女が二人、男が二人
「まだ…あんなものを作っているのね」
呆然と動けない絹を、ひなこ──いや、「桜」が見た。
そうだ、桜だ。
さっき見たあの微笑を、絹は写真で見た。
だが。
常識で考えれば、桜が生きているなんてありえないし、ひなこは桜よりもっと年若い。
だが、絹は知ってしまったのだ。
「トレーサー」という存在を。
桜の死体は、どうなったのか。
そう、織田側に持ち去られた。
死して崩れ行く脳を、おそらく石橋という人間がトレースしたのだ。
トレース情報が、ただのデータというのならば 、それ以上崩れることなく永遠に保管が出来るはず。
どの段階かは、分からない。
だが、石橋という人間は、少なくとも死ぬ前には、そのデータをひなこにトレースしたのだ。
死後経過のため、損傷した脳のデータのせいだろうか。
意識の接触は悪く、ずっと彼女はあんな状態だったわけだ。
そして。
覚醒した。
これが──桜。
トレースされた複製物、ということは頭では分かっている。
分かっているのに、目が離せない。
「さあな…どうでもいいことだ」
「それ」は、絹を一瞥もしない。
「お前は、あの世から何をしにきた?」
しなやかに腕が動いた――刀を持つ方が。
切っ先が、その喉元につきつけられる。
「もう一度、死ににきたか?」
その時、絹は隣から引っ張られ、ハッとした。
「相方が、裏に回ってるはずだ…とりあえず、これ以上火が回る前に、おまえさんの雇い主を探すぞ」
冷静に戻り切れていない声だった。
百戦錬磨に見える彼らさえも、「それ」は動揺させるのか。
だが、いまの絹には必要な言葉だ。
ボスがまだ出てきていないということは、火以前に危険な状態に違いない。
声は出ないが――頷くことは出来た。
※
彼らは、まだ火のきていない勝手口側に駆け出した。
絹も、追おうとしたのだ。
ボスを助けなければ、と。
だが、がくがくと膝が笑い、まともに歩けない。
この世のものとは思えない光景のせいだ。
よろつきながら、それらから逃れる。
許されるなら、吐いてしまいたかった。
本当に、「あれ」は死にかけているのだろうか。
それに、覚醒した桜の存在をどうしろ、と。
広井家に連れて行くのか?
はい、お母さんのコピーですよ、と。
込み上げる嘔吐感をこらえながら、絹は歩いた。
あの二人が、いっそ差し違えてくれた方が、絹としては助かるくらいだ。
いまは、誰に罵られてもいい。
罵られてもいいから、あの二人をどうにかして欲しかった。
「ねーちゃん、裏に回ってこい!」
炎に負けないほど大きな声で、誰かが叫ぶ。
先に行った彼らだ。
何か見つけたに違いない。
走れ、走れ!
絹は自分の足に、必死で命令した。
やっと裏手に回ると。
裏庭に倒れている背広姿。
血、まみれの。
仰向けの肩から胸に、袈裟懸けの──刀傷。
一瞬で、頭の中に映像が構築される。
「あれ」だ。
「あれ」が、ボスを斬ったのだ。
「ボス! ボス!」
駆け寄り、やっと出た声を振り絞る。
「大丈夫…じゃねぇが、とりあえずまだ息はある。心配する価値はあるから、落ち着け」
バンバンと、抜けるほどの力が、また絹の肩を叩く。
その痛みが、絹の動揺を少しだけ止めてくれる。
「誰かに、ここまで運び出されたようだな」
ボスは、靴も履いていないし、ほとんど泥もついていない。
ああ、それは多分。
絹は、震えるまつげを伏せた。
それは、多分──森村だ。
※
「それじゃ、ひとっ走り行ってくるぜ!」
ボスを乗せた車が、泥を跳ね上げる。
この辺は、幸い彼らの顔の効くエリアで、もぐりの腕のいい医者が近場にいるというのだ。
「いいのか?」
聞かれて、歯を食いしばって頷く。
絹は──残った。
自分でも、ボスと行くべきだと思ったのに。
ざぁっと、炎の上昇気流が、絹の産毛を逆立てた。
あの。
あの、吐き気のする結末を、自分の目で見て帰らなければ、一生の悪夢になりかねなかったのだ。
「それなら戻るぞ…アレがどうなってるのか、オレも気になる」
「アレはもう死んでてくれよ…ぞっとするぜ」
銃を持っている、人間さえ脅かす存在。
ここにいる全員、「それ」の名に気づいているはずなのに、呼ぶことが出来ない。
「お前さんと同じ顔の女は…助けないのか?」
行くぞ、と促されて動き始めるが、その問いに足が固まってしまいそうだった。
答え、られない。
「……敵じゃ、ないわ」
言えたのは、それだけ。
煮え切らない返事に、彼は横目で絹を見た。
「まあいいさ…残る問題はアレだけだ」
そして、彼らが再び縁という舞台に戻った時。
途中退席していた彼らを尻目に、演目は進んでいた。
立ったままの桜だけが、変わらない。
だが、「それ」が刀を突きつけている相手は──新たな俳優、だった。
「森村さん!」
血まみれの姿。
しかし、どこも怪我をした様子はない。
おそらく、ボスを担ぎ出した時についた血だろう。
絹の呼びかけに、森村は答えなかった。
「それ」を見ている。
そして。
奇妙な舞台が完成した。
同じ顔の女が二人、男が二人。