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ガラスのラボラトリー(実験室)  作者: けせらせら
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 空が青い。

 一週間後、早苗は御鏡と待ち合わせて、加藤祐樹と松宮の二人展に出向いていた。

 やはり二人の名前は絶大で、先日の『やませの会』主催の展示会とは比較にならないほどの来客数だ。中にはマスコミ関係の人々の姿も見える。

 会場にはスーツを着込んだ加藤の姿があった。松宮と共にカメラマンや記者などに取り囲まれ、誇らしげに笑顔を振りましている。その姿は実に華々しく見えた。

 この展示会の成功は、きっと今まで以上に加藤の名前を世に知らしめることになるに違いない。

 早苗たちは加藤に声をかけることなく、作品を一通り見てから会場を後にした。

 会場を出ると御鏡に誘われるままに近くのカフェに入った。

 早苗にはずっと気になっていることがあった。それは昨日、真紀のところから帰る時の御鏡の態度だった。

 すでに御鏡は今回の事件について、真相に気づいているようなことを話していた。

 御鏡は運ばれてきた紅茶を一口飲むと、何も言わないままに展示会場で渡された薄いパンフレットに視線を落としている。

 いつまでも話し出そうとしない御鏡にしびれを切らし――

「説明してください」

 早苗は真っ直ぐに御鏡の顔を見つめた。

 御鏡は視線を上げると――

「あなたもある程度、想像がついているんじゃありませんか?」

「……」

 早苗はそれに答えることが出来ず、テーブルの下で手とギュッと握り締めた。

 コーヒーを一口飲んだ後、御鏡は口を開いた。

「実は先日、七峰さんに会ってきました」

「七峰さん? どうして?」

 御鏡の口からその名前が出てきたことに早苗は驚いて聞き返した。

「8年前に工房を辞めた理由を知りたかったからです」

「どうしてそんな必要があるんですか?」

「全ての真実を知るためです。8年前の事件、そして、藤永さんの事件」

「陽子さんは自殺だったんですよ。それはもうハッキリしているじゃないですか」

 もうそっとしておいて欲しかった。

「わかってます。けれど、それが全てだとは思えなかったからです」

「御鏡さん……いったい何を考えているんですか?」

「警察に送られた藤永さんの遺書では、自らの力の限界を知ったということが死を選んだ理由だと書かれていました。しかし、私はそれが信じられないんです」

「陽子さんは自殺じゃないというんですか?」

「いいえ、藤永さんが自殺したことに間違いはありません。しかし、問題はその原因です」

「それは遺書にも書いてあったじゃないですか」

「『自分自身の限界を感じた』……中里さんは本当にそう思っているんですか?」

「私がではなく、陽子さんがそう感じたということでしょう」

「私にはそう思えません。あの工房のなかを私は見ました。工夫された工具、そして、混ぜ合わされたガラスの数々。あの工房を見ただけで、その技術力が垣間見える気がしました。あれはとても自分の力に限界を感じた人の工房じゃなかった」

「じゃあ、どうして陽子さんは自殺したっていうんですか?」

「やはり、そこには8年前の事件が関わっていると思います。だからこそ七峰さんに会ってきたんです」

「七峰さんは8年前の事件の前に辞めていたんですよね? 事件には関係ないんじゃありませんか?」

「そうです。しかし、七峰さんが辞めた理由は誰も知らない。それが気になったからです」

「七峰さんは何て?」

「七峰さんが辞めたのはお父さんが亡くなられたのが原因です。そして、実家の花農家を継ぐことを決めて七峰さんは長崎の実家に帰られました。そのことは当然、高野先生には話していたようです。しかし、藤永さんには伝えないようにお願いしたそうです」

「どうして?」

「もし藤永さんに伝えれば、きっと止められるだろう。止められたら決意が揺らぐ。それが怖かったために事情を高野先生だけに伝えて工房を辞めたのだそうです。しかし、それが誤解の始まりになった」

「誤解?」

「当時、おかしな噂が飛び交いました。それは高野先生が生徒の作品を模倣したという噂です。藤永さんは、それを七峰さんのものだと勘違いしたんです。それは模倣によって妹さんを亡くした藤永さんにとって決して許せないことだった。高野先生はそれをただの噂だと皆に説明しようとはしなかった。その結果、藤永さんは高野先生を殺害することになった」

 御鏡の言葉に頭を殴られたような衝撃があった。

 早苗は懸命に言葉を捜した。

「でも……陽子さんにはアリバイが――」

「確かに藤永さんにはアリバイがあります。つまり死亡推定時刻が間違っているんです。死亡推定時刻は0時から3時まで。それが割り出された一つの理由が遺体の状況です。遺体の状況は気温などによって変化します。それが犯人によってコントロールされたものだとすればアリバイは成立しません」

「どうやって死亡推定時刻をコントロールしたんですか?」

 御鏡はその質問を待っていたかのように小さく頷いた。

「バーナーです。あの工房には10台ほどのバーナーが置かれていました。もし換気をせず、全てのバーナーを全開で動かし続ければ、工房の気温を大きく変化させることが出来ます」

「でも、朝に真紀先生が工房に行った時、バーナーの火はついていなかったって言ってました」

「確かにバーナーに火はついていなかった。けれど、きっとバーナーのスイッチは入っていたのだと思います。そのファンの音を隠すために音楽がかけられていた」

「どうやってそんなことが?」

「あの工房は当時からプロパンガスを使っていました。ガスボンベはビルの外側。つまりガスボンベの容量をコントロールすることでバーナーの炎を自動的に切ることが出来ます。つまり犯人はガスボンベを別のサイズのものに変えたんです。中里さんが使っているボンベで計算してみましょう。あそこに置かれていたバーナーの使用量から計算すると1台で約35時間使えます。つまり10台ならば3時間から4時間で炎は消えることになる。これなら朝に誰かがやってきても炎は消えていて部屋の温度も下がっている。殺人事件ともなれば、誰もがすぐに作業をすることもないだろうから、その後、様子を見て元のボンベに接続しなおせば良いといわけです」

「でも、陽子さんのアリバイは他でも証明されています」

「そうです。死亡推定時刻が決められたのにはもうひとつの理由がある。あの夜、高野先生が東京にいる加藤祐樹に電話したことです。加藤さんは11時過ぎに高野先生から電話があり、1時間ほど話をしたと言ってました。しかし、それは本当でしょうか。残された携帯電話から東京の加藤さんに電話があったことは事実です。しかし、その電話を高野先生がしたとは限りません。そもそも高野先生は工房にいたんです。工房には電話があって、高野先生はいつも工房にいる時にはそこにある電話を使うことが多かった。事実、事件の夕方にも高野先生は工房にある電話から加奈子さんに電話をかけられている。つまり夜に加藤さんにかけられた携帯からの電話は、犯人によるものと考えることが出来ます」

「加藤さんが嘘をついているということですか」

「そう。加藤さんが藤永さんに協力していたとすれば、アリバイは崩れます」

「加藤さんはどうして陽子さんに協力したんですか?」

「七峰さんは工房を辞めていく時、加藤さんにも事情を話して自分が書いていたデザイン画を藤永さんに渡してくれるよう頼んだそうです。しかし、加藤さんはそのデザイン画を藤永さんには渡さずに、それを使って作品を作ってコンテストに出展した。もともと高野先生はコンテストの審査員ではありませんでした。加藤さんはそれがバレないと思っていたんでしょう。ところが高野先生は審査員ではなかったが、最終候補に残ったものの写真を見ることになった。そして、それは高野先生の知るところになった。それは加藤さんにとって恐怖だったに違いありません。全国的に影響力のある高野先生にそのことを知られたのです。自分の作家生命がそこで絶たれるという不安にかられたとしても仕方ないことかもしれません」

「それじゃ、模倣っていうのは?」

「正確には模倣というものではないのかもしれません。しかし、七峰さんのデザイン画を知っていた高野先生はそれを許さなかった。ただ、それでも高野先生も加藤さんのやったことを公にはしなかった。きっと弟子である加藤さんを叱ることはあっても、作家としての芽を摘むようなことはしたくなかったんでしょう。ところが加藤さんは高野先生の気持ちに気づかず、あえてそれを高野先生がやったこととして噂にした。そして、藤永さんはその噂を信じたんです」

「それで高野先生を?」

「そうです。しかし、実際に高野先生を殺害したのは藤永さんですが、それを計画したのは加藤さんではないかと思います」

「どうしてそんなことがわかるんですか?」

「藤永さんには殺害そのものは出来ても準備が出来ないからです。高野先生の死亡推定時刻を誤らせるためには小型のガスボンベが必要です。しかし、藤永さんは当時、自分のバーナーを持っていなかった。もちろんガスボンベもです。工房の弟子のなかで準備をすることが出来たのは既に自らの工房を開いていた加藤さんだけなのです。もう一つ、期間の問題もあります。高野先生が加奈子さんのために、皆に嘘をついて工房に残るようになったのは事件の四日前からです。しかし、藤永さんは事件の前日まで旅行に行っていて誰も連絡は取れず、高野先生が遅くまで工房にいるということを知らなかった。一方の加藤さんは二日前に、東京の販売店に自分から電話して出向くことを伝えています。きっと、その時には既にアリバイを作ることを考えていたんでしょう」

「加藤さんが計画を立てて陽子さんに実行させたってことですか?」

「はい、旅行から戻ってきた藤永さんは加藤さんから計画をもちかけられ、それを実行することを決めたのでしょう。それが8年前の事件の真実です」

 御鏡はそう言うと、一息つくかのようにコーヒーに口をつけ、そして、さらに付け加えた。「藤永さんは自分が逮捕される可能性も考えていたのかもしれません。藤永さんが三村さんと共同で工房を作るという夢を捨てたのも、三村さんに迷惑をかけたくないという思いからでしょう」

 御鏡から告げられた真実に早苗は反論できなかった。だが、それでもまだ全てを信じられずにいた。

「でも、今頃になってどうして自殺を?」

「理由の一つが、8年前の加藤さんの嘘に藤永さんが気づいたことです」

「どうして陽子さんは気づいたんですか?」

「年に数回、藤永さんが知り合いの展示会に作品を送っていると三村先生が言っていたのを憶えていますか? 今年の春にも藤永さん本人が展示会場に足を運んでいます。ここ数年、藤永さんが旅行に出かけることは珍しかったようで、彼女の美容院の美容師さんがそういう会話をしたのを憶えていてくれました。それが長崎だったんです」

「長崎……」

「七峰さんが暮らす長崎です。藤永さんはそこで偶然に展示会を観にきた七峰さんに会い、七峰さんが辞めた事情を初めて聞くことになったんです。加藤さんと藤永さんの言い争う姿が目撃されたことがあると倉田さんが言っていましたが、おそらくそれが原因だったんじゃないでしょうか」

「それじゃ陽子さんは自分の間違いに気づいて自殺をしたってことですか?」

「そう。誤解していたことを知って彼女は自殺しました。けれど、なぜあんな面倒なことをしたんでしょう?」

「面倒なこと?」

「警察は当初、他殺の可能性があると考えていました。それはあなたもですよね。工房や部屋の指紋を全て拭き取ったり、カレンダーにさまざまなスケジュールを書き込んだり。それがあなたを、そして警察を誤解させた。調べてみるとそのスケジュールの多くは自殺する直前にいれたものです。普段、そう多くの予定をいれなかった藤永さんがあえて多くの予定をいれた。おそらくそれは自殺を決めた藤永さんが一つの目的を持ってやったことでしょう」

「目的って?」

「自らの死を他殺と思わせる必要があったとういことです。そして、あえて自殺する時間にあわせ、加藤さんを呼び出した。そうすることで警察が他殺と判断した時に最も疑われるのは加藤さんになる。それも藤永さんの読みどおりだったんじゃないでしょうか」

「でも、陽子さんは遺書を書いていました。加藤さんに罪をきせるつもりなら遺書なんて残さなかったんじゃないですか」

「そうです。つまり藤永さんは誰かを犯人にするつもりはなかったんです。では、なぜ一時的といってもわざわざ他殺と誤解されるように仕組んだんでしょうか」

「それは……」

 早苗には答えられなかった。

「考えられるのは、時間を稼ぐためです」

「時間を? どういうことです?」

「その話をする前に藤永さんの仕事の話をしましょう。三村さんの話では、藤永さんは加藤さんからの依頼によって店で販売する量産品のデザインを行っていたということでした。しかし、PLANETSで販売を管理している佐竹さんは藤永さんの作品はアクセサリーの一つとして扱っていたと言っていました。しかし、藤永さんに支払われていた金額から考えると、アクセサリーというのはなかなか考えにくいことです。では、デザインだとすれば誰のためのものだったのでしょう? 考えられるのは一つです。藤永さんは加藤さん本人のためだけに作品を作っていたんです。そして、その作品を加藤さんは模倣する形で発表していた。中里さんも見たはずです。藤永さんが三村さんに預けた作品を」

「やっぱり……あれは加藤さんのために作ったものだったってことですか」

 早苗は昨日、真紀から見せられた作品の数々を思い出していた。

「そうだと思います。しかし、今日の展示会には2種類のまったく違うデザインの作品が並んでいました。メインに展示されていたものは、おそらく藤永さんが研究して作り出した技法によって作られたものでしょう。では、もう一種類は誰がデザインしたものでしょう? シンプルではありますが、細かな花のパーツで作られた繊細なとんぼ玉。これまで藤永さんが作ってきたものとはまるで違っています。もちろん加藤さん自身が作ったものとも思えません。中里さんはどう思いますか?」

 そう言って御鏡は早苗に問いかけた。そして、早苗の答えを待つかのようにじっと見つめる。

「……他にそれを作った人がいるってことですか?」

「そうです。そして、そのことに藤永さんも気づいたのでしょう。だからこそ、藤永さんはその新たなデザインを加藤さんに提供した人物を捜していたんです。その途中に私の工房にやってきた。翌日、藤永さんは一日をかけて自殺の準備をすすめ、その夜、その計画を実行した。つまり、私の工房にやって来た後、そして翌日までの間に、藤永さんはその人物を見つけたことになります。いえ、もしも私を二人展に誘ったのが、私を自殺の第一発見者にする計画だったとすれば、その夜までに見つけたことになる」

「……」

 早苗は黙って御鏡の言葉を聞いていた。

「あの日、藤永さんが私の工房に来たのは夕方。藤永さんは帰っていく時、知り合いの工房に寄ってから帰ると言っていました。おそらく知り合いとはあなたのことでしょう。藤永さんは私の工房を出てから、あなたのところに向ったはずです。あなたは展示会で留守だったかもしれませんが、藤永さんはあなたの工房の鍵を持っている。そこで藤永さんは見つけたんです。自分が捜していた作品を」

 御鏡はそう言って、早苗の顔を見つめた。

 一瞬、二人の間に沈黙が流れる。

「そう……」

 胸のなかに詰まった濁りを吐き出すように早苗は言った。「やっぱり、あの日、陽子さんはアレを見たんですね。夕方、携帯に電話があったんです。私の工房に来てるって」

「藤永さんはその夜、全てを決めたのでしょう。そして、次の日、自殺のための準備を進めた」

「いつ御鏡さんはそのことに気づいたんですか?」

「加藤さんのマンションを訪ねた時です」

「どうして?」

「加藤さんは理由なく初見の人には会おうとしません。最初に訪ねた時、加藤さんはインターホンで私を確認するとまるで会おうとはしなかった。しかし、次に訪ねた時、加藤さんは相手があなたであることを確認したうえで部屋に通してくれました。彼も『やませの会』には入会していません。そして、あなたが加藤さんに会ったことがあるのはたった一度。もし本当にそれだけの関係なら彼は会ってくれたりはしないでしょう」

「それで私が嘘をついたと……」

「嘘とまで言うつもりはありません。それでもあなたと彼の間に何か関わりがあると考えることは出来ます」

「……そう……わかってたんですね」

「どうして彼の作品の手助けをしたんですか?」

 早苗は頭のなかで言葉を探った。

「私がデザインパーツでデモをやっていた時、加藤さんがやってきたんです。シンプルな作品を作りたい、そのためのデザインを作ってくれって。もちろん最初は断りました。でも、私も工房を維持していきたかったんです。それには嫌な仕事でも引き受けなければいけないこともあります」

 自分が言い訳しているようで嫌だった。今更、何を言ったところで自分の行動によって陽子が死を選んだことは変わらない。

「ブログを削除したのも、そこに加藤さんに提供する作品を載せていたからですね」

 御鏡がブログのことを口にしたことを思い出していた。御鏡はあの頃から自分がやっていたことを想像していたのかもしれない。

 御鏡はさらに続けた。

「以前にも仕事のためには嫌なこともやらなければいけないと話してましたね。あなたにとっては仕事の一つでしかなかった。ですが、藤永さんにとってはそれだけの意味ではなかった」

「意味?」

「どうして陽子さんは加藤さんのために作品を作っていたんでしょう? 8年前の事件のことで脅されていたんでしょうか?」

「その可能性は否定できません。しかし、加藤さんは共犯です。もし、真実が表に出れば加藤さん本人が破滅することになります」

「じゃあどうして陽子さんは?」

「これは想像の部分が多いのですが、藤永さんは加藤さんのことを愛していたんじゃないでしょうか。二人は男女の関係にあった可能性があります」

「どうしてそんなことが……」

「藤永さんが私の工房を訪れたのは、もう一人の作品の提供者を捜すためでした。彼女は『御鏡なお』という名前から女性だと思い込んでいました。彼女はその作品の提供者が女性であることを想像していたんです。なぜ、藤永さんはそう思い込んだのか。それは藤永さん自身が加藤さんとの恋愛感情があったからこそ、作品の提供をしていたことを意味するように思います。つまり新たな作品の提供者も加藤さんとそういう関係の相手だと想像したのでしょう」

「そんな……私はただ仕事のために……」

 愕然とした。

「藤永さんが最後まで誤解していたかどうかはわかりません。提供者があなただということを知って、誤解に気づいたのかもしれない。けれど、一度生まれた加藤さんへの怒りはもう止められなかった」

「私が……陽子さんの自殺の原因だということですね」

 自らの声がわずかに震えていることに早苗は自分でも気づいていた。涙がこぼれそうになるのを奥歯を噛み締めて耐える。

「いえ、藤永さんが自殺したのは、8年前の事件のことが一番の原因でしょう。あなたが加藤さんの作品の手伝いをしていることはほんのきっかけに過ぎなかった」

「そんな……」

「たぶん藤永さんはあなたを憎んでいたわけではないでしょう。むしろ、自殺することであなたを助けたいと考えたのかもしれません」

「私を助ける?」

「藤永さんは展示会へはほとんど参加していませんでした。それは自分が作った作品を加藤さんに提供していたからです。どんなに才能があっても、自分なりの個性ある作品というのはそう多くは作れないものです。ましてや藤永さんのようにオリジナリティにこだわるような人にとって、一つの作品を作るだけで大変な苦労をされていたことでしょう。だからこそ、そんな作品を他人の名前で発表するということは屈辱的な思いがあったかもしれません。藤永さんは、そんな思いをあなたにさせたくはなかったんじゃないでしょうか。事実、あなたも先日の展示会では新作といえるものは少なかった。あれは加藤さんにデザインを提供したためでしょう? ブログを削除したのも、そこに加藤さんに提供するはずの作品を載せてしまったからではないんですか?」

「私を助けるために? 私を憎んでない? どうしてそんなことが言えるんですか? 私は陽子さんと加藤さんの関係は知りませんでした。でも、私が加藤さんの仕事を引き受けたことで自殺を選んだんでしょう?」

 気持ちが揺れていた。そんな早苗の顔を御鏡はジッと見つめ、少し考えてから口を開いた。

「理由は二つあります。一つは藤永さんの遺書です」

「遺書?」

「遺書を預かったのは中里さんですよね?」

「……」

 御鏡の言葉に思わず息を飲み込んだ。

「あなたはあの日、釧路から帰られて、そのまま藤永さんのところを訪ねています。あの時、あなたは藤永さんが亡くなったことをまだ知らなかった。もちろん、自殺であることも、その理由も。だから、あなたは藤永さんの自殺をあれほどまでに否定した。しかし、その翌日にはあなたの態度は変っている。私が事件を調べると言った時、あなたは明らかに動揺していました。そして、後日、私の様子を見に来ました。あの日の夜、あなたは藤永さんが自殺であることを知ったのではありませんか?」

 陽子が亡くなった日、自宅に戻った早苗を待っていたのは陽子からの手紙だった。手紙には自らの死が自殺であることと、指定する日に警察宛の手紙を送って欲しいと書かれていた。

 もう嘘をつくことなど出来ないと、早苗は覚悟を決めた。

「……あの時から気づいていたんですか?」

「気づくというより怪訝に思っていました。あなたと一緒に事件のことを調べることであなたが何かを知っていると確信しました」

「そのために私を連れていったんですね?」

「そうです。ただ、中里さんがどこまで知っているのかがわかりませんでした。あなたの様子では詳しいことは書かれていなかったようですね」

「……ええ」

「他には何かありませんでしたか?」

「他とは……?」

 御鏡はどこまで知っているのだろう、と心のなかで思いながら早苗は言葉を選びならが聞き返す。

「加藤さんへの手紙です。いや、資料といったほうがいいかもしれませんね」

「どうしてそれを?」

 自分の声が震えているのがわかる。

「PLANETSの佐竹さんの話では、加藤さんは展示会にむけてずいぶん製作に悩んでいたと言っていました。その後、すぐに警察に同行を求められ、加藤さんはなおさら製作に時間を使えなくなった。ところが、藤永さんの遺書が警察に届き、警察から解放された日、加藤さんは非常に機嫌が良かった。もちろん、自分への容疑が晴れたということもあったでしょう。しかし、それでも展示会は近づいている。本来、もっと焦っていてもいいはずが、加藤さんには余裕すら感じられました。つまり、加藤さんが自宅に戻ったとき、彼のもとへ藤永さんからの手紙が届いていたんじゃないでしょうか。おそらくその手紙には藤永さんが研究して作り出した新しい作品の技法が書かれていたのでしょう。違いますか?」

「……そうです」

 御鏡の言葉は全て当たっていた。

「ここで一つの疑問が生じます。なぜ、藤永さんはそんな形で加藤さんに技法書を渡したのか。中里さんはわかりますか?」

「……陽子さんの最後の想いだったんじゃ……」

「そうですね。最後の想いには違いありません。しかし、そこで気になるのがカレンダーのあの印です。あれはあなたが藤永さんの手紙を投函する日付ですよね。なぜ、藤永さんはあの日を選んだと思いますか?」

 早苗は首を傾げた。

「わかりません。御鏡さんはその理由もわかってるんですか?」

「想像ですが」

「教えてください」

「藤永さんはおそらく計算していたんだと思います」

「計算? 何の計算ですか?」

「藤永さんの研究した技法の計算です」

「技法の計算?」

 早苗には御鏡が何を言おうとしているのかわからなかった。

「さっき、加藤さんの作品を見た時、気になったことがあります。彼の作品の一つに小さなクラックが生じていました。もし、展示会の間……いや、その後間もなくして、多くの作品が割れたとしたらどうなるでしょう?」

「作品が割れる?」

 それがどれほどのことかは、同じ作家として早苗にもわかった。

「今回の展示会で、加藤さんの作品は全て販売対象になっています。あれだけ注目をあつめている展示会です。きっとすぐに完売することでしょう。その全てが展示して間もなく砕け散ったとしたら……これは加藤さんの今後の作家人生に大きな陰を落とすことになる。つまり、藤永さんはその製作してから割れるまでの日程の全てをほぼ把握していたんじゃないでしょうか。そして、その計画を完璧なものにするために遺書を警察に送る日を決めていたんです。そして、同時に加藤さんに渡す技法書も同様に重要な鍵でした。もしも、それよりも早く加藤さんに技法書が渡ることになれば、彼が作品の問題に気づいて展示会に出す作品を変えてしまうかもしれないからです。つまり加藤さんが製作に篭り、展示会に合わせてその作品が割れるというギリギリのタイミングを藤永さんは狙っていたんです。藤永さんは重要な鍵となるその遺書と技法書をあなたに託した。もし、あなたを憎んでいたのなら、そんな大切な遺書をあなたに託すはずがないんです」

「陽子さんは何のためにそんなことを?」

「それが藤永さんの加藤さんへの想いの強さだったんでしょう。彼に唆されて高野先生を殺し、さらに彼の作品のデザインを続けた。それほどまでに藤永さんは加藤さんのためを想ってきた。それでも、彼は次にあなたの作品を取り込もうとした。それが藤永さんには許せなかったのではないでしょうか」

「復讐ですか?」

「一言で言ってしまえばそうなるかもしれません。しかし、愛情を持っている相手への憎しみは、そんな言葉で表せないほどの想いとして藤永さんの心のなかにわきあがったのではないでしょうか」

「加藤さんは……どうなるんですか?」

「この展示会は加藤さんにとって大きな痛手となることでしょうね」

「事件については?」

「彼は高野先生殺害の共犯といえます。しかし、藤永さん亡き今、彼が共犯であったことを証明することは難しいかもしれません。ただ、あの倉田さんがそれで諦めるかどうかは別です」

「じゃあ、このことを倉田さんに?」

「8年前の事件について、あくまでも個人的な意見として話しました。不愉快そうではありましたが、それでも興味を持って聞いていました」

 あの倉田のことだ。きっと、今はまだ見つかっていない事実を見つけだし、加藤を追いつめていくことだろう。

「これで私の話は全て終わりです」

 そう言って御鏡は立ち上がった。

「……」

「私のワガママに付き合っていただいてありがとうございました」

 御鏡は早苗に一礼すると、そのまま去って行った。

 身動きが取れなかった。

 ぼんやりと宙を見据えながら陽子のことを考えていた。

 陽子はどんな思いで死んでいったのだろう。本当に陽子は自分のことを恨んでいなかったのだろうか。

 流れ出る涙を隠そうとするように、早苗はうつむいた。

 ふと背後に人の気配を感じた。

 御鏡だった。いつの間にか戻ってきて、横に立っていた。

「一つ忘れてました」

 そう言って御鏡は再び、早苗の前に座った。

「何ですか?」

 視線を落としたままで早苗は訊いた。

「藤永さんがあなたを恨んでいない思うもう一つの理由です。それはあなたに遺体を見せなかったことです」

「どういう意味ですか?」

「藤永さんは第一発見者に私を選んだのだと思います。もし、私が見つけていなければ、頻繁に藤永さんの工房に出入していたあなたが見つける可能性が一番高かったはずです。きっと藤永さんもそう考えたのでしょう。そこで第一発見者になったとしても警察に疑われない立場で、遺体を発見してもトラウマにならないような精神を持った私を選んだんです。決してあなたに迷惑がかからないように、あなたを傷つけないように」

 言い終わるとスッキリした顔をして御鏡は立ち上がった。

「御鏡さん――」

 早苗は顔をあげて声をかけた。

「何です?」

 立ったまま御鏡が答えた。

「御鏡さんの工房の名前、『なおなお』ってどういう意味です? 名前には意味があるんでしたよね?」

「あれは私にとんぼ玉の存在を教えてくれた人の名前です。『御鏡なお』という名前もその人の名前を使わせてもらいました。当時、私の仕事はあまりにギスギスしたものでしたから。きっと私に人間性を変えて欲しかったんでしょうね」

「仕事って……御鏡さんは何をしていたんですか?」

「探偵です」

 御鏡は小さく一礼すると去っていった。


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