祭の前
「高坂さんっ」
この、イントネーションは。
放課後、将と部室に向かおうとしていた時、呼び止められた。
「こんにちは」
振り返ってあいさつすると、ゴージャス天野がいた。
将が、三度瞬きをした気持ちはよく分かる。
「最近、アレには絡まれてへんのやね、よかったよかった」
上機嫌な様子に、なおさら眩しく感じる。
「アレもいまは部活で忙しいからなぁ。インハイ終わるまで、あんま心配せんでええで」
うんうん、と自分の言葉に頷く。
ああ。
最近静かなのは、将という番犬のせいだけではなかったのか。
悪い奴なのに、結構テニスは真面目のようだ。
テニスと言えば。
「森村さんも出るんですか?」
あの、冷たい目をした男を思い出す。
「あんた、森村も知ってるんか。あいつ、ダブルスやったっけな。出るんちゃう?」
彼の名前への反応は、さらりとしたものだ。
ゴージャス天野は、森村にはたいして興味がないのか。
「彼は、関西出身じゃないんですか?」
織田絡みの母がいるなら、関西かと思ったのだが。
「違うで。こっちきてからやなあ、あいつ見たん」
答えを聞きながら、絹はこの辺で切り上げようと思った。
ゴージャス天野は、織田側ではないので、これ以上は知っていそうにない。
「あ、せやけど」
ぽっと、彼女が言葉をこぼす。
不思議そうに。
「せやけど、なんであいつ毎年、がっこ休んで一緒に祇園さんに行ってるんやろ」
祇園さん――京都祇園か!
しかも、渡部と一緒に、か。
うわぁ、怪しい臭いがプンプンする。
鼻にまとわりつく織田臭さに、絹は顔をしかめたのだった。
※
「森村さんって?」
ゴージャス天野が立ち去って、再び二人になると将が聞いてきた。
そういえば、彼のことは知らないんだったっけ。
「先生の親戚…何故か、あの渡部さんとよく一緒にいるんで、気になって」
こういう時、親戚関係というのは強い。
「そうなんだ」
将は、疑うことなくすんなり納得したのだ。
「でも祇園かあ…母さんと一回行ったなぁ。暑かったのは覚えてるよ」
へぇ。
将の思い出話は、興味深い。
「ちょうどアニキの誕生日だからね、宿でケーキを食べたなぁ」
将の小ささでは、その辺が記憶の限界だろうか。
京なら、もっと覚えているに違いない。
「お母さん、京都の人? 京さんの名前もそれっぽいし」
さりげない質問に、将は考え込んだ。
「どうだろうなぁ…なまりはなかったと思うんだけど」
さっきのゴージャス天野のこてこてっぷりが、頭に残ってるのだろう。
しかし、渡部のケースもある。
なまりだけでは、判断しづらいだろう。
祇園祭に、なにか秘密の匂いがするが、なぜか連れていかれるという、森村くらいしか聞く相手がいなかった。
もう一回、会ってみるかなぁ。
絹の中に、その気持ちが芽生えたが、いくつか問題点があった。
ボスと渡部が、それを許してくれないんじゃないかと――そう思ったのだ。
※
将が、珍しく学校を休んだ。
「ただのハライタだ」
京は、一言で切って捨てる。
「夕食前に、厨房につまみ食いに入ったんだよ、おなかすいたって」
おかしくてしょうがなさそうな、了。
「今日のあいつは、トイレの住人だな」
詳しく想像したくない方向の、話になってきた。
「大丈夫? お見舞い、行った方がいいかな」
家に行くとボスが喜びそうなので、絹はそんな下心を持った。
「い、いや…今日はやめてやれ」
「うん…将兄ぃ、かわいそうだから」
しかし、兄弟二人に止められては、さすがにゴリ押ししようもない。
残念。
そんな絹の気持ちをよそに、了が異様に上機嫌だ。
「将兄ぃには悪いけど、今日はお昼は絹さんと二人~♪」
そして――正直すぎる口。
あ、あははは。
自分の欲望に素直な彼に、苦笑するしかなかった。
「オレが行ってやろうか?」
ニヤッ。
そんな声が、助手席から聞こえる。
「京兄ぃっ! そんなことしたら…僕、呪うからね…」
せっかくの久しぶりの楽しみを奪われまいと、末っ子も必死だ。
精神攻撃まで視野に入れてきたか。
「はいはい…勝手にしろ」
放り投げるような、しかしニヤニヤするような声音。
かわいくてしょうがないのだろう。
「あ、絹さん…心配なら、僕、高等部に迎えに行くよ~」
将という番犬がいないのだ。
了も、移動を心配してくれている。
「大丈夫よ」
いま、渡部はテニスのおかげで、絹を攻撃対象から外しているのだ。
逆に、安全にさえ思える。
「僕、少ししか待たないからね…ちょっと待ってこなかったら、すぐ迎えに行くからねっ」
可愛い了の主張に、絹はハイハイと微笑んだのだった。
※
そう。
確かに、渡部はいま忙しい。
だが。
「ごきげんよう」
五人の女が、忙しいわけではなかった。
忘れてなかったのね。
昼休み、1階で絹は足止めを食らってしまう。
天野の気配を探すが、いま渡部がおとなしいので、彼女も完全に油断していたようだ。
現われる様子はない。
さっさとやりすごさなければ、了が迎えにきてしまう。
「ごきげんよう、さようなら」
絹は、挨拶を即座に別れのものに変え、脇をすりぬけようとした。
しかし、相手は五人。
影分身のようにスライドして、行く手をふさがれてしまう。
あーもう。
「誰が渡部さんの恋人か、決着はついたんですか?」
将からの受け売りの技を繰り出してみる。
しかし、先頭のボス級の女は、それにフフンと笑った。
「渡部様の愛は、地球規模ですのよ…誰か一人しか選ばないなんて、そんな器の小さい男じゃありませんわ」
自慢げに言われる言葉に、絹はあきれる。
それって、ただ単に渡部に丸め込まれただけじゃ。
複数の女を囲うのを、正当化するだけのへ理屈。
さすがは、あの女好きの祖父の血を引いているだけのことはある。
「じゃあ、なぜ私に絡んでくるんですか」
彼女らの前で渡部が絹をホメちぎっていたことが、嫉妬の原因らしい。
どうしてそれも、地球規模の一環にしてくれないのか。
「渡部様が…取り立ててあなたの顔をほめたのよ!」
「そんなこと、私たちにもなさらなかったわ」
「『可愛い』とか『綺麗』はおっしゃってくださるけど、あなたの顔だけは特別おほめになったのよ」
その時のことを思い出したのか、涙目になって悔しがる女性もいた。
あー。
絹は、額を押さえた。
それはどう聞いても――渡部のイヤミだ。
彼は、この顔を偽物だと知っているのだから。
陰険すぎる。
記憶の中の渡部に、絹はアッパーカットをくらわせたのだった。
※
「で、私にどうしろと」
いちいち絡んできて、どういう要求があるというのか。
今後もウロつかれると面倒なので、さすがに絹も彼女らの要求がなんなのかを聞いておこうと思った。
顔をホメられたから、どうしたいというのだ。
「整形してちょうだい」
きっぱり。
先頭の女は、即答だ。
は?
「うちのお抱えの美容整形医師を紹介するわ、費用も私持ち。勿論、醜くなんかしなくてよ」
真顔だ。
本気だ。
絹は――頭が痛くなってきた。
金持ちの考えは、飛躍しすぎる。
「ご希望の顔があれば、期待に沿いますわ。ですから…その顔を捨ててちょうだい」
今日ほど、天野の登場を切望したことはなかった。
余りに異星人すぎる思考に、絹は脱力してしまったのだ。
蹴散らして行きたいのに、その気力を奪われた。
とりあえず、答えは決まっている。
「おことわりします」
しゃべると、口から自分の魂が出てきそうだ。
それくらい、絹は疲労していた。
「手荒な真似はしたくなくてよ…はいと言ってくださらないかしら」
絶対、頭おかしい。
脅しに切り替わった女性陣に、絹がドン引きしていた時。
五人の頭の向こうを、更に頭ふたつほど高い存在が通り過ぎる。
はっと。
絹は、それが誰であるかに気づいて、口の中に魂を戻した。
「森村さん!」
絹の会いたかった男だ。
すっ。
高い視線が、絹の方へと向けられる。
ああ、と。
目が彼女を認識した。
「……」
しかし――そのまま、行ってしまった。
ガン無視デスカ!
兄の養い子は、一瞬にして見捨てられたのだった。
※
「何してんねん!」
神!
こんなにまで、関西弁が愛しく思えたことはなかった。
「天野さん、またあなたですの」
ゴージャス天野の登場に、五人の美女はざわめく。
意識がそれた一瞬を、絹は見逃さなかった。
分身の術をすりぬけ、五人の包囲網を突破したのだ。
「ちょっ!」
気づいた天野が、頓狂な声をあげるが、絹は振り返らなかった。
今は、それどころではなかったのだ。
森村は、校舎の外へと向かっていた。
絹の行く方向と同じだ。
出て行くついでに、用事をすませよう。
滅多にない好機だった。
「森村さん」
背の高い人間は、便利だ。
どんな距離からでも、見逃しづらい。
振り返る、冷ややかな瞳。
絹の存在を、快くは思っていないようだ。
彼女が絡むと、渡部がきっとつっかかってくるだろう。
この間の、図書室の一件もバレていたし。
「ひとつだけ」
拒絶される前に、絹は人差し指を立てた。
挨拶も、さっきのことも抜き。
最重要項目を、1つだけ突きつける。
「祇園祭で、何があるの?」
ざわり。
聞いた直後、絹の首筋の産毛が、一斉に逆立った。
冷ややかな目、ではない。
絶対零度級の、凍りつく目だ。
それは――怒りで出来ていた。
その怒りが、まっすぐ絹に向けられる。
長い腕が、彼女に伸ばされかけたのに、反射的に飛びのいていた。
殺気さえ、そこにはあったのだ。
防御本能だった。
「絹さん~」
了が割って入ってこなければ――絹はどうなっていただろうか。