来てはならないもの
「何だ…オレを殺しにきたのか?」
突きつけた刀を、「それ」は軽く放り出した。
森村の側に、弧を描いて突き立つ刃。
何を考えているのか。
どっちも、だ。
「それ」は、自分の命に執着を見せないし、森村はここに登場する必要がない。
二人の間に、突き立つ刀。
「やめなさい…刀を取ってはいけないわ」
ぴくっと右腕を動かした森村を、桜が止めた。
「織田を殺した者が、織田になるのよ…絶対にやめなさい」
言葉が続く度に、森村の右腕が微かに反応する。
これまで織田の話の中で、ただの一度も世襲制という話はなかった。
継いだ者が「織田」になるのだと。
そんな、変な話だけ。
しかし。
桜の言葉を聞いてなお──森村は、刀を取る。
「織田になる…それはいいな」
低い低い、呟くような声。
ああ。
ここにいるのは、憎しみを持った男だった。
間接的に、目の前の「それ」が森村を不幸にしたのだ。
そして彼は、復讐する覚悟がある。
絹は、半歩だけ前に出られた。
それだけで、燃え上がる建物の熱風が、10度も絹への温度を上げた気がする。
その熱風に負けないよう、絹は唇を開いた。
「織田というシステムは、もう終わりよ! 織田になったって、何の力もないわ」
有益なことなど何もない。
いま、織田になっても、文字通り火中の栗を拾うようなものだ。
だが、絹の声など、森村の頬をなでただけだった。
ちらりと。
彼女を見た彼の目は──笑ったのだ。
「けど…あいつを殺せるくらいの力はあるだろう?」
刀は。
まるで、ラケットのような動きをした。
※
ぱぁっと。
絹の視界に、血の飛沫が広がった。
何が。
何が起きたのか、一瞬彼女には分からなくて、熱風で乾く目を何回か瞬かなければならなかった。
崩れ落ちていくのは──桜。
何故、彼女が森村と「それ」の間に割って入ったのか。
「それ」にもたれかかるように、ずるずると彼女は畳まで落ちた。
森村は、驚きに目を見開いている。
「もう…この世に、織田なんていらないのよ!」
血飛沫で汚れた顔を、それでも桜はキッと上げた。
「あなたが、誰に復讐したいかなんて知らないわ! それは、あなたが自分の力で勝手にやりなさい!」
斬られた人間とは思えない、生命エネルギーが、桜からほとばしっている。
畳に、どんどんと血を吸わせていくのに。
「それ」の足を背もたれに、座り込んでいるしかないというのに。
「この男は…私が一緒に連れて行くの。ちゃんと一緒に地獄まで、ね」
すさまじい、執念の気迫。
初めて――桜の存在を聞いた時は、もっとはかない、金持ちのお嬢様だと思っていた。
だが、彼女の死の謎から遡っていくと、まったく違う女性が現れてきたのだ。
そして。
ここに、オリジナルの心を残した女がいる。
その気は、はかなくもかよわくもない――女王のような力だ。
「大丈夫よ…」
そして。
彼女は、森村に微笑んだ。
「大丈夫、あなたは…まだ誰も殺していないわ。私は、亡霊だもの。ただ、お化けを斬っただけ」
カクンッ。
桜の笑みが――ついに、絹の膝を壊した。
彼女のように、地面にへたりこんでしまう。
しかし、意味はまったく違った。
美しくも凄まじい光景に、身体の力が奪われたのだ。
両脇の――もはや、傍観者にしか過ぎない彼らが、絹を起こそうとしてくれた時。
「絹さんっ!」
誰かに、名前を叫ばれた。
ああ。
その声は、今ばかりは――ただただ残酷なものに、聞こえた。
※
何故――来たのか。
何故、ここに来たのか。
来る方法や、手段を問うているのではない。
居場所は、島村が知っているし、今の彼なら教えかねなかった。
性格を考えたら、一晩おとなしくしているタイプでもない。
だが。
だが――将が、ここへ来てはならなかった。
「…朝?」
血を流す女王が、呆然とした女の声になる。
絹に駆け寄ろうとした足音が。
止まった。
「やだ…これは夢? 朝に会えるなんて」
桜は、瞳いっぱいの涙を溢れさせる。
振り返れない。
後ろに将がいるのが分かっているのに、いまの彼を見られないのだ。
「つまらんな…」
だが。
桜の幸福の時間は、たった一言で粉々に砕け散った。
無慈悲な手が、彼女の浴衣の襟首を掴み上げたのだ。
「あうっ!」
もたれているので精一杯だった彼女は、その突然の狼藉に苦悶の声を吐いた。
「広井が絡むと、お前はいつもくだらない女になるな」
のけぞる桜の顔についた血を──舐める。
「う…っ!」
うめく桜を、そして炎の近づく畳に放り投げるのだ。
「そうだ…お前が死ぬ前に、お前に広井が死ぬところを見せてやろう」
次に吹っ飛んだのは、森村だった。
一蹴りで、庭まで突き落とされる。
そして、庭に落ちるのは──刀。
「やめ…っ…」
身を起こして叫ぼうとする桜。
しかし、声が途切れる。
「それ」は、絹を見た。
いや、彼女の後ろの、将を見ているのだ。
裸足が庭に下り立ち、刀を拾い上げる。
倒れたままの、桜と森村。
絹は、そんな二人の姿を確認していた。
何故か。
そう。
こう言うためだ。
「撃って!!!」
悲鳴に、なっていた。