10:「涙と共に生まれた後悔」
子犬を公園で飼おうと4人で決めた。
紅葉が家から持ってきた毛布を使い、ダンボールを一時的な家にする。
舞が持ってきた牛乳やお菓子を子犬に与えながら、4人は話し合う。
「名前つけよーぜ! おれチビがいいと思う! こいつちっちゃいし!」
紅葉は元気よくそう言った。
「まいはマルちゃんがいいと思う! ほら! おめめが丸くてかぁ~い~よぉ~」
舞ははぅぅ、と声を漏らしながら顔を子犬にすり寄せる。
「ぼくは……、そうだなぁ……うーん、香澄はなんて名前がいい?」
「…………チャビ」
香澄は子犬をじっと見つめながら、ポソっとつぶやいた。
「チャビぃ? なんでだ?」
紅葉は名前の由来がわからないのか香澄に質問する。
そういえば、紅葉が提案した名前に似ているな。
「しっぽが……少し、ちゃいろだから」
香澄は子犬を指差す。
子犬は全体的に白いのだが、尻尾だけ茶色がかっていた。
「なるほどねぇ、それでチャビかぁ」
舞は感心したようにうんうんと頷いた。
『茶尾』――漢字で書くとこうなるのだろう。
結局香澄の提案した名前が採用され。
子犬の名前は晴れて『チャビ』になった。
「チャビちゃん! きみの名前はチャビちゃんだよ! えへへっ」
舞は子犬を抱きながらそう笑った。
くるくると踊るように回っている。
「チャビ! サッカーしようぜ!」
「まだ子犬だしむりだよ、それより誰かに見つからないよう。秘密基地を作ろうよ」
サッカーボールを持ち上げながら提案する紅葉に、僕はそう提案した。
「……うん、誰かに見つかると、たいへん」
今さら誰かに拾われてもおもしろくない。
香澄は僕の提案に賛同してくれた。
「うし……んじゃあそうすっか! そうだなぁ……おれと竜也は枝でも集めっか!」
自然がいっぱいの公園だ。
とりあえず小枝を集めて家を作ろうということになった。
「えへへ、舞たちはチャビちゃんといるね!」
舞がそう言ってチャビと戯れる。
香澄もこくこく頷いてチャビを抱く。顔が少し赤い、嬉しいのだろう。
「おう! ちゃんとみはってろよ! 竜也、行こうぜ」
「うん、もう時間もあんまりないし、はやく作ろう」
僕ら2人は公園内を走りまわり小枝を集める。
2人で小枝を集めてきてチャビのところへ戻ると今度は4人でせっせと基地を作る。
やがて夕方になり、なんとか秘密基地が形になってきたころ。その日は解散した。
「んじゃな! またあした続きをやろうぜ! あぁー腹減ったー」
紅葉はそう言って自分の家へと走っていった。
「じゃあ舞も帰るね! またあしたね!」
続いて、舞も自分の家へと続く道を走っていく。
「うん! じゃあね! またあした!」
「……ばいばい、またあした」
僕と香澄は家が近かった。
公園で遊んだ後はいつも一緒に帰っている。
帰ってしまった2人に手を振り終わり。僕も香澄に帰宅を促す。
「じゃあぼくたちも帰ろうか」
「……うん。わかった。チャビ、ばいばい」
香澄は名残惜しそうにチャビに向かって小さく手を振っていた。
とても嬉しそうだ。
最近香澄は嫌がらせを受けているようだったので心配していたが、チャビのおかげで笑ってくれるようになったので安心する。
そのとき、がさがさっと音がする。
僕と香澄が公園から出たとき、近くの茂みが少し動いた気がした。
……? 気のせい、だろうか。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「今日もチャビのところに行って早く基地を作ってやろう」
「……うん!」
次の日、僕と香澄がクラスでそう話していたとき。
クラスの端で、昨日紅葉たちと対峙していた男子2人がひそひそ話しているのが見えた。
「……でさ、あの……を……、あそこに……」
「ひゃはは、すごい楽しそうだな。あいつらの顔がどうなるか楽しみだ……おいっ」
僕に見られているのを気づいた瞬間。
2人はひそひそ話をやめて、こっちを見ながらにやにやしていた。
「……? おい! 変なこと考えてるなら許さないからな!」
普段から陰湿なことばかりしている2人だ。
香澄をいじめている主犯格もこの2人だった。
今度はどんな嫌がらせを香澄にするつもりかとつい怒ってしまい。
僕はそう言って2人に釘をさしたつもりだった。
「はぁ? なんのことだよ。お前らになんかなんもしねーって!」
「じいしきかじょうなんじゃないですかー? バーカ!」
ギャハハと嫌らしく笑う2人組。
「っ! そうかよ!」
僕はふん、と鼻息をならし教室を出てった。
香澄もおろおろしながら僕についていくる。
「安心して。香澄はぼくが守ってあげるから!」
せっかく同じクラスになれたのだ。側にいてやれる僕の役目だ。
勢いでついそう言った。少し恥ずかしくて顔が熱かった。
香澄はかぁ、と顔を赤くしながらこくん、と頷く。
このとき、僕は大きな勘違いをしていた。
香澄を守るのは当然だ。幼なじみで、大切な友達なんだから。
ただこのときの僕は、注意する対象を、間違えた。
……香澄は、気づいていたみたいだけど。
「よぉーし! こんなもんだろ!」
紅葉はふぃーと額の汗を手でぬぐう。ひと仕事終えた感じで満足気だ。
僕ら4人は、2日かけてチャビを守る秘密基地を完成させたのだ。
「うん、あとはごはんだね。毎日家から持っていくとさすがに親にばれちゃうかなぁ」
「だいじょーぶだよ! わたしたちの給食を少しずつ持っていってあげようよ!」
僕の呟きに呼応して、舞がそう提案すると、「えーっ」とイヤそうに紅葉は文句を言う。
「おれの給食はやんねーかんな!」
「もー! チャビちゃんのためだよ、それくらいがまんしなよ!」
舞は紅葉に怒る。
紅葉の食いしん坊は知っていたが、ここは我慢してもらうしかない。
「だいじょうぶ……。わたしの給食、ぜんぶあげるから」
香澄はまごまごしながら小さくそうつぶやいた。
「ぼくのもあげるよ。だから香澄もちゃんと食べなきゃダメだ」
香澄に気を使ってそう言った。
ただでさえやせ気味な香澄だ。これ以上はまずい。
香澄は顔を赤くしながらこくん、と頷いた。
「きょうはこれで終わり! またあしたな!」
お腹がすいたのだろう、紅葉はそう言って自分の家に走って帰ってしまった。
「じゃあ舞も帰るね。チャビちゃん! またあしたね~」
舞もとてとてと走って帰っていく。
「香澄、ぼくたちも帰ろうか」
僕がいつものように声をかけると、香澄は、
「…………わたし、もう少し残ってる。先に帰ってて」
思いつめているような顔でそう言った。
「うん……わかった。気をつけて帰るんだよ。またあしたね」
がさ、と少し茂みが動いた気がした。
帰り道――僕は先ほどのやり取りを思い出す。
どうにも香澄の態度が気になる。
今まで帰るときはいつも一緒に帰っていたのだ。
どうして今日は別々なのだ。気になってしょうがない。
やっぱり、僕も少し残ろう。香澄と一緒に帰るんだ。
そう思い帰宅途中公園に引き返した。
戻った僕が公園で見た光景は、あまりにもひどい有り様だった。
――秘密基地が、壊れている……どうして!
ついさっきまでは、なんともなかったのに!!
香澄はどこに…………あっ、チャビがいない!
壊れた秘密基地と、どこにも見あたらないチャビ。
……嫌な、予感がする。心臓がばくばくと、うるさく騒ぎ立てていた。
――どこ? チャビはどこだ? 香澄はどこにいる!?
公園を走り回った。
とても広い公園だ。すぐには見つからなかった。
息を切らしながら走り回った。
10分、20分は経っただろうか。
そしてようやく香澄を発見した。公園の真ん中の位置にある。
――広い池があるところに、香澄はいた。
「チャビ! チャビぃ!」
香澄は池に向かってなにか叫んでいる。
その近くにいる後ろ姿にも、見覚えがあった。
それは香澄をいじめていた、クラスメイトの2人組だった。
「まってて、チャビ……!」
香澄が池に飛び込んだ。
――あいつ、泳げないのに!
案の定香澄はもがくように溺れている……なにをやっているんだ!?
そして僕は池に到着した。
そこで僕が見た光景は、
池の中で溺れているチャビと――チャビに向かって溺れながらも進もうとする香澄の
「お、おいやばくねーか?」
「まさかあいつまで池に入るなんて……うわっ」
「どけええええぇぇぇーーー!!!」
僕は、迷わず池に飛び込んだ。
どうする、どうする……!?
服を着ながらの水泳だ。
同時に2人は助けられない。どちらを先に助けるか――
無意識に、身体が選んでいた。
僕は、無我夢中で――溺れてもがいている香澄を助けた。
「たっちゃん! チャビがっ! チャビが溺れているの!」
わかってる。
「助けなきゃっ!」
ごめん、でも僕の力じゃ同時には無理なんだ。
僕は水中で暴れる香澄を押さえつけて岸へと泳ぐ。
……ごめん。
……ごめん、チャビ。
……待ってて、香澄を助けたら、すぐに行くから。
だけど香澄を助けた僕は、岸に着いたとたんに気を失ってしまった。
ここに着く前に散々走り回っていた。体力を消耗していたのだ。それに溺れている人を救助するということが途方もない体力を僕から奪ってしまった。
誰か呼んでくれたのだろう。公園の端に留まっていた救急車ですぐに運ばれた。
意識が薄れていくなか、香澄の泣いている声が、印象強く耳に残った。
僕が次に気がつくと、目に入ったのは白い天井。
運ばれた病院の、天井だった。
「……チャビ!」
あのときの僕が目覚めての第一声は。
たった3日しか側にいられなかった――4人の友達の名前だった。
「たっちゃん!」
香澄はベッドの上で、上半身を起こした僕に寄りかかって泣いている。
その後ろに両親が。そしてその後ろに紅葉と舞がいる。
「チャビ! みんな! チャビは助かったの!?」
少しの静寂のあと、香澄が首を横に振った。
……チャビっ!
僕はチャビを助けられなかった。
助ける前に力尽きてしまった。
「ごめん……、すこし、1人になりたい……」
みんなに、小さい声でそう告げる。
事情を皆に聞いていたのだろう。わかった、無理はするなよと言って両親が出て行く。
次に紅葉が僕の肩に手をおいて、
「竜也、おまえは香澄を守ったんだ。ほこっていいぜ」
そう告げて病室から出ていった。
次に少し泣いていたのだろう、赤い目をした舞が、
「香澄ちゃんを助けてくれてありがとう」
そう言って病室から出て行く。
――そして、最後に香澄が、
「たっちゃん。助けてくれてありがとう。……わたし、わたしね。がんばるよ。二度とこんなことにならないように。わたしは絶対……泳げるようになる……!」
そう言って、泣きそうなのを我慢したような強い表情で出て行った。
静かだ。
いま病室には僕しかいない。
誰も、チャビを助けられなかったことを責めなかった。
いっそ責めてくれたほうが楽だった。
僕は、チャビを助けられなかった。
――僕は、チャビを、見殺しにした。
もう……、我慢しなくても、いいんだ。
うぅ。
うぅ、うぅうう。
……チャビ……。
助けてあげられなくて……。
ごめん――
病室からは僕の泣き声が大きく響いていたのだろう。
それに応じるように、女の子の声が扉から響いてくる。
きっと、その病室の扉に背中をついて座っていた香澄の顔も。
僕と同じで、泣いた顔でぐしゃぐしゃだったんだろう。




