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電力ビル脇の駐車場に車を停め、そこから歩いて一番町通りにある『たかの工房』に向かう。
『たかの工房』
その名前は当然、早苗も知っているほど仙台市内では有名な工房だった。
中西敬三という作家が工房を運営していた。宮城県の作家が集まってグループ『やませの会』の会員でもあり、さまざまなイベントを企画している。早苗も何度か展示会やデモを観るために行ったことがある。
さっきの質問に御鏡がどう答えるかと思って待っていたが、御鏡は忘れてしまったかのように何も言わずに歩いていく。今更、話を戻す気にもなれず、早苗は黙って着いていくしかなかった。
一番町の通りを歩きながら早苗は御鏡に声をかけた。
「そういえば御鏡さんは今まで仙台でのイベントに出たことはありますか?」
「イベント?」
「デモやワークショップですよ。『やませの会』でも毎年、イベントを開いてるんですよ。ご存知ですよね?」
「ああ、あれですか。あれには参加したことはありません」
スタスタと歩きながら御剣は答えた。
「どうしてですか?」
「面倒くさかったからです」
「は?」
その答えに耳を疑い、思わず聞き返す。
「私はもともと人と関わるのが嫌いなんです。だからこそ今の仕事を始めたんです。ワークショップやデモって多くの人が集まるでしょ。それが嫌なんですよね」
「はぁ……」
「それに人から技術を教えられてしまうと、私のような経験の浅いものにとってはそれが答えになってしまうじゃないですか。趣味でやってるなら別として、仕事としてやる限り、人と同じものを作っても仕方ないじゃないですか」
確かに御鏡の言うことも一理あった。
最初に教えられたことはずっと体にしみつくものだ。早苗も未だに真紀に教えられたことは、それが今でも絶対的な答えのように思っているところがある。
「ここですね」
御鏡はふと足を止め、クリーム色の小さなビルを見上げた。
3階建ての小さなビルだった。右側に雑貨屋、左側には本屋が並び、その間に裏手に回る路地が伸びている。
ビルの階段を登り、3階に着くと早苗は御鏡の後に続いて『たかの工房』と書かれたガラス戸を潜った。ドアが開いた瞬間、取り付けられていた鈴がチリリンと音をたてる。
工房はパーテションで区切られていて、その手前に作品を並べた展示台が並んでおり、奥に作業場として使える工房があった。
鈴の音を聞き、すぐに一人の女性が奥の作業場から顔を出す。
早苗よりも少し若く見えるが、ほとんど化粧気のない素朴な雰囲気の女性だった。早苗自身もそうだが、こういう内向きの仕事をしているとオシャレに気を遣わなくなってしまうところがあるのかもしれない。
女性は――
「いらっしゃいませ――」
と言いかけてから、相手が見知った早苗であることに気づいたようだ。名前は知らないが、早苗もその女性には何度か会ったことがある。展示会の時など、スタッフの一人としてよく働いている姿を記憶していた。
「中西さんは?」
「今、奥に」
そう言って、奥のほうへと声をかける。「中西さん、中里さんが来られましたよ」
その声を聞いて、一人の男が顔を出した。
中西だった。
「おや、中里さん」
トレーナーにジーンズ姿、その上にデニム生地のエプロンをつけている。まだ30代半ばのはずだが、その頭はかなり白髪で埋め尽くされている。小太りでどこか恵比寿さまを思わせるその人柄が早苗は好きだった。
「ご無沙汰してます」
早苗は中西に丁寧に頭を下げた。中西もそれに笑顔で返しながら、すぐにその背後に立つ御鏡に目を向けた。
「そちらは?」
「御鏡と言います」
中西の視線に御鏡は一歩前に出て答えた。
「御鏡……って?」
その名前に反応する。変った名前のため、やはり記憶に残りやすいのだろう。
「『御鏡なお』の名前で作家をしています」
「あなたが御鏡さんですか、名前は知っています。今日はどうしたんですか?」
その問いかけに一瞬、早苗はどう話を切り出していいか迷った。するとそれより先に横に立つ御鏡が口を開いた。
「実は先日、中里さんの工房を見学させてもらいました。そこでいろいろお話させていただいたんですが、その話のなかでこちらの工房のことも聞かせていただきました。そこで一度、こちらの工房を拝見させていただけないかと思いまして」
「そうですか。しかし、御鏡さんももうプロの作家さんなんでしょう。今更、体験教室ってわけにもいかないでしょうし」
「いえ、私はほとんど独学でやってきたため、他の作家さんの工房というのもあまり目にしたことがありません。どのような道具を使っているか、器具などをどういう配置にしているか、そういうことを勉強させていただきたいんです」
丁寧な口調でサラリと嘘をつく御鏡に、少し早苗は驚いていた。
「ご迷惑なら無理は言いませんけど――」
慌てて早苗が口を出す。
「いえいえ、構いませんよ。今はお客さんもいませんし。もし参考になるならどうぞ見ていってください。隠すようなことじゃありませんからね。同じ目標を持っている者として協力出来ることがあれば嬉しいですよ」
中西はにこやかに答えた。
「では失礼します」
御鏡はそう言うと工房の奥のほうへと進んでいった。
工房は部屋の中央を空け、左右の壁に向ってテーブルが並べられている。そこにそれぞれ5台づつのバーナーが設置されている。バーナーは全て早苗が使っているのと同じものだ。
「このバーナーは……都市ガス用ですか?」
「いや、共有できるものです。ここではプロパンを使ってます」
「ボンベは見えませんね」
御鏡はバーナーに伸びているオレンジの管がどこからきているのか探るようにテーブルの裏側を覗きこんだ。
「ボンベはビルの裏に置いてあるんですよ。そこからここまでホースを引いてるんです」
「なるほど。それならボンベが邪魔になることはありませんね。どのくらい使えます? これだけのバーナーをつないでいるんですから、作業途中でガスが切れたりすることはありませんか?」
「そうですね、確かにプロパンを使ってるとガス切れは気になりますよ。でも、その心配はありません。ガスは業者さんが定期的に交換にしてくれているのでプロパンガスだからといって容量を気にする必要はありません」
中西は親切に丁寧に説明してくれる。もちろん御鏡が知りたいのはこの工房が8年前の状況と同じかどうかということだろう。
早苗は中西の姿を見て、少し申し訳ない気持ちになった。
「このテーブルも昔から?」
御鏡はコンコンと小さくテーブルを突付きながら訊いた。木製のテーブルにはあちこちに焦げ痕が残っている。
「これは8年前に一度全部入れ替えました」
「へぇ、8年前に」
御鏡の目が興味深そうに光る。「どうして入れ替えたんですか?」
「古くなったから。それだけです」
「それだけですか……エアコンもあるんですね」
そう言いながら御鏡は窓のほうへと視線を向けた。
「ここ数年、やけに夏は暑いですからね。生徒さんからの要望もあって、去年、やっと設置しました」
「去年ですか。生徒さんは何人くらい?」
「今は……」
中西は頭のなかで思い出すような顔をしてから――「確か15人だったかな」
「先生はいつからここで工房を開いているんですか?」
「私がやるようになったのは8年前です。その前までは高野先生がここで工房を開いていました。高野芳樹先生のこと、御鏡さんはご存知ないですか?」
「名前は聞いたことがあります。確か……お亡くなりになったんですよね?」
わざとらしく御鏡が聞き返す。高野芳樹の名前が出たことは、御鏡にとっては好都合といったところだろう。
「ええ……」
さすがに中西は言葉を濁した。殺人事件のことなどペラペラ話すようなことではないのだから当然だ。
「じゃあ、中西さんはその当時からここに?」
「はい、1年だけですが高野先生のもとで修行させてもらいました。先生はもともと大阪にあるガラスメーカーで働いていたんですが、その後、バーナーワークを広めたいという思いもあって仙台に来られて工房を開かれたんです。もちろん、その後も仙台だけじゃなく、全国的に活動されていて、ずっとトップを走り続けられてました」
「それじゃ影響力は大きかったんでしょうね」
「そうですね。毎年、大阪のガラスメーカー主催で開催されるコンテストでは審査員を務めていましたし、年に一度はコラムのようなものを依頼されていました。まだ名のない作家が先生のコラムで褒められたことがきっかけで大ブレークなんてこともあったみたいですよ」
「敵も多かったでしょうね」
「敵?」
思いもしなかった質問だったらしく、中西は驚いたような表情になった。
「全国的にも有名で権威もあった。そういう人の場合は慕う人も多いですが、それだけに知らず知らずのうちに敵も作ってしまうものじゃないですか」
「確かに……そういうことがなかったわけじゃなかったですけどね。先生は作品にはポリシーを持っていました。ただ売れるだけの作品を作る作家のことを嫌ってたところはあります。でも、敵なんて大げさなことはなかったと思いますよ」
「そうですか。ところで高野先生が他の人の模倣をしたこということはありませんでしたか?」
御鏡の言葉に中西はギョッとしたように目を見開いた。
一瞬の沈黙の後――
「どうしてそんな話を?」
「そんな噂をちょっと耳にしたもので。どうなんです?」
「確かに亡くなる少し前に教室内でそんな噂があったのは事実です。ですが、高野先生に限ってそんなことをすることはありません」
「じゃあ、どうしてそんな噂がたったんでしょうね?」
「知りませんよ」
少し表情を固くして中西は答えた。「噂なんてどこからでも勝手に流れ出すもんです」
「火のないところに煙は立たないともいいますけどね」
「何をバカなことを」
思わず中西も声が大きくなる。それでも御鏡はさらに続けた。
「失礼ですが、中西さんは何歳ですか?」
「35歳ですが……それが何か?」
「8年前は27歳ですか。まだお若いですね。高野先生の弟子としてはもっとも若かったんじゃありませんか? どうして一番若い中西さんがここを引き継いだんですか?」
「御鏡さん、あなたはいったい何が言いたいんです?」
さすがに温厚な中西も御鏡の言葉に苛立ちを隠せなくなっていた。そこに割ってはいるかのように口を開いたのは中西の背後で3人の様子を眺めていたスタッフの女性だった。
「中西さんにここをお願いしたのは私です」
「あなたは?」
御鏡が振り返って女性の顔を見つめる。
「高野先生のお嬢さんです」と中西。
「高野加奈子です」と女性は名乗って軽く頭を下げた。
その言葉に早苗も驚いていた。加奈子とはこれまで何度か顔を合わせたことはあったが、あまり深く話すことがなかったため、単なるスタッフだと思いこんでいたのだ。
「今もこの工房は加奈子さんのものです。私はここを借りて経営している立場です」
と中西が付け加える。
「あなたもこの仕事を?」
「父が亡くなった後、ここを継ぐと決めました。少なくても父の事件がすべて解決するまではここを残したかったんです。それが父のために私が出来る唯一のことだと思ったからです。ただ、私には作家としての経験がなかったので、中西さんにここで仕事をしていただくようお願いしました。私がここで作家として働くようになったのは去年からです。それまでは普通に会社で働いていました。あなたが言うように父のことを恨んでいる人もいたのかもしれません。でも、家族の一人としてそんなふうには思いたくはありません。それに父は作家としてそれなりに有名だったかもしれませんが、そう大きな財産があったわけじゃありません」
「なぜ中西さんにお願いしたんですか? 他にもお弟子さんはいたでしょう」
「そうですね。順番としては他の方にお願いするのが筋だったのかもしれません。でも、皆、すぐに工房を離れることを決めてしまいました。最後まで父のこの工房のことを心配し、傍にいてくれたのが中西さんでした。だから中西さんにお願いすることにしたんです」
加奈子の口調は静かだったが、御鏡に対して不快な感情を持っていることは間違いないように思われた。
「さきほど、この工房は事件が解決するまでと言われましたが、その後はどうされるんですか?」
御鏡は加奈子に向けて問いかけた。
「まだ……今は決めていません」
一瞬、少し迷うような表情を見せた後に加奈子は答えた。
すでに事件から8年が過ぎている。そのなかで感情の変化があったとしてもおかしくはない。
「高野先生は確か……もとは大阪にお住まいだったんですよね? なぜ宮城に?」
「それはバーナーワークを広めたいと考えたからじゃないでしょうか。当時、東北のほうでは『とんぼ玉』という名前もそう広く知られていませんでした。それに飯村先生の勧めがあったんだと思います」
飯村修二郎は宮城県内ではもっとも名のある作家で、『やませの会』の会長だった。
「飯村先生とは以前から親しかったんですか?」
「はい、昔から仲が良かったみたいで、よく飯村先生も家に遊びに来られてました」
「では――」
「御鏡さん」
さらに質問を続けようとする御鏡を制するように加奈子は言った。「今日は工房の見学に来られたと言ってましたよね? どうしてそんなことを聞かれるんですか?」
そして、真っ直ぐに御鏡を見た。
御鏡は少し間をおいてから――
「藤永陽子さんも高野先生のお弟子さんでしたね」
「ええ……藤永さんは私の先輩です」
答えたのは中西だった。
「藤永さんが亡くなられたことはご存知ですか?」
「先日、警察の方から聞きました。それが何か?」
「藤永さんの亡くなっているところを発見しましたのは私なんです」
それを聞いて中西は目を丸くした。
「あなたがですか? ……それで警察はあなたのことを……」
「何か聞かれましたか?」
「あなたのことを知っているかと聞かれただけです。少し気にはなってましたが……そういうことですか」
「やはり私も容疑者の一人みたいですね」
御鏡は悪い冗談でも言うように小さく笑ってみせた。
「でも、父のことと藤永さんのことと何の関係が?」
そう訊いたのは加奈子だった。
「それはまだわかりません。けれど、高野先生が殺された8年後に弟子である藤永さんが亡くなられた。関係を疑うのはごく自然なことです。私も8年前の事件には興味があります」
それを聞いて中西は眉をひそめた。
「しかし、8年前の事件は強盗犯によるものではないんですか?」
「誰がそんなことを?」
「当時、警察の人がそんなことを……」
「盗まれたものがあるんですか?」
「いえ、あの時は先生が残っていたため盗まずに逃げたんじゃないかと――」
「ここのドアはガラス戸です。夜に誰か人がいれば灯りがついているのでわかります。夜中にこっそり忍び込むということは考えにくいです。もし、それを知った上で押し入ったということだとすれば、誰がいようと盗んでいったはずです。そもそも、宝石店のようなところならともかく、こういう工芸品を強盗が狙うでしょうか。そういう意味から強盗犯の可能性は低いと思います」
「はぁ……」
中西はあっけにとられたように御鏡を見つめた。
「事件の日のことは憶えていられますか?」
「ええ……まあ」
「中西さんは事件の日、何を?」
「何って……家に帰って寝てましたよ」
「加奈子さんは?」
御鏡が加奈子のほうに視線を向ける。既に完全に捜査モードになっている。
「夜まで父を待ってましたが、帰ってこないので寝てしまいました。大阪にいた頃は仕事で泊まることもあったので、そう不思議にも思わなかったんです。事件のことをしらべ御鏡さんはどうされるつもりなんですか?」
「どう……ということはありません。目の前に知りたいことがあれば調べる、それだけです。ちなみに藤永さんとは最近お会いしましたか?」
その質問に中西は一度、加奈子と顔を見合わせてから――
「いえ、ここ数年は会っていません。彼女は『やませの会』にも入っていませんでしたから」
「藤永さんと親しくしていた人のこと、誰か知りませんか? 当時、高野先生のお弟子さんは他に誰が?」
「高野先生がここに工房を開いて最初の弟子が加藤さんでした」
「加藤さんというのは『PLANETS』の加藤さんですか?」
「そうです」
中西が頷く。
加藤祐樹のことは早苗も知っていた。とんぼ玉作家でありながら、『PLANETS』というアクセサリー販売店を経営していた。
「他には?」
「あとは真紀さん、陽子さんと仲が良かったのは真紀さんですね」
「真紀さん? 三村真紀さんですか?」
「そうです。陽子さんと真紀さんは昔からの親友で、高野先生の弟子になったのも二人一緒だったそうです。もともとは一人だけを募集したところ、教室のほうに通っていた二人が同時に申し込んで、どちらか一人だけを選ぼうとする先生に対して、二人一緒でなければ弟子にならないと逆に注文を出したそうです。私はその頃はまだ弟子どころか教室にも通っていなかったので、全てあとで真紀さんから聞かされたことですけどね」
「仲が良かったんですね」
「ええ、昔は二人で工房を持つのが夢だと飲み会のたびに話してくれました。ただ、あんな事件があったせいか、結局、それぞれ別の工房を立ち上げることになってしまったようですけどね」
「何か事情があったんでしょうか?」
「さあ、それは私にもわかりません」
そう言って中西は首を捻った。