刺客
「あなたが、高坂さん?」
言葉は標準語だが、イントネーションが、明らかに関西な声に呼び止められる。
昼休みの、広場への移動中―― 一階から、外へ向かおうとしていた。
振り返ると、なんだか眩しい。
日本人離れした、濃いめの美人が立っていた。
学校なのだから、アクセサリーなどはつけていないのに、全身から金色のオーラでも出しているんではないかと思う眩しさ。
こんな歩くゴージャスに、知り合いなんかいなかった。
「渡部のことで、話があるのだけど」
すぱっと本題を切り出す。
しかも、様づけではない。
彼と親しいのだと、アピールしているのか。
先日の、宮野の警告が甦る。
「考えてらっしゃることは、全部誤解です。では、私は行くところがありますので」
話とやらを先回りして、絹は五秒で終わらせた。
そして、すたすたと再び歩き始める。
「な…なに勘違いしてんねん。うちは、渡部派やあらへん。また、渡部がいらんことしよ思てるから、警告しに来ただけや」
素早い言葉は、標準語では苦手なのか。
こてこての関西弁で、引きとめられる。
んー?
思わぬ雲行きに、絹は微妙な気分になった。
とりあえず、ゴージャス姉さんを振り返る。
「あんた、渡部の不興買ったやろ? あの男が、むやみやたらに一人の女ほめる時は、痛い目見せよて思てんねん」
取り巻きたちの前で、ぎょうさんほめちぎっとったで。
あのやりクチ、ムカつくねんと、どんどんしゃべくってゆく。
かなり、おしゃべりな性格のようだ。
ふぅん。
渡部が率先して、取り巻きをけしかけようと思っているのか。
また、めんどくさいことになりそうだ。
しかし、本人じゃないだけ、マシかもしれない。
まだ、絹は対応できそうだった。
「ご丁寧に、ありがとうございます」
見た目もしゃべりも行動も、この学校には珍しいタイプだ。
絹は、とりあえず助言にお礼だけ言った。
「あいた…ごめんな、場所悪かったわ」
そんな姉さんが、顔をしかめながら、おもむろに拝むポーズ。
いやな気配がして、絹は振り返った。
気の強そうな美女五人。
宮野グループと違って、全員肝の座った顔をしている。
ははーん。
これが、渡部の刺客か。
※
「はいはい、皆さん…帰って帰って」
五人と絹の間に、ゴージャス姉さんが割って入る。
そして彼女らを、虫のように散らそうとするのだ。
「ちょっと、天野さん…あなたには関係ないでしょ」
いきなりの邪魔に、しかし、相手も怯まない。
「もー、あなたたちが顔揃えてるだけで、何の用かすぐわかるわよ。渡部臭いから、はやくどこかへ行きなさい」
イントネーションだけ関西弁に戻った。
しゃべりづらそうだ。
「あなた、渡部様に相手にされないからって、逆恨みはおよしなさいな」
ほほほと高笑いで、ゴージャス姉さんこと天野を馬鹿にする美女軍団。
「あなたたちこそ、あんな頭も尻も軽い男にくっついてると、自分の価値さげますわよ」
ふふん――ゴージャス天野も、まったく負けていなかった。
「標準語もしゃべれない、西の山猿の居場所など、この学校にはなくてよ」
痛いところをつかれたのか、天野の頬が引きつる。
「あんたらに聞かせてやりたいわぁ、渡部の関西弁。こってこてやで」
ついに。
ゴージャス天野の、標準語は崩れ去った。
さて。
絹は、その舌戦を冷静に見ていた。
長くなりそうだな。
もはや、天野VS五人になっている気がする。
絹が、ここにいる必要を感じなかった。
「あっ、絹さーん…遅いよー」
そうしている間に、遅い彼女を了が迎えにきてしまう。
美女軍団の険悪な空気に、まだ気付いていない。
「んー私も、ご飯食べたいんだけどねぇ」
絹は、視線でちらりと女性陣を見た。
「え、あのお姉さんたちが、どうかしたの?」
了が、目を丸くしながら睨み合う彼女達を、ようやく確認した。
「うん…でもまぁいっか…ご飯いこ」
どうせ、絹など視界外の状態だ。
彼女は、六人を置き去りに、了と昼食としゃれこんだのだった。
※
「あんた、それないやろ!」
昼食と楽しいおしゃべりを終え、高等部の校舎に戻ってきた絹は――ゴージャス天野に呼び止められた。
どうやら、途中で彼女が抜け出したのに気づいたようだ。
「私がいる必要、なさそうだったので」
渡部の敵という意味では、あの五人にとっては、絹も天野も大差ないのかもしれない。
けしかけた渡部には、そこが多少の誤算だったろう。
「あいつら、シツコイんや…もー。最初にガツンと言っとかんと、またどうせ来るで」
あーあ、と。
ゴージャス天野は、両手を腰に当てて天を仰ぐ。
「でも…随分、渡部さんにお詳しいんですね」
そこは、特筆すべきところかもしれない。
彼が関西弁を使う姿など、想像もつかないのに。
「幼稚舎から一緒や…中学なってこっちきて、やっとオサラバできる思たら…また一緒やろ。頭イタイわぁ」
お。
思わぬところから、拾い物が出てくるものだ。
本人は嫌そうだが、この腐れ縁の知識は、役に立つものがあるかもしれない。
しかも、珍しく「いい人」属性のようだ。
ここしばらく、情報については氷河期だった絹には、真夏の日差しに見えた。
しかし、どこから聞き始めていいのか。
彼女も『織田』絡みなのか。
まず、そこか。
「関西ってことは……あなたも『織田』ですか?」
声をひそめて呟くように言う。
マイクは拾っているだろうが、しょうがない。
「あかんて…あれは、関西の黒歴史や。そんな簡単に口に出したらあかん」
シーッ。
ゴージャス天野は、慌てて周囲をうかがうように、唇に人差し指を当てた。
「うちのおとんの会社は、健全な建設会社やで。あんな真っ黒なヤクザ集団と一緒にせんといて」
どうやら。
彼女は、違うようだ。
建設会社。
渡部の家も大手ゼネコンのはずだ。
渡部組。
「天野…建設」
もうひとつ、絹の頭によぎった会社名。
「そうや。うちは、関西の建設業界の女帝になる女や」
ふわははははは。
勝ち誇るように、ゴージャス天野は高らかに笑うのだった。
※
結局、予鈴に邪魔されて、ゴージャス天野から大した情報を聞き出すことはできなかった。
頻繁に彼女に会うのも不自然だし、ボスもいやがるだろうから、またお節介に現われたところを聞くしかないだろう。
と、その前に。
五人が来るのだが。
部活に行く途中なので、将と一緒の時だ。
「高坂さん…ちょっといいかしら?」
昼休み、見事にゴージャス天野に邪魔されたせいで短気になったのか、将がいても気にせず声をかけてきた。
「いえ…よくないです」
立ちふさがる、悪のおねぇさまズに、絹ははっきりと拒絶を表した。
瞬間的に、相手の顔が引きつる。
「何事?」
将が、耳打ちしてくる。
迫力のある美女五人のお出迎えに、驚いているようだ。
「渡部って人の取り巻き」
さっとそれだけ答えると、「おー」と将がまじまじと彼女らの顔を見る。
「五人もかぁ」
妙に感慨深げだ。
つくづく、平和な頭にできているようだ。
そんな女性たちに、なぜ絹が呼び出しをかけられているのか、考えて欲しいものだ。
「そんなにお手間は取らせなくてよ…ちょっとあちらでお話しない?」
ぴっきぴきにこめかみを引きつらせてそんな事を言われて、誰がついていくと思うのだろうか。
ゴージャス天野とのやりとりを、既に見ているというのに。
「お話はありません、お断りします…いこ、将くん」
絹が、取り付く島を見せるはずがない。
まだ五人を眺めている将の腕を取り、彼女らをすり抜けようとする。
その前を――身体でふさがれた。
「ごめんなさいね…どうしてもお話ししたいの」
ふふふと微笑まれて、絹は視線を横に流す。
さて、どうしたものか、と。
「ねぇ…」
そこへ、将が口を開く。
そうだ。
彼と一緒だったのだ。
ここまであからさまな妨害をされれば、将だって黙っているはずがない。
「五人の中の、誰が渡部さんの彼女なの?」
そこか。
お前が、気になっているところは、そこなのか!
絹は、ひっくり返りそうになった。
だが。
その言葉は――五人の仲に、亀裂を入れたのだ。
※
「驚いた…」
絹は、笑いながら部室棟に到着した。
将の放った一言が、五人を仲間割れに導いたのだ。
皆が、「私が一番」と言い出したのである。
そのまま、内輪でドロドロの舌戦が始まったので、二人はその隙に逃げ出したのだ。
「よく、あんなうまい言葉を言えるわね」
将にしては、上出来の知能技だった。
「あぁ…あれね」
くすっと、何かを思い出したように笑う。
「前に、兄貴の周りにいた女の子たちに同じこと言ったら、とんでもないことになってね…使えるかなって」
言葉に、絹はもっと笑った。
その光景が、容易に思い浮かんだのだ。
「兄貴もコリたのか、それ以来、女の人たちを連れ回さなくなったなぁ」
あの京も、渡部みたいなことをしていた時期もあったのか。
そう絹が、脳裏の彼に新しい情報をくっつけようとした時。
「誰が…何だって?」
背後から。
低く、引きつる声。
二人同時に、ばっと振り返っていた。
広井家の長男が、腕組みして突っ立っているではないか。
「あっ、いや…全然っ、普通の世間話」
将が、無罪を主張するが――まあ、無理だろう。
おそらく、後半は聞かれているに違いない。
「余計なこと言うな」
ゴスッ。
平手で弟の頭を上から抑えつけるように、ぐいぐい重力を加える。
「いて…兄貴いてぇ…何も言ってないって」
必死で抵抗する将。
その光景に、絹はくすくすと笑いを止められないでいた。
「京さんが、モテるって話を聞いていただけですよ」
笑いながら、助け舟を出す。
あん、と――京の顎がこっちを向いた。
目が合う。
「こいつも、生意気にも結構モテるぞ」
頭を抑えている弟を、更にぐりぐりする。
「いて…兄貴…何適当なこと言って…」
じたばたする弟が、手と言葉に抵抗したが。
「あっ、こんなところにいたんですか」
後からやってきた宮野の存在が――将の抵抗を台無しにしたのだった。
確かに、モテているようだ。