同罪
絹は、歩いて買い物に出る。
家では、お嬢様扱いされるわけもないし、家政婦がいるわけでもない。
明日からのお弁当の材料や、クッキーの足りない材料のためには、買い物だって行かなければならないのだ。
しかし、それは嫌いなことではない。
自由に外を歩ける幸せを噛み締めながら、絹は大通りに面したスーパーへと向かっていた。
そんな彼女の側に、車が止まる。
「高坂さんじゃないか」
オーマイガッ。
絹は、この瞬間の記憶を、抹消したかった。
この間、京にひねり上げられた男子生徒だったのだ。
「広井はいない、な…こんなところに、徒歩でどこへ?」
絹は歩き続けているのに、それに車まで合わせてくる。
しつこいな。
「買い物です、急いでますので失礼を」
「買い物? 歩きで?」
大げさに驚いた様子だ。
あの学校に通う子女に、あるまじきと思っているのか。
「急いでるなら、乗せていくよ」
まだ、食い下がる。
絹は、くるりと振り返り、嫌味なまでの笑顔を浮かべた。
「いいえ…結構です。すぐそこのスーパーですから」
この男の素性は知らないが、歩いてスーパーに行く女など、お嬢様には分類しないような気がした。
「スーパー?」
やはり、驚いている。
「アクティブなお嬢様だなぁ」
うるさい。
無視してもいいのだが、これからの学園生活で、絡んでこられるのも厄介だ。
「私は、あなたの思うようなお嬢様ではありませんから…もう、話しかけてこないでください」
ぴしゃり。
絹は、笑顔まで止めて――はっきりと、この男の介入を拒絶する。
呆然としている彼を置き去りに、絹はスーパーへと入って行った。
ついてこない、わね。
後ろを振り返り、それを確認して、ようやく彼女はほっとしたのだった。
※
「おはようー絹さんっ!」
インターフォンのカメラいっぱいに――了の顔。
今日は、ボスがリアルタイムで見ている。
声を殺して身悶える彼に、絹は朝から上機嫌だった。
録画機能は、すでにつけられたが、リアルタイムで見ると聞かなかったのだ。
島村が、ボスは徹夜明けだ、と言って通りすぎていく。
しかし、徹夜の疲れも了で癒されたようだ。
「おはようございます」
その影響で、いい笑顔で広井ブラザーズに対面できた。
「絹さん、今日…いい匂いする」
今日の彼女は、真ん中の席。
昨日のことを教訓にした将に、先に引っ張り込まれたのだ。
両手に花の彼女に、了が顔を近付けてくる。
「はい、了くん」
末っ子の鼻に、くすくす笑いながら、絹はラッピングされた小袋を出した。
「わぁ、クッキーだ!」
ちびっ子が紐を解くのは、マッハクラスだ。
「おいしいといいのだけど…」
将の方を向き直り、彼にも。
「あ、ありがとう」
将は、すぐに開ける様子はなかった。
しかし、緩む顔で袋を眺めている。
「京さんも…」
真ん中の席は、助手席に手を出しやすい。
絹は、クッキーの袋を二つ差し出した。
「えー京兄ぃだけ、二つ? ずーるーいー」
目ざとい了が、突っ込みを入れる。
将の視線も痛かった。
京は顎を向けて、探るように絹を見ている。
「京さんの分は、ひとつですよ」
二つの袋を受け取らせながら、彼女はにこりと微笑んだ。
「えーじゃあ、最後の一個は?」
計算が合わないと、了が食い下がってくる。
絹は、すでに開けられた了の星型のクッキーを一つ取ると、末っ子の不満そうな口に、一つ入れてあげた。
その顔を、目を奪われたように了が見ている。
瞳の中に映る、自分を見ながら。
目を細めて。
こう言った。
「最後の一個は…運転手さんの分です」
兄弟の誤解は――これで万事解決。
※
クッキープレゼントも無事終わり、絹と将は教室へと向かう。
席につくと、早々に彼女に黒い影が落ちた。
「おはよう、高坂さん」
あー。
その声に、顔を上げるのもいやだった。
また、奴だ。
やはり、クラスメートだったのか。
昨日、はっきりと拒否したのに、しつこすぎる。
ただ、唯一の救いは、隣に将がいることだ。
せめて、彼を巻き込めば、ボスも喜ぶだろう。
「おはよう…ございます」
絹は、ちらりと横の将を見た。
ヘルプの視線だ。
幸い、将はこっちを見ていたので、すぐに目が合う。
「高尾…絹さんと知り合いだったのか?」
事情を知らない彼は、怪訝に男に呼び掛ける。
「おまえとは話してない…高坂さんに用があるんだ」
高尾と呼ばれた男は、明らかに蔑視した声で、将の言葉を拒絶する。
ああ、いっそ。
絹は思った。
いっそ、ボス、ミサイルうっちゃって下さい。
半ば、本気でそう思ったのだ。
「ねぇ…高坂さんのお父さんって、高坂巧って言わない?」
絹の机に両手をついて、高尾は衝撃的なことを口にした。
父、と言うのは間違いだが、巧とは間違いなく――ボスの名だ。
絹は、忌々しくも顔を上げてしまった。
一体、どこから調べたのか。
学校の絹のファイルは、不明扱いなはずなのに。
「当たり? やりぃ」
確信を、得てはいなかったのだろう。
いまの絹の顔で、理解した、というところだ。
「ここに通っといて、お嬢様じゃないとか言いだすからさー、驚いたよ」
絹が、拒否の言葉を吐けないでいるのをいいことに、ぺらぺらとしゃべり続ける。
昨日、あれから彼女の事を調べていたのか。
そんな高尾の顔が、すうっと絹に降りてくる。
声が、ひそめられる。
「高坂巧って、妾の子だったんでしょ……君も、そうなの?」
嘲るような言葉。
絹だけではなく――ボスも。
※
ドンガラガッシャーン!
絹が我に返った時、高尾は後方の机を巻き込むように吹っ飛んでいた。
彼女の真横に、突き出された拳。
「将くん!」
HR前の教室が、一瞬で騒然となる。
「絹さんに、謝れ!」
しかし、彼は興奮で周囲の状況など、見ていない。
たった今、自分が吹っ飛ばした男子生徒を、怒鳴りつけるのだ。
「先生を呼んで、急いで!」
委員長の、的確な指示が遠くに聞こえる。
だが。
絹も、実は――冷静ではなかった。
その男は、いま、ボスを嘲笑したのだ。
妾の子、と。
彼女は、ボスの経歴など知らない。
絹には必要のない知識だ。
そして、この男の口からも、出る必要のないもの。
「殴ったぞ! こいつ、僕を殴った!」
腫れ上がり始めた頬を押さえながら、ヒステリックに彼は将を指差し、がなりたてる。
うるさい。
絹は、そんな様子にも怯まずに、高尾の方へと近づき、膝をついた。
目の高さが、同じになる。
一瞬、彼は動きを止めて。
「言うなら、私の悪口だけにしておきなさい……またボ…先生のことを悪く言ったら、今度は、私が殴るわよ」
黒い波動と共に、絹は掠れるほど小さい声で、そう言った。
声を、細く細くより合わせると――針になる。
絹は、高尾の全身を言葉で刺し貫こうとしたのだ。
ひっ、と。
彼は震えた。
それを見届けた後、彼女は立ち上がると、将の方を振り返る。
素手で、顔を殴るなんて。
「保健室へ、行きましょう…将くん」
黒い波動を飲み込んで、絹は目を伏せながら、彼に手を伸ばした。
将の手に触れると、そこは既に真っ赤になっている。
骨が折れていないといいが。
「でも…ありがとう」
一緒に教室を出ながら、彼女は言った。
彼は、絹を守ってくれたのだろうが、その向こうにいるボスをも守ったのだから。
※
絹、将、高尾――三人仲良く、職員室への呼び出しだ。
将は右手に包帯を巻き、高尾は左頬に大きなガーゼを貼り付けられている。
影の薄い担任が、三人を眺めてぼやいた。
「ケンカ沙汰など、滅多にないのに」
厄介事を起こしてくれるなとばかりに、ため息をつかれる。
良家の子女の通う学校だ。
変なモメ方になると、面倒な親がしゃしゃり出てくるのだろう。
高尾の親なら、ウザそうだ。
「広井が、僕を殴ったんです」
僕は被害者ですと、高尾がまず主張する。
絹は、ちらりとも見ずに、それを聞いていた。
「はい、僕が殴りました…でも、それは、彼が絹さんを侮辱したからです」
まっすぐに担任を見ながら、将はそう言い切った。
気持ちはありがたいが、この担任には、その男気は通用しそうにない。
「侮辱……?」
そして、絹に話が振られるのだ。
どう言うべきか。
絹は、言葉に迷っていた。
全部を言うと、ボスの名前を出さなければならない。
マイクで全て、家に伝わってしまうだろう。
その件を、蒸し返したくなかったのだ。
「家庭のことを…」
絹は、曖昧にそう言った。
「ふむ…しかし、たとえ侮辱があったとしても、殴るのは感心しないな」
そう。
どうあっても倫理上、悪者は将になってしまう。
絹だって、あんな真似をするとは思ってなかったのだ。
「広井くんは、親御さんに来てもらうからそのつもりで」
ハッと。
担任の言葉に、絹はハッと顔を上げた。
一筋の――光の道が見えたのだ。
彼女は、高尾の前にさっと回った。
いま、すべきなのは。
バチーーーン!
絹は、彼の無傷な右の頬を張った。
その派手な音に、職員室の空気がシーーーンと静まり返る。
彼女は、そのまま担任を振り返った。
「では、私も暴力を振るいましたので…一緒に保護者を呼んでください」
呆然とする担任に、絹はにこりと微笑んだ。
自分にできる、ボスへの精一杯のお詫びだった。