19
変な緊張感を持って、早苗は御鏡の横に立っていた。
倉田の話では、加藤はずいぶん怒って警察を後にしたそうだ。ただでさえ初見の相手には会おうとしない加藤が御鏡に会ってくれるとは思えなかった。
御鏡はインターホンに加藤の部屋番号を押す。
『はい?』
と加藤の声が聞こえてきた。その瞬間、御鏡は早苗の腕をぐいと掴んでインターホンの前に立たせ、自分はスッと陰に隠れた。
一瞬、どうしていいか迷いながらも、仕方なく早苗がその声にこたえる。
「あの……中里です」
『ああ、何? どうしたの?』
その声はどこか機嫌良さそうに思える。警察から帰ってきて、気持ちがスッキリしたのだろうか。
「ちょっとお話をさせてもらえないかと……」
『いいよ。待ってる』
プツリと音声が途切れると、脇の自動ドアがスッと開く。
「成功ですね」
「なんで私を?」
「中里さんは加藤さんと面識があったことを思い出したもので。助かりましたよ」
御鏡がニヤリと笑うとエレベーターに向って歩き出した。
早苗たちはエレベーターに乗り、加藤の部屋がある11階へと向った。
部屋の前のインターホンを押すと、返事よりも先にドアが開いた。
「いらっしゃい」
白いシャツを着た男が顔を出す。
加藤は既に40代半ばだが、その髪は綺麗に金色に染められている。だが、加藤は早苗の隣に立つ御鏡の姿を見て、明らかに驚いたような表情へと変化していった。
「あんた、誰?」
「御鏡といいます。藤永さんのことを教えていただきたいんですが」
「どういうこと?」
加藤が早苗のほうに問いかける。
「あの……御鏡さんは藤永さんが亡くなったときの第一発見者なんです」
「そうか、あんたが……」
加藤は小さく舌を鳴らした。「まったく……迷惑かけられたよ。こっちは展示会間近で時間が足りないっていうのに」
「そう時間は取らせませんから」
御鏡のその言葉には有無を言わせぬ力強さがあった。
「……どうぞ」
渋々といった様子で加藤は二人を招きいれた。
広いリビングはスッキリと片付いていた。大きなテーブルを挟んで、高そうな革のソファが置かれている。
「立派なお部屋ですね。同じ仕事をしてるとは思えませんよ」
御鏡が部屋を見回しながら言った。だが、加藤はそれには答えようとはせず――
「今さら私に何を聞きたいっていうんですか?」
ふてくされたように腰をおろすと、後からついてから早苗たちに座れというように手で合図を送る。
それに従うように早苗たちは向かいに座った。
「藤永さんとは『たかの工房』で修行をしていた頃からの付き合いらしいですね」
「もう10年になるかな」
そう言って加藤はふんぞり返るような姿勢で足を組んだ。
「藤永さんにとっては加藤さんは最も親しい人の一人ということになりますね」
「ただ古いだけですよ」
「それだけじゃないでしょう。お仕事を依頼してたんですから」
加藤はまた小さく舌打ちをした。
「仕事といってもたいしたものじゃなかったですよ。ウチの作業員への簡単な技術指導と簡単なアクセサリーの納品。それだけです」
「それにしてはそれなりに良い金額を支払っていたらしいじゃないですか」
加藤は口を歪め――
「そんなことまで知ってるのか? 彼女は昔からの知り合いなんでね、そう安く使うようなことは出来ないでしょ。昔馴染みとして精一杯のことをしてやりかったんです」
「まるで彼女への義理で仕事をしてもらっていたような口ぶりですね」
「まあ、事実だからね」
加藤はテーブルの上に置かれていたタバコを手に取った。落ち着かない様子で一本を咥え、カチカチとライターを鳴らして世話しなさそうに火をつける。
「どうして藤永さんに仕事を依頼するようになったんですか?」
「作家っていうのは大変な仕事でね、独立して工房を持ったからって順風満帆とはいかないんですよ。私は高野先生の下にいる時からプロとして活動を始めましたが、最初は順調とはいかなかった。彼女もかなり苦労してるって聞いて手を貸してやりたいと思ったんです。そんなこと訊いてどうするんです?」
加藤は嫌がらせのように大きく白い煙を吐き出した。煙はそのままテーブルの上を越え、早苗たちにまとわりつく。
「藤永さんがなぜ亡くなったのかを知りたいんです」
「彼女、自殺なんだろう?」
「ええ、遺書が警察に届けられましたから。そのおかげであなたも警察から解放されたわけです」
「最初から遺書をその場に残してくれれば、こんなことにもならなかったんだがね」
「そうですよね。なぜ、わざわざこんな手のこんだことをしたんでしょう?」
「知らないよ」
興味なさそうに加藤は言った。
「加藤さんのところには何も届きませんでしたか?」
そう言って御鏡は加藤の顔を見つめた。
「なんで俺のところに?」
「藤永さんにとっては加藤さんが唯一のビジネスパートナーだったわけでしょう。あなたに何か残していても不思議じゃないと思うんですが」
「知らないよ」
そう言って加藤は顔を背けた。
「では、加藤さんはどうしてあの夜、藤永さんのところに行かれたんです?」
「呼び出されたんだよ」
顔を背けたままで加藤は答えた。
「用件は?」
「知らないね。あいつは死んじまったからな」
「つまりあなたが工房に行った時には藤永さんはすでに死んでいたってことですか? 亡くなられているところを見たんですか?」
「違う」
と言って加藤は御鏡を睨んだ。「俺が行った時、あいつは出てこなかったんだ」
「中に入ろうとはしなかったんですか?」
「鍵がかかってたんだ」
「鍵が? 本当ですか?」
「あぁ、本当だよ」
吐き出すように加藤は言った。「人を呼び出しておいて、あいつはどっか行ってたんだ」
「留守だった……ってことですか?」
「そうなんだろうな」
「どのくらい待ったんですか?」
「待たずに帰ったよ。携帯に電話はしたけど出なかったしな。昔からそういう自分勝手なことは多い奴だったんだ」
「そういうことは以前から多かったんですか?」
「そういうこと?」
「突然、夜中に呼び出されるようなことです。親しかったんですね」
「別に……仕事のことで時々行くことがあっただけだ」
「でも、藤永さんのほうはあなたに想いをよせていたということはありませんか?」
「何?」
「彼女の工房にあなたの作品が並んでましたよ」
その言葉に加藤の顔が変った。
「嘘をつくな! あいつの工房に俺の作品があるわけがないだろ!」
おもむろに立ち上がると御鏡に向い怒鳴った。
「あるわけがない……ですか?」
冷静な表情のままに御鏡が見上げる。「そうですね。確かに私の勘違いだったかもしれません」
一瞬の睨み合いの後、加藤は再び腰をおろした。
「あいつは……自殺したんだ。それはもうハッキリしたじゃないか。俺は関係ない」
「関係ない? そうでしょうか?」
「あいつが勝手に自殺したことがどうして俺に関係あるんだ」
怒りに震える声で加藤は言った。御鏡はその加藤の表情をジッと見つめながらさらに言った。
「8年前の事件のことはどうです?」
「8年前? あんた、いったい何を調べてるんだ?」
「藤永さんのことです」
「それと高野先生の事件がどう関係あるんだ?」
「関係ないと思いますか?」
御鏡が聞き返す。
「そんなこと警察が調べてるんだろ。それに俺にはアリバイがある」
「事件の夜、加藤さんは東京にいたという話でしたね」
「なんだ、わかってんじゃないか」
「どうして東京に?」
「仕事だよ。俺はあの当時も東京の販売店に委託してた。その打ち合わせで行くことになったんだ」
「そのお店とは今も契約を?」
「ああ。それが何だ?」
苛立ちをぶつけるように、加藤はテーブルに置かれたガラスの灰皿の上にタバコを擦りつけた。
「加藤さんは事件の前から自分の工房を立ち上げる準備をしていたらしいですね?」
「俺は4年、先生の弟子をしてんただ。独立したからって早いわけじゃない」
「けれど、『たかの工房』にも行かれてたんですか?」
「自分の工房を立ち上げたからといって、すぐに順風満帆とはいかない。高野先生のところを手伝いながら、独立する道を選んだだけだ。それが何の問題があるっていうんだ?」
「いえ、問題なんてありませんよ」
加藤の苛立ちなどまるで気にもしない様子で御鏡は言った。
「しかし、警察でもないのにそんなこと調べて何になるんだ?」
「気になったもので」
「暇なんだな。こっちは忙しいんだ。とてもそんなことに付き合ってられない」
そう言って加藤は御鏡を睨んだ。
「来月、展示会だそうですね」
「そうだ。あんたたちが帰ればすぐにでも仕事に入らなきゃいけない」
「おや、まだ作品は出来上がっていないんですか? もう時間がありませんよ」
「わかってるなら邪魔しないでもらいたいな」
「事件が解決すれば」
「面倒な事件はもう終わりだよ。お互い忘れよう」
そう言って加藤は立ち上がった。それは二人に帰れと言う合図に他ならなかった。




