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「御鏡さん、あなたは何を調べているんですか?」
『たかの工房』を出ると、倉田が追いかけてきて御鏡の肩を掴んだ。それは質問というより詰問のように感じられた。
「何って事件のことです」
当然のように御鏡は言った。
「それは警察がやることです」
「警察の邪魔をするつもりはありません」
「素人が犯人探しをすること自体が邪魔なんですよ」
倉田の口調はいつにもなく厳しいものだった。
「犯人捜し? それは警察がやればいいことです。私は真実を知りたいだけです」
「真実?」
「殺人事件なんてものはそれに関わった多くの人の人生を変えます。誤解や嘘によって普通に人生を生きていけなくなる人だっている。全ての真実を明らかにすることが必要なんだと思いませんか?」
御鏡はそう倉田の顔を見た。
倉田は一瞬、考えこむような仕草を見せた後――
「わかりました。少し時間をもらえますか?」
それは誘いというよりも、絶対的な命令にも聞こえた。
倉田の言葉に従い、二人はすぐ近くのカフェへと入った。
「さきほどの話も藤永さんの件に関係した話ですか?」
倉田はそう言って御鏡の顔を睨んだ。
「私は今回の藤永さんの死は8年前の事件につながっているのではないかと想像しています」
「どうしてそう思うんですか?」
「藤永さんが亡くなられた時、傍に落ちていたとんぼ玉です」
「確かにあれは8年前の事件で亡くなられた高野さんが作られたものだそうです。しかし、それだけで8年前の事件とつなげるんですか? 藤永さんが高野さんからもらって持っていたものなら、あそこに落ちていても不思議ではないでしょう?」
「持っていたことは問題ありません。気になるのはあそこに落ちていたことです」
「は?」
「中里さんは、あのとんぼ玉を見たことがなかったんですよね?」
御鏡は確認するように早苗に訊いた。
「……はい」
何のために訊かれたのかわからず、早苗は戸惑いながら答えた。
「中里さんはよくあの工房に遊びに行ってました。亡くなられていた部屋にも中里さんは何度も入っていたようです。それなのに中里さんが見たことがないということは、常に出されていたわけじゃなかったんでしょう。それが藤永さんが亡くなられた傍に落ちていた。そこに何かしらの意図的なものを感じるんです」
「……そうですか」
倉田は低く唸るように頷いた。「それで8年前の事件を調べてるんですか」
「でも、あんな加奈子さんと中西さんとのことは事件には関係ないんじゃありませんか?」
思わず早苗が口を出した。
「真実を知るためには人間関係を把握する必要があります。ずっと気になっていたんです。加奈子さんのつけているネックレスについているとんぼ玉、綺麗なものですがそれほど完成度が高いものじゃありません。高野先生が作ったものとはとても思えない。だが、加奈子さん本人のものとも違う。そういうものを大切に身につけているのだとすれば、きっと大切な人からのプレゼントに違いないってね」
「そんなこと考えていたんですか」
「それに高野先生がなぜあんな遅い時間まで工房に残っていたのかもわからなかった」
そう言って御鏡は倉田のほうに視線を向けた。
「確かに。当時の捜査では高野さんが残っていたのは仕事のためとされていたことは事実です」
少し不機嫌そうに倉田が答える。
「加奈子さんの話では、高野先生が嘘をついて遅く帰るようになったのはあの4日前からです。展示会のために遅くなるのだとすれば、高野先生を知ってる人ならば予測することが出来ます。しかし、実際に展示会がなかったのだとすれば、高野先生が工房に残っていることを知っている人間はそう多くはなかったでしょう」
その言葉に早苗は背筋がぞっとするのを感じた。きっと御鏡は高野の身近な人物が犯人だと考えているのだ。
「でも、そんな身近な人が犯人ならば、それこそ警察が調べているんじゃありませんか」
「警察が全てを把握出来ているわけではありません。警察だからこそ掴めない情報もあるんじゃありませんか?」
御鏡の言葉に、倉田は強いて反論しようとはしなかった。
「警察はどう考えているんですか?」
我慢できずに早苗は倉田に問いかけた。
「おそらく当時の工房にいたスタッフは、皆、疑われたことでしょう」
答えたのは倉田ではなく御鏡のほうだった。
「その通りです」
低く小さく倉田が頷いた。
「ごく自然なことです。高野先生にとって、当時の工房のスタッフというのはもっとも身近な存在でした。しかし、結局、誰も逮捕には至らなかった」
倉田の言葉を代弁するかのように御鏡は言った。
「じゃあ工房のスタッフのなかに犯人はいなかったということですね?」
早苗が確認するように訊いた。真紀や陽子が容疑者とされていることに抵抗があった。
だが――
「それは違います」
と早苗の思いを倉田は否定した。「犯人ではない……ということではなく、犯人という証明が出来なかったとういことです」
「まだ疑いは晴れていないということですか?」
「犯人はまだ掴まっていません」
そう言って一呼吸おいてから倉田は話しはじめた。「犯人が逮捕されるまでは、我々は関係者全てを疑わなければいけません。当時、真っ先に容疑者リストから外されたのは加藤さんです。犯行が不可能と思われたからです」
「不可能?」
「彼は事件の夜、東京にいました。それはホテルの従業員によって証明されています」
「他の人たちは?」
「もちろん調べました。我々が最も強く疑ったのは藤永陽子さんです」
「どうして陽子さんが?」
早苗は驚いて聞き返した。
「高野さんが生きている最後の姿を見たのは藤永さんだからです。藤永さんの場合、過去にいろいろありましたしね」
「いろいろって何です?」
「彼女の妹さんのことです」
倉田は陽子の妹の夏美が自殺したことについて説明した。それは早苗が真紀から聞かされたものとほとんど変らなかった。
「しかし、だからといって陽子さんを疑うのは少し違ってるんじゃありませんか? 妹さんの死と高野先生とが結びつくとは思えません」
早苗は倉田に抗議するかのように言った。
「そうとも言えません。実は高野さんが殺される一週間ほど前、高野さんと藤永陽子が言い争っているのを見た人がいるんです。言い争いの内容は、どうやら作品に対する価値観だったようです」
「作品の価値観?」
興味ありげに御鏡が聞き返す。
「ええ。当時、ある噂が流れました」
「それは模倣のことですか?」
「ご存知ですか? そうです。高野先生が生徒の作品を模倣したという噂です。彼女は妹さんが亡くなった後、他人の模倣ということを人一倍憎むようになっていた」
「だから高野先生を殺したと? 彼女は何と?」
「言い争いについては認めました。ただ、それは言い争いではなく、議論の一つだと」
「警察はそれで納得をしたんですか?」
「いいえ。しかし、彼女にはアリバイがありました」
「三村さんと一緒だったそうですね」
「そのとおりです。高野さんは亡くなる直前まで電話で東京にいる加藤さんと話をしています。そして、その頃に彼女は三村さんと一緒でした」
それは真紀が早苗たちに話してくれたことと同じだった。
「高野先生が加藤さんに電話したというのは確認出来てるんですか?」
確認するように御鏡は訊いた。
「もちろん。高野先生が亡くなられた現場には携帯電話が残されていて、その履歴も確認出来ています。あの日、高野さんが携帯からかけたのは加藤だけです」
「加藤さんだけ? 他にはありませんでしたか?」
「いや、それだけです」
「高野先生の死亡推定時刻はそこから出された時間ですか?」
「そう。それに検視の結果でも24時から3時までの間と判定されました。遺体には動かされた形跡もなければ、細工された形跡もなかった。当時、工房にはストーブがあったが、発見された時の状況ではそれが使われたとは思えない」
「なるほど」
倉田は御鏡の反応を伺う様に見つめながら――
「あなたの知りたい真実とやらは見つかりそうですか?」
「もう一つだけ質問していいですか?」
「何が聞きたいんです?」
倉田は眉間にしわをよせた。
「先日、藤永さんが亡くなられた時、工房に作品は残されてましたか? きっと警察では捜査のために部屋中、くまなく捜したんでしょう?」
「作品?」
倉田は少し考え込んだ。「そういや、あの落ちていたガラス玉以外はなかったですね」
「ありがとうございます。だいぶ参考になりました」
「今の質問の意図は何です?」
倉田は身を乗り出しながら訊く。
「ただ気になっただけです」
御鏡は涼しい顔をして言った。
倉田は体を戻し、小さく咳払いをすると――
「じゃあ、今度はこちらの質問に答えていただきます」
「何をですか?」
「お二人は加藤祐樹さんと面識はありますか?」
「いいえ」と御鏡。
「私は……以前に一度だけ。加藤さんがどうかしたんですか?」
「今、加藤さんを参考人としてお呼びしてお聞きしているところです」
「加藤さん? 逮捕されたんですか?」
早苗が驚いて聞き返した。
「逮捕ではありません。あくまでも参考人として話を聞かせてもらっているところです」
「それでもあえて重要参考人として連れて行ったということは、それなりに容疑がかけられているからでしょう?」
御鏡が訊く。
「実はですね……」
と倉田は少し声のトーンを押えながら言った。「彼は毎月のように藤永さんに30万の金を渡していたようなんです」
「それってデザイン料ですね」
思わず早苗が口に出す。
「おや、知ってたんですか?」
倉田は眉をひそめて早苗の顔を見た。
「ええ、ちょっと……」
「加藤さんはそれが仕事の報酬だと話していますが、どうやらそれは本当なんですね?」
確認するように訊く倉田に早苗は頷いた。
「その話は私も真紀先生から聞いていました」
「三村さんですか。なるほど」
「でも、それだけで……取調べって……」
「それだけではありません。藤永陽子さんが亡くなられた夜、加藤さんがあの工房に行っていたということがわかりました」
「本当ですか?」
「彼が帰る際、付近のコンビニに寄ってタバコを購入した姿が防犯カメラに映っていました。それについては加藤さん本人も認めています。ただ、工房まで行っただけで、藤永さんは留守だったと話しています。だが、彼は何か隠していると我々は見ています」
「それは何時ですか?」
倉田は手帳を捲りながら――
「午後10時です。コンビニを出たのは10時10分、これは防犯カメラで我々も確認しました」
「10分で藤永さんを殺害したと?」
「不可能ではありません」
「どうして加藤さんは陽子さんのところへ行ったんですか?」
「藤永さんに呼び出されたと言っています。実際には11時の予定だったが1時間早く行ったため藤永さんは留守だったんだそうです。ですが、それについては今のところ証明されていません。それと、藤永さんが時々、加藤さんのマンションを訪れていたという証言もあります。さらにこの春には二人がマンションの前で言い争う姿が目撃されいます」
「二人の間にトラブルがあったということですか」
「我々はそう見ています。藤永さんは加藤さんとはどのような関係だったんでしょうか?」
倉田は早苗の顔を見ながら訊いた。
「関係って……仕事上の付き合いだったんじゃないでしょうか」
「それだけですか?」
「え?」
「二人が男女の関係だったということはありませんか?」
「……それはわかりません」
「藤永さんとはそういうような話をしたことは?」
「いえ……ありません」
早苗はもう一度答えた。
「そうですか」
倉田は少しガッカリしたような顔をした。その表情を見て、早苗は思わず視線を落とした。
「役に立たなくてすいません」
「いえ、とんでもありません」
「倉田さんは加藤さんが犯人だと思っているんですか?」
御鏡が訊いた。
少し迷うかのように頭をポリポリと掻いた後で倉田は答えた。
「……今はまだわかりません」
「では、念のため言っておきますが、加藤さんを逮捕するのはやめたほうがいいんじゃないですか」
「どういう意味ですか?」
「私は加藤さんが犯人ではないと思います」
なぜ、御鏡がそんなことが言い切れるのかわからず早苗は驚いていた。だが、倉田のほうは冷静だった。
「理由を教えてもらえますか?」
「殺人を犯した場合、犯人は出来る限りその場から離れようとするはずです。加藤さんが藤永さんを殺害していたとすれば、彼がコンビニなどに寄るなど考えられないからです。それに……」
そう言って御鏡は言葉を濁した。
「何です?」と倉田が促す。
「倉田さん、ラーメンはお好きですか?」
「は?」
「食事に行きましょう。チャーシューの美味しい店があるんですよ」
その御鏡の言葉に倉田は面食らったような顔をした。




