出し抜く男
一面の、星空。
絹は、柔らかい草の上に寝転がって、夜空を見上げていた。
ボスが、また天体望遠鏡を持ってきてくれているが、それを覗き込むパワーが、いまはなかった。
ただこうして、重力に任せるまま空を見るので精一杯。
「ワイルドな観測だな」
もらいたての天体望遠鏡を抱えた京が、それを近くに据えた。
「いや、自然で疲れない見方だよ」
将は、先に絹の側にきていた。
絹が放棄したボス特製の天体望遠鏡を、彼に好きなだけ見ていいと言ったのだ。
将が宣言したとおり、あの停電騒ぎによく似た夜空だ。
ただ、やはりわずかに下界の光があるのか、怖いほどには感じなかった。
「了くんは?」
了が、出遅れるのは珍しい。
「ああ、向こうで先生に望遠鏡をねだってたな…多分、そろそろ親父にハタかれて、こっちに来るだろ」
京の容赦ない読みに、絹は仰向けのまま笑った。
光景が浮かびそうだ。
「了の誕生日…遠いからなあ」
将が、うーんとうなる。
「前の誕生日の分として欲しい~…って、どんだけ厚かましいんだ、うちの末っ子は」
通りすがりに聞こえただろう言葉を、京が変な口真似で言うものだから、将も巻き込んで一緒に笑った。
「パパにぶたれたー……いたーい」
そこへ、案の定―― 一発もらった末っ子が登場したため、今度は京も入れて三人で笑う。
「え? なに? なんなの?」
了が暗がりの中で、きょろきょろとしているようだ。
声が、右に左に飛ぶカンジで分かる。
「了くんも、一緒に転がらない? いい望遠鏡はなくても、星はきれいよ」
スネさせないように、絹はやわらかく呼んだ。
特製望遠鏡を自分のものにした京と、絹から権利を借り受けた将がいるので、それに気づかれるとなおふくれそうだった。
「あ、うんうんー」
しかし、素直な末っ子は、呼ばれるままに絹の横にゴロン。
広井家のおぼっちゃま達は、父親の教育のおかげか、ひ弱で潔癖症な感じはない。
だから草の上とは言え、ほいほい地面に寝そべられるのだ。
「絹さん、頭痛くない? 腕まくらしたげよっか」
るんるん。
絹と一緒に寝転がることが、楽しくてしょうがないのだろう。
上機嫌な了の言葉に。
「100年はえぇぞ、チビ」
「いたっ、京兄ぃ! 頭! そこ頭だって!」
長男のツッコミは、容赦なかった。
※
夏の星は、力強い。
消耗した気力を、絹は空から吸収するように、大きく深呼吸した。
ボス、うまくやってるかな。
結構離れたところに、二人陣取って、何を話しているのだろう。
よっ。
絹は、寝そべり観測をやめ、上半身を起こした。
「あれ、絹さん…どこかいくの?」
了も、身体を起こす。
「ちょっと、先生のところ」
に、盗み聞きに。
勿論、最後は心の中だけの言葉。
割って入ると、絶対ボスに呪われるので、遠巻きに様子を見てくるだけだ。
多分、うまくやっているだろうが。
チョウに嫌われると、ボスはまたこの世界の全てを憎むに違いない。
そっと。
一瞬、ペンライトが蛍のように閃いた方向へと歩く。
「…が……だな」
風に乗って、微かな声が飛んできた。
チョウの声のようだ。
「…ば…に…るよ」
ボスの声。
語らっているのだろう。
穏やかな声だ。
「けど、うちの息子の誰かが絹さんを口説き落としたら、おまえとも親戚づきあいが出来るな、ははは」
もう一歩近づいただけで、いきなり声はクリアになった。
な、なんの話をしているのか、チョウは。
「親戚づきあい…」
ボスが、真面目に考え込むような声。
いま、「それはおいしい!」とか、考えてませんか? ボス!?
ツッコみたい気持ちを押さえ、絹は息をひそめる。
しかし、逆に言えば、それは一生ボスの手駒でいられるということ。
絹も、真面目に考え込んでしまった。
「まぁ…」
低い、ボスの声。
「まぁ、絹がお前の息子の誰かに、結婚してもいいほど…惚れたら、な」
くくっ、と。
ボスが、笑った。
「オレの息子たちだ、甲斐性はバッチリだぞ」
仲のいい、旧友同士の単なる軽口。
なのに。
絹は、立ち尽くしてしまった。
※
あれは――どういう意味なんだろう。
観測会が終わり、ペンションに戻った頃には、既に真夜中だった。
「おやすみ」
ばいばいと、三兄弟に手を振って、自室に入る。
鍵をかけ、ふーっと一息。
疲れた。
今日の絹は、本当に疲れていた。
ベッドに、ぱふっとうつぶせに倒れながら。
しかし。
絹は、プレゼントの山を見ていた。
青い包みが、ボスからのプレゼント。
のろのろと身体を起こして、それを手に取った。
ベッドに座り込み、膝の上に置く。
軽い。
ぺりぺりと、包みをはがす。
何も考えず、頭を空っぽにしながら、四角い箱を開けた。
写真だ――さそり座の。
いや、よく見ると写真ではなく、星がまたたいている。
本物の、夜空を切り取ったような、ムービーフォト、とでも言った方がいいか。
また、こんなところに、最先端技術を無駄遣いしている。
くすっと笑いながら、絹は枕元にそれを置いた。
「島村さんに、作らせたんだろうな」
なんとなく、そんな気配がする。
あれ。
絹は、さそり座をじっとみた。
本物の夜空のように、少しずつ動いているのとは別の、違う気配を感じる。
しかし、それが何か分からない。
ただの星座なのに。
見れば見るほど、懐かしさが込み上げてくる。
何度見ても、やっぱりさそり座。
角度を変えても、薄目で見ても、ただの星座。
でもどうして、こんなに胸が詰まるのか。
じわじわと、込み上げてくるのか。
原因は、分からない。
分からないまま――絹は、泣いた。
※
朝一でシャワーを浴び、絹は身仕度を整えた。
枕元に伏せてある、問題のさそり座を、見ないように箱に戻す。
一体、何を仕掛けているのか。
玉葱の成分でも、出ているに違いない。
迂闊にじっと見ると、じわじわくるのだ。
絶対、変な実験の副産物だと決め付け、絹はプレゼント類をまとめて、一つの紙袋にしまった。
京のプレゼントは、一つとしてこれには入らないだろう。
コンコン。
随分、朝早くにノックだ。
「はい?」
鍵を開けにドアに近づく。
「おはよ、起きてるなら散歩に行かないかい?」
あらら。
声の主は、将。
二人を出し抜いてくるとは、なかなかやるな。
確かに、彼が一番朝に強そうな気がする。
「はい、すぐ行くわ」
気分を変えたかったので、ちょうどよかった。
一人は気楽だが、余計なことを考えるには向かない。
邪魔するものがないだけに、際限なく沈んでいくからだ。
「おはよう」
鏡で最終チェックして、部屋を出る。
「おはようっ」
嬉しさでいっぱいなのが、気配で分かる。
「よかった…もう起きてて」
行こう、と手を取られる。
了とは別の意味で、テンションが高い。
「おはようございますー」
ペンションのオーナーに、すれちがいざまに挨拶をして、外に出る。
ひんやりした、気持ちのいい空気だ。
「絹さん、夏休みもまた一緒にどこか行かない? 天文部の観測会もあるけど、それとは別に、さ」
手を引きながら、将が肩ごしに振り返る。
「そうね、また誘って」
にっこり微笑みながら、絹が答えると、彼は前を向き直る。
「…二人で、どこか出かけたいなーなんて」
ぼそっ。
将が、付け足したそれが耳に入った瞬間。
「きゃっ」
絹はつまずいた――ふりをした。
「だ、大丈夫? 絹さん」
「あは、ごめんね、大丈夫よ…何か言った?」
将の腕を支えに態勢を整えながら、絹は彼を見上げる。
「あ、いや…別に」
将は、言葉をひっこめた。
あぶない、あぶない。
京さん、あなたの弟は、意外と油断なりませんよ。