蒲生
「ボンが宴会にきてたからね、君が一人だと踏んで……夜這い?」
あっけらかーんと。
蒲生は、部屋に入ってくる。
「帰ってください」
絹は、即答で叩き出そうとした。
夜這いを自称する男を部屋に入れたら、何をしてもいいと言っているようなものだ。
大体。
渡部だけでも持て余しているのに、また別の悪党など扱えるものではない。
「あはは、イッツジョークだよ。何にもしませんよー…多分」
「かえ…ああもういいです」
この人は、どうも疲れるタイプだ。
絹は、構うのをやめた。
構えば構うほど、図に乗っていくお調子者タイプ。
勿論、織田の一派なのだから、それだけではないだろうが。
「まぁまぁ…ぴーこちゃんに会ったでしょ。さっき、ばぁやも腰抜かしてたし」
絹の気持ちが、防御に働いたのに気づいたのか、蒲生が話題を変えた。
ぴーこちゃん?
ばぁやというキーワードで出てくるのは――絹と似た顔の子。
「ここは、人間に小鳥みたいな名前をつけるの?」
切り返しに、また蒲生は口をはみ出すほど大きく開けて笑う。
「悪い悪い、ちゃんと名前はあるんだけど、笑うか歌うかしかしないからな、あの子…でも、何で驚いてないのかね、このお嬢さんは」
笑いながらも、絹の存在を伺いに来たのは分かった。
「この世に、似た人は三人いるんでしょう」
絹は、あえてはぐらかした。
この屋敷に、自分の味方など誰もいないのだ。
「先代のお方様、問題児の女に、ぴーこちゃん…それに君、となるとひとり多いな」
問題児。
それは、桜のことか。
絹は、ふっと微笑んだ。
三人で合っている、と。
その中に、絹を入れてはいけないのだから。
「ぴーこちゃんは、えらいさんのお嫁さんになるの?」
あの意識では、遺伝に問題が出そうな気もするが、織田があくまでも顔にこだわるなら、ありえない話ではない。
「どうかな…青柳のおっちゃんとしては、覚醒を待ちたいところだろうねぇ」
また、変な言葉が出てきた。
意識がまともに戻るのを、祈っているというところなのか?
それはまた――気が長そうな話だ。
※
「ところで…名前を教えてくれないかなー」
蒲生に、今更なことを聞かれる。
「渡部さんに、聞いてください」
しかし、保身のために、絹は答えなかった。
この男が、誰からか情報を聞きだしてこいと、頼まれていないとも限らない。
そうでなくても、いろいろ調べられかねなかった。
渡部自身が、学校で彼女の顔を見てから、全てを調べたように。
絹は、いまとなっては、 早くこの屋敷から逃れたくてしょうがなかった。
うっかり、地雷を踏んでしまう前に。
普通の人間相手なら、どれだけでも絹は戦える。
しかし、プロ相手ではそうはいかない。
特殊能力を仕込まれたとしても、彼らは決してあの施設では脱走できなかった。
絹は、脱走する気なんかなかったが、他の人間を見ていれば分かる。
新しく連れてこられた人間と、不慮の事故死以外、売られるまで彼らが入れ替わることはなかった。
あんな悪魔のような教官たちが、織田側にいる。
彼らが本気で、絹の顔を欲するなら、障害など何もないのだ。
帰れなくなる。
それが―― 一番怖い。
「私は、好きでここに来たわけじゃないわ…できれば、早く帰りたいの」
顔を利用されることを、もっとしっかりと考えるべきだった。
「そうだろうね、オレが君の顔でも、絶対にここには来ないな」
この家の名前を知ってるなら、な。
蒲生の言葉が、絹の足に冷たく触れる。
青柳青柳青柳青柳。
原始的な遺伝子コーディネーター。
姿は見ていないが、森村もこの屋敷のどこかにいる。
そして、種馬のように、屈辱的なことを強いられているのだ。
ぞっとする。
渡部が、この顔は作り物だと公言してくれれば、その難は逃れられるだろう。
しかし。
彼に自分の命運を委ねるなんて、出来るはずがなかった。
ニセモノの顔の女を連れてきました――そう、渡部は言うだろうか。
いや。
きっと言わない。
だから、過去を消したのだ。
絹のことを調べる人間たちを、騙すために。
「んー…帰りたいなら、送っていこうか?」
青ざめていく絹に、蒲生はいきなりぶっとんだことを提案した。
※
「送っていく…って」
呆然と、絹は男を見ていた。
「うん、帰りたいんだろ? 車できてるし…酒飲めないから飲んでないし」
あっけらかーん。
大したことではないように、蒲生は言い放つ。
「あなたは、ここにいなくていいの?」
義務だから、来ているだろうに。
用心深く、彼を見る。
どれだけ、あっけらかんとしていようとも、それに騙されてはいけないからだ。
「んー、まあ、殿にも挨拶したし、一応義務は終わったね」
つまんないじゃん、オッサンたちと話したって。
蒲生は、自分の言葉に自分で笑う。
これは、チャンスなのか。
それとも、将来的な意味のピンチなのか。
絹には、ひとつの分岐点に見えた。
おそらく、渡部の予定に蒲生は組み込まれていない。
それに、ここに長くいればいるほど、絹の人生が歪む可能性があるのもまた、確か。
「制服とカバン…どこにあるか分からないの」
絹は、慎重に即答は避け、言葉を迂回させた。
帰らないにしても、それは必要だったのだ。
「お安い御用だよ」
大きな口が、にーっと横に伸びる。
「保護者に連絡してもいい?」
ひとつひとつ。
条件を埋めていく。
「勿論っ」
即答だ。
では。
「それで…あなたに、どんなメリットがあるの?」
これでは、どうだ。
親切だけで送ってくれるなんて、勘違いしてはいけない。
だから、聞くのだ。
このメリットが、納得できないものなら、ついていけるはずがない。
「んー」
蒲生は、一度天井を見た。
そして言った。
「クソ生意気な、渡部の鼻をあかしてやりたいじゃないか…新参者のくせに」
大きな口が――泥を吐く。