8
早苗たちは一番町のイタリアンレストランで昼食を済ましてから真紀の工房に向った。
三村真紀の工房、『風音』は錦が丘にあった。
グリーンガーデンというDIYセンターの一角に建てられたプレハブで工房を開いていた。
御鏡の車が錦が丘に着く前に、早苗は真紀のもとへ電話をいれ、時間をとってくれるよう頼んでいた。
二人が訪ねたことに真紀は驚いていたが、それでも快く迎え入れてくれた。
「今日はどうしたの急に?」
花柄のワンピースを着た三村真紀はおおらかなソプラノの声で言った。昔から特徴的なよく通る声だ。長く黒い髪を後ろで束ねただけだが、どこか洗練された華やかさを感じる。
陽子とは大学の頃からの友達だと聞いたことがあった。
「真紀先生に教えて欲しいことがあります」
御鏡が口を開く前に早苗が言った。
真紀には嘘はつきたくなかった。へたに御鏡に変な嘘を話されると余計にややこしくなるような気もした。
早苗がこれまでの経緯を全て話すと、真紀は嫌な顔ひとつせずに二人を工房内へと通してくれた。
工房といっても、作業のために汚れたイメージはまるでなく、いつも鮮やかな生け花や絵画、工芸品などが華やかに飾られている。
「警察も来たわよ」
と真紀は二人の前に紅茶のカップを差し出しながら言った。
「何を聞かれました?」
「私と陽子とのこと。もちろん全部正直に話したわ」
ソファに腰をおろしながら真紀は言った。
「どう答えたんです?」
紅茶に手を伸ばしながら、ズケズケと御鏡が問いかける。ここでも御鏡の無神経さは全開のようだ。
「陽子と最後に会ったのは2ヶ月前ってことと、事件の日、私にはアリバイがあるってこと」
「良かったら三村先生のアリバイを教えてもらえますか?」
「友達と一緒にいたのよ」
真紀は嫌がることもなく答えた。「大学時代の友達でね。夕方から女3人で会って山形の温泉に旅行に行ったの。警察に話したら、すぐに確認取ったみたいで友達からメールがきたわ。あなたたちにも彼女たちの名前と住所、教えたほうがいい?」
「いいえ、その必要はありません。もし必要になったら、改めてお願いします。警察は三村先生のことを疑っているようでしたか?」
「さあ、そんなふうには思えなかったわ。私にアリバイを聞いたのは、一応って感じだった。高野先生のとんぼ玉も見せられたわよ」
「高野先生のとんぼ玉?」
「陽子が亡くなってる傍にあったって」
「あれは高野先生の作品だったんですか?」
早苗は先日、倉田に見せられたとんぼ玉を思い出しながら言った。
「あれは陽子が先生の弟子になった時、記念としていただいたものなの。私も持ってるわよ」
「だから警察は8年前の事件のことを確認していたんですね。そのとんぼ玉、中里さんは見たことはなかったんですか?」
御鏡が早苗に訊く。
「ええ、レースがとても綺麗だったので、上手な人が作ったんだろうとは思いましたけど、高野先生の作品なら綺麗で当然ですね。そういうものなら陽子さんが亡くなった所にあったとしても不思議じゃありません」
「他に警察は何を?」
御鏡が真紀を促す。
「警察が気にしてたのは、陽子の仕事のことだったみたい」
「仕事のこと?」
「陽子は普通の作家とは違う仕事の仕方をしてたみたいから」
「それは私も気になっていました。展示会への参加も、委託販売もほとんどやっていなかったようですね。藤永さんは昔から展示会へは参加しなかったんですか?」
「そんなことないわ。以前は誰よりも精力的に展示会に参加してたわよ。でも、独立した頃から自分の作品を表に出さなくなったみたい」
「どうしてでしょう?」
「さあ……ただ、展示会って結局は販売することが一番の目的になってるところがあるでしょ。陽子はそういう販売のために作るっていうのが好きじゃなかったんじゃないかな。もちろん、生活していくためにも、プロの作家としてやっていくためにも販売することは必要よ。でも、そういうものを作るよりも、自分だけしか作れないものを作ることのほうが陽子には大切だったのよ」
「では、藤永さんは具体的にどういう仕事をしてたんですか?」
「詳しくは知らないんだけど、前に陽子から聞いた話では加藤さんのところで作ってるとんぼ玉のデザインを引き受けてたみたい」
「加藤さん? それはPLANETSの加藤さんのことですね?」
「そうよ」
「デザインの仕事というのは、具体的にどういう仕事をされてたんですか?」
「加藤さんは『PLANETS』という店を持ってるでしょ。今の彼は作家というよりも経営者。あれは『工房』というよりも、一つのアクセサリーブランドね。陽子はPLANETSブランドで販売するアクセサリーのベースをデザインする仕事をしているって言ってたわ」
「デザインですか……どこかイメージと違いますね」
「どういうイメージ?」
「藤永さんはデザイナーというよりアーティストとしての印象のほうが強く感じられたもので。三村さんはどう思いますか?」
「……そうね。御鏡さんの言うこともわかる気がする。でもね、陽子はそういう枠にもとらわれないタイプだったような気もするわ。どんなことでも自分が思った道を突っ走っていく感じね」
「藤永さんはデザインの仕事も好んでやっていたということですか?」
「好んでいたかどうかはわからないわ。でも、どんな仕事でもやりたいこととやらなきゃいけないことが同じとは限らないわ」
「なるほど。なかなか現実的な考えですね。中里さんも同じようなことをさきほど言われてました。三村さんもやりたくない仕事をされてるんですか?」
「ここを開いた頃はいろんな苦労もあったから。御鏡さんはどうなの?」
「この仕事をはじめてからはまだそういう気持ちになったことはありません。ですが、仕事とする限り、そういうこともあることは覚悟しています」
「御鏡さんもいろいろな経験があるみたいね」
真紀はからかうように笑った。そして、さらに付け加えた。「陽子にとって作品は作るものであって、見せるものじゃなかったのかもしれないわ」
「そうだったんですか」
「でも、展示会にはまったく参加してなかったわけじゃないのよ。昔の知り合いがやる展示会には少しだけど作品を出してることもあるわ」
「どちらで?」
「沖縄と大阪と……あとは長崎だったかしら。年に3回だけ。ほんの数点だけだけど作品を送っていたみたい。春には実際に展示会に行ったって話してたわよ」
「見てみたかったですね」
「あら残念ね。早苗ちゃん、見せてあげなかったの?」
「見たいって言われなかったものですから」
早苗は御鏡の冷たい視線に目を合わせないようにしながら答えた。
「あの棚には飾ってなかったようですね」
「陽子さんの作品は特別なのであそこには飾りません」
早苗は御鏡に答えた。だが、本当は少し違っていた。陽子が亡くなった翌日になって棚から片付けたのだ。
「特別ですか。よほど変った作品なんですね?」
「いえ、そういう意味じゃありません。作品は点打ち技法を使ったシンプルな花玉です。私が無理にお願いして作ってもらったんです。ただ、あの棚に飾っておくと、欲しいと言い出すお客さんがいるんです。陽子さんの作品は売りたくないのであそこには飾っていません」
『点打ち技法』とは、細い硝子棒でとんぼ玉の表面に小さく点を描く技法のことだ。基本的な技法ではあるが、それをいかに正確に描くことが出来るかで作品の出来不出来が大きく変ってくる。
「ここには?」
「いえ、ここにはないわ」
真紀は首を振った。
「残念。藤永さんはずいぶん変ったものを作っていたんでしょう? 『実験室』というくらいなんですから」
「そうね。陽子はいかに独創的なものを作るかをいつも考えてたわ」
「昔からですか?」
「そう。人と同じものを作りたくなかったみたい。でも、最近は技法や材質の研究ばかりで、あまり作品を作ってなかったみたい。だから、作品は特別なときにしか作らなかったの」
「その一つが中里さんのために作ったものですか」
「そうね。でも、ここ数年、陽子の本気の作品はたぶん誰も目にしたことはないかも」
「誰も?」
「そうよ。展示会に出してたものも早苗ちゃんに作ってあげたものも、シンプルな技法で作ったもの。陽子は自分の工房を立ち上げて以来、自分の本当の作品を人に見せなくなった」
「どうしてでしょうか?」
「さあ、完全性を追い求めすぎたのかもしれないわね。作品に完璧を求めると、妥協出来なくなるから。それに個性と完全性って……どこか矛盾するかもしれないって思わない?」
「個性にこだわる人だったんですね」
「そうね。早苗ちゃんの作品も最初から個性があって好きだっていつも話してたわよ」
「それで中里さんを可愛がっていたんですか」
御鏡はチラリと横に座る早苗に視線を向けた。
「私、陽子さんにはずっとお世話になりっぱなしで」
早苗は陽子のことを思い出すようにつぶやいた。
「早苗ちゃんのことを可愛がっていたのは作品を気に入ったからだけじゃないわ。早苗ちゃん自身のことを気に入ってたのよ。早苗ちゃんを見てると私も美佐ちゃんのこと思い出すわ」
「美佐ちゃん?」
「あら、聞いたことない? 七峰美佐ちゃんのこと」
聞いたことのない名前だった。
「初めて聞きますけど……それ誰なんですか?」
「たかの工房にいた頃、陽子が妹みたいに可愛がってた子がいたのよ。私たちより少し後に入ってきたの」
「お弟子さんですか?」
「いいえ、彼女は教室の生徒だったわ。でも、教室の日じゃなくてもよく遊びに来てたわね。そういう意味では半分弟子って感じだったかしら。もともとデザインに興味があったみたいで、バーナーに向うよりもデッサンに時間をかけてたような記憶があるわ。それが複雑なデザインでね、もともと作家をしている人からすれば、そんなの初心者には作れっこないって思うようなものばかりなの。基本的な模様も作れない人なんだから、そんな難しいのは出来るわけないの。いつも失敗してた。だから先生からはよく注意を受けてたわね。さまざまな技法を覚えてから、そういうデザインは作りなさいって。怒られるたび、いつも陽子が七峰ちゃんを庇ってたわ。陽子は昔からオリジナリティってものにこだわってたから。七峰ちゃんみたいに一切、モノマネをしようとしないことを評価してたのよ」
「さっき中西さんはその人のことは言ってませんでしたね」
「中西さんは知らないの。すぐに辞めちゃったから」
「どうしてですか? 先生に怒られたから?」
そう訊かれて真紀は首を振った。
「まさか。そんな理由じゃないと思うわ。よく先生に怒られて泣いてはいたけど、すぐにケロリとして笑ってたくらいだから、わりと根性はあったんじゃないかな。でも、ある日、急に来なくなっちゃったのよね。皆で心配して電話してみてもつながらなくって。高野先生だけは事情を知ってたらしいけど、でも話してくれなかった。陽子なんてすごくショック受けちゃってね」
「どうして事情を話さなかったんでしょう?」
「さあ。でも、そのせいで教室の生徒さんの間に変な噂が流れたりもしたけどね」
「噂?」
「高野先生が彼女の作品を模倣して、それに彼女が抗議したことで高野先生が辞めさせたんじゃないかって。バカな噂よ」
「高野先生はどう言ってたんですか?」
「先生はそういう噂にいちいち反論するような人じゃなかったわ。もちろんそんなことする人じゃないってことは、先生を知ってる人ならちゃんとわかってたし」
「藤永さんもですか?」
その問いかけに真紀は少しだけ考えてから――
「そうねぇ。陽子は何度か先生に直接聞いてたみたい。美佐ちゃんの連絡先も知らなかったから。でも、先生は教えてくれなかったみたいね」
「七峰さんがどこにいるか、今もわからないんですか?」
「それから少しして、先生も亡くなってしまったから。いえ……そういえば今年の春に陽子が会ったって話してたわね」
「どちらに?」
「さあ……教えてもらったと思うけど、忘れちゃったわ。どうしてそんなことを?」
「藤永さんのこと、そして、8年前の事件のことを出来るだけ知りたいんです」
「8年前?」
「そうです。事件のこと、教えてもらっていいですか?」
「あなたもあの事件が関係してると思ってるの?」
そう言って真紀はジッと御鏡の顔を見つめた。
「わかりません。警察もそのことを聞いたんですね?」
「念のため……とか言ってたけどね」
「事件の日のこと覚えてますか?」
「ええ、警察にも当時、何度も聞かれたから。あの日、私が工房に行ったのは夕方の5時半だったわ。当時、私と陽子はバイトもしていたから、仕事が終わってから工房に行ったの。私は8時頃まで工房で作業して、そのまま帰ったわ」
「藤永さんは残られたんですね」
「陽子はその前日まで、一人で沖縄に旅行に行ってたの。それで作業が遅れてるって言ってたわ」
「一人で旅行?」
「昔はそういうとこが結構あったのよ。気持ちがストレスでいっぱいになると、リセットするために急にフラッと出かけちゃうの。そういう時は携帯電話も電源切っちゃうから連絡も取れなくなっちゃって周りは困るのよね」
「作業が遅れるって言うのは? 何か作品を作らなきゃいけない理由があったんですか?」
「いえ、そういうことじゃなかったわ。ただ、旅行で休んでいたぶんを取り戻したいってだけだったんじゃないかな。ちょうど高野先生が作品を作るために遅くまで残るって話だったから、一緒に残って作業することにしたのよ」
「最初に高野先生が亡くなられているのを見つけたのは誰ですか?」
「それは私よ」
真紀の表情が固くなる。「私と陽子。朝、いつものように工房に行ったら先生が倒れいたの」
「二人で一緒に工房に?」
「そうよ。あの前の晩、陽子は私のマンションに泊まったの。その頃、私は国分町のマンションに暮らしてたから。工房からなら歩いて20分のところで便利だったの」
「そういうことはよくあったんですか?」
「陽子が私のところに泊まること? いいえ、あれが最初で最後だったかな。夜になって陽子が急に訪ねてきたの」
「夜って何時頃です?」
御鏡はさらに訊いた。
「あなた、陽子のことを疑ってるの? でも、陽子じゃないわよ」
「どうして?」
「陽子が私の部屋に来たのは……11時頃だったわ。でもね、確か先生が殺されたのは12時以降のはずよ」
「その時刻は誰が?」
「警察がそう言ってたの。確か……先生はその時間まで東京にいる加藤さんと電話してたんですって」
「ところで死因は?」
「絞殺だったそうよ。凶器の紐もその場にあったって」
真紀は表情を暗くして言った。真紀にとってはその時のことを思い出すのも嫌なのだろう。
「ちなみに高野先生が生きているのを最後に見たのは誰ですか?」
「それは……犯人なんじゃない?」
真顔で真紀は言った。
「その前は?」
「陽子だったわ。あの夜、陽子は10時近くまで先生と一緒だったから。でも、最後に高野先生と話をしたのは加藤さんよ。先生から東京にいる加藤さんに電話があって1時間くらい話をしていたらしいから。警察も高野先生が殺されたのは12時から3時頃の間って話していたわ」
「つまり高野先生が亡くなった時間、陽子さんはあなたと一緒にいたってことですね?」
「そうよ」
御鏡の確認に真紀は頷いた。
「なるほど。それはあなたのアリバイにもなりますね」
「そうね。でも、そうなると私も疑われることになるのかしら?」
「確かにあなたと藤永さんが共犯ならアリバイは崩れます」
「御鏡さん!」
思わず早苗は声をあげた。
「早苗ちゃん、いいのよ」
と真紀が軽く早苗を宥めるように言った。「当時、警察にもそれは疑われたから。でも、マンションの近くにはいくつかコンビニがあって、その防犯カメラにひっかからずに一番町にある工房に行くことは出来ないらしいの。警察でその防犯カメラを全部チェックして、私たちがその時間に出歩いてないってことを証明してくれたわ」
その話に早苗もホッとする。真紀や陽子が疑われているというだけでも、早苗には我慢できなかった。
「高野先生が亡くなっているのを見つけた時、何かいつもと変ったようなことはありませんでしたか?」
「いえ……そういう質問、警察でも訊かれたわ。でも、あんな状況でいつもと何が違うって聞かれてもよく憶えてないのよ」
真紀は困ったような顔で言った。
「そうですね」
「ただ……」
と言って真紀は言葉を濁した。
「何です?」
「気のせいかもしれないけど、いつもよりも少し音が大きかったような……」
「音?」
「先生はクラシックが好きでね、一人で製作をするときはいつも部屋に流してた。あの日の朝、工房に行った時も同じだった。ただ、そんな早くに先生が来てたことはなかったからビックリして工房に入っていったのを憶えてる」
「じゃあ、事件の夜は一晩中流れてたってことですか」
「そうなるんでしょうね」
「それは警察が来るまでずっとそのままで?」
「そうね……あ、違うわ」
すぐに真紀は自分の言葉を否定した。「私が警察に電話する時、陽子がコンセントを抜いて止めたんだと思う」
「コンセント?」
「きっと慌ててたのね」
そう言って真紀は小さく笑った。「陽子に言われて警察に電話しようとした時も、どこに電話すればいいのかも一瞬迷ったもの」
それは早苗にも想像することが出来た。先日、陽子の工房を囲む警察官たちの姿を見た時、一瞬、何が起きたのか自分が何をすればいいのかわからなくなったのを憶えている。
「他に何か憶えてることは?」
「さあ……あの事件があって、その後はほとんどあそこには行かなくなったから」
「三村さんは自宅でもバーナーワークをされてたんですか?」
「教室に通い始めた頃はね。でも、工房のほうが道具がそろっていたからすぐに部屋ではやらなくなったわ。バーナーだって一万円の簡易バーナーを使うより、工房のを使うほうがはるかに使いやすいから」
「それは藤永さんもですか?」
「そうね。私たちがちゃんと道具を揃えたのなんて独立してからよ」
「皆さんは高野先生が亡くなられてすぐにそれぞれが独立されたんでしたね」
「少し早いとは思ったけど、それを一つのきっかけにしようと思ったの。事件が全て解決してからとも考えたけど、2ヶ月が過ぎて、まだまだ工房が再開出来ないんじゃないかと思った時、待っているべきじゃないと思った」
「中西さんが引き継ぐと聞いて、どう思いましたか?」
「別に……ただ、中西さんは弟子になって一年だったから少し心配したわ。本当は一番先輩の加藤さんが引き継いでくれれば安心だったかもしれないけど、加藤さんはあの事件の半年くらい前から、もう独立に向けて自分の工房を開く準備を進めていたの。事件の時にはもうほとんど独立していたといっても良い状態だったわ」
「三村さんと藤永さんは一緒に独立するのが夢だったと聞きましたが」
「『色彩工房』……名前も決めてたんだけどね。でも実現しなかった」
「どうしてですか?」
「なぜかしら……自分でもよくわからないの。確かにもともとは二人で工房を持ちたいという目標を持っていたけど、その時になってみたら気持ちは変ってた」
「では、三村さんが共同で工房を持つことを止めたのですか?」
「……お互いに……かな」
真紀は軽くかわすように答えた。「他に訊きたいことは?」
早苗は、もうこれ以上何も訊かないで欲しいと願いながら御鏡を見つめた。
御鏡は少し考えた後――
「藤永さんは料理をされる人でしたか?」
「いいえ、まるで興味がなかったみたいね。どうして急にそんなことを?」
「先日、工房を見た時、台所はあまり使われてる形跡がなかったもので。じゃあ、もっぱら外食ですか?」
「そうね。そういえば近くに美味しいラーメン屋さんがあるって言ってたわね。なんでも文学的なお店なんですって」
「文学的? なんですかそれは?」
「さあ、陽子がそう言ってただけで理由は知らないわ。いつもご馳走してあげるって言われていたけど、結局、行かなかったわ」
「それは残念でしたね」
「御鏡さん、ラーメンは好きなの? この近くにも美味しいお店あるわよ。案内するわ」
「じゃあ、次の時にでも」
「あら、またいらっしゃるつもり?」
「ご迷惑ですか?」
「そんなことないわよ。でも、あまり事件の話ばかりじゃつまらないわ。次はもっと楽しいお話をしたいわ」
「じゃあ、少し違った質問にしましょう」
「あら、まだ質問は終わってなかったのね」
「いえ、事件のことではありません。この工房についてです。どうして『風音』という名前にされたんですか?」
「どうしてそんなこと訊くの?」
不思議そうな顔をして真紀は御鏡の顔を見つめた。
「いいえ、ただの個人的な興味です」
「御鏡さんっておかしな人ね」
真紀は小さく笑った。
「よく言われます」
「理由はあれよ」
真紀は窓際を指差した。そこには色とりどりの風鈴が並べられていた。
「とんぼ玉も好きだけど、私、風鈴も好きなの。風に揺れるガラスの風鈴、風を受けて聞こえてくる音。綺麗でしょ?」
「なるほど、参考になりました。今日はこれで」
「こんなので役に立てたかしら?」
「ええ。また何かあったら教えてもらえますか?」
御鏡はそう言って立ち上がった。
「いいわよ」
真紀も御鏡に合わせて立ち上がる。「良かったら私の作品も見ていってもらえるかしら?」
真紀は御鏡を案内するように入り口脇の棚まで歩いていった。
そこには真紀の作品が多く並べられている。早苗が工房に作品を並べる棚を置いたのは、真紀の工房を真似たからだ。
御鏡は真剣な眼差しで並べられている作品を見つめた。
「気に入ってもらえた?」
「ええ。素晴らしいです。三村先生は昔から点打ちが得意なんですか?」
「点打ちしか能がないのよ」
「点打ちは一番の基本じゃないですか」
と早苗が言う。早苗にとって、真紀は今でも一番の手本だった。
「中里さんの作品もあるようですね」
「私のは見なくて良いです」
そう言いながら、早苗も一緒に並んでいる作品に視線を向ける。真紀の作品は当然だが、他にも東北を代表する作家の作品が多く並んでいた。どれも特徴のある作品ばかりで、作品を見れば誰の作ったものなのかもすぐにわかる。
ただ、中には早苗の知らない作家のものも一部含まれているようだ。
「あ……そうだ」
御鏡は顔をあげて真紀に声をかけた。「三村先生、私の作品を見ていただいたことはありますか?」
「雑誌に載ってるのは見たことありますよ。確か生き物をメインとしたとんぼ玉を作ってたわよね?」
「そういうのもありますが、多くはスタンダードな花玉です」
「あら、そうなの?」
「じゃあ実物を見たことはなさそうですね?」
「ごめんなさい。最近はあまり知り合いじゃない人の展示会には行かないのよ。良かったら、今度誘ってくれます?」
「わかりました。じゃあ、その時は連絡させていただきます」
そう言ってから御鏡は早苗と共に工房を出た。
「今度はどこに行くんですか?」
もう帰りたいという気持ちをおさえて早苗は訊いた。だが、早苗の気持ちが御鏡に伝わることはなかった。
「加藤さんの店はどこでしたかね? せっかくだから行ってみましょう」




