王太子と結婚することにしました
人が整然と並んだ人垣の道を一歩進んだだけで、わたしは気づいてしまいました。
せっかくの赤絨毯なのに、歩くたびに極小のハウスダストが舞っています。
ちょっと目をやっただけでも、隅っこに髪の毛とか残ってますし。
……あ、あれはまさかGから始まるわたしの天敵では……! 大の大人が寄ってたかって怖いだの気持ち悪いだので片付けられないですって!?
これだから貴族は――溜息混じりに上を向くと、天井に蜘蛛の巣が不吉を超えて不潔です。常に掃除を心掛ければ、あんなもの張られなくてすむのに。
仰け反っていた頭を戻すと、「不」等間隔で並んだ花瓶の花は全部しおれかけていました。
ちょっと失礼、と断って花瓶の中を覗くと、やっぱり水が古くなってました。
定期的に替えなければ枯れるのは常識でしょう。
花瓶を傾けて分かったのですが、壁の色は実は象牙色でなく白のようです。
多分、磨いてみたら白い面が出てきて、面倒になって放置したのを花瓶で隠してあるんでしょう。
あと今気づいたんですけど、何となく暗いと思ったら、シャンデリアが綿状の埃を被って明度を下げていたんですね。
危険ですけど梯子を出して誰かが埃を落とさなきゃいけません。
「言いたいことは山ほどあるだろうが、まだ厨房と中庭と寝室と書架が残っているから耐えてくれ」
王太子も遠い目です。
よくこんな中で健康に育って――ああ、あなたの生活時間の大半はお師匠さんの家なんですね。魔女の家のほうが清潔ってのも問題ありですけど。
――厨房は忙しく動き回る料理人で溢れてましたが、それでも異常は目に留まりました。
揚げ物中に火の前を離れるって何事ですか。
冷蔵庫の開け閉めの回数が多いです、要る食材は一度に出しなさい。
じゃがいもの芽をそのままってどういう神経ですか。
お肉は焼く前に包丁の背で叩かないと熱で硬く丸まってしまいます。
トマトの皮を向くならお湯に潜らせないと、あ、あ、実まで潰れちゃいました。
野菜に塩を振りすぎです、水分がなくなるじゃないですか。
と、唐辛子を種入りで使うなんて……
あ、きのこ類は洗っちゃダメですーっ!
――書架で王太子の言葉を理解しました。
せめて巻数順に並べましょうよ。そもそもタイトル自体が違うのも交じってますし。
歴史書が並んでいるかと思ったら、急に「庭のお手入れ全集」なんてシリーズが始まりますし。
――中庭。せっかくの遊び心溢れる作りなのに、落葉樹の剪定不足で否応なくみすぼらしさが。
カタバミとヒメクグは根が増えて芝が枯れるから増やしちゃいけませんよ。
それと芝の枯れ葉は取り除かなきゃ。
あ、毛虫。消毒剤、撒いてないんですね。
――寝室。まず基本のシーツと布団がダメです。叩くとハウスダストが舞うようじゃ、とても健康的に寝られません。
枕だって洗わなきゃ汗とかが染み込むんですからね。
まあ、思った通り、ベッドの下は魔窟ですね。ペンに紙に、アレの死骸に――こんなのきちんと掃除すれば出てくるものでしょうに。
ざっと散策が終わって玄関に戻ると、わたしは脱力してしゃがんでしまいました。
「すまん。大丈夫か?」
「た、体力的には大丈夫なんですけど……精神ダメージが」
「まあ、見たまんまだ。これが宮廷の現状だ。気になるようで気にならないことでも、積み重なると嫌になってくるもので、アンタの家の綺麗さを見て、そろそろ潮時かと思ってな。――アンタはどうだ? 宮廷に来てくれるか?」
ここまで見せられたら、もう黙ってはいられません。家事至上の性が騒音公害になるまでに騒ぎまくっています。
「王太子。結婚したらただ優雅に過ごすだけの奥様じゃなくて、思いっきり宮廷内で働いていいんですね?」
「働いてもらいたいからこそ嫁に来てほしいんだからな。思う存分やってくれ」
今度はわたしが王太子の手を握りました。
「求婚、お受けします。わたしがこの宮廷を、今までとは比べ物にならないくらい整えてさしあげます!」
「よく言ってくれた。王太子妃として、未来の王后として、この宮廷は任せるぞ!」
…
……
………
…………
こうして少女と王太子は結婚しました。
少女は弟王子の奥方と力を合わせて宮廷を仕切り、働き者の王太子妃、そして王后として末永く民から慕われました。
ちなみに少女の義母と義姉たちは、
「王太子、大きい部屋一つください。義母さんと義姉さんたちを放って嫁入りできません」
「それくらいお安い御用だ。アンタが結婚してくれるなら離宮一つやってもいいぞ」
少女が宮廷に呼び寄せ、家族仲良く暮らしたので、何の心配もありませんでしたとさ。
めでたしめでたし。