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二日後、早苗は富谷町にある御鏡の工房を訪ねることにした。
御鏡という人間に興味があったことと、御鏡が本当に事件のことを調べているのかどうかを知りたかったからだ。
もし調べているのだとしたら、その進展を聞きたかった。
御鏡が事件のことを調べるといった時には驚きもしたが、陽子がなぜ死ななければいけなかったのか、それは早苗も知りたいことだった。
御鏡がいったい何を調べようとしているのか、それを気にしながらモヤモヤした気持ちでいるよりも、事件に近いところで事態を見守るほうが良いと思ったからだ。
いつもならばほとんど化粧もせず、ジーンズにシャツ姿の早苗だったが、さすがに今日だけは外出用に準備をしてマンションを出た。
先日、御鏡から渡された名刺に書かれた住所をたよりに、早苗は地下鉄とバスを乗り継いで富谷まで向かった。
近年、富谷は仙台のベッドタウンとして急速に変りつつある。一昔前までは田園風景が広がっていたところが、今では大きなショッピングセンターを中心にいくつもの同じような家が立ち並んでいる。
その一画に一つだけ妙に古ぼけた平屋建ての民家が建っているのが見えた。そこが御鏡の工房だということはすぐにわかった。
玄関脇に『工房なおなお』と書かれた大きな木の板が立てかけられている。もともと古い民家だったものの一部を工房に改造したもののようだ。
横開きの扉に今どきの家との大きな違いを感じられる。
その古い造りに、ふと、陽子の工房を思い出していた。
どこからかシューシューと風を切るような音がかすかに聞こえてくる。それが何の音かはわからないが、どうやら家のなかから聞こえてくるようだ。
「すいません」
インターホンもチャイムも見つからず、早苗は家のなかに向かって声をかけた。だが、まるで反応がない。
早苗は仕方なくそっとその扉に手をかけた。カラカラと小さな音を鳴らしながら扉が開く。
シューシューという音がさらに大きくなった。
その部屋の一番奥に御鏡の姿が見えた。その前に真っ赤な炎が立ち上っている。
風切音はどうやらその炎を起こすためにつなげられたエアポンプが原因のようだ。エアポンプから吹き上げられた空気が赤い炎に勢いをあたえている。
その赤く立ち上る炎の上にはガラスが撒きついたステンレス棒が見える。何をやっているのかは早苗にもすぐにわかった。
とんぼ玉作りのその作業工程ならば、早苗自身も良く知っていた。だが、そのバーナーは早苗の見たことのないものだった。ガスバーナーとは違う赤い炎が特徴的だ。
ふいに、早苗の視線に気づいた御鏡が早苗のほうを振り返る。
少し驚いた表情が赤い炎に照らされている。
「少し待っていてもらえますか? もうすぐ終わりますから」
御鏡は大きな声で早苗に声をかけた。
早苗はOKの意味で小さく頭を下げた。その姿を見て御鏡は再び、真剣な眼差しで赤い炎に向き合う。
早苗はぼんやりとその室内を見回した。
煤けたような木の壁、一部には土の壁も見える。そこに無造作に紐が通された色とりどりのとんぼ玉があちこちにぶら下げられている。古く暗い壁に飾られたいくつものとんぼ玉が外からの光を反射してキラキラと光って見える。
やはりとんぼ玉は古風な和のイメージがよく似合う。
飾られているとんぼ玉はバリエーションに富んでいた。基本的な点打ちで作る花玉や幾何学模様、緻密に作られた花パーツが綺麗に入っているものもあった。
これは全て御鏡が作ったものだろうか。そうだとすればその技術力はかなり熟練した作家にひけをとらない。
早苗はその一つ一つをじっくりと眺めていく。
およそ10分後、その音がピタリと止まった。振り返ると御鏡の立ち上がる姿が見えた。バーナーの音が消えると一瞬にして静かな空気に変る。
大きく伸びをしてから御鏡が近づいてきた。
「お待たせしました」
「突然すみません。急に来てしまって」
「いえ、気にしないでください。先日は私も突然押しかけたわけですから。それに、前もって電話するのって気持ち的に負担になることはありますよね。私も昔から予約をいれるというのが苦手でしてね」
「そうですね」
御鏡が快く迎えてくれたことに早苗はホッとしていた。「ステキな工房ですね。ここに住んでるんですか?」
「ええ。ここは3年前まで母方の祖母が住んでたんですが、亡くなった後、私が譲り受けて、昨年から住居兼工房として使わせてもらうことにしました」
「ところで大きな音ですね。あれは……」
早苗は部屋の奥にある作業台のほうに視線を向けた。
「灯油バーナーです。使われたことはありますか?」
「初めて見ました」
「見てみますか?」
御鏡に促されるままに、奥にある作業台へと近づいていった。
大き目のブリキ缶の中心に石膏がはめられているだけのシンプルな作りに見える。
早苗が普段使っているのは燃料にガスを使っているものだ。昔ながらの職人が灯油バーナーを使っていると聞いたことはあったが、早苗の知っている作家で使っている人はいなかった。
「最初は使いづらいですが、慣れると良いものですよ」
と横から御鏡が声をかける。
「音がずいぶん大きいですね」
「ええ、作品作りには良いですが、音が大きいのと、煤で部屋が汚れるのが難点です」
「これだけ大きいと話が出来ませんよね?」
「話? 一人で黙々とやってるだけですから誰とも会話はしませんよ」
「いえ、そういう意味じゃなくて、教室はやってないんですか? 人に教える時とか声が聞こえないと困りますよね」
「そういうことはそのうちに。今はまだ考えていません。それより先にやらなきゃいけないことがありますから」
「やらなきゃいけないこと?」
「もっと技術をあげること、そして、自分なりの作品を作ることです。それがなければ教室を開いても意味がありませんし。中里さんは?」
「少しだけ。まだ、そう多くはないですけど」
今年の春に開いたばかりの教室には、今3人の生徒が通ってくれている。まだ人数が少ないため、時間は決めずに生徒の都合にあわせて開いていた。
「それで?」
と御鏡。
「え?」
「何か気づいたことでもありましたか? 藤永さんについて……ですよね?」
「あ、はい……先日、事件のことを調べると言われてましたよね? 何かわかりましたか?」
「あぁ、そういうことですか。いいえ、全然」
あっけらかんとした口調で御鏡は答えた。
「全然……ですか」
「期待に応えられずすいません。しかし、せっかく来ていただいたので、一つ教えていただけませんか」
「何ですか?」
「少し藤永さんについて調べてみようと思って、まずネットで検索してみたんです。藤永さんが展示会などで作品を発表していないことは知ってましたが、委託販売などもやっていないようですね」
「そう……ですね」
「作品も発表していない。教室も開いていない。そして、販売も。作家としての活動としては変わってますね。何かご存知ですか?」
御鏡が不思議に思うのも当然だろう。早苗は陽子についてどう説明していいか迷いながらも口を開いた。
「真紀先生は陽子さんの工房を『実験室』と呼んでいました」
「実験室?」
「陽子さんは普通の作家とはまるで違う作り方をしてるそうです。複数のガラスロッドをさらに混ぜ込んで新しい色を作るのは当然ですが、もっとさらなる異質な素材をも使うことでまったく新しい作品を作り出そうとしていました。それがどういうものなのか、それはほとんど誰にも教えてはくれませんでした。私もよくは知りません。広く作品を発表しようとしなかったのも、そういう理由からだと思います」
「なるほど。だから作品発表はなしですか」
御鏡は小さく頷いた。「ところ真紀先生とは?」
「三村真紀先生です」
「あぁ、三村先生ですか。お名前は聞いたことがあります。お二人は仲が良かったんですか?」
「ええ」
「ところで中里さんは藤永さんの作品を見たことはありますか?」
「ありますよ」
「どういうものですか?」
御鏡に訊かれ、早苗はどう答えていいか迷った。そう多くの作品を知っているわけではなかったからだ。
「コスモスや百合というような花パーツを使ったものです」
「ごく普通ですね」
「陽子さんの特殊な技法で作った作品は私も見たことがありません。でも、普通の作品だってすごく綺麗なものです」
その御鏡の言葉に、早苗は少しムッとして言い返した。しかし、そんな早苗の気持ちには御鏡はまるで気づかないようだ。
「実は藤永さんの工房に行った時からずっと気になってることがあるんです」
「何ですか?」
「工房に作品が見当たりませんでした」
「作品?」
「工房なんですから作品があるのが当然じゃないでしょうか。あの工房には材料や工具などは山ほどありました。それなのに作品だけは一つも見当たらなかった。これはどういうことでしょう?」
「どこかに片付けてあるんじゃないですか?」
「そうですね。ただ、私は作ったものをその辺りに置いておくものなので、ついつい気になってしまいまして。中里さんはどうです?」
そう言われて言葉に詰まった。早苗自身もそれなりに片付けるようにはしているものの、作品を作って数日の間はすぐに目に出来るところに置いている。
「陽子さんは技法の研究のほうがメインだったはずですから、作品を作ることはそう多くなかったはずです。工房に無かったとしてもそう不思議じゃないと思います」
「そうですか」
御鏡は考え込むように腕を組んだ。
「私も一つ聞いていいでしょうか?」
今度は早苗が問いかけた。
「何でしょう?」
「陽子さんは何のためにここに来たんですか?」
御鏡から二人展の話を聞いた時から、それが気になっていた。名前しか知らない御鏡の工房になぜ陽子はやって来たのだろう。
「『御鏡なお』に会いたかったようです。それと作品を見せてくれと言われました。しかも、どこか怒っているかのように見えました」
「怒って?」
「それこそ犯人でも捜そうと乗り込んできたような勢いでしたね。もちろん、私は彼女の怒りをかう憶えはありません。そこで私が『御鏡なお』本人だということを話すと驚いていたようです。そして、なぜだか急に怒りが解けたようです」
「なぜ?」
「さあ、何か誤解があったようですが、聞いても笑って答えてはくれませんでした。お詫びと思ったのかどうかはわかりませんが、私の作品を一つ購入していただきました」
「それで二人展をやることに?」
「いえ、実際に二人展の話をされたのは帰った後です。夜になってから電話があって、一緒に二人展を行わないか、二日後にその打ち合わせに来てくれないかと」
最初、二人展の話を聞いた時はそんなはずがないと思ったが、こうして聞いてみるとどうやら作り話には思えない。
「じゃあ、陽子さんに言われて工房に行ったんですか?」
「そうです。時間も彼女に指定されました。おや、今日は信じてくれるんですね」
「すいません……昨日は突然あんなことがあって気が動転してしまっていて……」
「そりゃそうでしょう。殺人事件なんてそうそうあるものじゃありませんからね。あ、そうそう。中里さんは知ってますか? 以前、藤永さんが所属していた工房で殺人事件があったことを」
「いえ……」
早苗は小さく首を振った。
「8年前です。藤永さんから何か聞いてませんでしたか?」
御鏡はそう言って覗き込むように早苗の顔を見た。
「さあ……陽子さんがいた工房って……確か『たかの工房』ですよね? 先生が亡くなったという話は聞いたことがありますけど」
「そうですか」
「どうしてそんな話を?」
「さあ、わかりません。ただ、警察もそのことを気にしたようでしたから」
「警察が?」
「その時のことについても聞かれました。もちろん、私はまだその頃は『とんぼ玉』という名前すら知らない時期なので、事件のことなどまるで知りませんでした」
「警察はそれが今回の事件に関係があると考えているんですか?」
「どうでしょうね。だが、殺人事件なんてそうそう何度も関わりあうものではありません。二つの事件に関連性があるかもしれないと考えるのも自然かもしれません」
「……殺人事件」
8年前の事件が陽子の死に関わっているのだろうか。
考え込む早苗を見て御鏡はさらに言った。
「やはり気になりますよね。もし8年前の事件が何か関わっているとすれば、真相を知るためにはそれについての情報が必要になりますね」
「はぁ……」
早苗はどう答えていいかわからなかった。そんな早苗の思いなどまったく気にしない様子で御鏡はさらに続けた。
「行ってみませんか?」
「行くって……どこに?」
御鏡が何を言っているのか、早苗にはすぐにわからなかった。
「もちろん事件現場です」