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アクロバット

 絹は、玄関を開けて外に出た。


「やぁ」


 カメラより鮮明な色の渡部が、近づいてくる。


 絹は、それを片手で制止した。


 側によらないで、という意味を込めて。


「これから出かけるの…」


 話す時間はない、という意味を込めた。


 アキがすっと。


 渡部の横についた。


 夏の日差しの中、そこにひやっとした空気が流れる。


「いい番犬だね…いつ飼ったの?」


 猫もかぶらずに、渡部が横を親指で指す。


「いきましょう」


 絹は、それに答えずにアキを促した。


 本当に、渡部と話すことはないし、話したくはなかった。


 一番大きな疑問が解けた今、もう渡部も蒲生も織田もうんざりだったのだ。


 さっさと悪人のコピーでもなんでもして、ボスが戻ってきて、いつもどおりの生活に戻れればそれでよかった。


 悪人は、悪人らしく闇夜にいればいいのだ。


「インターハイね…」


 渡部の横をすりぬけようとする時。


 彼が、ぼそっと呟いた。


 京都のことでも織田のことでも、ボスのことでもない。


 インターハイ。


 渡部個人の話。


 何故だろう。


 だからこそ――それが、怖さをかもしだした。


 絹は、足を止める。


「インターハイ…シングルスだけしか、出ないことになったよ」


 嘘くさい、さわやかなスポーツマンの言葉。


 しかし。


「……!」


 絹の耳には、ドス黒い悪人の声以外の、なにものにも聞こえなかった。


 カンのいい自分を呪いたくなる。


 ダブルスは出ないと。


 そう、言っているのだ。


 渡部の、ダブルスの相手は誰だ。


 絹の頭の中で、ガンガンと鐘が打ち鳴らされる。


 森村が。


 出られなくなったのだ。


 ※


 夏休みのいい天気の日は、「暑い」と同義語だ。


 その熱風が、絹の皮膚を撫でる。


 玄関先。


 絹は、ゆっくりと渡部を見た。


 いま、彼の発した森村について問おうとするが、どう聞けばいいのかよくわからない。


 しかし、島村と話をしてきたことと、無関係とは思えなかった。


 絹が、ついさっきその話を聞いてきたのだと──知っているかのようなタイミング。


 そして、馬鹿馬鹿しい織田派の「偶像崇拝」。


 この顔にこだわるように、彼らはあの顔にもこだわるのではないのか。


「森村さんは…誰かに似てるんじゃない?」


 ボスの言葉が、頭をよぎる。


 初めて、子供たちが顔を合わせた時。


 周囲の大人たちが、ざわついていたと。


 あのざわつきは──森村を見たからではないのか。


 にこっ。


 渡部の、さわやかでドス黒い笑み。


「もう、ビックリするほど…そっくり」


 決定的だった。


 森村に関する全てが、ここで連結できた。


 考えたくもない、おぞましい事実。


 森村は──織田に似ているのだ。


 そのせいで、渡部家は彼を利用することにした。


 種馬にしたのは、よく似た子供を作るためか。


 そして、織田の命が危ない今──彼が、織田のトレース先として決定してしまったのだ。


 青柳の所持している誰か、ではなく、森村に。


 ボスは、異母弟の心を殺す仕事をしなければならないのだ。


「夏休み明けに、もしかしたら会えるかもよ…学校で」


 ふふふっ。


 何という悪趣味。


 森村の顔をかぶった織田のコピーが、学校に通うなど。


 おそろしすぎて、考えたくもなかった。


「そう…それじゃ休み明けは、あなたが森村さんのパシリになるのね」


 そんな皮肉しか、返せない。


 しかし、そんな皮肉でも──渡部の頬の皮一枚くらいは、引きつらせたようだった。


 ※


「あの男は…だめです」


 車の中で、アキが言い切った。


 絹は、苦笑するしかない。


 渡部のことだ。


 あの男がダメなのは、絹が何より知っている。


 森村のことを、わざわざ広井家から離れた絹に言ってきたことには、多分意味がある。


 絹に、ボスや森村のことを止めさせようとしているのか。


 少なくとも、京都へ引っ張る餌にしていることだけは確かだ。


 それに、ほいほい乗るわけにはいかない。


 だが、気になる。


 蒲生は、森村のことはよく知っていた。


 特別な表現で、呼んでさえいた。


 だが、森村=トレース先、という図式は成立していない。


 そっくりな顔、というだけの認識だったのだろう。


 替え玉くらいには、考えていたかもしれないが。


 そして、今にして思えば、京都で渡部が言った言葉も、納得がいく。


『もし、森村を見ても声をかけるな』、というものだ。


 年齢は違うから、多少面変わりはしているだろうが、絹が森村ではなく、織田と鉢合わせる可能性もあった。


 殺した桜と同じ顔が、ぴーこ以外に現れたとすると、心中穏やかではないだろう。


 あの時点で、渡部は絹と織田を接触させたくなかったのだ。


 しかし、そんな男が、絹を京都へと呼ぶ。


 それは、彼女を今度こそ、『織田』へ献上することのように感じる。


 新しい織田──森村と絹なら、年齢的にも合うし、見た目にも皮肉なほど、織田派の理想どおりだ。


 こんな、茶番はない。


 ニセモノの織田と、ニセモノの絹を祭り上げ、織田の時代が永遠に続くことを高らかに叫ぶ気か。


「クーラーが効きすぎていますか?」


 絹が、身を震わせたことに、アキが問いかける。


 彼女には、渡部との会話は、まったく意味が分からなかっただろう。


 だから、この震えの意味が、理解できていない。


「いえ…」


 絹は、おとなしく広井家で夏休みを過ごすべきだ。


 それが、一番いい。


 だが。


 夏休み明けに、学校で森村に会えば──全てが終わる気がする。


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