暗がりの憂鬱
「お前は、天才だー!」
帰りついた絹は、ボスに絶賛された。
わざわざ、玄関まで出迎えてもらえるほど、喜んでいるようだ。
もう、広井家の車は走り去った。
見送った後に、絹は家に入ってきたのだから。
「すみません、勝手に家を教えて」
一応、絹は午後にマイクにしゃべりかけたのだ。
『教えてマズイことがあれば、何かで知らせて下さい』と。
信号弾でも打ち上がるかと、授業中は時々窓の外を見ていた。
しかし、外は静かなまま。
「はっはっはっ、大丈夫だ。家の中に入れたって、ボロは出さないぞ。最悪、自爆システムも搭載だ、この家は」
高らかに笑うボス。
自爆システム、ついてるのか。
絹は、別の方向に感心していた。
さすがは、マッドサイエンティスト。
やることが違う。
「いやあ、京くんの悪っぽさは、チョウへの反抗かな…跡取りなんかにならないゾ☆、とか言ってるのだろうか…ああっ」
うっとりと、幸せそうだ。
ボスの様子に、絹も嬉しかった。
「あ、つまらん他の男には、くれぐれもうつつを抜かすなよ!」
うっとりから、少し時間がたつと、鋭い釘を刺された。
絹が、うつつを抜かしていないのは分かっているだろう。
しかし、そのどうでもいい男に、将をバカ扱いされたのが、気に入らないのだろう。
「もう少しで、追尾型プチミサイルの在庫が、一つ減るところでした」
島村が、頭をかいている。
やっぱりボスは、物騒なことを考えていたようだ。
「気をつけますが…ちょっとこの顔は、高級すぎますね。余計な魚が寄ってきそうです」
絹は、不可抗力は認めて欲しいという意味で、そう言ったつもりだった。
「そう…大物を釣り上げてもらわなければ、困るんだよ」
しかし、ボスはくくく、と怪しげに笑う。
「究極の目的は…チョウなのだからね」
言葉に、絹は海よりも深く理解した。
要するに、三兄弟を足掛かりに、家にまで入り込み、チョウと接触してこいと――そう言うのだ。
家に行く、口実ね。
絹は、新たなミッション追加に、静かに思案をめぐらせたのだった。
※
将と一緒に天文部に到着すると、すでに京と了は来ていた。
「絹さーん!」
了に手を振られ、絹も小さくそれを返す。
「おっ、高坂さん、来たね」
部長と紹介された男が、まるで彼女を待っていたかのような発言をする。
軽く会釈だけして、やりすごそうとしたが、話は続けられた。
「高坂さんの、歓迎観測会を考えてるんだけど、夜に出られるご家庭かな?」
へぇ。
絹は、話の内容に動きを止めた。
なかなか、そそられる話のようだ。
しかし、まだ広井ブラザーズが行くとは決まっていないので、即答は避ける方向にする。
「どうでしょう…聞いてみないと」
ちらりと、京に一瞬視線を送った。
彼には、絹の秘密の事情を話している。
秘密、と言っても、絹という存在の架空の秘密だが。
こうすることで、京は自分に送られた、ヘルプの視線だと思うだろう。
「えー絹さん、行こうよー。観測会楽しいよー」
了の言葉から読み取ると、どうやら参加方向のようだ。
「丘の上でみる星座は、絶品だよ」
将も、気合いをこめてアピール。
丘。
ボスも、そこで観測したのだろうか。
朝と一緒に。
「うちの車で、ちゃんと家まで送るって、保護者に言っとけ」
ついに、京参戦。
絹が、交通手段に困っていると考えたのか。
親ではなく、保護者という単語を使うところが、二人の間の秘密を、暗に匂わす。
「ありがとう、京さん。じゃあ、帰って聞いてみますね」
大体、行くことは決まった。
聞くなど、単なる話の流れにすぎない。
ボスが、拒むはずがなかった。
さて。
夜の観測会か。
カメラが効かないかもしれないから、ボスと相談する必要がありそうだった。
※
「京さん、か」
天文部では、暗幕を閉めて、小さなプラネタリウム装置で夜空を楽しめる。
天井にドーム状の天幕が用意される本格派だ。
朝の会社で作った、寄贈品と聞かされた。
そんな暗がりの中、隣の将がぽつりと兄の名を呟いたのだ。
しかも、弟としては変な呼び方で。
右は了、左が将。
京は、少し離れた向かい側に座っている。
「なんで、兄貴だけ名前で呼ぶんだ?」
ぼそぼそ。
部長が、初夏の星座の解説を始めている。
それでも聞こえるということは、絹の耳のそばでしゃべっているのだろう。
マイクは、ちゃんと声を拾えているだろうか。
ふーん。
『広井くん』という、呼ばれ方が気に入らないようだ。
ふっ。
暗がりで、絹は微笑んでいた。
この暗がりなら、彼女の内側の暗さも目立たない。
クラスでは、一番絹と仲のいい将。
しかし、兄弟の中で一番でないのが、不満なのだろう。
昨日は、彼の知らないところで、京と出会い、親しくなり、帰りに送ってもらうことになったのだ。
その事実も、不満を上乗せしているのだ。
「『将くん』と、呼んでもいいの?」
彼の方を向き、囁く。
ドス黒い吐息を闇に紛らわせて。
少しの沈黙。
「う、うん」
暗闇の中の、秘密の出来事。
反対側で、了が絹の腕を抱えてきた。
頭を、そっと撫でてやる。
この子は、『了くん』だな、と思いながら。
※
「音、ちゃんと拾えてましたー?」
玄関に入り靴を脱ぎながら、絹はただいまより先に、気になっていたことを聞いた。
居間のボスが、黙ってVサインしていたので、ばっちりのようだ。
しかし、昨日までのようにはしゃいでいないので、たいして喜んではいないのか。
残念に思っていると。
島村に、静かにというゼスチャーをされる。
唇の前に、人差し指を立てるそれ。
よく見ると、ボスはヘッドホンをはめている。
何か聞いているので、邪魔するな、ということか。
「なに聞いてるの?」
島村に近付き、小声で囁く。
彼も同じように声をひそめて。
「次男坊の囁き声を、エンドレスで聞いてる」
ヘッドホンが、雰囲気出るんだそうだ。
は、はあ、さいで。
「ふ、ふふふ…」
よく聞くと、小さい声でボスは笑っていた。
夜中に聞いたらホラーなその声も、いまの絹には仕事の満足感を与えてくれる。
「あ…そうだ…カメラ、暗がりでも大丈夫?」
それは、本当に島村に囁いただけの声だったのに。
ばっ!
動いたのは、ボスだった。
既に引き伸ばされ、パネルになった写真が出されるのだ。
映っているのは――京。
普通の写真よりは暗めだが、それがより彼の雰囲気を引き立てている。
あの暗がりで、これほどの性能なら、申し分ないだろう。
さすがは、ボスが作ったものだけはある。
パネルの京は、こっちを睨んでいるように見えた。
こっち。
そう。
絹と、二人の兄弟のいる方。
暗がりで、見えないものを見ようとしていたのか――何か、見えていたのか。