10
既に日が落ちかけている。
佐竹に教えてもらった加藤のマンションは北仙台にあった。
最近建てられたかのような真新しい高級マンション。同じ作家でもやり方によってずいぶん違うものだとしみじみと感じる。
「良いとこ住んでるんですね」
御鏡も驚いたように呟く。
「そうですね」
「行ってみましょうか」
そう言って御鏡はマンションへと入っていく。
マンションはエントランスオートロックシステムとなっていて、玄関口にインターホンが設置されているものだった。
御鏡は佐竹から教えてもらった部屋番号を押して加藤を呼び出す。
早苗は少し離れて、御鏡の様子を伺った。
少し待った後――
『誰?』
と警戒するような男の声が聞こえてきた。
「御鏡といいます」
御鏡がインターホンに向って声をかける。
『え? 誰?』
もう一度、同じ言葉で不機嫌そうな声が返ってくる。
「先日、藤永陽子さんが亡くなられたことご存知ですか? そのことでいくつか教えて欲しいことがあります」
『警察?』
「いいえ」
そう言った途端、プツリと反応が切れた。
「やっぱり一見さんはお断りってことか」
ため息混じりに御鏡が呟く。さすがの御鏡もこう門前払いをされたら、もうどうしようもないようだ。
二人は諦めて帰ることにした。
* * *
西の空が赤く染まりかけている。
今日一日の疲労感が重くのしかかっていた。ただ、その多くが御鏡という人間の毒気に当てられたのが原因のような気がする。
車に乗り込む時、御鏡から自宅の場所を訊かれたので、そのまま送ってくれるかと思っていたら、その期待はあっけなく裏切られた。
「まだ少し早いですが、食事をしてから帰りましょう」
早く帰りたい気持ちを隠して、わかりましたと頷いた。
ここまでの御鏡の行動を見てみれば、どうせ拒否したところで何かしらの理由をつけて有無を言わさず連れて行かれるように思えたからだ。
御鏡はどこか既に目的を決めているのか、早苗には何の相談もない。
思えば昼にイタリアンレストランに入った時も、早苗には何の問いかけもなかった。
常に自分のことしか考えていないように思えてくる。
ふと、20分も経った頃、見慣れた景色が車窓に映っていることに気がついた。左手に広瀬川が見える。
これは長町にある陽子の工房へと向かう道だ。
「どこに行くんですか?」
「食事です。ちょっと行ってみたいところがあるんです」
そう言いながらハンドルを右に切る。
「どこです?」
その言葉に御鏡は答えることはなかった。
それから5分も経たないうちに陽子の工房がすぐそこまで近づいてきた。
「御鏡さん――」
と声をかけた時、御鏡は陽子の工房から道路を挟んで向かい側のラーメン屋の駐車場へと車をゆっくりと滑り込ませせていった。
昼間、真紀がラーメン屋の話をしていたことを思い出した。
「この前、来たときから入ってみたかったんです。この前、来た時は定休日だったみたいですけどね」
と御鏡は言った。
この前、それはおそらく陽子が亡くなった日のことを言っているのだろう。
この人はあの時、そんなことを考えていたのだろうかと思うと、少し不快な思いになった。
『吉田屋』
ここには陽子と一緒に何度か来たことがある。ほとんど料理をしない陽子は週に何度も通っていたらしい。
御鏡はさっさと車を降りると、スタスタと店に向って歩いていく。早苗もその後についていった。
まだ時刻が5時を回ったばかりとういこともあってか、店内に客の姿はまばらだった。
厨房に立つ若い男性が「いらっしゃいませ」と元気に声をかけた。すると、同じ年頃の女性がすぐに笑顔で近づいてくる。
「いらっしゃいません。お二人さまですか? こちらへどうぞ」
とテーブル席へ案内しようとするのを無視し、御鏡はカウンター席へと近づいていった。
ここでもサイコパス全開というわけだ。
「お勧めは?」
カウンター席に腰をおろして御鏡が訊く。
「チャーシュー麺なんていかがですか?」
「じゃあ、それを二つ」
早苗に一切、断ることなく御鏡は注文した。
女性はそれに答えながら、厨房の男性に向って注文を伝え、それに答えるように男性が復唱する。
「前にも来ていただきましたね」
女性が明るく早苗に話しかけながら水を差し出す。
「ここのラーメン美味しくって」
「ありがとうございます。あの小説家の先生も良く来ていただきました」
「小説家?」
「え? 違いましたっけ?」
何か間違っただろうかという顔で女性は早苗の顔を見た。
その時、ドアが開いて客が一人入ってくるのを見て、女性は急いで小走りで去っていった。
「小説家ですか……」
水を一口飲んで、ボソリと御鏡が呟く。
「作家って言うと、普通、小説家を思い浮かべるかもしれませんね」
きっとあの女性は誤解しているのだろう。しかも、あの様子では陽子が亡くなったことも知らないのかもしれない。
御鏡はボンヤリと厨房で動く若者を眺めている。精悍な顔つきをしたいかにもイマドキのイケメン風の若者だ。
やがて、二人の注文したチャーシュー麺が二人の前に運ばれてきた。
肌寒くなったこの季節、ラーメンは確かに美味しかった。
まだそれほど空腹ではなかったのだが、それでも十分に美味しさを感じることが出来た。
食べ終わる頃、女性店員が水を注ぎに近づいてきた。
「お二人はご夫婦ですか?」
スープをすすりながら御鏡が声をかけた。既に麺はたいらげている。
「はい、去年の12月1日に結婚しました」
少し照れる様子を見せながら女性は答えた。
「もうすぐ結婚記念日ですね」
「そうですね。でも、そういうのはあまり意識ないですね。結婚式さえ挙げてないせいかもしれません」
「え? 式、挙げてないんですか?」
驚いて早苗が訊いた。
「そんな余裕なかったですから」
「ここの『吉田屋』って名前は? ひょっとしてお二人の名前から?」
御鏡が訊いた。またここでも名前に興味があるようだ。
「そうです。吉田直樹っていうのが彼の名前です」
「あなたは?」
「卜部萌子、今は吉田ですけどね」
「なるほど」
何を思ったのか御鏡が小さく笑った。「いつからこの店を?」
「ちょうど2年になります」
「ご主人、若くてカッコいいですね」
早苗が言うと、萌子は少し嬉しそうに笑顔を見せた。そして――
「本人は若く見られるのはあまり好きじゃないみたいなんですけどね」
萌子はちょっと声を潜めて言った。「黙っていればイケメンだけど、話すとすぐにボロが出るんです。しかも、意外とオシャベリなんですよ。お客さんが少ないときなんて、すぐにお客さんにも話しかけるんです」
そう言いながらも、萌子は幸せそうに見えた。
「それにしても美味しいですね。このチャーシューは自家製ですか?」
御鏡が訊く。
「ええ、そうです」
褒められたことに気をよくしたように萌子が笑った。
「持ち帰り用で販売とかしてます?」
「ごめんなさい。それはやってないんです」
「それは残念」
御鏡がそう言った時、カウンターに座った一人の客が立ち上がりレジへと近づいていった。それを見てすぐに萌子がレジに向っていく。
御鏡は萌子と厨房に立つ直樹のほうを一瞬、視線を送ってから小声で言った。
「藤永さんは料理をしないと言ってましたよね」
「ええ」
「実は藤永さんの冷蔵庫のなかに小さなタッパーがありました。タッパーの中身はチャーシューです。少し食べたような跡はあったものの、ほとんどは残っていました。冷蔵庫の中には他にビールだけ。そのチャーシューだけがどうにも似つかわしくなくてね」
チャーシューの入ったタッパーのことより、御鏡が事件現場でそんなところまで見ていたということに驚いていた。
「だから……ここに?」
「チャーシューを手に入れるのに、藤永さんの工房から一番近いのがここですからね。興味があったんですよ」
御鏡はそう言って再びレンゲを使ってスープを飲む。「確かに美味い」
「さっき何を笑ったんですか?」
「何のことです?」
「さっき、彼女の名前を聞いて笑いましたよね」
「あぁ、あれですか。藤永さんが文学的と言うのもわかると思いましてね」
御鏡の言葉に早苗は首を捻った。
店内を見回してみても、どう見ても普通のラーメン屋だ。
「どこが文学的なんですか?」
早苗が訊いた時、御鏡はスープまで綺麗に飲み干したところだった。
「さあ、帰りましょう。送りますよ」
御鏡はそう言って満足そうに笑顔を見せた。




