将
ついに、将がきた。
ドアを開けた彼は、心配したほどやつれてはいない。
少なくとも、その事実にほっとする。
「久しぶり…」
絹の呼び掛けに、「うん、久しぶり」と返す将。
奇妙な間は、お互い言葉を考えていたせいか。
ふーっと、将が息をつく。
「どうやって謝ろうかとか…たくさん考えてたけど…」
少し、伸びた感じのする髪。
ゆっくりした、言葉。
「本当に…治ってよかった」
最初についた息よりも、ずっとずっと深い吐息。
自分の目で見るまで、信じられなかったのだろう。
罪悪感が、その目にはある。
ただ、アキもそうだったように、将も目の前で怪我をした絹から、罪悪感を言い訳に逃げたりはしなかった。
「あの時ね…」
絹は、苦笑する。
つくづく、前向きな人間たちだと。
「あの時…初めて運命が目に見えたの。すべての時間が遅くなって、その中を私は動いてたわ」
今でも、しっかりと覚えている。
「誰かを守ろうとか、自分が盾になろうとか、これっぽっちも思ってなかったの…斬られて逆に後悔したわ」
思い出すと、笑ってしまう。
あれが、自分の最後の思考だったら、なんてくだらない、と。
将が、見ている。
絹の言葉の意味を推し量るように。
「後悔したまま、死ななくてよかったわ。運命なんかに殺されなくてよかった…これが、本音よ」
分かりやすい、リアルな言葉がいい。
絹は、聖女でも、桜の代わりでもなくて、生にしがみつく、だだの泥臭い人間なのだと。
「私が生きていて…嬉しいでしょ? 嬉しいなら、もっと嬉しい顔をしたら?」
こんなしゃべり方を、将にしたことなどなかった。
どちらかというと、京向け。
しかし、地面に足をつけて将に向き合うには、猫は邪魔だった。
その、地に落ちた猫の皮を――将が踏んだ。
誰にも似ていない、将にしか出来ない笑みを見た。
かすれるような、切ない笑み。
「うん…嬉しいよ」
不合格の笑み。
目が――潤みすぎだ。
※
「ひとつ…酷いこと聞いていい?」
空気が、ゆっくりと穏やかに戻りゆく途中、絹はブレーキを踏んだ。
この質問が、再び彼を突き落とすかもしれない。
顔を上げた将に。
「あの男は…あの日あの場所で死んだの?」
「あの」を3つ並べる。
アキは、詳しくは語らなかった。
まさかと思うが、彼女がとどめを刺したのでは、と疑惑があったのだ。
「あ…うん…自分で火の中に歩いていったよ…彼女を抱いて」
将の言葉は、重く――痛い。
血と熱に包まれた、ありえない日を思い出している声。
彼は、その記憶をこれからずっと持っていくのだ。
「そう…ありがとう。安心したわ」
ただ、確実にあの男は死に、アキは手を汚していない。
それならいい。
本当に、安心したのだ。
彼女の亡骸を、一緒に連れていった理由は、分からない。
自分の死を前に、酔狂なことを考えただけなのかも。
そのおかげで。
将が、母に限りなく近いものに会った事実は、うやむやになったのだ。
了に至っては、ユーレイ扱いだった。
「俺も…酷いことを聞いていい?」
ふっと、将が目を細める。
「なに?」
絹は、内心身構えた。
自分の正体について、聞かれそうな気配がしたのだ。
もし聞かれたら。
自分の口が、うっかり言ってしまうかもしれない気がした。
どこの馬の骨ともしれない人間だ、と。
将は、ゆっくりと口を開く。
「絹さん…学校、どうするの?」
考えてもいない常識的な話が振られて──絹は、思わず吹いてしまった。
ああ、そうそう…学校ね。
復学しても、多分留年だなぁ。
今の今まで、完全にその存在を忘れていたのだった。