魔法使いが訪ねてきました
むかしむかし、あるところに、一人の少女がおりました。
少女は早くに父を亡くし、義母と義姉二人と暮らしていました。
母と姉たちはたくさんの用事を少女に頼んで、少女はそれに応えて朝から晩まで、お料理、お掃除、皿洗い、水汲み、買い物――こま鼠のように、くるくる身体を動かして働きました。
少女はそんな日々がずっと続くと信じていました。――あの夜に不思議な客人が訪ねて来るまでは。
某Dのネズミが着ていた「魔法使いの弟子」っぽい、真っ赤なマント、星と月の模様が入ったトンガリ帽子の、星のついた杖を持った男性が玄関先に来た場合。
あなたなら、どうしますか?
わたしはちょうど玄関で家族の靴を磨いていた最中だったので、ドアがノックされてもすぐに出られます。スカートとエプロンを軽く払って、目の前のドアを開けました。
そして――ドアの向こうで笑う、怪しいといえば怪しすぎる格好の男の人と、ばっちり目を合わせてしまいました。
「お引き取りください」
わたしは思いっきりドアを閉めようとしました。
「だー待て待て! 俺は怪しい者じゃない!」
変な男の人は必死でドアに嚙り付きます。こうなるともう閉じようとする力と開けようとする力の、熾烈なバトルがスタートです。
「そう言う人こそ怪しい人です~! そう言わない人は訓練された怪しい人です~!」
「訓練って何だ訓練って~! この国には変質者養成学校でもあるってか~!」
いい加減、離してほしいです。ご近所に迷惑です。そしてドアが壊れたらもっと迷惑です! 義母さんと義姉さんたちの対応に困るのは、わたしなんですよ? メルヘンの世界に金銭問題が絡まないと思ったら大間違いですよ。
「俺は魔法使いなんだよ! アンタをお姫様に変身させて舞踏会に送り届けるために来たんだよ!」
――魔法使い?
わたしの力が緩んだせいで、ドアは勢いよく開いて自称・魔法使いさんは道に転がりました。ついでに通りすがりの馬車の馬に頭を蹴られました。
「お医者さん、呼びますか?」
「医者より家の中に入れてくれたほうが治りがいいと思う……」
「――」
「無言でドアを閉めようとするな」
「――――」
「顔の左半分だけで覗くな。怖いわ」
とその時でした。家の奥からシューッという音が。
大変! お鍋を竈にかけっ放しなのを忘れていました。薪を減らして火を弱めないと、せっかくのお米が焦げてしまいます。
わたしはドアを閉めて居間を通り抜けて、厨房へと走りました。
案の定、燃え盛る煉瓦の竈の上で、お鍋の蓋の隙間から水が吹き零れていました。
一端、お鍋を火から下ろそうと思って柄を掴むと、熱かったのでつい手を離してしまいました。そのせいでお鍋がバランスを崩して、落ちる! と思ったのですが、
「間一髪だったな」
いつの間に入ったのか、例の魔法使いさんがお鍋を支えていました。手袋をしているので熱くないようです。
わたしは、ぽかん、魔法使いさんをただ見上げました。
「か」
「感謝します? 気にするな、困った時はお互い様だ」
「家宅不法侵入」
傾いた魔法使いさんの、青毛の頭が近くの壁に盛大にぶつかりました。
あーはいはい、そんな怒りたいか泣きたいのか分からない表情で睨まないでください。
「一体どうやって入ったんですか。ドア閉めたはずですけど」
「そこはまあ、あれだ、俺も魔法使いだからな」
わたしがここに来るまでの数十秒でピッキングしたとは考えにくいですしねえ。まあ、魔法ってことにしてあげましょうか。
それはいいとして、薪を抜いて弱火にするまで、お鍋は持ったまま待っててください。
「年頃の娘は身分問わず宮廷の舞踏会に出てるっていうのに、アンタの一家も意地が悪いな、末娘だけ居残りさせるなんて。――何でそんなこと知ってるのよって顔だな。言ったろ、俺は魔法使いだって。下調べはバッチリだ」
お鍋戻してくれますか。はい、そうです。ご苦労様でした。
「さて、あなたは家主の許可を得ず家に上がり込みました。街の衛兵を呼ばれても文句は言えませんよね?」
「だー待て待て! すぐ本題に入るからあと少しだけ話を聞いてくれ」
早くしてください。わたしはそんなに気が長くありませんよ。
「さっきも言ったが、俺はアンタを宮廷の舞踏会に連れて行くための魔法をプレゼントしに来たんだ。身も心もお姫様に変身して、宮廷にいる王太子と一夜の恋をお楽しみあれ。今なら料金代価その他は一切無償だ。アンタは素がいいから、王太子でなくとも引く手数多だろうしな。決して損はさせません」
「生活習慣病になりかけの爺さんや実はヅラの中年やオレ様最高の鼻持ちならない若造と踊るくらいなら、二階の窓を外から磨いたほうが遥かにマシです」
「アンタ、王侯貴族にすごい偏見持ってないか? 不本意だ」
「王太子の赤と青に誓って。自分で自分の身の回りの世話もできないような方たちに表する敬意なんてありません」
ちなみに最初の宣誓は、この国の王太子の青毛赤眼に由来しています。
「それは考え違いだ。身分があろうとやることはやるヤツだって大勢いる。何でもかんでも従者にやらせるわけじゃないんだ」
――魔法使いさんの言葉、何か引っ掛かりますね。ちょっとカマかけてみますか。
「そこまで仰るなら、魔法使いさんはどうです? 家事とかちょっとでもできるんですか?」
「できるとも。これでも鬼婆……もとい師匠に散々しごかれてきたからな」
「じゃあ、ちょっと家のこと手伝ってみせてくれます? できないなら別にいいですけど」
「できるに決まってる! 何でも来い」
単純な人ってこれだから好きですよ。