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広井家

 夏休みー。


 と、子供のようにはしゃげない絹は、あくびをしながら部屋から降りてきた。


 夏休みということは、本来の仕事である、広井ブラザーズとの交流が一気に少なくなる、ということだ。


 たとえ、ちょこちょこ会う口実を見つけたとしても、40日というのは長すぎる。


 身を守りつつ、どうやってすごしたらいいものか。


 居間を覗くと、ボスと島村がいた。


「おはようございます」


 いつものように声をかけたが、何か雰囲気がおかしい。


 島村は、しらっとしているが、ボスは微妙な表情だ。


「お前…」


 しらっとしたまま、先に島村が口を開いた。


「お前…夏休みの間、広井のところで生活しろ」


 突然な話だった。


「広井って…」


 絹が、戸惑っていると。


「今朝、チョウから電話がきた…絹が心配なら、夏休みの間くらい、うちに預けないか、と」


 夏休みも泊まり込みで、広井ウォッチングができる口実だというのに、ボスは複雑な顔だ。


 まぁ、ボスサイドのお家事情で、チョウを巻き込むのがいやなのかもしれない。


 しかし、なぜ彼がそんなことを言いだすのか。


 そう考えて。


 昨日の、将を思い出した。


 分かった、と言った彼。


 将なりに考えて、その結論を出したのか。


「ボスも、その方がいいと思いますか?」


 事実以外、コメントしようとしないボスに、絹は聞いてみた。


 反対するなら、もっと表情が険しいはずだ。


 だが、賛成というにはテンションが低い。


「セキュリティだけなら、うちでもそう変わらないが…いかんせん人手が足りない」


 微妙な返事だった。


 この家には、見えないセキュリティが沢山ある。


 しかし、それだけでは絹の安全は、万全ではないと言いたいのだろう。


 夏休み中、一歩も外に出ずに、家にこもっていれば、話は別だ。


「広井家の方が、ボスも楽しいですよね…分かりました、準備します」


 だが、この家に彼女がいない方がきっと、ボスや島村の仕事がはかどるのは間違いないだろう。


 ついでに、いい映像もお届けできるわけだ。


 一石二鳥なら、ためらう理由などない。


 ただ。


 ボスが、その事実にはしゃがなくなってしまったのが――とても、気になる。


 ※


「迎えにきたよー!」


 車に乗っていたのは、了と――将。


 夏休みの間の必要な荷物は、結構大きくて。


 運転手さんが、トランクに運んでくれた。


「お世話になります」


 嬉しくて飛びついてきそうな了にも、今日は少しおとなしい対応になってしまう。


 乗り込む前に、玄関を振り返った。


 勿論、そこは閉ざされたままで、誰も見送ってくれてない。


 当たり前のことなのに、いまは何かいやな感じだった。


 また、帰ってこられるのだろうか。


 そんな、漠然とした不安。


 ボスが、広井家に反応しないほど、深く考えている気がするのだ。


 もしも。


 もしも、ボスがもう広井家のことはいいと言ったら。


 絹は、お役御免だ。


「絹さん? 行くよ」


 立ち尽くしたままの彼女は、了に引っ張られて我に返った。


「うん」


 将の待つ車内に乗り込む。


 了も乗って、いつもの後部座席。


「夏休みの間、よろしく」


 この大技をかました張本人に、笑顔で迎えられる。


「こちらこそ…昨日言ってたのは、このことだったのね」


 絹が、あの時理解できなかったこと。


「そんな、大げさに考えないでいいよ…楽しく過ごせたらいいね」


 少しずつ、やんちゃさが抜けていく面差し。


 この、どっしり感は、一体どこで育まれたものなのか。


「では、参ります」


 運転手さんの言葉で、車が走り出す。


 その一瞬だけ。


 両側の二人の存在が、吹っ飛んだ。


 自分背中に、沢山の糸がある気がする。


 その糸は、玄関にくっついている。


 車が進む度に、その背中の糸が引きちぎられていく気がした。


 ブチブチブチッ。


 なんだろう。


 とても――かなしい。


 ※


「こっちこっちー」


 階段を駆け上る了。


 彼女の使う部屋に、案内してくれようとしているのだ。


「一番右端の部屋だよ」


 将が、うっすら笑いながら、案内より先に場所をバラしてしまう。


「了の部屋の隣だから、甘やかして部屋に入れないようにね」


 そして。


 立派な釘が、サックリ刺される。


「ええそうね、誰も入れないことにするわ」


 クスクス、と。


 少し調子を戻しながら、将に切り返した。


「うん、そのくらいでいいよ」


 なのに。


 京とは、また違う反応。


 やわらかく、にこっと笑われると――絹の方が、戸惑ってしまいそうだ。


「いい人」は、変わっていないはずなのに、妙な貫禄が困る。


「あ、お父さんは? ご挨拶しないと」


 部屋に入るより先に、お世話になる挨拶をしなければ。


 カメラもマイクもばっちり。


 チョウを、ボスに見せるいいチャンスだ。


「ああ、いま仕事行ってる。夜だろうね、帰ってくるの」


 一応、土曜日なのだが、社長は気軽に休むわけにはいかないのか。


「あ、そうそう。仕事で思い出した」


 階段の途中。


 将が、こっちを見た。


「うちの家、夏休みの半分は、親父の会社でアルバイトすることになるんだけど…絹さんも一緒にどう?」


 は?


 さらりと長文を言われて、絹は一瞬飲み込めなかった。


「行きも帰りもオレ達と一緒だし、本社はIDカードのいるセキュリティだから、うちにいるのと同じくらい安全だよ」


 そして、再び長文でたたみかけられる。


 ああ、そう、アルバイト、アルバイトね。


 やっとそれを飲み込んで、絹は納得した。


 さすが、広井家。


 息子三人の労働力を、無駄にはしていないようだ。


「ええ、勿論働かせてもらうわ」


 置いてもらって、働きたくないなんて言えるはずがない。


 絹にしても、家の中でじっとしているより、遥かに気分がいい。


 そう。


 やはり、安全に人並みに活動したいと思ったら――「人手」がいるのだ。


 ボスの言っていた言葉が、ふっと甦った。


 ※


「何してんだ?」


 居間に下りてきた京が、室内の様子を見て、呆れたようにそう聞いてきた。


 クーラーのよく効いたそこにいるのは、三人。


 将、了、そして絹。


「何って…宿題ー」


 了が、ノートをがばっと広げてみせる。


 京は、眉間を押さえた。


 余りの真面目な空間に、頭でも痛くなったのか。


 この流れになったのには、ワケがある。


 案内された部屋で、やっと落ち着いた頃、とにかく了が部屋に遊びにきたがったのだ。


 将に釘を刺されていたので、「宿題でもしようかな」と、やんわり拒絶したら。


「じゃあ、僕も一緒に宿題やる!」――で、居間でこういうことになってしまったのだ。


 部屋ではなく、居間なら一緒にいられるので、その方がボスにもいいだろう。


「まぁ、いいけどな…」


 それでも、京はイヤそうだ。


 彼らにとっては、毎年の苦痛だろう。


 しかし、絹にとっては、新鮮な感覚だった。


 生き残るために、必死でやる勉強じゃない。


 なんて、のどかな勉強。


 ただ、学んできたのが偏った知識だったために、足りない部分は自力で補うしかなかった。


 歴史や文学といった、絹には無縁な知識が、学校とやらでは必要なのだ。


「女の人のほうが、国語得意そうなのにね」


 将が、絹のノートを指差した。


 間違えているのだ。


 くせのない綺麗な自分の字。


 違う。


 くせは、消された。


 画一化された、個性のない文字。


 けしけし。


 それを消し去る。


 人の心を読み解く国語は、しかし、リアリティがない感じがして好きにはなれない。


 夢見がちだろうが、絶望的だろうが、共感できないのだ。


「あ、国語と言えば」


 将が、思い出す声で言った。


「暇なときは、母さんの部屋の本借りるといいよ」


 おっと。


 複雑なことに。


 桜の部屋の出入り許可を、いただいてしまった。


 ※


 宿題は、了が最初に飽き始め、ついにグダグダになってしまった。


 居間なら、絹と一緒にいられると学習したらしく、自慢の物をあれやこれやともってくる了。


 それに付き合っている間に、すっかり夕方だ。


「あ! パパの車の音!」


 耳聡く、了が反応する。


「今日は早かったな」


 将は、ソファから立ち上がった。


 絹も立つ。


 ボスお待ちかねのチョウだし、お礼も言わなければならないので、玄関まで行くつもりだった。


「出迎えなら、僕も行く!」


 了が、絹を見てついてこようとした――が。


「お前は、ここの片付けが先だ。何でも持ってきすぎだろ」


 しかし、将に叱られて置いてけぼりになる。


 苦笑しながら、廊下へ出た。


「おかえりなさいませ」


「ああ、ただいま」


 既に、チョウは玄関に到達していると分かる声。


「おかえり、父さん」


 こっちへ向かってくるチョウに、将が片手を上げる。


「お邪魔してます」


 絹は、自分に視線が飛ぶ前に慌てて頭を下げた。


 顔を上げると。


「ああ、絹さん、よく来たね。自分のうちだと思って気楽にして」


 嬉しそうに、チョウはにこにこしている。


 社交辞令というより、何だか本当に嬉しそうだ。


「本当に、お手数かけます」


 自分の家のようにと言われても、正直困る。


 ボスの家ですら、そういう意味では違うのだから。


「ホント固くならないで…今日は絹さんの歓迎会で、ごちそうを頼んでおいたからね」


 さあ、夕食にしよう。


 にこにこチョウに、いざなわれる。


 歓迎会。


 聞いていない事実に、正直困った。


 本当に絹は、厄介なものをしょいこんでいるのに。


「気にしなくていいよ、何か理由をつけてみんなで騒ぎたいだけなんだから、父さんは」


 将にまた、空気を読まれフォローされる。


 ますます、絹は困ってしまいそうだった。


 ※


 広いダイニング。


 そのテーブルの上には――


「何で、この暑いのに鍋なんだよ」


 京が、呆れた声でつっこむ。


「親睦を深めるには、鍋パーティに決まってるじゃないか」


 だが、チョウはまったく動じず、自分の主張を並べるのだ。


「片付け終わったーパパ、おかえりー…って、なべー!?」


 遅れて駆け込んできた了も、最後の声が裏返る。


「鍋、いいじゃん。オレ、暑くても鍋食べられるよ」


 そして。


 嫌がる理由が分からない男が、もう一人。


 いや、彼の空気読破センスを考えると、分かってはいるはずだ。


 ただ、この場面では父親側につくことに決めたのだろう。


「どうせ、一日クーラーの中で過ごしたんだろ…夏はちゃんと汗をかけ」


 結局。


 チョウの、父親としての権威は素晴らしかった。


 不満を言っていた二人も、ぴたりと黙ったのだ。


「さあ、具を入れるぞ…鍋奉行は父さんだ」


 ワイシャツの袖をまくりあげ、チョウはやる気を見せた。


 絹は――この辺で、やっと広井家のテンションに慣れはじめる。


 さっきまでは、ただ広井劇場を見るので精一杯だったのだ。


 これは。


 人の家庭に入り込むというのは、こんなにも戸惑うものなのか。


 ボスや島村との生活は、とても「家庭」なんて言葉は使えないので、戸惑いも半端ではなかったのだ。


「絹さん、鍋は好き?」


 一言もしゃべらない彼女に、将が聞く。


「えっ…ええ、好きよ」


 慌てて返事をするが――かなりの部分で嘘だった。


 こんな家族的な鍋など。


 もう、覚えてはいなかった。



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