20
3日後、早苗は真紀の工房を訪ねていた。
真紀から遊びに来ないかと電話があったからだ。早苗にとっても陽子の遺書が警察に届いたことを真紀に話しておきたいと考えていた。
いつもならがオシャレに秋色のワンピースに身を包んでいる。
真紀にはすでに警察から連絡があり、陽子の遺書の件は知っていたようだが、加藤を訪ねた話をすると――
「加藤さん、そんなこと言ってたの」
真紀はふっと小さくため息をついた。「加藤さんにとっては、陽子のことも『たかの工房』でのことも、過去のことなのかもしれないわね」
「きっと加藤さんは松宮先生との二人展のことで頭がいっぱいなんですよ」
「そういえば来週だったわね」
「行かれるんですか?」
「ええ、松宮先生の作品は見てみたいから」
そう言って真紀は紅茶を啜った。
その時、ドアが開く音が聞こえて早苗は振り返った。
「中里さん、もう来られてたんですね」
そこに立っていたのは御鏡だった。手に紙袋を持っているのが見えた。
「御鏡さん、どうしたんですか?」
「三村さんと約束がありましてね」
そう言いながら御鏡は二人に近づいてきた。
「約束?」
驚いて真紀の顔を見る。
「ごめんなさいね。昨夜、御鏡さんから電話があったの。あなたにも話を聞いてもらいたいから呼び出してくれないかって」
申し訳無さそうに真紀は言った。
「話って? まさか、まだ事件のことを?」
「そうです」
「もういい加減にしてくれませんか」
早苗は思わず立ち上がりながら言った。
「事件をハッキリさせたいとは思わないんですか?」
「もうハッキリしたじゃありませんか。これ以上何があるっていうんですか」
「まだ8年前の事件についてはわかっていません」
「陽子さんのことと8年前の事件は関係ありません」
「どうしてそう言えるんですか?」
「……どうしてって……陽子さんの遺書にはそんなことは書かれていませんでした」
「書かれていなかったからといって関係ないとは限りません」
「どうぞ、座ってください」
真紀の口調は冷静だった。「御鏡さんが満足するまでお答えしますよ」
「ありがとうございます」
御鏡はソファに腰をおろした。「あ、これはお土産です。どうぞ」
そう言って真紀のほうへ紙袋を差し出す。
「お土産? どこか行かれたの?」
「一昨日、東京に行ってきました」
「東京? でも、このお土産って長崎のものじゃないの?」
真紀は紙袋のなかを覗いて言った。
「一昨日は東京、昨日は長崎です」
「あら、忙しいのね。仕事で?」
「ちょっと確認したいことがあったものですから」
「それって何か事件に関係することかしら?」
「8年前の事件の際、加藤さんは仕事で東京に行ってたと話してました。その確認で販売店のほうに話を聞いてきたんです」
「わざわざ? それで確認は取れた?」
「ええ、加藤さんの話していたとおりでした。当時から加藤さんと契約を結んでいるのは『ディアボロ』という雑貨店でした。そこの責任者の方に話を聞くことが出来ました。お店のほうに加藤さんは事件の二日前に自分から連絡して行くことを取り決めていたそうです」
「じゃあ、加藤さんの容疑は晴れたってことね」
「確認は取れました」
「そうやって一つ一つ確認していくの? 大変ね」
「そういう性格なんです」
「で? 私に聞きたいことは? 高野先生の事件? それとも陽子の件?」
抑揚のない声で真紀は訊いた。
「両方です。ところで三村さんは藤永さんの工房に行かれたことは?」
その質問に真紀の眉がピクリと動いた。
「あるわよ」
「何回ほど?」
「……さあ……何回だったかしら」
「本当ですか?」
「どうして?」
すると御鏡は早苗のほうに視線を向けた。
「中里さんは藤永さんの工房で三村さんと会ったことはありますか?」
「……いえ」
「そう頻繁に行ってたわけじゃないわ」
早苗の答えを受けて真紀が言った。
「じゃあ、藤永さんの工房のなかがどうなっていたか説明することは出来ますか?」
真紀の顔が緊張していくのが見て取れた。
「どうしてそんな必要があるの?」
「藤永さんがあなたに会うときはいつもここだった。いつも藤永さんがあなたに会いに来ていたということですよね。その関係性はなんでしょう? 三村さんは藤永さんを避けていたんじゃありませんか?」
「……」
「かつて『たかの工房』にいた頃、三村さんと藤永さんは共に工房を持つことを目標にしていたそうですね。それなのに二人とも高野先生が亡くなったことで同時期に独立したにも関わらずそれぞれ別の工房を立ち上げている。それはなぜでしょう? 藤村さんのほうがあなたと一緒に工房を開くことを嫌がったのではありませんか?」
真紀の表情が固くなった。その目はキツく御鏡を睨み、口元がピクピクと小さく動いた。
やがて――
「そうよ……私は彼女と一緒にやりたかった。でも、拒否されたのよ」
その声はいつものように優雅なものではなくなっていた。
「どうして?」
「知らないわ。高野先生が亡くなってから彼女は変ってしまった。私は何度も一緒にやって欲しいって彼女に頼んだ。でも、彼女はOKしてくれなかった。むしろ、私のことを避けるようになった」
悔しそうに真紀は言った。
「だから藤永さんの工房には行こうとしなかった」
「そう……そうよ」
諦めたように真紀は頷いた。「確かに私は彼女の工房に行ったことはないわ。それが何だっていうの?」
「三村さんは藤永さんの作られた工房の名前の意味を聞いたことがありますか?」
「意味? ラボ……実験室って意味じゃないの?」
「私もそう思ってました。けど、詳しく聞いてみると、実は誰も藤永さん本人から工房の名前も意味も聞いた人はいないんです。展示会に作品を出す時でも工房の名前は一切出していない。この名刺を見てください。ここではLABOのOはハートで表現されている。これをOとは読まない場合、どうなるでしょう?」
「LAB? 何の意味が?」
真紀は御鏡が何を言おうとしているのかわからないという表情で訊いた。それは早苗にとってもまったく同じだった。
「デジタル用語の一つで『ラブカラー』という言葉を聞いたことがありますか? 色情報を数値化するカラーモデルの一つです。日本語に訳すとすれば『色空間』」
その言葉に真紀の表情が変った。早苗も小さく声をあげた。
「色……空間……」
「そうです。あなたが藤永さんと共に作りたかった工房の名前『色彩空間』。藤永さんは工房にその名前をつけることで、あなたとの夢を守ろうとした」
「そんな……」
「ここに彼女の工房内の写真があります」
御鏡は写真をテーブルの上に並べた。それは藤永陽子が死んだ時、御鏡が撮ったものだった。
「これが何?」
「工房のなか、一番奥の作業台を見てください。この写真、中西さんにも見ていただきました。この作業机は『たかの工房』から譲り受けたものだそうです」
「これって……私の?」
写真を見る真紀の目が大きく見開かれた。
「そう、三村さんが使っていた作業台なんです。きっと藤永さんはあなたと共に一緒に工房を作りたかったんじゃないでしょうか」
「じゃあ、どうして陽子は私と一緒にやろうとはしなかったの?」
真紀は悲しそうな顔をしてつぶやいた。
「8年前の事件が関係しているとは思いませんか?」
「……」
「改めてお聞きします。藤永さんに最後に会ったのはいつでした?」
「それって先日も話したわよね?」
「確認したいんです。もう一度、教えていただけますか?」
「もう2ヶ月も前よ」
「本当ですか?」
静かな口調ではあったが、まるで真紀を問いただすかのように御鏡は言った。
「私が嘘をついてるっていうの?」
「そうです」
御鏡はキッパリと言った。その言葉に早苗も驚いて御鏡を見つめる。「藤永さんは亡くなる当日、ここに来られてるんじゃありませんか?」
「どうしてそう思うの?」
真紀は真っ直ぐに御鏡の顔を見ながら訊いた。
「簡単な話です。実は藤永さんは、私の工房に来て私の作品を一つ買っていきました。ただの挨拶代わりのようなものでしょう。どこにでもあるようなそう特徴のない花玉です。しかし、不思議なことにその作品は藤永さんの工房にはありませんでした」
「なかった?」
「はい、あの工房にあったのは藤永さんの遺体の傍に落ちていた高野先生の作品のみ。いったいどこへ行ったんだろうと不思議だったんです。その私の作品が、なぜかあのケースに飾られているんです」
「え?」
「三村さんは私の作品を見たことがないと言われました。購入されたこともないと言われました。それならばなぜあそこに私の作品があるのでしょう。答えは一つです。藤永さんがここに来て置いていったんです。つまり、藤永さんは私の工房に来られた後、おそらくその翌日にここに来られている」
その言葉に、真紀は奥歯を噛締め黙り込んだ。
沈黙の後――
「そう……陽子ったら……バカね」
大きく息を吐き出すように真紀は言った。「面白い作家さんを見つけたからって置いていったの。あなたのことだったのね」
「藤永さんは何のためにここに来られたんですか?」
「そうね。お別れを言いに来たのかもしれないわね」
「それだけですか?」
「他に何があるの?」
「藤永さんから何か預かりませんでしたか?」
「何かって?」
真紀は真っ直ぐに御鏡の目を見ながら言った。
「たとえば……藤永さんの作品とか」
「どうして陽子がそんなものをここに?」
「わかりませんさっきも言ったように、藤永さんの工房には作品は一切残されていませんでした」
「前にも言ったように、陽子さんは技法や材料の研究をしてたけど、作品は作っていませんでした」
早苗が横から口を出す。
「本当にそんなことがありえると思っているんですか?」
ピシャリと御鏡が否定する。「それは中里さんも内心、気づいているはずです。どんなに技法の研究をしていたとしても、それは全て作品を作るための研究です。研究を確認するためにはどんな形であれ、必ず作品は残っているはずです。それなのにあの工房には一つの作品も見当たりませんでした。藤永さんは自らの死を決めたとき、自分の作品を隠そうと考えのだと思います。亡くなられる日の藤永さんの足取りを追いかけました。しかし、それを預けるような場所は他にはなかった。考えられるのはここしかないんです。見せていただけませんか?」
「……見てどうするの?」
真紀は訊いた。それは御鏡の言葉を半ば認めるものだった。
「それを見れば、藤永さんの死の意味がわかるからです」
真紀は視線を落として考え込むような仕草を見せた。そして、ゆっくりと立ち上がった。
「ちょっと待ってて」
そう言って工房の奥のほうへと姿を消した。
早苗は御鏡が何を考えているのか探るかのように、御鏡の顔を見つめた。だが、御鏡は何も言おうとはしなかった。
やがて、真紀が再び姿を現した。その手には大きな箱が抱きしめられていた。
「これが陽子の置いていったものよ」
そう言って二人の前に差し出す。
「中はご覧になりましたか?」
「いいえ」
真紀は首を振った。
「開けてもいいですね?」
御鏡は真紀に確認してから蓋を開けた。
その中を目にし、早苗は思わず小さく声をあげた。
そこには何百ものとんぼ玉が光り輝いていた。そして、何より驚いたのは、そのほとんどが加藤祐樹の作品に酷似していたことだった。
「これは……」
驚く早苗の声を無視するように――
「ありがとうございます。これで全てがわかりました」
御鏡は満足そうに落ち着いた声で言った。




