15
展示会は明日で終わりになろうとしていた。
今日も早苗は会場で来場者の受付をしていた。
これまで5日間の展示会で、一番ホッとしたのは、ここ数日、御鏡が現れなかったということだ。
御鏡が事件について真剣に捜査してくれているのは感じられる。だが、御鏡のやり方はあまりにも人の気持ちをイタズラにかき乱しているようで心地良いものではなかった。
事件については何の進展も見られなかった。
警察からの連絡もなく、事件も解決していないようだが、それでも少しずつ日常を取り戻しつつある。
早苗自身、今日予定されていたデモも無事に終え、客の流れも落ち着いている。
ふと、ぼんやりと道行く通行人の姿を眺めていると、そこに見知った男の姿が視界に飛び込んできた。
その御鏡の姿に早苗は思わずギクリと身を固めた。
キョロキョロと会場を見回してから、御鏡は真っ直ぐに早苗のほうへと歩み寄ってきた。
「今日、中西さんは来てないんですか?」
挨拶もせず、いきなり御鏡が訊く。
「今日は当番じゃありませんよ」
「そうですか。じゃあきっと工房のほうですね」
そう言って背を向ける御鏡に早苗は声をかけた。
「御鏡さん、ちょっと待ってください」
「なんです?」
立ち止まって御鏡が振り返る。
「何しに行かれるんですか?」
「中西さんと加奈子さんにお話があります」
「まさか、また事件のことですか?」
「そうです」
当然のことのように御鏡は答えた。
「いい加減にしてください」
「何がですか?」
「これ以上、かきまわさないでください」
「そんなつもりはありません。それにハッキリさせなければいけないことがありますから」
御鏡はそう言うと、早苗に背を向けて歩き出した。
「私も行きます」
早苗は急いで一緒に当番をしていた他のスタッフに声をかけてから、御鏡の背中を追いかけるように飛び出していった。
中西と加奈子は、早苗が想像したとおり工房のほうで作業をしていた。
二人とも御鏡の姿を見ると、緊張したような表情になった。
意外だったのは、そこに倉田がいたことだ。今日は根津の姿は見えなかった。
倉田はいぶかしげな目で御鏡を見た。
「御鏡さん、どうしたんですか?」
「中西さんに話がありまして。もしとりこんでいるようなら後にしますが」
「いえ、私の話は終わりました。どうぞ」
そう言って御鏡に促す。ただ、そうしながらも御鏡が何のために来たのかを見定めようとするかのように、倉田は席から立とうとはしなかった。
御鏡は一瞬、迷うような様子を見せたものの、それでもすぐに中西のほうに顔を向けた。
「少し時間をいただけますか?」
「また先生のことですか?」
「そうです」
「8年前の事件のことでしたら、もう話すことはありませんよ」
御鏡が声をかけると、中西は露骨に迷惑そうな顔をしてみせた。中西の気持ちは早苗にもよくわかる。事件の関係者でもなければ警察でもない御鏡に、これ以上かき回されたくないと感じているのだろう。
そして、その中西の言葉に反応するように倉田が口を開く。
「8年前の事件? そんなことを調べているんですか?」
だが、御鏡は倉田の言葉に動じることはなかった。
「お二人はいつから付き合っているんですか?」
「そ……それは……」
その質問は中西にとって意外だったようだ。中西の目が泳ぐ。「それが事件に何の関係があるって言うんですか?」
「答えてください。高野先生が亡くなる前からお付き合いされてるんじゃありませんか?」
「そうです」
答えに躊躇している中西に対して、加奈子は意外に冷静だった。
「そのこと、高野先生は?」
「中西さんと付き合い始めたのはあの年の夏からで、まだ父には伝えていませんでした」
「高野先生には内緒にしていたわけですか」
「別に……隠そうと思っていたわけじゃありません」
「ちゃんと話そうと思っていました」
加奈子を庇うように中西が言う。いつも穏やかな中西の表情が御鏡に対してだけは別人のようだ。
「高野先生は知っていたんじゃありませんか?」
「たぶんそれはないと思います?」
加奈子はすぐに否定した。
「どうしてそう思うんですか?」
「どうしてって……父はそういうことには疎い人でしたから」
「そうでしょうか。高野先生は普段、教室がない日には6時には家に帰られていたそうです。あの夜、教室はありませんでした。それでも展示会への参加のために忙しくなったと言ってましたね。それが気になって調べてみたんですが、不思議なことにそんな事実はないんです」
「ない?」
「あの頃、高野先生は展示会の時にはいつも古い友人である飯村先生と一緒に参加されてました。しかし、飯村先生に聞いてみたところ、あの時期、展示会への参加という話はなかったそうです。飯村先生はそういうことにはマメな方で、当時の記録もつけていたようで見せていただきました。間違いはないと思います」
「じゃあ、高野先生は嘘を?」
キツネにつままれたような顔で中西は訊いた。
「そういうことになります」
「何のために父はそんな嘘をついたんですか?」
訊いたのは加奈子だった。
「当時、飯村先生の娘さんが結婚間近だったこともあり、お二人が会うといつも話題はそのことだったそうです。お互いに娘を持つ父親として何が出来るのか、どう接したらいいのかお二人はいつも話をしていたそうです。高野先生はいつも言ってたそうです。自然に接してあげるのが一番良い事だと。そして、いかに自由にさせてあげるのかを」
「自由に?」
「高野先生は自分のために仕事を辞め、この仙台まで一緒についてきてくれたことに感謝していたんだと思います。そして、同時にいつも自分の傍で、自分の面倒を見てくれる加奈子さんをもっと自由にさせてあげたいと考えていたんじゃないでしょうか。そんななかで加奈子さんと中西さんは交際をはじめた。お二人は先生がそのことを知らなかったと思っているようですが、高野先生はお二人の関係に気づいていたんじゃないでしょうか。だからこそ、加奈子さんの誕生日にあわせて、お二人が気兼ねなく会えるように展示会の準備があると嘘をついて工房に残っていたんだと思います」
「それじゃ……私のために?」
「きっと高野先生は、あなたと中西さんの間がうまくいくことを願ってたんでしょうね」
「……お父さん」
加奈子の瞳から涙がこぼれる。
その涙が美しく見えた。
御鏡は加奈子と中西のために、この話をしたんだろうか。
そう思った時――
「失礼ですが、もう一つ教えてください」
涙を流している加奈子に向って御鏡が声をかけた。「高野先生が遅く帰るようになったのはいつからでした? あの事件の日からですか?」
「いえ……」
加奈子は涙を拭いながら答えた。「確か……その話の前日くらいから帰るのが遅くなったと思います」
それを聞き、御鏡は満足そうに笑った。
やはり御鏡は自分のことしか考えていないようだ。




