かえりみち
この男は、鋭利な刃物ではない。
絹は、蒲生をそう表現した。
彼は――鈍器だ。
重く野蛮な、棍棒。
スマートな切り口も、すばやい一撃でもない。
しかし、振り下ろされるそれに、一度でも当たれば砕け散る。
その重さ。
昼は、仲が良さそうに感じたが、結局は他人同士の織田の部下。
隙あらば、引きずり下ろそうとしているのか。
「この顔はね」
顎を取られた。
蒲生の方を向かされる。
「この顔はね…殿のステータスなんだ…渡部の小僧ごときが、横にはべらせていていいもんじゃない」
ボンではなく、ついに小僧に落ちた。
「…制服とカバンをお願い、着替えないと」
顎を取られたまま、絹はまっすぐに彼を見た。
悪党には違いないが、渡部に対する敵対心は、利用できそうに感じたのだ。
「了解…で、名前は何だい?」
自分側の手札は見せたのだ、と。
蒲生は、絹側の手札を出せというのだ。
「…絹……高坂、絹よ」
ボスからもらった名前を――名乗る。
にやーっと笑って、蒲生は顎から手を放した。
「オーケィ、絹……お前は頭がいいな。オレの方が勝ち馬だぜ」
自信満々の顔。
絹は、その点はノーコメントにした。
織田の世界で、誰が勝とうが負けようが知ったことではないのだ。
絹やボスにちょっかいを出すな。
それだけ。
身を翻した蒲生が、絹の服とカバンを持って帰ってきたのは、ほんの二分後。
「さぁて…愛の逃避行と行きますか」
ついたての陰で着替え終えた絹に、彼女の靴をぶらんとさげて見せる。
それを、縁の下に置いてくれる。
愛はないわ。
そう絹は思ったが、構うと面倒くさそうだったので、放置することにした。
※
「もしもし、先生? 絹です」
車の中で、絹は携帯をかけた。
電話の向こうは、しばらく黙りこんだまま。
声が聞けずに、絹はその時間がとても長いものに感じた。
『携帯を…取り戻したのか?』
ひそめられるボスの声。
絹の周囲が、まだ緊迫した状況だと思っているのだろうか。
しかし、とりあえずボスの声を聞けて、少し安心できた。
「はい、今そっちに帰ってきてます」
遠くなる祭囃子。
もういい。
祇園祭など、こりごりだ。
絹は、まだ完全に悪党の手から解放されたわけではないが、ふぅと助手席でため息をもらした。
『戻って…渡部がもういいと?』
戻らないのは、ボスの声。
「いえ、蒲生って人に逃がしてもらいました。車で送ってもらってます」
絹は、いまの状況を的確に伝えた。
『蒲生…』
考え込む声。
ボスが、どれほど織田の部下のことを知っているかは分からないが、その一派だと理解しただろうか。
『カメラはあるか? 切れているようだ、あるならつけなさい』
言われて、絹ははっと胸ポケットを探った。
ある。
切れているのは偶然か、はたまた渡部が気づいたのか。
絹は言われたとおり、静かにスイッチをオンにした。
そして、運転手側に身体を向ける。
「ん? どうかしたか?」
絹の動きに気づいた蒲生が、ちらりと横目だけでこっちを見る。
「保護者がお礼を言いたいって…でも、運転中だものね」
絹は、カメラで彼を映したことを悟られないように、軽い嘘をついて身体を前に戻した。
再び、携帯を耳にあてる。
「蒲生さんは運転中なので…お礼だけは伝えておきました」
嘘の言葉で、自然にコーティングする。
『分かった…こっちで発信機の動きも確認している、気をつけて帰ってきなさい』
淡々としたボスの声。
「はい、ご心配おかけしました」
まだ、帰り着くまで何があるかわからない。
携帯の電池は、温存しておかなければ。
絹は、名残惜しく電話を切ったのだった。
※
「本当の親じゃないだろ」
電話を切ると、さらっと蒲生に突っ込まれた。
「ええ」
別にそれは、秘密でも何でもない。
絹も、さらっと答えた。
「そうだろうな、親って言わないし、言葉も他人行儀…おまけに、何で京都に連れ去られたのに黙ってるんだ?」
渡部に売られたのか?
蒲生の言葉に、絹は苦笑するしかない。
さっきのボスの、低く淡々とした声が気になる。
あれは、何なのか。
絹を、渡部に売ったことへの罪悪感なのか。
渡部――その向こうの織田に逆らうことは、ボスにとってメリットはない。
渡部が貸せと言ったのなら、ボスは貸さなければならなかったのだろう。
「多分…渡部さんが脅したんだわ」
絹にいえるのは、それくらいだった。
「ああ、なるほどね…絹の保護者も、織田をまったく知らないわけじゃない、というわけか」
パワーは鈍器でも、頭まで鈍いわけではないようだ。
蒲生は、その事実を的確に捉えていた。
「森村さんって知ってる?」
どうせ調べれば、すぐに分かることだ。
「あぁ、あの『森村氏』か」
何か――ひっかかる含みを、それに感じた。
彼の立場を、皮肉って表現しただけだろうか。
「私の保護者は、森村さんの異母兄よ」
そう言えば。
きっと、関係が分かるだろうと思った。
少なくとも、絹の口から『渡部の叔父』とは、言いたくなかったのだ。
「ぶっ」
運転席で、蒲生が吹き出した。
「ああ、ああ、なるほど! 好色渡部翁の! なるほどなるほど!」
身内でも、有名なようだ。
「そりゃ、小僧が強気に出られるはずだ…本家だもんな」
とばっちり、おつかれさん。
同情しているというより、愉快でしょうがない様子だ。
「そうか…森村氏に絹と、ダブルであの小僧はおさえてるのか」
クソ生意気な。
あ、また。
また蒲生は、森村について、変な表現をしたのだった。
※
「森村氏って…どういう意味?」
絹は、どうにも気になって、それを言葉にしてみた。
「ん? どういう意味って?」
聞かれる意味が、分からないような返事。
「どういう意味って…何か重要っぽい表現をしなかった?」
青柳の遺伝子材料というだけでは、おさまりきれない何かを感じたのだ。
ああ。
暗い車内。
蒲生は唇だけで、その音をなぞった。
絹は、対向車のライトでそれを見たのだ。
「織田じゃなければ、関係ない話かな。まあ、彼にはがんばってもらわないといけないけどね」
うひひひひ。
やや下品な笑いになるのは、彼のいまの境遇を思ってだろうか。
羨ましそうな響きに聞こえるのが、絹をいやーな気持ちにさせた。
ただ。
織田でなければ関係ないと――要するに、絹には話せない領域のものだと、彼は表現したのだ。
そこは、大きい。
こんがらがってきた。
渡部は、ボスや絹を何かに巻き込むというし、この顔でボスに献上される危険まで出てきたし、森村にはまだ秘密があるみたいだし、蒲生も決して気を許せないし。
「もう、うんざり…渡部さんが、ちょっかい出さなくなる方法ってないかしら?」
高速道路のインターの案内表示を見ながら、絹はいまになってぐったりと疲れてきた。
「小僧の弱みってことか? それなら、あのねーちゃん人質に取って脅すとかどうだ?」
あのねーちゃん?
誰のことだろうと、絹は首を傾げた。
「ほら…天野組の跡取り娘。ゾッコンだろ? 渡部の小僧、あのねーちゃんに」
えええーー!!
衝撃の事実に、絹は目が点になっていた。
ぞっこん!? あれが、ぞっこんの態度!?
どう思い出してみても、どこをとっても犬猿の仲にしか見えないあれが!
「見てれば分かるだろ? あいつが、マジもんで絡むのは、あのねーちゃんだけだし」
本当に嫌いなら、さっさと抹殺してるだろうしな。
大胆な観察眼に、しかし、絹はなるほどと納得させられた。
本当に目障りなら、もう彼女はこの世にいないはずだ。
あれだけ言いたい放題にさせているのに。
「ええと…渡部さんって…ドM?」
絹の素朴な言葉は、蒲生を爆笑の渦に突き落としただけだった。
※
あの男が、天野さんにねぇ。
衝撃の事実のせいで、頭の中身がいろいろとブッ飛んでしまった。
しかし、あの天野を人質に取るなど、絹に出来るはずもない。
ん?
ということは。
「もし、あなたが本気で渡部さんとやりあう時は、天野さんを人質に取ります?」
表だって対立する気があるのかは、分からない。
しかし、こうして絹を連れ出し、渡部の邪魔をしていることで、仲が悪くなることは間違いなかった。
「あー、どうすっかなぁ…いきなり誘拐するより、フリーにしつつ、危険な目にあわせ続け、それをずーっと小僧に見せ付けるのが楽しそうだな」
真面目に考え――そして、『THE・悪党』な答えが返された。
聞いているだけで、胃に穴が開きそうだ。
しかし、口調からすると、いますぐ何か起こそうという気配はない。
ただ、大きく発展しない程度に、こぜりあっている感じか。
「あぁ、そうだ」
指先が、軽くハンドルを叩いた。
「あの小僧に、何か言われたんじゃね? 悪だくみの話」
教えてほしいなー。
家まで送ってやるという交換条件が、いきなりここできた。
高速道路上の車の中。
走る密室。
ある意味、脅迫に近い状態でもあった。
しかし、それは絹にとって、しゃべってはならない秘密ではない。
それどころか、自分とボスを巻き込むこと必至の話だ。
蒲生に邪魔された方が、相当都合がいい。
「さぁ…でも、神頼みしてましたよ。アクロバットなことだから、神様にも頼まなきゃいけないとかなんとか」
とりあえず、自分とボスの話は置いておく。
何が、ヤブヘビになるか分からないのだ。
「八坂さんに? んー、アクロバットねぇ」
少し考え込んだ後。
「あー…それに、絹が関係してるって、小僧言ってなかったか?」
どきっ。
さすがに、ボスまで話は発展しなかったが、彼女は蒲生の前足で押さえられたようだ。
「……何か巻き込むって言ってましたね」
ボスの話は出さない。
聞かれていないから、嘘はついていない。
ただ。
これで、絹の立場が更に微妙になった気がした。
「フフ~ン…何か読めてきたカモ」
少し楽しそうになってきた蒲生の声に、絹はいやーな気持ちを拭えずにいた。