10 置き物さんと図書館
壁側についている階段を上り、2階へと上がった。
だが、それだけでも段数が普通の階段よりも多く、運動なんて基本しなさそうな見た目のアンセさんは、見た目通り、あまり運動をしないみたいで、息を切らしていた。
2階へと上りきった所で、息を切らして上ってくるアンセさんを待つ。
ようやく来たアンセさんは、疲れ切っていた。
「はぁ……はぁ……。ここ、段数多くない、です、か……?」
そういったアンセさんに言葉を返そうとして……ふと視線を感じて、その視線へと目を向ける。
僕が視線を向けると、こちらを見ていた人、ここの司書さんが、鋭い目でこちらを見ていた。
今まで向けられてきたどんな視線よりも鋭い瞳を向けられ……この図書館の条例を思い出して、背筋が凍った。
どうか気のせいだと思われますように……と願っていると、その願いが通じたのか、司書さんは僕らから視線を外して、本を読み始めた。
そのことにほっと安堵の息をついていると、不思議そうな顔でアンセさんが、何かを聞いてこようとした。
それを手で制してから、壁に貼ってある図書館の条例を指差した。
『一、飲食厳禁
二、 喋り厳禁
三、 居眠り厳禁
四、 不純異性交遊厳禁
五、 本の紛失、破損、窃盗厳禁
以上を守れなかった図書館訪問者は、図書館管理司書が罰する』
その文字に、不思議そうな顔を一瞬で青ざめさせたアンセさんは、口を両手で勢いよく抑えた。
ちらりと司書さんをもう一度見ると、本に目を落とし……てはなく、他の場所、とある生徒へと視線を向けているようだった。
その視線を辿ると、司書さんに視線を向けられている彼らが、結構な大きな声で喋っていた。
これは……図書館名物、司書さんのお仕置きが見れるいい機会かもしれないと思い、アンセさんを手すりのすぐ近くまで引っ張ってきて、彼らを見る様に指で示した。
「何の本読んでるの~?」
「えっと、無属性魔法の多様性について……という本で……」
「難しそうな本だねぇ!そんなものより、俺らと一緒にいた方が、勉強になるよぉ?」
「そうそう~!そんなのなんか読んでも、中身の半分ですら理解できないでしょ~?」
そういって、見知らぬ女生徒に絡む彼ら。
その中心である大人しそうな女生徒は、厚めの本を持ったまま、顔を青くさせてオロオロと戸惑っていた。
その女生徒がチラチラと見る視線の先は……鋭い目つきをした、この図書館の司書さん。
結構キツイ視線が突き刺さっているにも関わらず、まるで気づかないように……いや、もしかしたら本当に気が付いていないのかもしれないけれど、彼らは気にした様子もなく、女生徒に絡んでいた。
コツ…………コツ…………コツ…………
司書さんが、カウントダウンをするかのように、受付カウンターを指でコツコツと叩き始めた。
その音の間隔は、段々と狭まっていく。
コツ……コツ……コツ……コツ……
コツ、コツ、コツ、コツ
コッコッコッコッ
ココココ
コツンッ……―――
最後に、一際強くカウンターを叩くと、司書さんは本の間に栞を挿み、バタンと閉じてから、座っていた椅子から立ち上がった。
カツカツとヒールが床につき鳴らされる音が、図書館に響き渡る。
けれど、それに当の本人達は気づくこともなく、女生徒に声をかけ続けていた。
そして、嫌がる女生徒は、司書さんが近づいてくるのに気が付いて、顔を真っ青にして、さっきよりも強い勢いで拒否し始めた。
急に強い勢いで拒否し始めた女生徒を疑問に思ったのか、少し首を傾げながらも、絡む事をやめない彼らに、司書さんの声がかかった。
「二、喋り厳禁。四、不純異性交遊厳禁」
「……はぁ?いきなりわけわかんないこと言わないでくれますー?それに、俺らはこの子と交流してるだけなのー。なー?」
「そうそう。だからぁ、邪魔しないでくれるぅ?」
「……そう。あくまで認めないというわけですか。そちらの方は?」
「あ、あの、私……!ご、ごめんなさい!私、断りきれなくって……」
「あなたが悪くないのは、きちんと見ていました。次にここを訪れるときまでに、断り方を学んでくること。それで処罰は免除いたしましょう」
「ありがとうございます!!」
司書さんがそういうと、女生徒は涙目になりながら急いで図書館から出て行った。
そして、問題の彼らは、不満そうな顔をして司書さんを睨み付けていた。
「ただ仲良くしようとしてただけなんですけどー?大人に邪魔される筋合いなんて、欠片もないんだけどー?」
「それともぉ……お姉さんが俺らと仲良くしてくれんのぉ?」
そういって彼らは、司書さんの体を上から下へと視線を移動させながら、ニンマリと笑った。
傍から見ても不快なその顔に、司書さんは特に反応した様子もなく、冷徹と言われそうな無表情な顔で、淡々と、事実だけを彼らに突き付けた。
「仲良くしてたと言いますが、不純異性交遊と間違われるような相対の仕方をしていたそちらが悪いと思いますが。それに、ここは私が管理している図書館です。この図書館のルールは私です。邪魔する筋合いはきちんとあります。最後に、私はあなた方と仲良くする気はありません」
「二、喋り厳禁。四、不純異性交遊厳禁。この二つの条例を犯したため、図書館条例にのっとって、私、図書館管理司書が処罰を下します」
司書さんがそういって腕を振り上げ、何かを唱えた。
それと同時に、彼らの頭上に黒い影がかかり……“それ”は、突如彼らの真上から飛来し、凶暴そうな牙をもった大きな口を開き、あまりの事に頭がついていかなくて悲鳴すら上げられなかった彼らを飲み込むと、降ってきたときと同じ様に、上へと戻って行った。
そして……冥府の底から叫んでいるかのような、絶望しきったような悲痛な叫び声が上から聞こえてきた。
……その数秒後、上から物凄い勢いで降ってきた彼らは、司書さんの魔法で床にぶつかる寸前で止められた。
しかし、先ほどまで司書さんに食って掛かっていた威勢のいい態度は鳴りを潜め、可哀想な程に震え、青ざめ、ボロボロの体で、床に蹲っていた。
司書さんがヒールをカツンと一回鳴らすと、その音で初めて司書さんがいたのに気が付いたのか、怯えた表情で伏せていた顔を上げ……司書さんの無表情な顔を見て、恐ろしさからか泣きだし始めた。
ポロポロと涙を零し、嗚咽が止まらない彼らを、何も変わらない顔で見つめながら、司書さんは問いかけた。
「……これに懲りたら、もうしないように」
「「ばい!もうじまぜん!!ずみばぜんでじだ!!!」」
そういうと、彼らはボロボロの体を2人で支えあいながら、急いでこの図書館から出て行った。
ようやく静寂が戻ってきた図書館に、満足そうに1人頷きながら、司書さんは元の場所へと戻って行った。
図書館内の張りつめた空気が戻り、何人もの生徒の安堵の溜め息が聞こえる。
僕も、その内の1人だ。
安心した僕がアンセさんを見ると、さっきの彼らぐらいに顔を青ざめさせ、ふるふると驚くほど震えているアンセさんが、自分の口を涙目で抑えていた。
大げさともいえるその反応に、思わず苦笑をしそうになったが、先ほどの光景を見ていたら、この反応になるのも無理はないだろうと思い、微妙な気分になる。
ここのルールの大切さをきちんと知ってもらえたのは嬉しいけれど、交流が目的なのにこんなに怖がらせてしまっては、仲良くなる事はちょっと難しいかもしれない。
けれど、秘密の庭ならば図書館内ではしてはいけないお喋りをしても何も咎められないのだから、まぁ、本とその場所があれば仲良くなれる……と思う。
実際だったら、本の力を使わずに、自分の力で仲良くなった方がいいのかもしれないけれど。
そんな事を思いながら、アンセさんの腕を掴んで移動する。
ここは、空中に浮いている本棚もあり、飛翔の魔法や跳躍の魔法が使えれば普通にとれるけれども、僕らはそんなことはできない。
なんせ、魔力が強すぎて使えない生徒と、魔力がなくて使えない生徒なのだから。
そのため、正規ルートで行くしかない。
……この正規ルートが、あの司書さんですら嫌がるくらい、たくさんの手順を踏まないと目的の本が取れないルートなんだけどね……。
そう思いながら、『桔梗 243』と書かれた金属のプレートが付けられている本棚の所まで行く。
そして、その近くにある高い本を取るための移動できる梯子を持ってきて、12段ある本棚の上から3段目の所にある、題名の書かれていない本を押す。
すると、その本棚の向かい側に、空中に浮かんでいた本棚の1つが、滑る様に降りてきた。
その本棚の下から2段目の所にある題名のない綺麗な青い本を押す。
そして、訳が分からず目を白黒させているアンセさんをつれて、下へ降り、『蒲公英 121』と書かれた金属のプレートがある本棚の所へ行き、梯子を使って上ってから白い透明に近い色の本を押す。
そんな事を、そうそうに疲れて息切れしたアンセさんを連れ、何回か繰り返した後、ようやく、お目当ての本が入っている本棚の所へとたどり着いた。
その本棚の名前は『白粉花 134』
その中から、アンセさんが気に入りそうな本を手に取った。
それをアンセさんに渡すと、不思議そうな顔をして中身をパラパラとめくり……段々と、笑顔になっていった。
今にもその場で本を読みそうなアンセさんの手を掴んで、受付カウンターの所まで行き、貸出カードを書くようにアンセさんに言うと、初めてで勝手がわからないのかたどたどしいながらも、綺麗な字で自分の名前を書いた。
僕もそれを隣で見ながら自分の借りたい本の貸し出しカードに名前を記入する。
書き終わったカードを司書さんに渡してから、僕らはあの、秘密の庭の入口まで戻り、そこから秘密の庭へ移動した。
使われていない椅子をもう一脚だし、すでに置いてある椅子の向かい側に設置する。
僕はいつも座っている椅子に座り、アンセさんは、戸惑いながらも本の内容が気になるのか、少しビクつきながらも椅子へ座った。
アンセさんに気がつかれないようにそっと本のから顔を出してアンセさんを見ると、そんな僕には欠片も気が付かないで、笑顔で、一心不乱に本を読んでいる。
本は読まなそうな人だと感じたとおり、読むスピードは遅いが、それでも視線が文字を追って、止まることなく動き続けている。
やはり、あの本を選んだのは正解だったみたいだ。
あの本は、彼女と同じく、強大な魔力を持った女の子が主人公だ。
もともとは平凡な村娘であった主人公が、親友が魔物に殺されたのをきっかけに、強大な魔力に目覚めてしまう。
突然の事で制御ができず、村を半壊にまで追い込み、なんとか暴走を止めたが、周りから化け物と言われ始める主人公。
けれど、親友の口癖である「諦めなけりゃなんとかなるさ」を合言葉に、魔力が暴走しないように自分で練習をし始めたり、その力を使って魔物を退治したりと、頑張る主人公。
その姿を見て、村人たちも考え直し、徐々に主人公と仲直りをしていく……という話である。
結構彼女と境遇が似てるように思うから、薦めたら本をあまり読まなくても読んでくれるだろうと踏んで、この本を選んだのだけれど……まさかここまでハマるとは思わなかった。
そう思って苦笑してから、本に視線を戻した。
***
「あ、あのっ!この本の続きが気になるんですけど……」
本の世界に没頭していた僕は、アンセさんの窺うような声に引き戻された。
どうやら、あの本を読み終えたらしく、あの本の2巻を借りに行きたいが、行き方がわからないらしい。
まぁ、あの道を覚えるのは余程通い詰めないと覚えられないし、当たり前かと思い、ちょうど読み終わった自分の本を返すためと、アンセさんを案内するため、席を立った。
本を司書さんに返してから、最初に行った道と同じ道を辿り、あのプレートがついた棚の所まで来た。
嬉しそうに次の巻を取り出すアンセさんを見て和やかな気持ちになりながら、本を借りてから秘密の庭へと戻った。
先ほどと同じ椅子に2人とも腰かけ、本を読みはじめる。
辺りは、何も音がしないのかと思うほど、静かだった。
「……違ってたら、すいません」
唐突に、アンセさんが話し始めた。
本を取りに行って、大分時間がたったころだった。
「……私が好きそうな本を選んでくれたり、案内をしてくれたりするのって、私と、親密を深めるため……ですか?」
いつもの怯えた表情は消え去り、真剣な緑の瞳が、僕を射抜く。
その言葉に、僕は頷いた。
そしてその言葉に、アンセさんは表情を和らげた。
「嬉しいです……本当にありがとうございます」
そういって座ったまま頭を下げたアンセさん。
頭を上げると、また、さっきの真剣な、けれど、少し寂しさが混じってる顔で、僕に言った。
「私には、親密を深めるために何をすればいいか、思い付きません。ですから……私の事を、お話します」
そういって、深呼吸を1つしてから、再度、口を開いた。
「あれは、私が5歳の時でした―――」