいつの『たすけて』に、僕が応えてやるんだ。
僕がこいつにとっての、ヒーローになる。そう、決めたんだ。
『まったく……バカなやつらじゃ。こんな……こんなわしを友達だなんて……』
ミコトの頬に一筋の涙がこぼれた。
『よかろう。おぬしらの願いを聞き届けよう』
持っていた手鏡から光が溢れる。
『……ありがとう、おぬしらと、出会えてよかった』
――優しい光、玉依ノ命の、赤と白が混じった。生命の輝き。
人気のない道に影が二つ。
「やれやれ、やっと家に帰れるね」
僕は家への帰宅途中つぶやいてしまう。
今は香澄と2人で帰っている途中だった。
これからゲームクリアの祝勝会、そして新しい友達、『ミコト』の歓迎会をするらしい。
なぜか場所は僕の家。もう時間が遅いんんだけどな、親になんて説明しよう……。
紅葉と舞はミコトを連れて買出しに行ってから来るらしい。
「服もまだ濡れていて気持ち悪いし、早く帰って着替えよう?」
「…………」
さっきから香澄に話しかけるも返事はなく、無言でついてくるだけ。
どうしたんだろう。まぁいいか。
……はぁ、疲れたけど満足した1日だった。
僕は、少しは変われたかな?
『モグラ』から、少しは卒業できたかな?
「竜也。いや――た、たっちゃん」
「……香澄? なにかな」
「告白の返事、今でもいい?」
そうだった! 僕告白したんだったっ、ど、どうしよう!?
……いや、どうしようもなにも、いま返事がくるのか。
「うん、聞きたいな。だけど、先にもう一度言っておくね。僕は香澄が好きだよ。香澄の気持ち、聞いてもいいかな」
「……好き、昔からずっとたっちゃんが大好きだった。ずっと、私を守ってね?」
香澄の目は潤んでいる。昔と変わらず少し泣き虫な、僕の好きな女の子。
「うん……、僕がずっと、香澄を守るよ」
人気のない道に寄り添った影が一つ。
ファーストキスはレモンの味ってよく聞くけど、僕のファーストキスは涙の味だった。
少し、しょっぱい。




