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自分の証明

 目を開けたといっても、すべてがいつも通りだったわけではない。


 うまく考えられなかったし、まったく動けなかった。


 それが、何故かさえ考えられなかったのだ。


 ぼんやりと白い蛍光灯を見て、ぼんやりとまばたきをする。


「おはようございます」


 声が、自分の頭蓋の遠いところで反響した。


 首さえ曲げられないため、声の方を向くことも出来ない。


 生まれたばかりの赤子でさえ、これはないだろう。


「薬で動けないだけです。少しずつ自由が効くようになりますよ」


 五感のコントロールがおかしく、声を聞いている感じがしない。


 ただ、音の塊が当たっているだけ。


「いろいろ聞きたいこともあるでしょうが、もう少し回復を待ってください」


 その、音のつぶてが頭に当たった時。


 絹は――聞かなければならないことに手を伸ばしていた。


 頭が考えるより、反射的に掴もうとしたのだ。


 それを、形にしようとする。


 思考にしようとする。


 だが、霧のように掴めない。


 掴めたところで、唇も動かない今、どうやって聞くのか。


 あ、あ。


 だが、絹は必死で霧をかき集めようとした。


 それは、とてもとても大事な事。


 指をすりぬけ続ける霧を、絹は必死ですくう。


 ああ。


 ほんの少しだけ、握ることのできたそれを、絹はゆっくりと噛み締めた。


 声には出来ない。


 ただ、額に浮かび上がらせるだけ。


 だが、ようやく思考にはできた。


 細く、頼りない心の粒。


 わたしは。


 わたしは――わたしですか?


 その変な粒が。


 いまの絹には、一番大切なことだった。


 ※


 いろいろなことが、出来るようになるまで、長い時間が必要だった。


 脳が、自分の扱い方を忘れたかのように、言うことをきいてくれないのだ。


 その間、物語のように過去の出来事を語ってくれたのは――アキだった。


 ボスは、入院してはいるが、無事なこと。


 織田は解体され、あの男も死んだということ。


 広井家はみな無事で、温Pの発表も成功したこと。


 アキが、家政婦をやめたこと。


 それらを聞きながら。


 やっと、ゆっくり動かせるようになった手で、自分の顔を触ろうとしたら。


「再生手術は終わってますが、まだ包帯は取れませんよ」


 少し、困った声のアキ。


 この顔は。


 一体、どうなったのだろう。


 絹は、あの男に額をかち割られたらしい。


 丈夫な頭蓋骨だったおかげで、命はとりとめたという。


 だが、絹は疑いがあった。


 それは、本当だろうか、と。


 実は、絹は助からずに死んだのではないか、と。


 いまの自分は自分ではなく、トレースされたコピーではないのか。


 ボスが動けなくても、島村だって出来るかもしれないのだ。


 だが、それをアキには聞けない。


 彼女はただ、自分をかばった絹の看病をしてくれているだけなのだから。


「包帯が取れたら、広井家の方々がお見舞いにきますよ」


 みなさん、早く会いたがってます。


 きっと、いまはアキが止めているのだろう。


 顔中、包帯を巻いたミイラみたいな姿は、見せたくないに違いないと、気を利かせてくれたのだ。


 だが。


 本当に、会えるのだろうか。


 この身体が、自分かどうかも分からないし、包帯を取ったら違う顔かもしれない。


 傷が残っているくらいなら、可愛いものだ。


 いっそ、傷があったほうがいい。


 それが──自分の証明のように思えた。


 ※


 そしてついに──その日がやってきた。


 絹の、顔の包帯が取れる日だ。


 リハビリも進み、とりあえず絹は自分で歩けるくらいには回復していた。


 今日は、ボスと島村が来ることになっていた。


 本当に久しぶりに、二人に会うことになる。


 絹のリハビリ中、ボスも退院できていたのだ。


 少しずつ動けるようになって、絹自身で知ったこともあった。


 彼女がいるところは、病院というよりは、田舎の療養所レベルのところで。


 しかし、そこはアキの故郷でもあった。


 下手な病院より、よほど安全な彼女のテリトリー。


 織田は解体されはしたが、つぶされたほとんどは非合法施設のみで、表の仕事をしている渡部建設などは、いまも存在している。


 ほとぼりがさめるまで、匿われている、という方が現状としては正しいのだろう。


 そこに、二人がやってくる。


 見舞いではなく、この包帯を直々に取ってくださるのだ。


 どんな顔で会えばいいだろう。


 そう思って、絹は苦笑した。


 文字通り、「どんな顔」だ。


 それは、絹の方がよほど気になっている。


 そして。


 今日こそは、きっと聞くことが出来る。


 自分が、本当に自分なのか。


 ノックが聞こえる。


「はい」


 絹は応えた。


 アキは、席を外してくれている。


 絹たちの持つ、独特のサークルを理解しているのだろう。


 あの時、自分が将やアキに対して感じたもののように。


 ドアが開くと、島村がいた。


 相変わらずの黒い服に白衣。


 その後ろに。


 きっちりと背広姿のボスがいた。


 ああ。


 少しやせてはいたが、身なりをきちっと整えた、いつものボスの姿に、絹はほっとする。


 お久しぶりです、とか。


 ご迷惑をおかけしました、とか。


 最初にふさわしい言葉が、いろいろ頭を横切っていく。


 でも。


 それよりも一番最初に。


「『高坂絹』は、まだ生きていますよね?」


 再会には、まったくふさわしくない言葉が出ていた。


 ボスと島村が、一瞬顔を見合わせる。


 怪訝な目で。


「本当に、脳外科の手術はうまくいったのか?」


 島村が──自分の頭の横で、指をくるくると回して見せてくれた。



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