蛾
「いっくぜぇぇぇ!」
武器室の位置を、完全に把握している一斉射撃。
いや。
いっそ、それをも巻き込んでも構わないと、本人たちは思っていたのかもしれない。
三人だった応援が、一人、二人と増えていく。
既に十人はいるだろう。
総合棟も、炎上を始めた。
卒業生たちが、ここの施設すべてをつぶしていこうとしているのだ。
一方。
呆然と、その光景を見ている者たちもいる。
現在、ここで養成されていた者たちだ。
自分の周囲の檻が壊されていくのに、それをきちんと把握できないでいる。
絹は、最上位の男の横に立った。
「宿舎は、あなたたちの手で壊していいのよ…指揮できるならね」
ここは、本当の彼らの巣ではない。
心のよりどころでもない。
そんなこと、本人たちが一番よく知っているだろうに。
「ああ…そうだな…」
ゆっくりと、彼は動き出した。
「あ、あの女に言っとけ…お前たちの大将」
振り返りざま、苦い響きの音。
「あんなんじゃ、いつか死ぬぞ、ってな」
絹は──悲しくなって目を伏せた。
アキの心配をしているのではない。
この国は平和だが、確かにそんな危険な裏道はいくつもあるのだ。
こうして、織田がのさばっていたように。
確かに、アキのやり方では通用しないだろう。
何度、力でねじ伏せても、背後から撃たれたらおしまいだ。
だから、とりあえずここできっちりと。
織田をつぶそう。
それで少なくとも、脅威のひとつは消える。
そして──ボスを迎えに行かなければ。
※
増殖していく卒業生たちは、養成所だけにとどまらなかった。
島村からの連絡で、織田の持つ非合法施設が、次々に急襲されていることを知ったのだ。
『アングラネットが、祭り状態だぞ』
苦笑混じりの島村だったが、その声を一度ぴたりと止める。
『だからこそ、先生が心配だ…織田本家も襲撃されるかもしれない』
そうね。
既に、彼らの計画は予想外の増援のため、山津波のような状態だった。
誰も、すべてを把握していないし、そして、コントロールできない。
濁流ように、目に見える敵を押し流していくだけ。
「先生の居場所…詳しく分かる?」
行かなきゃ。
絹は、足を必要としていた。
京都までの移動手段だ。
しかし、これだけの増援の中なら、行き先さえはっきりすれば、調達できそうな気がした。
何しろ。
織田本家だ。
是非、行きたい人間もいるだろう。
『発信機だけはつけてもらってるからな…すぐ位置をメールする』
携帯を切って、絹は周囲を見回す。
アキたちが一番頼みやすいが──連れて行く気はなかった。
彼女とは、きっと相性の悪い世界だ。
織田をまた、正面から見据えられては困る。
そんな絹の視界に、最初の応援組が映った。
増援数を見て、他へ転戦する気になったのだろうか。
あの速さで来られたということは、一番近い人間のはず。
西寄りのこのエリアを考えると、関西方面の地理にも、おそらく明るいだろう。
「私を、織田本家へ連れて行って欲しいの」
そんな彼らに、絹は単刀直入に言った。
難しい表情が、返事として返される。
「織田本家って言ってもね、知られているだけで15あるぜ…本当にそのどれかに織田がいるかも分からない」
居場所の特定が、彼らでさえ難しいというのだ。
「それなら…分かるわ」
絹の手の中で──携帯が激しく震えた。
※
「京都と言うより、ほとんど滋賀じゃねぇか!」
派手にボヤきながら、運転手は4WDのハンドルを、オモチャのように転がす。
彼が山道のカーブを、猛スピードのまま曲がるため、絹はドアにしがみつくのを余儀なくされたのだ。
「オッケー…あんたは、雇い主と坊やを引き取れば、後は用はないんだな」
そんな、左右への遠心力のかかる中、他の二人は平気そうな様子で、絹の状況を把握した。
ボスと森村。
その二人を、無事に確保して欲しいとお願いしたのだ。
「織田は、うちのボスが始末をつけると言ったもの」
ボスは科学者だ。
しかも、相手はこの場合被検体。
目的そのものを、達成するのは可能だろう。
だが、生きて逃げるには、ボスにも駒が足りない。
だから、絹がその駒にならなければ。
「まあ、誰が始末しようが、織田が消えれば、オレらも文句はない」
見届けさせてもらうぜ。
同種の過去を持つ彼らと一緒にいると、たとえようのない安心感を覚える。
やっぱり、自分はこっち側の人間なのだと、奥底の部分で感応してしまうのだ。
「おまえさんも、あそこ出身か?」
絹の心を見透かしたように、男に聞かれた。
「ええ」
周囲を気にせず、本当のことを言える。
「ふーん、出所したのはいつだ?」
言いながら、男はじっと絹の顔を見る。
「…五ヵ月前よ」
この顔から、あらぬ連想でもされているのかと思いきや。
「ハッ! たった五ヵ月でこうなんのか! そら、いいとこに売られたらしいな、ついてたじゃねぇか」
絹は、バンバンと肩を叩かれた。
それだけで、肩が抜けそうだ。
「最初、おまえさんがモグラ出身か、分からなかったぜ…一緒にいた、傍迷惑な太陽みたいな女のせいかもしれんが」
歯に衣着せない物言いに、絹は笑ってしまいそうだった。
「まあ、これが終わって、おまえさんに許されるなら、向こう側の人間になっちまいな…」
なかなか、なれる奴はいねぇんだから。
絹は、複雑すぎて何も答えられなかった。
なれない人間が多いというのは、よく分かる。
向こう側は、明るすぎて不安なのだ。
蛾の姿をしている自分が──どうしてそこで生きていけよう。