アルバイト中
各部署を回る。
それは、挨拶程度かと思っていたが――とんでもない。
どの部署も、社長をひっ捕まえて、いま開発しているものを、猛アピールするのだ。
これが素晴らしいんです、ここがすごいんです。
大人の人たちの、目の輝きっぷりに、絹が逆に圧倒される。
と、ぼーっとしているワケにはいかなかった。
彼女の仕事は、部署ごとの観察記録をつけることなのだから。
社長が捕まっている間に、部署の仕事を見させてもらう。
『夏休みの間、私の秘書見習いをしてもらうアルバイトの高坂さん』
そう、最初にチョウが絹を紹介してくれたので、どこを見ても怒られることはなかった。
「絹さん」
昼前についた部署に、将がいた。
小さく手を振ってくれる。
『動力部』と書かれた、赤枠のプレートがかかっている部署だ。
この赤枠プレートが、今期の良品部の証。
社長は、さっそくとっつかまっているので、絹はすすすっと将の方へと近づく。
「何してるの?」
見ると、将の手元に豆粒みたいな部品が、たくさん転がっている。
「超小型モーターの組み立てだよ…小さすぎ」
ピンセットに固定拡大鏡という、素晴らしいオプションつき。
将には、苦手分野のようだ。
「絹さんは平気? 連れまわされてるみたいだけど」
父親のモミクチャっぷりを見ながら、ふーっと将は吐息をついた。
「どこいっても、ああなのね」
くすくす笑いながら、絹もチョウをちらっと見る。
「羨ましいよな…あんな、好かれて」
「良品部のアイディアは、実は母さんが出したんだよ…社長になったばかりの父さんが、社員との折り合いに困ってたから」
早くに父が亡くなり、社長に就任したチョウの前にあったのは、前社長派の壁。
ほとんど会社に顔を出していなかった彼は、最初はお飾りのお客様状態だったという。
「だから、オレたちは子供の頃から、ここにアルバイトにこさせられてるんだ」
自分の二の舞にならないように。
もし、チョウに何かがあったとしても、社員がすんなり子供たちを迎え入れるように。
すごいなぁ。
ボスが――チョウを好きになる理由を、ひしひしといま感じる気がした。
「大きい人ね…」
しみじみと、言ってしまう。
本当にそう感じたのだから、しょうがない。
「どうやって、父さんを抜けばいいんだろうな…」
将はピンセットで部品をつまみ上げながら、うーんと唸る。
兄弟たちの越えなければならない壁は、とても高いようだった。
※
「多分、息子たちは社食に行ってるな…一緒に昼食でもどうだい」
最後の部署を出た時、チョウは腕時計を見てそう言った。
気づくと、12時10分。
お昼休みの時間だ。
さっきいた部署からも、次々と食事へと人が出て行く。
昼休みになっても、社長を引き止めていたのだから、やはりすごい熱意である。
「はい、ご一緒します」
絹は、チョウについて行くだけだ。
「社食では、仕事の話は持ってこないように言ってるから、ゆっくりできるよ…ははは、騒がしかったろう?」
しかし、もみくちゃにされるのは嬉しそうだ。
イヤなら、巡回などするはずがない。
「元気な、いい会社ですね」
絹の知識では、他社と比較できないが、個性的な会社だと伝わってくる。
ここに勤めた後、他の会社に入ったら、退屈でしょうがなさそうだ。
「極上のほめ言葉を、ありがとう」
にこにこと上機嫌。
絹まで、つられそうな影響力のある笑顔だ。
社食につくと。
「こっちこっちー」
了が、手をぶんぶん振っている。
将もいるが、後一人は見えない。
「京さんは?」
「まだ部署じゃないかな…温P、だっけ兄貴は」
おんぴー。
また、変な略語が出てきた。
「ああ、今の温Pはすごいからな…京も興味が尽きないんだろう」
食事を取りに行きすがら、しみじみとチョウが呟く。
「温Pって、なんですか?」
わかめうどんを頼みながら、絹は聞いた。
チョウは、がっつり定食を掴んでいる。
「ああ…地球温暖化防止プロジェクトの略称だよ」
だから、温Pなのか。
「巧のおかげでね…プロジェクトはいま大わらわさ」
そこに、ボスの名前が出てくるとは思わなかった。
あのボスが、地球を救うプロジェクトに貢献?
これは――なんという笑い話なのだろうか。
※
午後。
その温Pとやらについた。
赤枠プレートではない。
「社長! 長期実験の試案が出来てます!」
わーっと、また社長の周りに人だかりだ。
ぽいっちょと、群れから弾かれた絹は、京の姿を探す。
いた。
パソコンの前だ。
「ご飯も食べずに、熱心ね」
覗き込むと、画面には世界地図が表示されていた。
その上を、さまざまな色が這っている。
「すごい代物だからな。きちんと管理して使わないと、かえって危険だ」
マウスを操作しながら、目もそらさずに京が言う。
微妙に、言葉が飛んでいる気がした。
「何のこと?」
疑問に、ようやく京は椅子を回して彼女を見た。
「あぁ…先生の作った発電機の話だ」
何でお前が聞く、と言わんばかりの唇。
んー。
ボスの作った発電機と言えば、気温や体温を利用して発電できるシステムだ。
それが地球温暖化と――あ。
つながった。
熱を奪って発電するのだから、発電機がある場所の周囲は熱を奪われ温度が下がるのだ。
なるほどー。
確かに、これを使えば、人工的に気温を下げることが可能だ。
しかし、あくまでも人工的な介入になるので、下手な使い方をすると、温度が下がりすぎてしまう。
それはそれで、環境に悪影響を与えるのは間違いなかった。
「個人に販売するのは、危険だからな…最終的には、政府とか自治体とか、他国が商売相手になりそうだぞ」
再び、マウスをカチカチ鳴らしながら、京は壮大な話を言い出す。
「政府…ああ、そうね。一般人が使い放題だと、気温を下げすぎちゃうわね」
国単位の話になってきた。
ボスの科学力が、世界のためになろうとしている。
今頃、聞いている本人も、苦笑していることだろう。
さすがは、健康的な広井家の発想だ。
「産業スパイも動いてるらしいから、とりあえず構造だけ来週公表するそうだ…大騒ぎになるぞ」
先に発表しておかないと、盗まれてからじゃ遅いからな。
どんどん、話が進んでいる。
もう一度、京の手が止まった。
「本当に、先生の名前を出さなくてもいいのか…聞いといてくれ」
手柄を全部、広井がもらうことに引っかかりを覚えている声。
絹は、にこっと笑って――ダーメ、と指で×を作って見せたのだった。
※
ほとんど丸一日、立ちっ放しだった。
朝、久しぶりにトレーニングをしたせいもあって、かなり足の方にきている。
「おつかれさまー」
退社時間になって、将と了と合流する。
しかし、一人足りない。
「京さんは?」
まだ、温Pだろうか。
「ああ、父さんの車で帰ってくるって…初日から頑張るね」
そっか。
来週、発表と言っていたので、その準備でおおわらわなのだろう。
チョウが、一番長くいた部署でもあった。
それだけ、気にかけているということだ。
「絹さん、ナンパとかされなかった? 大丈夫?」
車に乗り込みながら、了が頓狂なことを聞いてきた。
ぷっと吹き出してしまう。
何の心配をしているのか、と。
「社長とずっと一緒だったのよ、私」
その環境で、ナンパをしかけてくる強者は、さすがにいなかったようだ。
それどころか。
社長と並ぶと、社員にとっては「社長>>(越えられない壁)>>絹」だった。
皆の目は、社長しか見えていない状態で、一体絹にどうしろと。
「そっか、パパとずっと一緒だったんだ……」
パパのバーカ。
最後の最後で、消え入るほど小さく、了がぼやいた。
絹がナンパされなかったことより、父親への嫉妬が噴出したようだ。
困った甘えん坊だ。
「エンタメ部で、了は何やったんだ?」
将は、弟の欝を取り払おうと、別の話題を持ち出した。
それは、絹も気になっている。
今日一日あっても、全部の部署は回れなかったのだ。
了のいる、エンタメ部は一体どんなところか。
「えへへー、新作ゲームのテストプレイ!」
なぜか、Vサインをする了。
とりあえず――とてもとても楽しかった、ということは伝わってきた。
「それって…遊びじゃないか?」
「ちっがーう! ちゃんと意見書も書いてるー!」
将の穏やかなツッコミに、了は頭から湯気を出す。
あらら。
話をすり替えたつもりが、了のご機嫌は更に急降下していった。