電気屋
何事もなかったかのように、髪を乾かし、制服に着替え、身支度を整える。
アルバイトは、制服でいいと言われていたのだ。
7時半。
朝食の時間だ。
廊下に出ると――少し向こうに、制服姿の将がいた。
ああ、出てくるのを待っていたんだろうなと、分かる。
「おはよう」
「おはよう」
なんだろう。
また、昨日と将が違って見える気がするのは――彼にもアキと同じ『陽』を、はっきりと認識したからだろうか。
「おっ…おはようっ!」
二人の間のドアが開いて、いきなり了が転がり出てくる。
結びかけのタイ、はねたままの髪。
いかにも寝坊しましたという了は、二人の声を聞いて慌てて出てきたのだろう。
「おはよう、了くん」
くすくすと笑っていると。
将よりも、もっと奥でドアが開く。
こっちは、タイはぶら下げたまま。
ふわあと、大きなあくびをしている京。
「何だ、ガン首揃えて…」
ボタンを締め切っていないシャツの襟元を、無造作にかく仕草。
彼もまた、まだはっきり覚醒しきっていない気がする。
「おはよう、京さん」
くすっと。
絹は笑った。
車や学校で見かける彼らとは、また違う雰囲気だ。
カメラは、部屋を出る寸前にオンにしていたので、きっとこの光景はボスも見ているはず。
「絹が、どこの部署行くか聞いてるか?」
手だけで軽く絹にあいさつした京が、次男坊に問いかける。
「いや、聞いてないよ。父さん、もう出社してるみたいだから、会社で言うんじゃ…」
「実は、絹さんを僕のいるエンタメ部にしてって、パパに言っといたんだ」
将の言葉を、途中で叩き割る弟がいた。
えへへー。
朝日以上に、眩しい笑顔の了。
上二人の目が、一瞬糸目になった。
「親父が、了の希望を聞かない方に賭けるぞ」
「兄貴…それ、賭けにならない」
「ええー!!!」
朝から絹を笑わせて、どうしようというのか、この兄弟は。
※
もらったIDを首からさげ、絹は広井電気の本社に入った。
地下駐車場からエレベータで上がってすぐの、役員用通路からIDをかざして入る。
役員用とは言っても、視界の端には一般社員が、次々と出勤しているのが見えた。
「おっ、ぼっちゃん達! アルバイトへようこそ!」
こっちに気付いた社員の一人が、大声で手を振る。
豪快な人もいるものだ。
と思ったら。
「今年は是非、動力部に来てください!」
「家電部を忘れないでー」
「これからはAV部の時代ですよーっ」
ナニコレ。
みな兄弟に向けて、自分の部署のアピールを始めるではないか。
上二人は会釈を。下は、ぱたぱたと手を振って、声に応えている。
エレベータに乗り込むまで、大騒ぎだった。
「えっと…なに?」
ドアが閉まり、上昇が始まって、絹は聞いてみる。
三人は、慣れた様子だった。
「良品部、ってやつのせいだろ」
京はため息混じりに言ったが、声に嫌悪感は感じない。
「りょうひんぶ?」
復唱するが、ぴんとこない。
「半期に一度認定される、いいものを作った優秀部署のことだよ」
へぇー。
将の、シンプルな説明に、絹は感心の声をあげた。
そんなシステムがあるのか、と。
「良品部には、金一封が出るし、開発費ももらえるから、みんな頑張ってるんだよ」
あの了の口から、開発費というものが出るなんて。
「おかげで、うちの会社は、自分の部署を愛する馬鹿でいっぱいになりましたとさ」
京が、にやにや笑う。
「しかもね、良品部の指定は、ひとつの部だけじゃないからね。他の部と争う必要はないんだよ」
将の補足に、チョウの経営手腕というものを垣間見た。
三兄弟が、会社のシステムを把握しているのもすごい。
しっかり、叩き込まれているようだ。
良品部、ねぇ。
明るい企業姿勢だ。
他の部署との軋轢を生まず、なおかつ自分の仕事に情熱がわく。
だから、あんなに活気があったのか。
最上階で、エレベータが開く。
「おはようございます」
総合秘書、というプレートの女性が頭をさげる。
「社長は在室です、どうぞ」
真正面の社長室のドアを開けると、そこは社長秘書室。
なかなか、チョウまでたどりつけないようだ。
「社長…ご子息がお見えです」
そしてようやく、社長室へと到着するのだ。
「お、きたな」
ワイシャツ姿で、チョウが出迎えてくれる。
「パパ! 絹さんは何部に行くの!?」
大事なことといわんばかりに、了がいきなり切り出す。
「ああ、言ってなかったな…絹さんは…」
一度、チョウがこっちを見る。
「絹さんは…私の秘書をしてもらおう」
にっこり。
「えー」
「ありえねー」
「パパ、ずるい」
チョウの提案は、三人の恨みを買ったようだった。
※
「よろしくお願いします」
三人が、それぞれの部署に行ってしまい、絹は社長室に残された。
秘書なるものが、どんなものか想像つかないが、とりあえずやってみよう。
「まあまあ、そう固くならずに…まずは、各部署の見回りから行こうか」
大きな手が、ぽんぽんと絹の肩を叩く。
「北さん、業務バインダーを出してあげて」
社長室を出て、チョウは秘書に指示を出す。
「はい、こちらです」
差し出されるバインダーを受け取る。
「これから回る部署の様子を、観察してそれに書き込むのが、最初の絹さんの仕事…オケ?」
「はい、わかりました」
絹に、一体どんな観察を求めているのかは分からない。
まさか、良品部の査定ではないだろうから、思うままにやってみよう。
そう言えば、良品部で少し気になるところがある。
エレベータへ向かいながら、絹は聞いてみることにした。
「あの、良品部について伺ったのですが、何も作成しない部署は、何もないのですか?」
素朴な疑問だ。
たとえば、さっきの秘書たちや、総務部なんかはカヤの外なのだろうか。
「あはは…目のつけどころがいいね、大丈夫、ちゃんとあるよ」
エレベータが開き、チョウが乗り込む。
絹も慌てて続いた。
「他の部署は、自分が一番良いと思う部署を応援させるんだ。これは個人別だね」
二階、と言われて、絹はボタンを押した。
「それって…賭けみたいな感じですか?」
思いつくのが、その言葉しかなかった。
「ぶっちゃければそうだね…でも、他部署も参加することで、皆が社内の製品や開発に敏感になる」
ふらふらと応援する部署を変えるのは、最初だけらしい。
そのうち、ごひいきが出来て、ひとつの部署を応援しはじめる。
飲み会にも呼ばれるし、遅くまで頑張っていれば差し入れもする。
「連帯感を大事にしているんですね」
二階につく。
エレベータが開く。
絹は「開」を押して、チョウが降りるのを待った。
「私にとって、居心地のいい会社でなければ、イヤなだけだよ」
ワガママなオジサンでね、私は。
振り返って、にこりとチョウが笑う。
人と、上手につながって生きていきたい人。
それが、少しうらやましい気がするのは――絹が、変わりつつあるせいだろうか。