島村ショックを抜けて
ピーカン
梅雨明け宣言も出て、明るい夏の太陽になった空。
ボスは、朝からそわそわしすぎていた。
誕生会の当日。
正確には、一日目だ。
今日、昼間にペンションに向かい、泊まり掛けで天体観測をする。
ピンポーン。
お迎えのチャイムだ。
ボスの背筋が、びくぅっと伸びた。
「やっほー絹さん。準備できた?」
カメラの向こうで、了がぴょんぴょん跳ねている。
「ええ、ばっちり」
さぁ、出かけようと思っていた絹は、島村がいないことに気付く。
「島村さんは?」
「私が起きたのと入れ違いで研究室から出てきたなぁ、徹夜したみたいだぞ」
と言うことは、寝ているのかも。
「一応、一言言ってきますね」
絹は、島村の部屋の前へ行った。
そう言えば、この部屋に入ったことはなかったなぁ。
彼が、部屋にこもってるのを見たことがない。
もっぱら、研究室か居間あたりだ。
「島村さーん」
コンコン。
ノックをするが、返事はない。
ドアを、ちょこっとだけ開ける。
ベッドと机しかない部屋だ。
毛布が芋虫みたいになっているので、寝ているのは間違いない。
この時、ふと絹に悪戯心が起きた。
彼には寝顔を見られたことがあったので、やり返しておこうと思ったのだ。
ふんふふーん。
足音を立てずに、ベッドに忍び寄る。
寝顔はいけーん。
ひょい。
そんな、絹の目に映ったのは――
あれ。
死んだように眠る、島村の頭の横に落ちているものが。
写真。
「……!!」
声にならない悲鳴をあげて、絹は飛び退いた。
そのまま、ドアまで後退して、そそくさと部屋を出る。
み、見なかったことにしよう。
島村の秘密を盗み見てしまった罪悪感から、絹は記憶の抹消を試みた。
写真に映っていたのは――ゴージャス天野だったのだ。
※
島村ショックが抜けきれないまま、絹は荷物を持ってワゴン車に乗り込んだ。
あれは、ええと。
ボスは既に、チョウの隣の指定席に座って上機嫌モードだ。
とても、こんな話題を出せる状態じゃない。
ま、まあ、多分悪いことじゃ、ない、よ、ね。
自分にそう言い聞かせながら、絹はとりあえず保留箱に入れた。
そんな彼女の視界の端で。
「じゃんけん、ぽんっ!」
将と了が、何故かじゃんけんをしている。
「よっし」
「うぇぇー」
勝ったのは将。
了は、しょぼくれながら京の隣の席にすわった。
ははん、なるほど。
今日の後部席に座るのは、四人だ。
京と了が同じ側に座るということは。
「ここに、いいの?」
くすくす笑いながら、絹は将の隣の席を指す。
「そそ」
にこやかな将の向かいでは、了が往生際悪く、絹を手招きしている。
了には悪いが、せっかくじゃんけんで勝った将をむげにも出来ず、彼の横に腰掛けた。
「絹さん、三時間くらいかかるから、のんびりしててね」
座席に腕をかけ、振り返るようにチョウが声をかけてくれる。
「はい、お世話になりますー」
にっこり微笑んだら、その瞬間、チョウの時間が止まった。
ああ、しまった。
絹は、出来るだけ自然に顔をそらす。
この顔は、彼には毒なのだ。
「親父」
京の静かな呼び掛け。
「あっ? ああ、なんだ」
我に返ったチョウの声。
「親父まで入ってくんなよ、ただでさえ面倒なんだから」
「え? なんのこと?」
曖昧な京の言葉に、食い付いたのは了。
「ああ、肝に命じとくよ」
チョウは、軽やかに笑いながら、体を前に戻した。
うーん。
絹は、反応に困って苦笑するしかない。
「ねぇ、京兄ぃ、何の話?」
「うるせぇな、おまえみたいのが、一番ちゃっかりしてんだよ」
京は近付いてくる弟の顔に手のひらをあてると、ぐいと遠くに押しやったのだった。
※
車は高速にあがり、北の方へ針路を取る。
「どんなところ?」
具体的な目的地は聞いていないので、将に話を振ってみた。
「いいとこだよ。星が、とにかくサイコーに見えるんだ。多分、こないだの大停電くらい」
手放しでほめる将に、絹も微笑んでいた。
島村のやらかした、あの停電の空は、いまでも彼女の心に焼き付いていた。
あれに、また会えるかと思うと、胸が高鳴る。
星なんて、興味なかったはずなのに。
危険な気持ちでもあった。
星に、うつつを抜かせる立場ではないのだから。
「絹さんの好きなさそり座も、きっときれいだよ」
オリオンを殺したさそりの話を、将はもう気にしている様子もない。
「絹さんは、巧と同じ星が好きなのか…仲良しだなぁ」
話に、チョウが割り込んできた。
「有名な星座だからだよ」
苦笑混じりに、ボスが答える。
そういえば、とっさにボスの好きな星座をパクったのだ。
変なところで、ボスにとばっちりがいってしまった。
「仲良しでいいじゃないか…巧も照れるな」
誤解したままのチョウが、肘で隣をこづく。
「あっ、いや…」
いま、ボスがどもっているのは、照れたからじゃない。
チョウにこづかれた事実に、舞い上がっているからだ。
絹は、それにくすっと笑った。
京が――何か言いたげに、自分を見ていた。
彼女の、猫の毛皮の中を覗こうとする目だ。
だめよ、見せないわ。
絹は、そんな彼ににっこりと微笑んだ。